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2013年5月26日 (日)

奥州街道(富谷宿→古川宿)

2013年5月17日

仙台駅(市営地下鉄)→泉中央駅(宮城交通バス)→富谷学校・・・西沢公園・西沢溜池・・・いぼ取り太子堂・・・竹林川・・・国道4号・・・五輪坂・・・三ケ森遺跡・・・高田橋(吉田川)・・・(大和町)・・・洞堀川・・・高田一里塚跡・・・松島道追分・・吉岡宿・・九品寺・・龍泉寺・・天皇寺・・本陣跡・・吉岡城跡・・・出羽街道追分・・中興寺・・・(大衡村)・・(国道4号)・・・松本橋(善川)・・・昌源寺・昌源寺坂(跡)・・・大衡城跡・・大衡小学校・・大衡村役場・・・県道57号・・・すかいらーくMDセンター・・もみじ広場・森田元平墓碑・旧道・・・戸口配水場・・・県道261号・・・県道16号・・・戸口バス停・駒場(戸口)一里塚跡説明板・・雲泉寺・・・須岐神社・・・明治天皇小休所跡(和泉家)・・・駒場橋(駒場川)・・・旧道跡・・・(東北自動車道)・・・(大崎市)・・・伊賀地区(間の宿)・・大坂・・・伊賀南橋(東北自動車道)・・・萱刈場坂・・・長坂・・伊賀一里塚跡・・・御殿森橋(東北自動車道)・・・明治天皇聖蹟碑・・・前坂・・・(国道4号)・・大豆坂地蔵尊・・・鳴瀬川土手・・節婦辰女之墓道標・・・(三本木大橋)・・・三本木宿・・清水沢不動尊標柱・・八坂神社・・桑折城址(館山公園)・・三本木橋(鳴瀬川)・・新澤醸造店・・白鳥神社・・・三本木北町交差点・国道4号・・・長堀川橋・・・多田川橋・・・稲荷神社・旧道・・・祇園八坂神社鳥居・・・蛸薬師・・・南町踏切(JR陸羽東線)・・・古川宿・・西宮神社・・瑞川寺・・・緒絶橋(緒絶川)・橋平酒造店・・古川城跡(古川第一小学校)・・本陣跡(大崎市役所あたり)・・・十日町交差点・・・東北イン古川駅前

  【ル-ト地図

 大震災で中断していた奥州街道の続きを富谷宿(宮城県)から平泉まで歩く。
 けっこう起伏もあり、名のついた坂も多い。天気も良さそうだし、実り多い坂道散歩・街道歩きとなるだろう。
 今日は富谷町→大和町→大衡村→大崎市へと進んだ。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2386 いぼ取り太子堂 《地図

太子石塔の前にお礼参りで置かれた小石が並ぶ。かなり以前に供えられた物だろうか。
鳥居の右は「距仙臺元標五里・・・」の道路元標

Img_2387 説明板

 竹林川を渡り、国道4号に沿う道を北上する。

Img_2396 五輪坂を上る。

今は坂と呼べるほどの傾斜はない。

Img_2398 三ケ森遺跡(右・志戸田バス停のそば)

