萩往還④
2013年4月24日
ホテルα1・・・(国道262号)・・・(中国自動車道)・・・柊神社・・・大師原公園・・・馬頭観音・・・鳴滝一里塚跡あたり⑨・・・鳴滝橋交差点・・国道262号・・・旧道・・・吉岡一味斎遭難碑・・・禅昌寺・・・小鯖皮番所跡あたり・・国道262号・・美由伎松あたり・・旧道・鯖山峠下一里塚跡あたり⑩・・鯖山峠・郡境碑・・・国道262号・・・上勝坂橋・・・おろく塚・・旧道・・・国道262号・・・勝坂砲台跡・・旧道・・防府霊場第64番・・・(山陽新幹線)・・剣神社・・・阿弥陀堂跡・・・乗円寺・・真宗寺・・・(山陽自動車道)・・・下右田大渡一里塚跡あたり⑪・・本橋(佐波川)・・・山口小路・・・山陽道合流地点・・・宮市観音(定念寺)・・・宮市本陣兄部家跡・・・山陰道分岐地点・高札場跡・・・防府天満宮・・・天神通り・・らんかん橋(迫戸川)・・・(山陽本線)・・・天御中主神社(車塚妙見社)・車塚古墳・・・華浦医学校跡・・道標・・・三田尻御茶屋跡(英雲荘)・・・専光寺・・・三田尻御船倉跡・・・防府駅(JR山陽本線)
【ル-ト地図】
やっぱり雨は降り続いていて南風も強く歩きにくい。国道262号の東側の旧道を進み、洞道北口バス停の先、佐波山トンネルの手前で、郡境の鯖山峠を越える道となる。舗装された道で峠の高さも150mくらいか。難なく峠を越えて防府市に入った。
山陽新幹線、山陽自動車道をくぐり萩往還で最後の大渡一里塚跡から佐波川を渡り、防府市街地に入り、山陽道に合流し防府天満宮の前から南下し、終着点の三田尻御茶屋跡に着いた。この頃には雨は上がり、青空が広がってきた。三田尻御船倉跡を萩往還歩きの終点とし、蒸し暑い中を防府駅に向った。
萩往還は見所は多く、適度な起伏もあり歩きがいのある道だった。好天が続けばなおさらだろう。
写真をクリックすると拡大します。
国道262号を地下道でくぐる。《地図》
国道と中国自動車道で旧往還の道筋は失われた。地下道を抜けた台地に長州藩の柊獄舎があった。明治3年、旧奇兵隊などの諸隊の暴動(脱退騒動)があり、多くの者がここで刑に処せられた。明治26年に諸隊藩士招魂石碑が建てられた。
地下道を抜けて右折し、中国自動車道をくぐって行く。
柊神社 《地図》
婦人病に霊験ありという小さな鳥居が奉納されている。
周防小富士・小鯖富士とも呼ばれる。
「面貌の由来伝説」:「毛利氏の時代、興隆寺での能狂言の時に、宝物の翁の能面が突然空に舞い上がり飛んで行ってしまった。村人がこの山で夜な夜な光るものがあるというので、探し出したところ翁の能面だった」
鳴滝一里塚跡あたり⑨ 《地図》
鳴滝橋交差点に出て、国道262号を少し進み、左に旧道に入る。
浄瑠璃「彦山権現誓助剣」のもとになった仇討話。これが講談となると、六助が宮本武蔵、吉岡一味斎が武蔵の父の新免無二斉、京極内匠は佐々木小次郎となるというから愉快だ。
禅昌寺山門 《地図》
珍しい様式だ。鐘楼門ではない。
「安定は堕落のもと」だと。不安定でもとっくに堕落しているよ。
天保2年(1831)の防長大一揆の発火点となった所。防長では稲の出穂時期に牛馬の毛皮を持ち運ぶと 必ず凶作となるという俗信があり、農民はその時期に皮番所を設けて通行者の荷物を調べる習わしがあった。天災などで凶作・飢饉の年が続き、苛酷に年貢を取り 立てられた農民の不満はつのり苛立っていた。7月26日、ここを対馬と貿易をしている中関の御用商人、上屋儀兵衛ほか2人が通りかかった。番所で調べると駕籠の底に獣の皮を敷いていた。農民たちは儀兵衛らを縛り上げ、荷物に火をつけ、さらに儀兵衛の家になだれ込み打ち壊して騒いだ。これをきっかけに農民たちは各地で蜂起し、その勢いは防長全土に及んだ。俗信にかこつけて農民たちが鬱積した怒りを爆発させた一揆だろう。
鯖山峠下一里塚跡あたり⑩ 《地図》
手前の国道沿いに美由伎松があるのだが、場所を思い違いしていて見つからず。鯖山峠へ右の旧道に入り上る。国道は佐波山トンネルを抜けて行く。
雨の山道歩きと覚悟していたが、薄暗い所もあるが、舗装された道で拍子抜け。
鯖山峠・郡境碑(享和2年(1802))に小鯖村で建て替えた)
「従是北吉敷郡」・「従是南佐波郡」で山口市から防府市に入った。
哀れな由来話に涙雨が降り注ぐ。
勝坂砲台跡(左上) 《地図》
脱退騒動での激戦地の一つ。
今は民家の敷地内か。
この先で左に旧道に入り、山陽新幹線をくぐる。
下右田大渡一里塚跡あたり⑪ 《地図》
唐樋札場から11番目の萩往還で最後の一里塚だった。
舟橋の写真がある。
木橋→舟橋(昭和16年まで)→木橋(昭和26年まで)→現在の橋
橋を渡って山口小路を進む。今は道の両側に続いていた往還松の姿はない。
山陽道合流地点 《地図》
左折し、防府天満宮の前まで山陽道と一緒だ。
成海寺の東側に脇本陣市川家、宮市観音の西隣の安村商事が脇本陣中村家だった。
宮市観音(定念寺) 《地図》
長たらしく、くどい文章だ。
門のみ残る。
平成23年1月のもの。
高札場跡・山陽道分岐地点 《地図》
萩往還は右折、山陽道は直進。左折して防府天満宮に寄る。
表参道の石段に植木鉢が置かれている。文字になっているようだ。防府の街おこしのイベントのようだが、ちょっと歩きづらい。
並木はいいが商店のシャッターは下りていて寂しい。
山陽本線をくぐる。
左に前方部の横穴石室が開口している。後円部にも石室がある。
道標(文化15年(1818)) 《地図》
西面に「左宮市天満宮 志ものせき 道」・南面に「右 かみかた 左中のせき 道」で、ここを左折して「かみかた道」を進む。
直進した右側が酒造業を営んだ豪商、三田尻の本陣跡五十君家のようだ。
ここを右折する。
三田尻御茶屋跡(英雲荘) 【ル-ト地図】の18
ここが萩往還の終着点だが御船倉まで足を延ばす。
当初は瀬戸内海に面していた。
萩城下の浜崎で御舟倉跡を見たのが4日前だった。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2021年11月~2022年6月)追加分(2022.06.20)
- 結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)(2020.07.02)
- 結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)(2020.06.29)
- 結城街道④(稲田駅→岩瀬駅)(2020.06.23)
- 結城街道③(内原駅→稲田駅)(2020.06.19)
コメント