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2013年6月28日 (金)

奥州街道(水沢宿→黒沢尻宿)

2013年6月14日

水沢駅(JR東北本線)・・水沢宿・・大町・・めがね橋(長光寺橋・大町川)・・法泉寺・・乙女川・・しのぶ橋・・乙女川先人館・・柳町・・立町・・立町交差点・上伊沢代官所跡・・大日堂・・不断橋(境田水路)・・不断一里塚跡(123)あたり・・・車堂跨線橋(東北本線)・・・国道4号・・・中ノ町交差点・・旧道・・・白井坂上・・白井坂交差点・(水沢東バイパス)・県道270号・・・茂井羅中堰・・・谷地橋(谷地川)・・・胆沢城跡・・・茂井羅北堰・・・鎮守府八幡宮鳥居・・・三代清水・・・八幡一里塚跡(124)あたり・・・再巡橋(胆沢川)・・(金ケ崎町)・・・泰養寺・・・金ケ崎宿南町入口・・城内諏訪小路地区・・白糸まちなみ交流館・・金ケ崎神社・・諏訪公園・・金ケ崎(白糸)城跡・・・大沼家侍住宅・・・金ケ崎宿南町入口・・千手観音堂・・西根御蔵場跡・・矢来バス停・・旧道・・・宿内川橋(宿内川)・・・川口田遺跡標柱・・・清水端一里塚跡(125)・・・丸子館跡・・・千田正記記念館・・・三ヶ尻小学校・・十三本塚跡・・・下渋川橋(渋川)・・・瘤木地区・・(北上市)・・北上浄化センター・・・明治天皇岩の目小休所跡・・・岩の目一里塚跡(126)・・・県道254号・・・白山神社・・・(東北新幹線)・・・丁切バス停・・・相去番所跡・・・南部・伊達藩境塚・・鬼柳宿・・鬼柳御仮屋跡・・・(東北新幹線)・・・白髭神社・・・白髭橋(本郷川)・・・九年橋(和賀川)・・黒沢尻一里塚跡(127)あたり・・・黒沢尻宿(間の宿)・・北上郵便局・・・北上駅(東北新幹線)

  【ル-ト地図】(26.5km)

 城下町、宿場町で「偉人のまち」水沢は見所も多いが、3度目なので街道筋を通り抜ける。胆沢城跡の間を通り、胆沢川を渡れば金ケ崎町だ。武家屋敷跡が残る城内諏訪小路地区、金ケ崎城跡を散策し、金ケ崎南町入口から金ケ崎宿を通って行く。
 清水端一里塚跡の切り株を右に見て、杉並木の気持ちのいい道を進み、瘤木地区を過ぎて北上市に入る。岩の目一里塚跡の先で県道254号に出て北上し、相去番所、藩境塚から鬼柳宿へと進んだ。九年橋を渡って黒沢尻宿の入口から北上駅に向かった。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2710 大町の家並み 《地図

水沢の中心的な町人町。水沢城(要害)(奥州市役所あたり一帯)への出入口には大手枡形と南枡形があり、高札場が置かれていた。

Img_2711 説明板

Img_2718 めがね橋(長光寺橋・大町川) 《地図

左側の建物が新しくなってしまって、昔風情が半減した。

Dsc02021 2005年10月10日の景観①

Dsc02019

Img_2721 この木造家屋もいずれ建て替えられてしまうのか。

Img_2715 説明板

法泉寺には出家した八百屋お七の恋人の吉三が背負って来て供養したという、「お白粉地蔵」が安置されているというが、境内には見当たらなかった。

Img_2726 消防ポケットパーク

Img_2725 説明板

日高火防祭

Img_2732 乙女川沿いに入る。 《地図

水沢城の外堀でもあり、乙女川を挟んだ柳町には遊郭街があった。ここはお忍び通りで、しのぶ橋もある。

Img_2737 川沿いの町工場

Img_2736乙女川先人館

「偉人の町」水沢か。

 柳町交差点を左折する。

Img_2739 立町の家並み

宿場の中心部で本陣・脇本陣・問屋場などがあった。

Img_2742 立町の旧家

Img_2741 旧家の2階部分

Img_2744 旧家

Img_2747 上伊沢代官所跡 【ル-ト地図】の①

民家の前に標柱が立つ。

Img_2750 大日堂 《地図

Img_2752 説明板

仮諦神信仰」は初めて聞いた。

Img_2753 不断橋 《地図

欄干に鉄道馬車(トテ馬車)のレリーフ

Img_2755 水沢駅~不断橋~岩谷堂船場まで約8kmを、「トテ トテ」とラッパを鳴らしながら乗合馬車が走ったそうだ。 

ここは水沢城下の北の出入口で、警備のため御不断組の家臣が配置された。
この先に不断一里塚跡(123)があったようだ。

車堂跨線橋で東北本線を渡る。

Img_2763 地蔵

この先で国道4号に出る。

Img_2766 中ノ町交差点の先で右に旧道に入る。

Img_2767 追分道標(電柱の右下) 《地図

ここは白井坂の坂上で右(東)に進めば五十瀬神社がある。

Img_2768 道標「右 岩や堂道」・「左 金ヶさき道」か?

