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2013年6月28日 (金)

奥州街道(水沢宿→黒沢尻宿)

2013年6月14日

水沢駅(JR東北本線)・・水沢宿・・大町・・めがね橋(長光寺橋・大町川)・・法泉寺・・乙女川・・しのぶ橋・・乙女川先人館・・柳町・・立町・・立町交差点・上伊沢代官所跡・・大日堂・・不断橋(境田水路)・・不断一里塚跡(123)あたり・・・車堂跨線橋(東北本線)・・・国道4号・・・中ノ町交差点・・旧道・・・白井坂上・・白井坂交差点・(水沢東バイパス)・県道270号・・・茂井羅中堰・・・谷地橋(谷地川)・・・胆沢城跡・・・茂井羅北堰・・・鎮守府八幡宮鳥居・・・三代清水・・・八幡一里塚跡(124)あたり・・・再巡橋(胆沢川)・・(金ケ崎町)・・・泰養寺・・・金ケ崎宿南町入口・・城内諏訪小路地区・・白糸まちなみ交流館・・金ケ崎神社・・諏訪公園・・金ケ崎(白糸)城跡・・・大沼家侍住宅・・・金ケ崎宿南町入口・・千手観音堂・・西根御蔵場跡・・矢来バス停・・旧道・・・宿内川橋(宿内川)・・・川口田遺跡標柱・・・清水端一里塚跡(125)・・・丸子館跡・・・千田正記記念館・・・三ヶ尻小学校・・十三本塚跡・・・下渋川橋(渋川)・・・瘤木地区・・(北上市)・・北上浄化センター・・・明治天皇岩の目小休所跡・・・岩の目一里塚跡(126)・・・県道254号・・・白山神社・・・(東北新幹線)・・・丁切バス停・・・相去番所跡・・・南部・伊達藩境塚・・鬼柳宿・・鬼柳御仮屋跡・・・(東北新幹線)・・・白髭神社・・・白髭橋(本郷川)・・・九年橋(和賀川)・・黒沢尻一里塚跡(127)あたり・・・黒沢尻宿(間の宿)・・北上郵便局・・・北上駅(東北新幹線)

  【ル-ト地図】(26.5km)

 城下町、宿場町で「偉人のまち」水沢は見所も多いが、3度目なので街道筋を通り抜ける。胆沢城跡の間を通り、胆沢川を渡れば金ケ崎町だ。武家屋敷跡が残る城内諏訪小路地区、金ケ崎城跡を散策し、金ケ崎南町入口から金ケ崎宿を通って行く。
 清水端一里塚跡の切り株を右に見て、杉並木の気持ちのいい道を進み、瘤木地区を過ぎて北上市に入る。岩の目一里塚跡の先で県道254号に出て北上し、相去番所、藩境塚から鬼柳宿へと進んだ。九年橋を渡って黒沢尻宿の入口から北上駅に向かった。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2710 大町の家並み 《地図

