奥州街道(有壁宿→平泉)
2013年5月20日
有壁駅(JR東北本線)・・・有壁宿・・萩野酒造・・本陣跡佐藤家・・観音寺・・・肱曲がり坂・・・大沢田坂・・・県境(宮城・岩手)・・・(椚坂近く)・・・県道260号・・鬼死骸バス停・・・的場踏切(東北本線)・・・明治天皇・的場清水跡あたり・・・(東北本線ガード)・・・国道342号・・・豊吉の墓・・・(東北本線ガード)・・・瑞川寺・・足軽屋敷町跡・・・御手廻橋(吸川)・・・迫街道追分・・追分道標・・祥雲寺・・・願成寺・・・一関宿・・一関城跡(釣山公園)・田村坂・・地主町角交差点・・豪商菅原屋跡・・世嬉の一酒造・・武家屋敷沼田家跡・・芭蕉二夜庵跡・明治天皇行在所跡・・磐井橋(磐井川)・・・配志和神社・月見坂・剱坂・・・山目宿・・問屋跡・・旧今泉街道入口・・柏原清左衛門屋敷跡・・龍沢寺・・(山目駅)・・少名彦神社・・八雲神社・・・(平泉町)・・・川屋敷バス停・・・平泉バイパス南口・国道4号・・・八坂神社・・・太田川橋(太田川)・・・平泉駅(東北本線)
【ル-ト地図】
今回の奥州街道奥道中歩きの最終日だ。昨夜からの雨は上がったが曇よりした天気だ。有壁宿の本陣跡前で奥州街道を歩いている東京町田市のSさんに出会い、一緒に肱曲がり坂を越える道中となった。大震災後の旧道の状況が分からずちょっと不安だったが、心強い道連れができた。
肱曲がり坂の説明板の所から左へ山道に入る。昨日の雨で足元は悪く、すぐに膝から下と靴の中はぐっしょりとなる。分岐もあるが左方向を意識して歩く。東北新幹線の第二有壁トンネル上を東から西へ斜めに越えて行く道で、昨日、第一有壁トンネルを越えた十万坂くらいの高さ(120mほどか)で、きつい道ではない。緩やかな大沢田坂を上り、県境を越え、杉林を抜けると東側に原野が広がっている。昔から変わらない風景をしばしSさんと楽しむ。
その先、旧道は椚坂の下りとなって直進方向に進むのだが、廃道になっているので、道なりに緩やかに左にカーブしながら下って行くと、間もなく県道260号の一関糧運送の所に出た。意外に呆気ない道のりだったので、Sさんと顔を見合わせて笑った。
ここでこの先の道中のお互いの健闘を誓って別れ、マイペースの歩きとなる。この頃には晴れて暑くなってきた。一関城跡(釣山公園)に寄り、磐井橋を渡り一関宿を抜け、配志和神社で月見坂と剱坂を加え、山目宿から平泉まで進んだ。
写真をクリックすると拡大します。
敷地内は改修工事中だった。
前を行くのは東京町田市のSさん。70才をとうに越えているが元気でお若い。
雨に濡れた草ですぐに膝から下、靴の中もびしょ濡れになる。ここからは左方向を意識して進む。
傾斜は緩い。『宮城県歴史の道調査報告書』には肱曲がり坂に一里塚があったというが、前後の有壁一里塚と鬼死骸一里塚との距離が短すぎる。
この先で岩手県に入る。
ここも左へ進む。右側に注意看板などが立つ。
ここは岩手県と納得。
この先旧道はほぼ直進し、椚坂を下って県道260号の三八五引越センターの前に出ていたが、途中が廃道で途切れるようで、左にカーブして行く。
右は一関糧運送の建物。
坂上田村麻呂の征討にまつわる『鬼死骸伝説』の地。地方のまつろわぬ(服従しない)者たちを鬼と扱う中央のいつものやり方だ。鬼死骸一里塚跡はどのあたりか?
鬼石だろう。
正面は的場踏切。付近には兜石・あばら石などが転がっているようだが、探さなかった。
的場踏切を渡り、東北本線の西側沿いを進む。
奥のトタン屋根の小屋が的場清水跡か?
東北本線のガードをくぐって国道342号に出る。
もとは橋田原刑場跡にあったもの。
瑞川寺 《地図》
古川宿にも同名の寺があった。
瑞川寺の前から南小学校への下り坂あたり。今は普通の住宅街でその面影はない。
振り返って見ている。右が迫街道、左が奥州街道。
迫(はさま)街道を少し入った所に移設されている。左は庚申塔(文政2年(1819))。
芭蕉も歩いた迫街道を少し進む。
追分地蔵(明和4年(1767))は中央だろう。台座に「右岩ヶ崎 左仙臺」と刻むというが、隣家の犬がすぐそばでギャンギャン吠えるのでゆっくり調べられなかった。元は迫街道の追分にあったそうだ。「岩ヶ崎」は迫街道のこと。
一関藩主田村家の菩提寺。
伊達騒動の中心人物の一人、伊達兵部宗勝一族の墓がある。
幕府が城構えを許さなかったので田村氏はこの裁判所あたりを居城とした。
下方に田村坂がある。
桜の季節は過ぎてしまった。
地主町(じしゅまち)角交差点 《地図》
ここを左折する。一関宿本陣は地主町にあったようだ。
天和(1681~83年)から幕末にかけて栄えた豪商で、大飢饉の際は私財を投じて難民を救済し、田村藩より「磐根」の姓と二百石を賜った。人々からは救世商人と敬われ、この小路は「菅原横丁」と呼ばれるようになった。(標柱の説明文より)
カスリン台風水位
2m以上もある。北上川が氾濫し、一関地方は大きな被害を受けた。さらに翌年にはアイオン台風が追い打ちをかけた。『伝えたい、あの記憶』(一関市)
石蔵レストランで蔵ビールを飲みたがったが、飲み過ぎると歩くのがかっ怠くなるので我慢した。
元は仕込み蔵
武家屋敷沼田家跡 《地図》
一関教会と仲良く並んでいる。
芭蕉はこの後、さきほどの迫街道で岩出山(宮城県)に向かった。
川の地主町側(東側)に一関一里塚があったそうだ。
橋を渡った川沿いの道は工事中で迂回する。
少し離れているが、月見坂と剱坂があるので寄らないわけにはいかない。
まさに剣のように直線的な、切れ味の鋭い坂だ。
樹齢千年以上という神木。築館の杉薬師(双林寺)の姥杉と違って元気旺盛だ。
右に問屋跡の標柱。
旧今泉街道入口
右に「気仙との交通路・旧今泉街道入口(横丁)」の標柱。
中里公民館前バス停の所。すぐ先に「蠶祖神」碑が立つ。養蚕が盛んだったのだろう。
この奥に社殿はあるのか確認しなかった。
平泉町に入って500mほど北進した大佐地区の東北本線の線路あたりに祇園(大佐)一里塚があったようだ。
川屋敷バス停の所で右に入る。 《地図》
平泉バイパス南口から左に国道4号を進む。
毛越寺五方鎮守の一つ。
太田川橋を渡って右へ柵を乗り越えて土手を下り平泉駅方向へと進む。《地図》
街道は直進して東北本線を渡って行く。
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