鉄道馬車の終点の岩谷堂(江刺区)と奥州街道の金ケ崎宿への追分で、鉄道馬車もこの前を通ったのだろう。

水沢東バイパスを渡ると県道270号になる。

Img_2775茂井羅中堰 《地図

元亀年間(1570~72)に北郷茂井羅(しげいら)という女性が用水を開さくしたという言い伝えがあるそうだ。

Img_2786 胆沢城跡 【ル-ト地図】の②

政庁前門、政庁正殿方向。

Img_2785 説明板

県道の西側には「奥州市埋蔵文化財調査センター」がある。

Img_2787 鎮守府八幡宮鳥居

社殿まではちょっと離れているので今日は遥拝のみ。

Dsc02016 鎮守府八幡宮 《地図

2005年10月8日撮影

Img_2789 三代清水

水は溜まっているが飲める状態ではない。永代清水とはならなかった。

Img_2790 説明板

 再巡橋の手前に八幡一里塚跡(124)があったようだ。

Img_2798 再巡橋(胆沢川)

正保(1644~47)頃までは徒歩渡り、万治(1658~60)頃から舟橋か渡し舟だったようだ。

 金ケ崎町に入る。

Img_2803 泰養寺山門

金ケ崎城主の大町氏の菩提寺

Img_2802 説明板

Img_2806 金ケ崎宿南町入口 《地図

街道はここを直進して行くが、城内諏訪小路地区を散策する。

Img_2811 旧家

選挙が近いせいかあちこちにポスラーがべたべたと貼られて景観を損ねている。

Img_2813 金ケ崎町城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区説明板

Img_2815 添田家住宅 《地図

大町氏の家老を務めていた。ここは金ケ崎城の二の丸裏門に通じる裏小路。

Img_2829 金ケ崎(白糸)城跡(要害) 【ル-ト地図】の③

白糸姫の伝説の地でもある。白糸姫は、①安倍頼時の妻 ②安倍貞任の娘 ③安倍貞任の妹、などの説があるようだ。

Img_2822 説明板

Img_2826 二の丸跡あたりから北上川

Img_2835 旧大沼家侍住宅 《地図

主屋・馬屋・厠が直線に並ぶ三ツ屋形式の武家屋敷跡。

Img_2843 白糸まちなみ交流館

明治23年建築という旧高橋家

金ケ崎宿南町入口に戻り金ケ崎宿を進む。

Img_2846 鉄砲・刀鍛冶屋敷跡

Img_2847 千手観音堂

Img_2848 郷土カルタ

Img_2852 西根御蔵場跡 《地図

Img_2860 矢来バス停の先で右に旧道に入る。《地図

Img_2864 奥州街道標柱

Img_2866 川口田遺跡標柱

川口田はこのあたりの地名だが、どんな遺跡なのか?

Img_2867 清水端一里塚跡(125) 【ル-ト地図】の④

Img_2871 説明板

Img_2869 東塚跡と杉の切り株

Img_2873 丸子館跡

三ヶ尻氏の居館跡

Img_2874 説明板

Img_2877 丸子館標柱

見取図の4つの郭の一つ。

Img_2881 三ヶ尻小学校

Img_2882 十三本塚跡?(三ヶ尻小学校の北側) 《地図

行き倒れや、侍に斬られた人々を供養したとも、坂上田村麻呂が降伏した蝦夷を殺す代わりに耳飾りなどを集めて埋めたという伝承もあるそうだが、由来も伝承もあいまいで頼りない。このあたりは十三本塚という地名で、以前は塚の横に標柱が立っていたらしいが。
近くに飢渇供養碑(寛政12年(1800))もあるというが分からず。

Img_2884 杉並木の気分のいい道

Img_2890 瘤木地区 《地図

交差点に史跡地図と標識が立つ。

Img_2891 標識

むろん矢印通り奥州街道を行くのだが・・・・。ここを左折し、六原駅方向へ進み、迂回した方が無難か。

Img_2892 案内図

瘤木足軽屋敷跡→処刑場跡方向へ進む。

Img_2897 通行止の標識

ここからは未舗装の草道となる。

Img_2900 標識(瘤木丁・相去町)

どちらも草深く、道跡は不分明。

Img_2901 相去方面へ下りる。

途中で進めなくなり引き返す。雑草の朿、種、汁などでズボンが汚れてしまった。ここを下りても北上浄化センター内に入ってしまうのでは?

Img_2903 仕方なくこの階段を下り、北上浄化センター内に入る。

この先も敷地内を抜けるのにも苦労した。

Img_2916 やっと浄化センターを抜けて振り返る。《地図

なにせ「立入禁止」ですので。

Img_2919 明治天皇岩の目小休所千田家跡

Img_2920 説明板

Img_2923桜の大木

Img_2924 根元に巳己供養碑が寄りかかっている。

己巳」の間違いか?

ここは直進して県道254号に出るのが街道筋と思うが、右に行くと「七里塚(一里塚跡)」の標柱が立つというので右折し、すぐ左折して行く。

Img_2929 岩の目一里塚跡(126) 《地図

正面の電柱の右下に、七里塚(一里塚跡)の標柱。

Img_2930 七里塚(一里塚跡)

この道筋は北上川方向へ少し迂回している。本当にここに塚があったのか?

 田んぼの間を通り、県道254号に出る。

Img_2939 白山神社 《地図

Img_2940 説明板

「かの地」とはどこか?