水沢の中心的な町人町。水沢城(要害)(奥州市役所あたり一帯)への出入口には大手枡形と南枡形があり、高札場が置かれていた。

Img_2711 説明板

Img_2718 めがね橋(長光寺橋・大町川) 《地図

左側の建物が新しくなってしまって、昔風情が半減した。

Dsc02021 2005年10月10日の景観①

Dsc02019

Img_2721 この木造家屋もいずれ建て替えられてしまうのか。

Img_2715 説明板

法泉寺には出家した八百屋お七の恋人の吉三が背負って来て供養したという、「お白粉地蔵」が安置されているというが、境内には見当たらなかった。

Img_2726 消防ポケットパーク

Img_2725 説明板

日高火防祭

Img_2732 乙女川沿いに入る。 《地図

水沢城の外堀でもあり、乙女川を挟んだ柳町には遊郭街があった。ここはお忍び通りで、しのぶ橋もある。

Img_2737 川沿いの町工場

Img_2736乙女川先人館

「偉人の町」水沢か。

 柳町交差点を左折する。

Img_2739 立町の家並み

宿場の中心部で本陣・脇本陣・問屋場などがあった。

Img_2742 立町の旧家

Img_2741 旧家の2階部分

Img_2744 旧家

Img_2747 上伊沢代官所跡 【ル-ト地図】の①

民家の前に標柱が立つ。

Img_2750 大日堂 《地図

Img_2752 説明板

仮諦神信仰」は初めて聞いた。

Img_2753 不断橋 《地図

欄干に鉄道馬車(トテ馬車)のレリーフ

Img_2755 水沢駅~不断橋~岩谷堂船場まで約8kmを、「トテ トテ」とラッパを鳴らしながら乗合馬車が走ったそうだ。 

ここは水沢城下の北の出入口で、警備のため御不断組の家臣が配置された。
この先に不断一里塚跡(123)があったようだ。

車堂跨線橋で東北本線を渡る。

Img_2763 地蔵

この先で国道4号に出る。

Img_2766 中ノ町交差点の先で右に旧道に入る。

Img_2767 追分道標(電柱の右下) 《地図

ここは白井坂の坂上で右(東)に進めば五十瀬神社がある。

Img_2768 道標「右 岩や堂道」・「左 金ヶさき道」か?

鉄道馬車の終点の岩谷堂(江刺区)と奥州街道の金ケ崎宿への追分で、鉄道馬車もこの前を通ったのだろう。

水沢東バイパスを渡ると県道270号になる。

Img_2775茂井羅中堰 《地図

元亀年間(1570~72)に北郷茂井羅(しげいら)という女性が用水を開さくしたという言い伝えがあるそうだ。

Img_2786 胆沢城跡 【ル-ト地図】の②

政庁前門、政庁正殿方向。

Img_2785 説明板

県道の西側には「奥州市埋蔵文化財調査センター」がある。

Img_2787 鎮守府八幡宮鳥居

社殿まではちょっと離れているので今日は遥拝のみ。

Dsc02016 鎮守府八幡宮 《地図

2005年10月8日撮影

Img_2789 三代清水

水は溜まっているが飲める状態ではない。永代清水とはならなかった。

Img_2790 説明板

 再巡橋の手前に八幡一里塚跡(124)があったようだ。

Img_2798 再巡橋(胆沢川)

正保(1644~47)頃までは徒歩渡り、万治(1658~60)頃から舟橋か渡し舟だったようだ。

 金ケ崎町に入る。

Img_2803 泰養寺山門

金ケ崎城主の大町氏の菩提寺

Img_2802 説明板

Img_2806 金ケ崎宿南町入口 《地図

街道はここを直進して行くが、城内諏訪小路地区を散策する。

Img_2811 旧家

選挙が近いせいかあちこちにポスラーがべたべたと貼られて景観を損ねている。

Img_2813 金ケ崎町城内諏訪小路重要伝統的建造物群保存地区説明板

Img_2815 添田家住宅 《地図

大町氏の家老を務めていた。ここは金ケ崎城の二の丸裏門に通じる裏小路。

Img_2829 金ケ崎(白糸)城跡(要害) 【ル-ト地図】の③

白糸姫の伝説の地でもある。白糸姫は、①安倍頼時の妻 ②安倍貞任の娘 ③安倍貞任の妹、などの説があるようだ。

Img_2822 説明板

Img_2826 二の丸跡あたりから北上川

Img_2835 旧大沼家侍住宅 《地図

主屋・馬屋・厠が直線に並ぶ三ツ屋形式の武家屋敷跡。

Img_2843 白糸まちなみ交流館

明治23年建築という旧高橋家

金ケ崎宿南町入口に戻り金ケ崎宿を進む。

Img_2846 鉄砲・刀鍛冶屋敷跡

Img_2847 千手観音堂

Img_2848 郷土カルタ

Img_2852 西根御蔵場跡 《地図

Img_2860 矢来バス停の先で右に旧道に入る。《地図

Img_2864 奥州街道標柱

Img_2866 川口田遺跡標柱

川口田はこのあたりの地名だが、どんな遺跡なのか?