縄文時代から近世にかけての複合遺跡。今は田畑になっている。

Img_2400 説明板

 高田橋を渡って大和町(たいわちょう)に入る。

Img_2412 高田(一本杉)一里塚跡 《地図

移設再現された東塚。もとは杉が植わっていたそうだ。

Img_2409 説明板

Img_2410 奥道中歌碑

道中の宿場名が歌い込まれている。
この歌碑はちょうど今回の行程の平泉の手前の一関まで。青森三厩までの歌詞を知りたいものだ。

Img_2413 松島道(右)追分

奥州街道は左折して吉岡宿に入って行く。ここにあった追分地蔵道標が九品寺門前に移設されている。

Img_2414 吉岡宿の家並み

上町・中町・下町からなり、仙台以北では大きい宿場の一つだった。右が九品寺

Img_2416 九品寺山門 《地図

山門前右手の左端が追分地蔵道標(宝暦7年(1757))。

Img_2417 「右 せんたい道 左 まつし満道」

Img_2420 昔風な建物の商店

 街道から離れ天皇寺に寄る。

Img_2425 天皇寺山門 

伊達宗清と養母の飯坂(吉岡)の局(伊達正宗の側室)の墓がある。

Img_2428 ひさご池

秀吉の「千成瓢箪」にあやかって各地に造られた池の一つ。徳川の時代となってほとんどは取り壊されたが、残った貴重な池という。

Img_2426 説明板

Img_2433 本陣跡(吉岡上町バス停の所) 《地図

空地になっている。以前はコンビニがあったようだ。街道はこの先で右折して行くが、吉岡城跡に寄る。

Img_2436 吉岡城跡(ひだまりの丘公園) 【ル-ト地図】の24

元和2年(1616)築城という伊達宗清の居城跡。このあたりは一の丸跡と伝える。南側の城内大堤公園には模擬櫓が建っているようだが見逃した。

Img_1530 上州屋

Img_1531 早坂酒造店(吉岡下町) 《地図

Img_1533 出羽街道追分

正面向うの電柱下に「奥州街道 出羽道 中山越え」碑が立つ。出羽街道はここを直進し、少し先で右折し、中興寺の西側を通っていたようだ。

奥州街道はここを右折し、大衡(おおひら)村に入り、国道4号を横切って行く。

Img_1543 この先旧道は北東に直線的に昌源寺坂を上っていたが、工業団地の造成などで途切れる。

Img_1546 万葉バス(大衡村営)

大衡村は合併を拒否して頑張っている宮城県下唯一の。「万葉の里」がキャッチフレーズのようだが、万葉集に詠まれた歌はあるのか?

Img_1547 昌源寺 《地図

Img_1550 昌源寺坂(跡)

正面に案内図が立つ。この先に昌源寺坂一里塚があり、坂の途中には「首洗い池」と「お仕置き場」と呼ばれた刑場があったという。このあたりは、『大衡村の奥州街道』に詳しい。

Img_1549 案内図

破線が旧奥州街道跡、が(昌源寺坂)一里塚跡。

 西に大きく迂回して行く。

Img_1554 残雪の奥羽山脈。

Img_1556 大衡城跡 【ル-ト地図】の25

先が長いので登城はしなかった。

Img_1557 説明板

Img_1561 大衡幼稚園

立派な建物だが廃園になってしまったか。このあたりで子どもの姿は見かけなかった。

Img_1564 単調な県道を上る。

北側は昭和万葉の森・万葉クリエートパーク。

「すかいらーくMDセンター」の先のもみじ広場から旧道が復活する。

Img_1570 旧道入口 《地図

森田元平の墓碑が立つ。

Img_1573 説明板

跡ではなく、旧奥州街道そのものだろうよ。

Img_1575 やっぱり旧道はいいね。

Img_1576 道標もある。

Img_1578 この先で開けた所に出る。

Img_1579 立入禁止だと。

休工中なので突っ切る。

Img_1581 車道に出る。

右は「大衡村災害廃棄物一次仮置場」になっている。

Img_1583 いつまで放って置くのか。

Img_1588 県道261号から16号に入る。

Img_1589 戸口バス停

裏に駒場(戸口)一里塚の説明板がある。

Img_1590 説明板

一里塚は雲泉寺の前にあったようだ。

Img_1591 雲泉寺

Img_1592 説明板

Img_1595 須岐神社 《地図

境内には梵鐘もある。神仏混淆だったのだろう。

Img_1596 由来

Img_1598 明治天皇小休所跡(和泉家) 《地図

Img_1599 説明板

Img_1602 旧道跡(左)