Img_2942 旧家

Img_2944 相去番所跡

伊達藩の北境の番所

Img_2946 説明板

Img_2950 南部・伊達藩境塚 《地図

藩境の130kmの要所に設置された塚の一つ。

Img_2951 説明板

かすれて読みづらい。

Img_2958 鬼柳御仮屋(本陣)跡 【ル-ト地図】の⑤

このあたりは鬼柳宿だが、その面影は残っていない。本郷川の手前に南部藩の鬼柳関所があった。

Img_2961 説明板

Img_2978 白髭(鬚)神社 《地図

Img_2969 由来

Img_2973白髭館の空堀跡(左)だろう。

Img_2983 芭蕉句碑(天明3年(1783))

「枯枝に 烏のとまりけり 秋の暮れ」

Img_2976 お手玉石

南部の殿様のお抱え力士、石見潟丈右ェ門の力石。後年、江戸に出て関脇(説明板では大関)まで出世したそうだ。

Img_2975 説明板

Img_2991 九年橋(和賀川)を渡って黒沢尻宿(北上市街地)へ。 《地図

九年は「前九年の役」ではなく、明治9年の明治天皇巡幸にちなむ。

Img_2993 和賀川下流方向

JR線の先で北上川に合流する。

和賀川を渡った船場あたりに黒沢尻一里塚跡(127)があったのか。

Img_2995 今日はここまで 《地図

右折して北上駅に向かった。街道は直進し、黒沢尻宿の中心部を通って行く。

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2013年6月22日 (土)

奥州街道(平泉→水沢宿)

2013年6月13日

平泉駅(JR東北本線)・・・高館踏切・・・伽羅之御所跡・・・無量光院跡・無量光院一里塚跡あたり・・・柳之御所跡・・・高館義経堂・・・卯の花清水・・・中尊寺道踏切(東北本線)・・・弁慶の墓・・・月見坂・・・東物見台・・・晩照坂・・・金色堂・・・北参道・・・薬樹王院・・・衣川土手・・・衣川橋(衣川)・・(奥州市)・・瀬原地区(間の宿)・・安倍一族鎮魂碑・・九輪塔跡・・瀬原古戦場跡・・稲荷坂・・・(東北自動車道ガード)・・・徳沢橋(徳沢川)・・・徳沢一里塚跡(119)あたり・・・奥州街道説明板・・・本浄寺坂・・・白鳥川・・・(東北自動車道ガード)・・・白鳥神社・・前沢宿・・丁切バス停・・西岩寺・・・観音堂の坂・・観音堂跡・・旧裏小路(武家屋敷跡)・・閑居坂・・三沢氏居館表門(前沢小学校)・前沢水路・・県道243号・・佐藤屋旅館・・太幸邸・・熊野神社・・岩手銘醸・・二十人町バス停・・前沢一里塚跡(120)あたり・・・岩堰橋(岩堰川)・・・竈神社標柱・・・大儀寺・・国道4号・・・旧道・・大林寺・・・国道4号・・・明後沢橋(明後沢川)・明後沢遺跡標柱・・・熊野神社鳥居・・・松ノ木沢橋(松ノ木沢川)・・・折居橋(宮沢川)・・・旧道・・折居地区(間の宿)・・神明社標柱・・折居一里塚跡(121)あたり・・桜並木・・国道4号・・・大深沢川・・・真城寺・・・稲荷神社・・・銀銭清水之滝(立木八幡宮)・・・県道226号・・真城一里塚跡(122)・・・森城山墓地・・・大鐘公園・・・仙北街道追分・・・水沢宿・・南町交差点・・袋町交差点・・大安寺・・八雲神社・・横町交差点・・・水沢駅(JR東北本線)

  【ル-ト地図】(28.2km)

 今回は平泉から盛岡まで5日間かけて行く。東北地方はまだ梅雨入りしてなく暑いが、雨の道中よりはいいだろう。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2445 平泉の町並み

静かな通りだ。賑やかなのは毛越寺と中尊寺の周辺だけか。右折して伽羅之御所跡に寄る。

Img_2447 伽羅之御所跡 《地図

説明板だけで遺構や復元物などはない。

Img_2446 説明板

『奥の細道』の【平泉

Img_2448 無量光院跡 《地図

Img_2450 説明板

Img_2451 宇治の平等院鳳凰堂を模した建物だったようだ。

 『岩手県歴史の道調査報告書』には、「敷地内に一里塚が現存し、その上に老杉がそびえている」とあるがどこか分からず。

Img_2458 柳之御所跡 【ル-ト地図】の①

園地(復元)から高館義経堂。

Img_2473 義経堂から北上川、束稲山(たばしね) 《地図

Img_2468 芭蕉句碑

「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠んだのはこの地という。

Img_2475 義経像

菊人形のような個性のない顔で、イメージとは程遠かった。

Img_2466 説明板

Img_2465 義経北行伝説

義経不死伝説」は、義経は蝦夷地から大陸に渡り、果ては成吉思汗(ジンギスカン)になったという。「判官びいき」のなせる大技だ。

Img_2480 卯の花清水 《地図

チョロチョロと水が流れている。老忠臣兼房を偲んで少し飲もうと思ったら、「れてしまい水道水」との注意書きで興ざめ。この右側に曽良の「卯の花に兼房みゆる白毛かな」の句碑がある。

Img_2479 由来

 中尊寺道踏切を渡れば中尊寺だ。

Img_2483 弁慶の墓 《地図

石碑は後世のもので、もとは五輪塔が建っていたという。石碑の前の石はその一部か?

