奥州街道(築館宿→有壁宿)
2013年5月19日
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【ル-ト地図】
築館宿から宮野宿は3kmも離れていない。伊治城外郭土塁跡からは畔道のようになり、芋埣川、二迫川、熊川と渡って行く。水を張った田んぼから栗駒山の眺めがいい。
姉歯地区から国道4号沿いを進み、三迫川を渡って沢辺宿に入るが宿の面影は残っていない。くりはら田園鉄道跡を跨げば金成宿でここは見所も多い。
金成宿を抜け、今日の目玉の夜盗坂と十万坂を目指す。夜盗坂の旧道は雑草に覆われ通れなかったが、十万坂の旧道はしっかりと整備され歩きがいのある道だった。県道に出て藩境物見台跡に組まれた櫓の上から四方を物見し、有壁宿の入口まで進んだ。
まだ2時を過ぎたばかりで、有壁宿から肱曲がり坂を越え、岩手県一関に入ることも考えたが、予定通りここを今日の打ち止めとし、肱曲がり坂の旧道歩きは明日の楽しみとした。
3日間晴天が続いたが今日の夜から天気は崩れるようだ。
写真をクリックすると拡大します。
宮野交差点で左に県道42号に入る。 《地図》
次の交差点を右折すると宮野宿だ。
左は皇大神宮社の鳥居。
宮野幼稚園あたり一帯。
右の建物の上部には〒マークがある。特定郵便局、その前は問屋場だったのか?
中世の古文書を保存する。
土師器・須恵器が出土した奈良・平安時代の遺跡。
能持寺の先で国道4号に出て、グランプラザ浦島の先で左に旧道に入る。
国道に出てヤンマー商会の所で再び左に旧道に入る。《地図》
この先にこのあたりの字名の由来となった大仏殿があったようだ。今は小公園になっているらしい。
城生野(大仏)一里塚があったのもこの付近か。
伊治城外郭北辺土塁跡
反乱を起こした「アザマロ」(伊治 呰麻呂(これはる の あざまろ)のその後は不明というから愉快だ。
田植え直前だ。終わっている田んぼもある。
親柱には牛若丸像が乗っている。
根岸花街道だが、「花はどこへ行った♪」か見当たらないが。
奥は墓地になっている。左に倒れかけ文字が薄れたた「富城跡」の木柱がある。富佐馬佑が城主であったというが調べても分からず。国道4号を渡り姉歯地区に入る。
姉歯地区 《地図》
あの「姉歯さん」はどうしているだろうか。
地区の史跡を大切に誇りにしているようだ。
「鷹の羽清水」(前九年の役で奥州路を行く八幡太郎義家一行が水不足で苦しんでいた時、義家が鷹羽の矢を山に向かって射たところ、その矢の刺さった所から清水が湧き出たという)・歌枕の「姉歯の松」はちょっと離れているので割愛。『奥の細道』には、「十二日、平泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞き伝へて、人跡稀に、雉兎(ちと)・蒭蕘(すうぜう)の行きかふ道、そこともわかず、終に道ふみたがへて、石の巻といふ湊に出づ」と記す。道を間違えて石巻まで行ってしまうとは考えにくい。漂泊の旅の難渋さの印象を強めるための創作か。
『伊勢物語』の第14段にも登場する。
姉歯一里塚跡はどのあたりか?
飢饉餓死者の供養塔
民家の敷地内で近づけず、横穴古墳は確認できず。
こんな所にパチンコ店(右奥)? 今はマッサージとカラオケ店か?
臥牛館公園になっている。
宿場を感じさせるものは見当たらない。
川股屋(薬局)
旧金成小学校校舎
現在は金成歴史民俗資料館
菅原家が務めた。
金成一里塚跡はこのあたりか?
夜盗が出没したのか?夜にここを通る旅人も少なかったと思うが。
このあたりは「炭焼藤太の伝説」の地でもある。藤太は夜盗坂に釈迦堂を建てたといい、その長男が義経を奥州へ導いた「金売吉次」だとか。
牛泥棒ではないから大丈夫よ。
道標に従い右に入ったが、雑草が生い茂って道筋が分からず引き返した。
翌日に肱曲がり坂で会ったSさんも同じだった。「首欠地蔵」(若柳の正玄寺に移設)があったのはこのあたりか?
この先で右に自動車道をくぐり、東側沿いを進む。《地図》
日曜で(も)空いている。
有壁へは左に入る。
確かに道はついている。これなら歩けそうで、この先を確かめて見ようかとも思ったが先へ進んだ。ちょっと惜しい気がしたが。
新鹿野一里塚跡(左) 《地図》
大橋(金流川)《地図》
旧道はこの小さな大橋の先で右折し、十万坂の説明板(写真右前方)の手前で左折し、正面右の小高い所を越えて行く。第一有壁トンネル(右端)の上を西から東に斜めに横切って行く感じだ。迂回路はこの道を直進し、右へ第一有壁トンネルを越える。
金流川は炭焼藤太が砂金を採った川という。夏川?には金鶏橋があるようだ。やっぱり金成は黄金伝説の地だ。
少し先に十万坂の説明板がある。正面は東北新幹線。
「前九年の役」での源義家の伝承の坂だ。
人馬の往来の邪魔にならないか。もとは道端にあったのでは? 『宮城県歴史の道調査報告書』によれば、ほかにも庚申塔・供養塔の類があるというが、見当たらなかった。
伊達藩と田村(一関)藩の両藩の役人が一緒に物見をしたのか?
藤原秀衡の家臣、照井太郎高直一族の供養塔だそうだ。ここから2.7kmでは、ご遠慮した。《地図》(このあたり)
若柳街道踏切を渡り有壁宿へ入って行く。宿場の南側の入口近くに有壁一里塚があったようだ。
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