Img_2867 清水端一里塚跡(125) 【ル-ト地図】の④

Img_2871 説明板

Img_2869 東塚跡と杉の切り株

Img_2873 丸子館跡

三ヶ尻氏の居館跡

Img_2874 説明板

Img_2877 丸子館標柱

見取図の4つの郭の一つ。

Img_2881 三ヶ尻小学校

Img_2882 十三本塚跡?(三ヶ尻小学校の北側) 《地図

行き倒れや、侍に斬られた人々を供養したとも、坂上田村麻呂が降伏した蝦夷を殺す代わりに耳飾りなどを集めて埋めたという伝承もあるそうだが、由来も伝承もあいまいで頼りない。このあたりは十三本塚という地名で、以前は塚の横に標柱が立っていたらしいが。
近くに飢渇供養碑(寛政12年(1800))もあるというが分からず。

Img_2884 杉並木の気分のいい道

Img_2890 瘤木地区 《地図

交差点に史跡地図と標識が立つ。

Img_2891 標識

むろん矢印通り奥州街道を行くのだが・・・・。ここを左折し、六原駅方向へ進み、迂回した方が無難か。

Img_2892 案内図

瘤木足軽屋敷跡→処刑場跡方向へ進む。

Img_2897 通行止の標識

ここからは未舗装の草道となる。

Img_2900 標識(瘤木丁・相去町)

どちらも草深く、道跡は不分明。

Img_2901 相去方面へ下りる。

途中で進めなくなり引き返す。雑草の朿、種、汁などでズボンが汚れてしまった。ここを下りても北上浄化センター内に入ってしまうのでは?

Img_2903 仕方なくこの階段を下り、北上浄化センター内に入る。

この先も敷地内を抜けるのにも苦労した。

Img_2916 やっと浄化センターを抜けて振り返る。《地図

なにせ「立入禁止」ですので。

Img_2919 明治天皇岩の目小休所千田家跡

Img_2920 説明板

Img_2923桜の大木

Img_2924 根元に巳己供養碑が寄りかかっている。

己巳」の間違いか?

ここは直進して県道254号に出るのが街道筋と思うが、右に行くと「七里塚(一里塚跡)」の標柱が立つというので右折し、すぐ左折して行く。

Img_2929 岩の目一里塚跡(126) 《地図

正面の電柱の右下に、七里塚(一里塚跡)の標柱。

Img_2930 七里塚(一里塚跡)

この道筋は北上川方向へ少し迂回している。本当にここに塚があったのか?

 田んぼの間を通り、県道254号に出る。

Img_2939 白山神社 《地図

Img_2940 説明板

「かの地」とはどこか?

Img_2942 旧家

Img_2944 相去番所跡

伊達藩の北境の番所

Img_2946 説明板

Img_2950 南部・伊達藩境塚 《地図

藩境の130kmの要所に設置された塚の一つ。

Img_2951 説明板

かすれて読みづらい。

Img_2958 鬼柳御仮屋(本陣)跡 【ル-ト地図】の⑤

このあたりは鬼柳宿だが、その面影は残っていない。本郷川の手前に南部藩の鬼柳関所があった。

Img_2961 説明板

Img_2978 白髭(鬚)神社 《地図

Img_2969 由来

Img_2973白髭館の空堀跡(左)だろう。

Img_2983芭蕉句碑(天明3年(1783))

「枯枝に 烏のとまりけり 秋の暮れ」

Img_2976 お手玉石

南部の殿様のお抱え力士、石見潟丈右ェ門の力石。後年、江戸に出て関脇(説明板では大関)まで出世したそうだ。

Img_2975 説明板

Img_2991 九年橋(和賀川)を渡って黒沢尻宿(北上市街地)へ。 《地図

九年は「前九年の役」ではなく、明治9年の明治天皇巡幸にちなむ。

Img_2993 和賀川下流方向

JR線の先で北上川に合流する。

和賀川を渡った船場あたりに黒沢尻一里塚跡(127)があったのか。

Img_2995 今日はここまで 《地図

右折して北上駅に向かった。街道は直進し、黒沢尻宿の中心部を通って行く。

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コメント

四日市大学にて体育史学の立場から力石を研究する者です。石見潟丈右ェ門の力石について御教示いただきたいのですが、一度メールをいただけないでしょうか。

投稿: 高島 | 2013年7月23日 (火) 15:01

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