Img_2484 中尊寺

月見坂下は平日でもこの賑わいだ。標柱の右の石地蔵坐像(明和6年(1769))は道標を兼ねているそうだが、どこに刻まれているのか分からず。

Img_2488 月見坂を上る。《地図

中尊寺の表参道だ。古代の東山道のルートで、衣川関に通じていたという。

Img_2492 東物見台から北方向

下に衣川橋が見える。

Img_2493 晩照坂 《地図

本堂の西側から南方向に下る石段。
『岩手県の歴史散歩』(山川出版社)の境内案内図にある坂。「晩照」とは何か? 「晩鐘」なら分かるが。

Img_2495 金色堂の覆堂

Img_2496 北参道を通って衣川へ。《地図

Img_2497 観光客の車も通らない静かな道を下る。

Img_2502 衣川の土手下

街道はこのあたりから衣川を渡っていて、川守地蔵だろう。

今は衣川橋を渡って奥州市に入り、間の宿瀬原へと進む。

Img_2506 衣川(衣川橋から)

上流の衣川柵方向 《地図

Img_2511 安倍一族鎮魂碑 《地図

このあたりは九輪堂という地名。

Img_2513 九輪塔跡説明板

Img_2515 瀬原古戦場跡(鎮魂碑の北側一帯)

前九年の役」の戦場跡

右奥の天守閣のような屋根は衣川収蔵庫懐徳館、正面は国民宿舎サンホテル衣川荘。

Img_2517 説明板

Img_2522 稲荷坂を上る。《地図

坂の途中に愛宕神社があったが。

Img_2528 坂上近く

この先は東北自動車道で左に大きく迂回し、ガードをくぐる。

Img_2533 東北自動車道の北側沿いを進み、徳沢川を渡る。《地図

Img_2540 徳沢一里塚跡(119)あたり

旧道はこの先で途切れる。《地図

西(左)に大きく迂回する。

Img_2541 東北自動車沿いに道はあるがこの先は行止りか、工事中のようだ。(未確認)

Img_2550 街道図

徳沢一里坂(塚)~現在地(奥州道中案内板)までが途切れている。

Img_2551 旧道復活地点(南方向) 《地図

右に奥州道中案内板。この先の左の繁みの中に明治天皇碑が立っているようだ。

Img_2549 説明板

Img_2556 本浄寺坂を下る。 【ル-ト地図】の②

けっこうな急坂だ。坂沿いに墓地はあったが寺はなかった。前方に前沢地区が見える。

 坂を下り東北自動車道をくぐって前沢宿へ入る。

Img_2564 白鳥神社 《地図

Img_2566 由緒

Img_2570 丁切バス停

前沢宿への出入り口で木戸があったのか。

Img_2568 西岩寺

五百羅漢は収蔵庫に納められているようだ。28体しか残っていないが。

Img_2572 説明板

Img_2580 観音堂の坂 《地図

今は坂上の千手観音堂はなく、木の鳥居と石の小祠があるのみ。

Img_2579 説明板

Img_2586 閑居坂 【ル-ト地図】の③

前沢地区は「坂のまち」で、この他にも「たつこ坂」・「新坂」・「輔八坂」・「上野坂」などがある。

Img_2588 説明板

Img_2592 前沢領主三沢氏居館表門(前沢小学校)

Img_2595 居館前を前沢水路が流れていた。

Img_2590 説明板

Img_2596 説明板(前沢水路)

 街道に戻り、前沢宿を五十人町→三日町→七日町→新町→二十人町へと進む。

Img_2598 佐藤屋旅館

看板に「明治天皇行在所跡」

Img_2601仁衛堂薬局 《地図

凝った造りの「本家」看板だ。伊達、南部藩はもとより津軽や秋田までも知れ渡っていた名薬「金命丸」の本家。有名になるにつれ、同じ名前で薬を販売する者が出たため、真の製造元を示すため宣伝普及用として作られたという。南部藩きっての宮大工、初代高橋勘次郎作。

Img_2608 太幸邸 【ル-ト地図】の④

Img_2606 説明板

Img_2612 岩手銘醸 《地図

Img_2615 前沢一里塚跡(120)あたりか。

Img_2617 久成寺説明板

Img_2629 大儀寺

この先で国道4号に出る。

Img_2633 古城郵便局の手前で左に旧道に入る。《地図

Img_2636 長屋門の農家

 すぐに国道4号に出る。

Img_2639 明後沢遺跡標柱

Img_2646 真城郵便局の先で左に旧道に入る。

分岐点に「風鈴のまち水沢」の標柱が立つ。今でも南部風鈴作りは盛んなのか?

Img_2652 折居地区 《地図

間の宿の面影は薄い。折居一里塚跡(121)はどのあたりか?