すぐ途切れるので直進する。

Img_1603 説明板

Img_1605 東北自動車道(正面)をくぐってすぐ左折し、自動車道沿いを北上する。

Img_1609 伊賀地区(大崎市) 《地図

吉岡宿と三本木宿との「間の宿」だったが、往時の面影はない。

Img_1612 大坂の上りとなる。

Img_1614 伊賀南橋(東北自動車道)を渡り、自動車道の西沿いを進む。

Img_1618 萱刈場(かやかりば)坂の下りとなる。

Img_1622 長坂を上る。

伊賀一里塚跡(左) 《地図

駒場一里塚跡と三本木北町(善並田)の間の一里塚跡だが標柱がなければ見逃してしまいそうだ。

Img_1632 御殿森橋から

正面は栗駒山か。

Img_1633 明治天皇鑾輿(らんよ)航渡聖蹟碑

明治14年の東北巡幸の記念碑。左に説明碑までついている。「鑾輿」とは天子の輿のことらしい。

Img_1641 前坂を下る。《地図

大豆坂は別の坂らしい。

Img_1642 大豆坂(おおまめざか)地蔵尊

放火の大罪を犯し処刑された者の供養ために、明和2年(1765)、広瀬川の巨石で彫刻させたという。
 なぜか「立入禁止」で地蔵へ近づけない。高4mの地蔵さんも寂しそうだ。借金のかたに人手に渡ってしまったのかも。

Img_1646 節婦辰女之墓道標(左の土手)

Img_1647「節婦の墓 此より二十丁餘 坂本村天性寺中にあ里」

右は説明板と思ったら占有許可標示板だった。役所根性丸出しで呆れた。
天性寺は西方にある。《地図

三本木大橋をくぐって三本木南町に入る。

Img_1653 三本木宿南町の家並み

南町は鳴瀬川の舟運の拠点として発展し、藩米を保管する御蔵場が立ち並んでいたという。八坂神社前に高札場があったようだ。

Img_1664 岩淵医院

門は傾いていた。

Img_1673 桑折(こおり)城址(館山公園)から 【ル-ト地図】の29

大崎氏の家臣渋谷相模守の居城。街道は左下の三本木橋を渡って行く。

Img_1679 三本木橋から桑折城址

Img_1682新澤醸造店 《地図

三本木宿の御仮屋(本陣)跡は河川改修で消滅した。

Img_1688 三本木北町

一里塚があったのはどのあたりか?

 この先で国道4号に出る。

Img_1695 稲荷神社 《地図

ここから右に旧道に入る。

Img_1699 祇園八坂神社参道

ここから遥拝のみ。

Img_1701 蛸薬師(中央の石塔か?) 《地図

「ミズイボ」に霊験あらたか。治ったらゆで蛸を供えるそうだ。「いぼ取り太子」は小石だった。こっちの方がご利益がありそうだ。供えられたゆで蛸を見みたいものだが。

Img_1700 由来

 陸羽東線の南町踏切を渡って古川宿へ入る。宿の入口付近にあった古川一里塚跡は不明という。

Img_1705 西宮神社

江戸時代の始め、近江商人らが兵庫の西宮神社を勧請したそうだ。

Img_1704 由緒

Img_1706 瑞川寺山門

古川城の搦手門を移築改造。

古川宿を三日町→七日町→十日町へと進んで行く。

Img_1707 説明板

Img_1711 緒絶橋 【ル-ト地図】の32

橋上は車が渋滞し絶えることなく、歌枕の風情なし。
『奥の細道』には、「十二日、平泉と心ざし、あねはの松緒だえの橋など聞き伝へて、人跡稀に、雉兎(ちと)・蒭蕘(すうぜう)の行きかふ道、そこともわかず、終に道ふみたがへて、石の巻といふ湊に出づ」と記す。道を間違えて石巻まで行ってしまうとは考えにくい。漂泊の旅の難渋さの印象を強めるための創作か。
向う側は橋平酒造店。

Img_1713 説明板

Img_1717 橋平酒造店

緒絶川沿いにいくつもの蔵が連なっている。

Img_1719 みちのく古川食の蔵 「醸室」(かむろ)の「いっぷく茶屋」(蔵8)

歩き疲れたので美味いそばを食べて休憩した。

Img_1720 おおさきうめぇもの市場(蔵8)

駄菓子など子どもの好きそうな物がぎっしり。

Img_1726 古川城跡(古川第一小学校) 【ル-ト地図】の33

木造校舎は建て替えられたようだ。大正デモクラシーの提唱者吉野作造は当校の卒業生。

Img_1722 説明板(古川城跡)

Img_1723 説明板(吉野作造)

Img_1730 地味な色の住民バス

美里町は大崎市の東隣。市役所あたりに本陣があった。

Img_1734 十日町交差点 《地図

街道はここを左折して行く。今日はここまでとし、直進して古川駅前の今日の宿に向かった。

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