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2013年6月 2日 (日)

奥州街道(築館宿→有壁宿)

2013年5月19日

シティホテルくりはら・・・国道4号・・・宮野交差点・県道42号・・・宮野宿・・皇大神宮社・・宮野代官所跡・・検断屋敷跡・・能持寺・・国道4号・・旧道・・浦の沢遺跡・・国道4号・・・ヤンマー商会・旧道・・・照明寺・・・伊治城外郭土塁跡・・富野小学校・・・芋埣川・・・二迫川・・・根岸下橋(熊川)・・・常現寺跡(富城跡)・・・(国道4号)・・・姉歯地区・・三界万霊供養塔・・姉歯横穴古墳群・・・国道4号・・・旧道・・・(国道4号)・・・達田橋(三迫川)・・・沢辺宿・・・くりはら田園鉄道跡・・・金成宿・・金成代官所跡・・金成ハリストス正教会・・旧金成小学校校舎(金成歴史民俗資料館)・・日枝神社・・本陣跡・・・翁沢川・・・(国道4号)・・新町大橋(夏川)・・・夜盗坂・・熊谷牧場・・・(県道48号)・・健康広場・・・(東北自動車道)・・・新鹿野一里塚跡・・・大橋(金流川)・・・十万坂・・法華経宝塔・・・県道185号・・・藩境物見台跡(明治天皇御野立所跡)・・・熊口五輪塔標識・・・若柳街道踏切(JR東北本線)・・県道187号・・・有壁駅(東北本線)

  【ル-ト地図

 築館宿から宮野宿は3kmも離れていない。伊治城外郭土塁跡からは畔道のようになり、芋埣川、二迫川、熊川と渡って行く。水を張った田んぼから栗駒山の眺めがいい。
 姉歯地区から国道4号沿いを進み、三迫川を渡って沢辺宿に入るが宿の面影は残っていない。くりはら田園鉄道跡を跨げば金成宿でここは見所も多い。
 金成宿を抜け、今日の目玉の夜盗坂と十万坂を目指す。夜盗坂の旧道は雑草に覆われ通れなかったが、十万坂の旧道はしっかりと整備され歩きがいのある道だった。県道に出て藩境物見台跡に組まれた櫓の上から四方を物見し、有壁宿の入口まで進んだ。
 まだ2時を過ぎたばかりで、有壁宿から肱曲がり坂を越え、岩手県一関に入ることも考えたが、予定通りここを今日の打ち止めとし、肱曲がり坂の旧道歩きは明日の楽しみとした。
 3日間晴天が続いたが今日の夜から天気は崩れるようだ。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_1973 宮野交差点で左に県道42号に入る。 《地図

次の交差点を右折すると宮野宿だ。

Img_1974 宮野宿の家並み

左は皇大神宮社の鳥居。

Img_1975 宮野代官所跡 【ル-ト地図】の41

宮野幼稚園あたり一帯。

Img_1977 説明板

Img_1979 旧家

右の建物の上部にはマークがある。特定郵便局、その前は問屋場だったのか?

Img_1982 検断屋敷跡及川家

中世の古文書を保存する。

Img_1987 浦の沢遺跡

土師器・須恵器が出土した奈良・平安時代の遺跡。

能持寺の先で国道4号に出て、グランプラザ浦島の先で左に旧道に入る。

Img_1990 旧道は静かだが、すぐに国道に出る。

Img_1991 国道に出てヤンマー商会の所で再び左に旧道に入る。《地図

Img_1994 この先にこのあたりの字名の由来となった大仏殿があったようだ。今は小公園になっているらしい。

城生野(大仏)一里塚があったのもこの付近か。

Img_1996 照明寺

Img_1997 伊治城跡説明板(参道前)

Img_2001 伊治城外郭北辺土塁跡 

反乱を起こした「アザマロ」(伊治 呰麻呂(これはる の あざまろ)のその後は不明というから愉快だ。

Img_2003 富野小学校の前から未舗装の道となる。

Img_2006 田畑の間の道を行く。

Img_2007 芋埣(いもぞね)川を渡る。

Img_2008 流れは細い。

Img_2010 二迫川を渡る。

Img_2011栗駒山

田植え直前だ。終わっている田んぼもある。

Img_2017 根岸下橋(熊川)

親柱には牛若丸像が乗っている。

Img_2020 熊川沿いを東に進む。

根岸花街道だが、「花はどこへ行った♪」か見当たらないが。

Img_2022 常現寺跡

奥は墓地になっている。左に倒れかけ文字が薄れたた「富城跡」の木柱がある。富佐馬佑が城主であったというが調べても分からず。国道4号を渡り姉歯地区に入る。

Img_2027 姉歯地区 《地図

あの「姉歯さん」はどうしているだろうか。

Img_2028 史跡案内

地区の史跡を大切に誇りにしているようだ。

「鷹の羽清水」(前九年の役で奥州路を行く八幡太郎義家一行が水不足で苦しんでいた時、義家が鷹羽の矢を山に向かって射たところ、その矢の刺さった所から清水が湧き出たという)・歌枕の「姉歯の松」はちょっと離れているので割愛。『奥の細道』には、「十二日、平泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞き伝へて、人跡稀に、雉兎(ちと)・蒭蕘(すうぜう)の行きかふ道、そこともわかず、終に道ふみたがへて、石の巻といふ湊に出づ」と記す。道を間違えて石巻まで行ってしまうとは考えにくい。漂泊の旅の難渋さの印象を強めるための創作か。
伊勢物語』の第14段にも登場する。

姉歯一里塚跡はどのあたりか?