Img_2654 桜並木

Img_2657 国道4号に合流。

Img_2660 真城寺

胆沢三十三観音霊場の第23番

Img_2670 銀銭清水之滝(右・立木八幡宮) 《地図

滝と名乗るのはちょっとおこがましいか。水も涸れてきているようで流れていない。

Img_2673 国道から分かれ左の県道226号に入る。

すぐ左の民家内に真城一里塚跡がある。

Img_2676 真城一里塚跡(122) 【ル-ト地図】の⑤

左の敷地内に小さな塚跡(西塚)が見える。

Img_2675 説明板

Img_2674 地図

水沢城の北の不断丁に次の不断一里塚がある。

Img_2679 旧道消滅地点 《地図

ここから北西方向へ大鐘公園と市民プールの間あたりに通じていたのだろう。東北本線沿いを進み迂回する。

Img_2680 森城山墓地

Img_2683 旧道復活地点(南方向) 《地図

ここから北へ進む。

Img_2686 仙北街道追分 《地図

道標には、「左は旧奥州街道」・「右は旧仙北街道」

Img_2693 袋町交差点 《地図

水沢宿の南の入口で木戸が設置されていた。写真は佐々東染物店

Img_2700 高野長英の墓(大安寺)

水沢は長英の故郷。長英は逃亡生活であちこちに足跡を残している。「大山街道」・「四国遍路道」・「赤山街道」でも彼に出会った。

Img_2699 説明板

Img_2703 八雲神社

袋町の纏(まとい)が洒落ている。

横町交差点を右折し、水沢駅前通りに出て今日の打ち止めとし、右折して水沢駅に向かった。

Img_2707 水沢駅前通り

水沢は3度目だが来るたびに寂れて行く。新幹線が止まらないせいもあるか。

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2013年6月 5日 (水)

奥州街道(有壁宿→平泉)

2013年5月20日

有壁駅(JR東北本線)・・・有壁宿・・萩野酒造・・本陣跡佐藤家・・観音寺・・・肱曲がり坂・・・大沢田坂・・・県境(宮城・岩手)・・・(椚坂近く)・・・県道260号・・鬼死骸バス停・・・的場踏切(東北本線)・・・明治天皇・的場清水跡あたり・・・(東北本線ガード)・・・国道342号・・・豊吉の墓・・・(東北本線ガード)・・・瑞川寺・・足軽屋敷町跡・・・御手廻橋(吸川)・・・迫街道追分・・追分道標・・祥雲寺・・・願成寺・・・一関宿・・一関城跡(釣山公園)・田村坂・・地主町角交差点・・豪商菅原屋跡・・世嬉の一酒造・・武家屋敷沼田家跡・・芭蕉二夜庵跡・明治天皇行在所跡・・磐井橋(磐井川)・・・配志和神社・月見坂・剱坂・・・山目宿・・問屋跡・・旧今泉街道入口・・柏原清左衛門屋敷跡・・龍沢寺・・(山目駅)・・少名彦神社・・八雲神社・・・(平泉町)・・・川屋敷バス停・・・平泉バイパス南口・国道4号・・・八坂神社・・・太田川橋(太田川)・・・平泉駅(東北本線)

  【ル-ト地図】(21.7km)

 今回の奥州街道奥道中歩きの最終日だ。昨夜からの雨は上がったが曇よりした天気だ。有壁宿の本陣跡前で奥州街道を歩いている東京町田市のSさんに出会い、一緒に肱曲がり坂を越える道中となった。大震災後の旧道の状況が分からずちょっと不安だったが、心強い道連れができた。

 肱曲がり坂の説明板の所から左へ山道に入る。昨日の雨で足元は悪く、すぐに膝から下と靴の中はぐっしょりとなる。分岐もあるが左方向を意識して歩く。東北新幹線の第二有壁トンネル上を東から西へ斜めに越えて行く道で、昨日、第一有壁トンネルを越えた十万坂くらいの高さ(120mほどか)で、きつい道ではない。緩やかな大沢田坂を上り、県境を越え、杉林を抜けると東側に原野が広がっている。昔から変わらない風景をしばしSさんと楽しむ。
 その先、旧道は椚坂の下りとなって直進方向に進むのだが、廃道になっているので、道なりに緩やかに左にカーブしながら下って行くと、間もなく県道260号の一関糧運送の所に出た。意外に呆気ない道のりだったので、Sさんと顔を見合わせて笑った。

 ここでこの先の道中のお互いの健闘を誓って別れ、マイペースの歩きとなる。この頃には晴れて暑くなってきた。一関城跡(釣山公園)に寄り、磐井橋を渡り一関宿を抜け、配志和神社で月見坂と剱坂を加え、山目宿から平泉まで進んだ。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2165 萩野酒造 《地図

敷地内は改修工事中だった。

Img_2171 有壁宿本陣跡佐藤家

Img_2169 説明板

Img_2176 有壁宿の家並み

Img_2193 左へ進む。

Img_2194 伊勢堂林道の標柱

前を行くのは東京町田市のSさん。70才をとうに越えているが元気でお若い。

Img_2196 肱曲がり坂の説明板などの所で左に入る。

雨に濡れた草ですぐに膝から下、靴の中もびしょ濡れになる。ここからは左方向を意識して進む。

Img_2198 説明板

Img_2201 肱曲がり坂を上る。 【ル-ト地図】の①

傾斜は緩い。『宮城県歴史の道調査報告書』には肱曲がり坂に一里塚があったというが、前後の有壁一里塚と鬼死骸一里塚との距離が短すぎる。

Img_2203 正面の農作業小屋の左側から大沢田坂の緩い上りとなる。

Img_2204 林間を行くSさん。

この先で岩手県に入る。

Img_2207 T字路

ここも左へ進む。右側に注意看板などが立つ。

Img_2208 注意看板

ここは岩手県と納得。

Img_2209 前方が開けた所に出る。

Img_2210 東側には原野、休耕田などが広がる。

この先旧道はほぼ直進し、椚坂を下って県道260号の三八五引越センターの前に出ていたが、途中が廃道で途切れるようで、左にカーブして行く。

Img_2213 下って県道に出る。

Img_2215 通行止めと思ったら「山火事注意」の横断幕だった。

Img_2217 県道に出る手前。

Img_2218 来た道を振り返る。

右は一関糧運送の建物。

Img_2226 鬼死骸バス停

坂上田村麻呂の征討にまつわる『鬼死骸伝説』の地。地方のまつろわぬ(服従しない)者たちを鬼と扱う中央のいつものやり方だ。鬼死骸一里塚跡はどのあたりか?

 Img_2227

鬼石だろう。

正面は的場踏切。付近には兜石・あばら石などが転がっているようだが、探さなかった。

 的場踏切を渡り、東北本線の西側沿いを進む。

Img_2224 明治天皇小次遺趾碑

奥のトタン屋根の小屋が的場清水跡か?

 東北本線のガードをくぐって国道342号に出る。

Img_2221 豊吉の墓(八幡バス停そば)

もとは橋田原刑場跡にあったもの。

Img_2223 説明板

Img_2232 瑞川寺 《地図

古川宿にも同名の寺があった。

Img_2237 足軽屋敷町跡

瑞川寺の前から南小学校への下り坂あたり。今は普通の住宅街でその面影はない。

Img_2258 迫街道追分 【ル-ト地図】の②

振り返って見ている。右が迫街道、左が奥州街道。

Img_2255 追分道標(右・元文元年(1736))

迫(はさま)街道を少し入った所に移設されている。左は庚申塔(文政2年(1819))。

Img_2254 説明板

 芭蕉も歩いた迫街道を少し進む。

Img_2245 祥雲寺門前

追分地蔵(明和4年(1767))は中央だろう。台座に「右岩ヶ崎 左仙臺」と刻むというが、隣家の犬がすぐそばでギャンギャン吠えるのでゆっくり調べられなかった。元は迫街道の追分にあったそうだ。「岩ヶ崎」は迫街道のこと。

Img_2247 祥雲寺 《地図

一関藩主田村家の菩提寺。

Img_2252 一切経蔵

Img_2251 説明板

Img_2260 願成寺

伊達騒動の中心人物の一人、伊達兵部宗勝一族の墓がある。

Img_2191 釣山公園(一関城跡) 【ル-ト地図】の③

幕府が城構えを許さなかったので田村氏はこの裁判所あたりを居城とした。

Img_2183 説明板

Img_2184 公園案内図

下方に田村坂がある。

Img_2186 田村坂を上る。

桜の季節は過ぎてしまった。

Img_2189 一ノ関駅方向(釣山公園から)

Img_2268 地主町(じしゅまち)角交差点 《地図

ここを左折する。一関宿本陣は地主町にあったようだ。

Img_2270 豪商菅原屋跡

天和(1681~83年)から幕末にかけて栄えた豪商で、大飢饉の際は私財を投じて難民を救済し、田村藩より「磐根」の姓と二百石を賜った。人々からは救世商人と敬われ、この小路は「菅原横丁」と呼ばれるようになった。(標柱の説明文より)

Img_2275 カスリン台風水位

2m以上もある。北上川が氾濫し、一関地方は大きな被害を受けた。さらに翌年にはアイオン台風が追い打ちをかけた。『伝えたい、あの記憶』(一関市)

Img_2276世嬉の一酒造

石蔵レストランで蔵ビールを飲みたがったが、飲み過ぎると歩くのがかっ怠くなるので我慢した。

Img_2290 酒の民俗文化博物館

元は仕込み蔵

Img_2279 武家屋敷沼田家跡 《地図

一関教会と仲良く並んでいる。

Img_2282 説明板

Img_2291 芭蕉二夜庵跡・明治天皇行在所跡 【ル-ト地図】の④

芭蕉はこの後、さきほどの迫街道で岩出山(宮城県)に向かった。

Img_2292 説明板

Img_2293 曽良旅日記碑

Img_2301 磐井橋(磐井川)

川の地主町側(東側)に一関一里塚があったそうだ。
橋を渡った川沿いの道は工事中で迂回する。

Img_2305 配志和(はいしわ)神社鳥居

少し離れているが、月見坂と剱坂があるので寄らないわけにはいかない。

Img_2309 配志和神社 《地図

Img_2316 月見坂

Img_2319 剱坂 【ル-ト地図】の⑤

まさに剣のように直線的な、切れ味の鋭い坂だ。

Img_2335 坂上から

Img_2327 夫婦杉

樹齢千年以上という神木。築館の杉薬師(双林寺)の姥杉と違って元気旺盛だ。

Img_2336 山目宿の家並み

右に問屋跡の標柱。

Img_2340旧今泉街道入口

右に「気仙との交通路・旧今泉街道入口(横丁)」の標柱。

Img_2343照井堰改修の先覚者 柏原清左衛門末裔屋敷跡」(右に標柱)

中里公民館前バス停の所。すぐ先に「祖神」碑が立つ。養が盛んだったのだろう。

Img_2350 昔風の家もある。

Img_2354 「端郷街村」とはどういう史跡なのか?