Img_2033 三界万霊供養塔(文化15年(1818))

飢饉餓死者の供養塔

Img_2031 説明板

Img_2037 姉歯横穴古墳群

民家の敷地内で近づけず、横穴古墳は確認できず。

Img_2034 説明板

Img_2041 金成女神

こんな所にパチンコ店(右奥)? 今はマッサージとカラオケ店か?

Img_2044 左に旧道に入る。

Img_2051 沢辺館跡(達田橋から) 《地図

臥牛館公園になっている。

Img_2053 沢辺宿に入る。

宿場を感じさせるものは見当たらない。

Img_2056 くりはら田園鉄道

Img_2061 金成(かんなり)宿

川股屋(薬局)

Img_2063 糀なべや呉服店

Img_2082 金成代官所跡(けやき会館) 【ル-ト地図】の46

Img_2074 説明板

Img_2073 金成ハリストス正教会

Img_2069 説明板

Img_2079

旧金成小学校校舎

現在は金成歴史民俗資料館

Img_2081 説明板

Img_2085 日枝神社

Img_2083 説明板

Img_2088 本陣栗駒屋跡(金成公民館)

菅原家が務めた。

Img_2086 説明板

Img_2093 新町大橋を渡って夜盗坂へと進む。

金成一里塚跡はこのあたりか?

Img_2097 夜盗(よとう)坂 【ル-ト地図】の48

夜盗が出没したのか?夜にここを通る旅人も少なかったと思うが。
このあたりは「炭焼藤太の伝説」の地でもある。藤太は夜盗坂に釈迦堂を建てたといい、その長男が義経を奥州へ導いた「金売吉次」だとか。

Img_2099 熊谷牧場脇を上る。

Img_2102_2 仔牛も見送ってくれた。

牛泥棒ではないから大丈夫よ。

Img_2103 牧草地が広がるのどかな所だ。

Img_2104 高原上の道を行く。

Img_2105 道標に従い右に入ったが、雑草が生い茂って道筋が分からず引き返した。

翌日に肱曲がり坂で会ったSさんも同じだった。「首欠地蔵」(若柳の正玄寺に移設)があったのはこのあたりか?

Img_2108 健康広場に突き当り右折し、東北自動車の西側沿いを進む。

Img_2110 この先で右に自動車道をくぐり、東側沿いを進む。《地図

Img_2114 ここを右に折り返すように進む。

Img_2116 東北自動車道

日曜で(も)空いている。

Img_2117 先ほどの旧道はここへ出てくるようだ。

有壁へは左に入る。

Img_2118 金成方向

確かに道はついている。これなら歩けそうで、この先を確かめて見ようかとも思ったが先へ進んだ。ちょっと惜しい気がしたが。

Img_2122 畦道を進むと舗装道路に合流する。

Img_2124 新鹿野一里塚跡(左) 《地図

Img_2126 説明板

Img_2125 塚跡

Img_2128 東北新幹線の方へ下って、十万坂の旧道へと進む。

Img_2130 大橋(金流川)《地図

旧道はこの小さな大橋の先で右折し、十万坂の説明板(写真右前方)の手前で左折し、正面右の小高い所を越えて行く。第一有壁トンネル(右端)の上を西から東に斜めに横切って行く感じだ。迂回路はこの道を直進し、右へ第一有壁トンネルを越える。
金流川は炭焼藤太が砂金を採った川という。夏川?には金鶏橋があるようだ。やっぱり金成は黄金伝説の地だ。

Img_2135 ここを左折する。

少し先に十万坂の説明板がある。正面は東北新幹線。

Img_2136 説明板

Img_2137 民家の敷地内のような所を抜けて行く。

Img_2138 十万(じゅうまん)坂の上りとなる。 【ル-ト地図】の49

「前九年の役」での源義家の伝承の坂だ。

Img_2139 やっぱり旧道はいい。

Img_2140 道の真ん中に堂々と法華経宝塔

人馬の往来の邪魔にならないか。もとは道端にあったのでは? 『宮城県歴史の道調査報告書』によれば、ほかにも庚申塔・供養塔の類があるというが、見当たらなかった。

Img_2142 法華経宝塔(天保15年(1844))

Img_2143 開けた所に出る。

Img_2144舗装道路(県道185号)に出る。

Img_2145 左から来る迂回路と合流する。

Img_2153 藩境物見台跡・明治天皇御野立所跡

伊達藩と田村(一関)藩の両藩の役人が一緒に物見をしたのか?

Img_2150 今はどっちを見ても眺望はよくない。

Img_2159 県道185号を有壁宿へ進む。

Img_2162 熊口五輪塔標識

藤原秀衡の家臣、照井太郎高直一族の供養塔だそうだ。ここから2.7kmでは、ご遠慮した。《地図》(このあたり)

若柳街道踏切を渡り有壁宿へ入って行く。宿場の南側の入口近くに有壁一里塚があったようだ。

Img_2180 有壁駅

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