Img_2356 少名彦神社

Img_2358 八雲神社

この奥に社殿はあるのか確認しなかった。

 平泉町に入って500mほど北進した大佐地区の東北本線の線路あたりに祇園(大佐)一里塚があったようだ。

Img_2363 川屋敷バス停の所で右に入る。 《地図

平泉バイパス南口から左に国道4号を進む。

Img_2367八坂神社 《地図

毛越寺五方鎮守の一つ。

Img_2373 太田川橋を渡って右へ柵を乗り越えて土手を下り平泉駅方向へと進む。《地図

Img_2377 平泉駅前の通り

街道は直進して東北本線を渡って行く。

Img_2378 平泉駅

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2013年6月 2日 (日)

奥州街道(築館宿→有壁宿)

2013年5月19日

シティホテルくりはら・・・国道4号・・・宮野交差点・県道42号・・・宮野宿・・皇大神宮社・・宮野代官所跡・・検断屋敷跡・・能持寺・・国道4号・・旧道・・浦の沢遺跡・・国道4号・・・ヤンマー商会・旧道・・・照明寺・・・伊治城外郭土塁跡・・富野小学校・・・芋埣川・・・二迫川・・・根岸下橋(熊川)・・・常現寺跡(富城跡)・・・(国道4号)・・・姉歯地区・・三界万霊供養塔・・姉歯横穴古墳群・・・国道4号・・・旧道・・・(国道4号)・・・達田橋(三迫川)・・・沢辺宿・・・くりはら田園鉄道跡・・・金成宿・・金成代官所跡・・金成ハリストス正教会・・旧金成小学校校舎(金成歴史民俗資料館)・・日枝神社・・本陣跡・・・翁沢川・・・(国道4号)・・新町大橋(夏川)・・・夜盗坂・・熊谷牧場・・・(県道48号)・・健康広場・・・(東北自動車道)・・・新鹿野一里塚跡・・・大橋(金流川)・・・十万坂・・法華経宝塔・・・県道185号・・・藩境物見台跡(明治天皇御野立所跡)・・・熊口五輪塔標識・・・若柳街道踏切(JR東北本線)・・県道187号・・・有壁駅(東北本線)

  【ル-ト地図】(22.1km)

 築館宿から宮野宿は3kmも離れていない。伊治城外郭土塁跡からは畔道のようになり、芋埣川、二迫川、熊川と渡って行く。水を張った田んぼから栗駒山の眺めがいい。
 姉歯地区から国道4号沿いを進み、三迫川を渡って沢辺宿に入るが宿の面影は残っていない。くりはら田園鉄道跡を跨げば金成宿でここは見所も多い。
 金成宿を抜け、今日の目玉の夜盗坂と十万坂を目指す。夜盗坂の旧道は雑草に覆われ通れなかったが、十万坂の旧道はしっかりと整備され歩きがいのある道だった。県道に出て藩境物見台跡に組まれた櫓の上から四方を物見し、有壁宿の入口まで進んだ。
 まだ2時を過ぎたばかりで、有壁宿から肱曲がり坂を越え、岩手県一関に入ることも考えたが、予定通りここを今日の打ち止めとし、肱曲がり坂の旧道歩きは明日の楽しみとした。
 3日間晴天が続いたが今日の夜から天気は崩れるようだ。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_1973 宮野交差点で左に県道42号に入る。 《地図

次の交差点を右折すると宮野宿だ。

Img_1974 宮野宿の家並み

左は皇大神宮社の鳥居。

Img_1975 宮野代官所跡 【ル-ト地図】の①

宮野幼稚園あたり一帯。

Img_1977 説明板

Img_1979 旧家

右の建物の上部にはマークがある。特定郵便局、その前は問屋場だったのか?

Img_1982 検断屋敷跡及川家

中世の古文書を保存する。

Img_1987 浦の沢遺跡

土師器・須恵器が出土した奈良・平安時代の遺跡。

能持寺の先で国道4号に出て、グランプラザ浦島の先で左に旧道に入る。

Img_1990 旧道は静かだが、すぐに国道に出る。

Img_1991 国道に出てヤンマー商会の所で再び左に旧道に入る。《地図

Img_1994 この先にこのあたりの字名の由来となった大仏殿があったようだ。今は小公園になっているらしい。

城生野(大仏)一里塚があったのもこの付近か。

Img_1996 照明寺

Img_1997 伊治城跡説明板(参道前)

Img_2001 伊治城外郭北辺土塁跡 【ル-ト地図】の②

反乱を起こした「アザマロ」(伊治 呰麻呂(これはる の あざまろ)のその後は不明というから愉快だ。

Img_2003 富野小学校の前から未舗装の道となる。

Img_2006 田畑の間の道を行く。

Img_2007 芋埣(いもぞね)川を渡る。

Img_2008 流れは細い。

Img_2010 二迫川を渡る。

Img_2011栗駒山

田植え直前だ。終わっている田んぼもある。

Img_2017 根岸下橋(熊川)

親柱には牛若丸像が乗っている。

Img_2020 熊川沿いを東に進む。

根岸花街道だが、「花はどこへ行った♪」か見当たらないが。

Img_2022 常現寺跡

奥は墓地になっている。左に倒れかけ文字が薄れたた「富城跡」の木柱がある。富佐馬佑が城主であったというが調べても分からず。国道4号を渡り姉歯地区に入る。

Img_2027 姉歯地区 《地図

あの「姉歯さん」はどうしているだろうか。

Img_2028 史跡案内

地区の史跡を大切に誇りにしているようだ。

「鷹の羽清水」(前九年の役で奥州路を行く八幡太郎義家一行が水不足で苦しんでいた時、義家が鷹羽の矢を山に向かって射たところ、その矢の刺さった所から清水が湧き出たという)・歌枕の「姉歯の松」はちょっと離れているので割愛。『奥の細道』には、「十二日、平泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞き伝へて、人跡稀に、雉兎(ちと)・蒭蕘(すうぜう)の行きかふ道、そこともわかず、終に道ふみたがへて、石の巻といふ湊に出づ」と記す。道を間違えて石巻まで行ってしまうとは考えにくい。漂泊の旅の難渋さの印象を強めるための創作か。
伊勢物語』の第14段にも登場する。

姉歯一里塚跡はどのあたりか?

Img_2033 三界万霊供養塔(文化15年(1818))

飢饉餓死者の供養塔

Img_2031 説明板

Img_2037 姉歯横穴古墳群

民家の敷地内で近づけず、横穴古墳は確認できず。

Img_2034 説明板

Img_2041 金成女神

こんな所にパチンコ店(右奥)? 今はマッサージとカラオケ店か?

Img_2044 左に旧道に入る。

Img_2051 沢辺館跡(達田橋から) 《地図

臥牛館公園になっている。

Img_2053 沢辺宿に入る。

宿場を感じさせるものは見当たらない。

Img_2056 くりはら田園鉄道

Img_2061 金成(かんなり)宿

川股屋(薬局)

Img_2063 糀なべや呉服店

Img_2082 金成代官所跡(けやき会館) 【ル-ト地図】の③

Img_2074 説明板

Img_2073 金成ハリストス正教会

Img_2069 説明板

Img_2079

旧金成小学校校舎

現在は金成歴史民俗資料館

Img_2081 説明板

Img_2085 日枝神社

Img_2083 説明板

Img_2088 本陣栗駒屋跡(金成公民館)

菅原家が務めた。

Img_2086 説明板

Img_2093 新町大橋を渡って夜盗坂へと進む。

金成一里塚跡はこのあたりか?

Img_2097 夜盗(よとう)坂 【ル-ト地図】の④

夜盗が出没したのか?夜にここを通る旅人も少なかったと思うが。
このあたりは「炭焼藤太の伝説」の地でもある。藤太は夜盗坂に釈迦堂を建てたといい、その長男が義経を奥州へ導いた「金売吉次」だとか。

Img_2099 熊谷牧場脇を上る。

Img_2102_2 仔牛も見送ってくれた。

牛泥棒ではないから大丈夫よ。

Img_2103 牧草地が広がるのどかな所だ。

Img_2104 高原上の道を行く。

Img_2105 道標に従い右に入ったが、雑草が生い茂って道筋が分からず引き返した。

翌日に肱曲がり坂で会ったSさんも同じだった。「首欠地蔵」(若柳の正玄寺に移設)があったのはこのあたりか?

Img_2108 健康広場に突き当り右折し、東北自動車の西側沿いを進む。

Img_2110 この先で右に自動車道をくぐり、東側沿いを進む。《地図

Img_2114 ここを右に折り返すように進む。

Img_2116 東北自動車道

日曜で(も)空いている。

Img_2117 先ほどの旧道はここへ出てくるようだ。

有壁へは左に入る。

Img_2118 金成方向

確かに道はついている。これなら歩けそうで、この先を確かめて見ようかとも思ったが先へ進んだ。ちょっと惜しい気がしたが。

Img_2122 畦道を進むと舗装道路に合流する。

Img_2124 新鹿野一里塚跡(左) 《地図

Img_2126 説明板

Img_2125 塚跡

Img_2128 東北新幹線の方へ下って、十万坂の旧道へと進む。

Img_2130 大橋(金流川)《地図

旧道はこの小さな大橋の先で右折し、十万坂の説明板(写真右前方)の手前で左折し、正面右の小高い所を越えて行く。第一有壁トンネル(右端)の上を西から東に斜めに横切って行く感じだ。迂回路はこの道を直進し、右へ第一有壁トンネルを越える。
金流川は炭焼藤太が砂金を採った川という。夏川?には金鶏橋があるようだ。やっぱり金成は黄金伝説の地だ。

Img_2135 ここを左折する。

少し先に十万坂の説明板がある。正面は東北新幹線。

Img_2136 説明板

Img_2137 民家の敷地内のような所を抜けて行く。

Img_2138 十万(じゅうまん)坂の上りとなる。 【ル-ト地図】の⑤

「前九年の役」での源義家の伝承の坂だ。

Img_2139 やっぱり旧道はいい。

Img_2140 道の真ん中に堂々と法華経宝塔

人馬の往来の邪魔にならないか。もとは道端にあったのでは? 『宮城県歴史の道調査報告書』によれば、ほかにも庚申塔・供養塔の類があるというが、見当たらなかった。

Img_2142 法華経宝塔(天保15年(1844))

Img_2143 開けた所に出る。

Img_2144舗装道路(県道185号)に出る。

Img_2145 左から来る迂回路と合流する。

Img_2153 藩境物見台跡・明治天皇御野立所跡

伊達藩と田村(一関)藩の両藩の役人が一緒に物見をしたのか?

Img_2150 今はどっちを見ても眺望はよくない。

Img_2159 県道185号を有壁宿へ進む。

Img_2162 熊口五輪塔標識

藤原秀衡の家臣、照井太郎高直一族の供養塔だそうだ。ここから2.7kmでは、ご遠慮した。《地図》(このあたり)

若柳街道踏切を渡り有壁宿へ入って行く。宿場の南側の入口近くに有壁一里塚があったようだ。

Img_2180 有壁駅

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