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2013年7月 1日 (月)

奥州街道(黒沢尻宿→石鳥谷宿)

2013年6月15日

北上駅(JR東北本線)・・・黒沢尻宿(間の宿)・・脇本陣三浦屋跡・・本陣鍵屋跡・・脇本陣井筒屋跡・・・本町踏切(JR北上線)・・・本宮橋(黒沢川)・・・常盤台跨線橋(東北本線)・・・新堰川・・・二子一里塚跡(128)・塚越稲荷神社・・・(村崎野駅)・・・大堰川・・・天照御祖神社(伊勢神社)・・・北上工業団地・・・成田橋(飯豊川)・・・成田一里塚跡(129)・一里塚バス停・・・(花巻市)・・・薬師神社・・円通寺・・・(国道4号)・・・十二丁目坂・・・「がけ」の松(なごり松)・・なごり松(南城小学校)・・・上館跡・・・岩崎街道分岐地点・・・賢治文学散歩道・・同心屋敷跡・・・おくら(跡)・・・豊沢橋(豊沢川)・・・豊沢一里塚跡(130)・・・松庵寺・・・花巻城大手門跡・時鐘・・円城寺坂・・円城寺門(鳥谷崎神社)・・本丸跡・・西御門・・・花巻宿・・本陣跡あたり・・明治天皇御聖蹟碑・・・広隆寺・・・四日町三交差点・奥州街道古道分岐地点・・・国道4号・・・東京から500km地点・・・枇杷沢川・・・(JR釜石線)・・・瀬川橋・・(釜石自動車道)・・・宮野目一里塚跡(131)・・・宮の目坂(幅下坂)・・・新堤(溜池)・・境橋(油沢川)・・追分の碑(花巻空港駅口交差点)・・・塚の根バス停・江曽一里塚跡(132)・・・小森林館跡・逆ひば・・・・滝沢橋(滝沢川)・・・耳取橋(耳取川)・・・県道265号・・・葛丸橋(葛丸川)・・・杉生桜・・・北向跨線橋(東北本線)・・・上和町遺跡標柱・・・石鳥谷交差点(国道4号)・奥州街道古道(鎌倉街道)跡・・旧好地一里塚跡・・・石鳥谷駅(東北本線)

  【ル-ト地図】(31.4km)

 黒沢尻宿を抜け、両塚が残る二子一里塚跡から北上工業団地の間を通り、ここも見事な両塚が残る成田一里塚跡を過ぎると花巻市に入る。豊沢川を渡って花巻城跡を散策し、花巻宿を通って行く。
 四日町三交差点からは明暦4年に切り替えられたまっすぐな新道(現国道4号・県道265号)を行く。石鳥谷地区に入り、逆ひば・杉生桜の珍木を見て左折し、古道跡と旧好地一里塚跡を訪ねた。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2998 黒沢尻宿の家並み

和賀川の川留のなどの不測の事態に備えた間の宿だったが、北上川舟運の中継基地の黒沢尻河岸擁して栄え、本陣・脇本陣も置かれた。

Img_3001 脇本陣三浦屋跡 《地図

北上信用金庫の前に標柱。

Img_3004 説明板

Img_3008 本町の家並み

さくらの百貨店前に説明板

向い側あたりが本陣鍵屋跡

Img_3007 説明板

Img_3009 脇本陣井筒屋跡

「メガネの松村前」に標柱

 黒沢尻宿を抜け、北上線、東北本線を渡って行く。

Img_3023 二子一里塚跡(128) 【ル-ト地図】の①

両塚が残る。西塚は塚越稲荷神社内

Img_3026 説明板

Img_3048 北上工業団地の間を行く。

殺風景な工場群の間と思っていたが、けっこう緑豊かで気分がよかった。

Img_3057 成田一里塚跡(129) 【ル-ト地図】の②

東塚は桜、西塚はケヤキの見事な一里塚跡。すぐ先が一里塚バス停。

Img_3060 説明板

Img_3063 振り返る。

 旧成田小学校(2012年3月閉校で解体工事中)のすぐ先で花巻市に入る。

Img_3069 薬師神社

神仏混淆か廃仏毀釈か?

Img_3071 十二丁目坂を上る。《地図

稗貫氏の家臣の十二丁目氏に由来する地名。元は伊藤を称していたが、室町時代に十二丁目に改称したそうだ。
緩やかな坂で、今は国道4号に分断されている。

Img_3075 がけ松(傘松)

ガードレールの外のがけから田んぼの方へ傾いて立っている。

Img_3081 がけ松(傘松)

支柱に寄りかかって頑張っている奥州街道の4本の名残り松のうちの1本。

Img_3080 説明板

宮澤賢治のいう「古いみちのくの断片」の「青い松並」は4本だけになってしまった。

Img_3094 なごり松(南城小学校) 3本

Img_3095 上館跡(右に標柱)

前九年の役で政府軍の将、源頼義がこの付近に陣所を置いたという。

Img_3085 説明板

 この先で岩崎街道が南西に分岐する。《地図
ここから南西に向かい、山ノ神・飯豊・門屋・新平(にっぺい)を経て江釣子佐野から和賀川を渡り、岩崎で旧秋田街道に至る全長15.6kmの道。江戸時代前期に奥州街道が整備されるまでは本街道と呼ばれていた要路だった。

Img_3101 宮澤賢治詩碑

このあたりは賢治文学散歩道で、詩碑やゆかりの物が多い。この先には桜地人館がある。

Img_3108同心屋敷跡

平野家(左)・今川家(右)

管理人のご婦人2人にお茶と飴で接待していただき、しばし談笑し小休止。

Img_3104 内部

Img_3810 花巻同心組

Img_3113 おくら(跡)

これも賢治の羅須地人協会の付属の建物。

Img_3109 説明板

Img_3118 豊沢橋から豊沢川上流方向

Img_3119 豊沢一里塚(錦塚)跡(130) 【ル-ト地図】の③

左の店舗前に説明板。偉容を誇ったという「錦塚」は跡形も残らず。

Img_3120 説明板

Img_3121松庵寺

高村光太郎ゆかりの寺」でもある。

Img_3127 松庵寺境内

飢死供養塔(中央・文化12年(1815))・飢饉疫病死供養塔(右・文化2年(1805)で宝暦6年と天明3年の飢饉死者の供養塔)・飢饉供養塔(左・天保4年(1833))。
飢饉の時には境内には「救け小屋」が設けられた。

Img_3122 説明板

Img_3131 花巻城大手門跡 《地図

かつては鳥谷ヶ崎城と呼ばれ、安倍氏の城柵のあった地と伝え、その後、戦国時代までは稗貫氏の居城だった。

花巻城跡散策ガイドマップ

Img_3134時鐘

Img_3133 説明板

Img_3144 円城寺坂 《地図

もとは円城寺門は坂上のこのあたりにあった。

Img_3142 絵図

Img_3146円城寺門

現在は鳥谷崎神社に移築。

Img_3145 説明板

 馬場口御門跡→白堀跡→東御門跡→焔硝御蔵跡→御囲穀御蔵跡→御台所前御門緒本丸跡→西御門跡へと進んだ。

Img_3158 本丸井戸跡

Img_3164 説明板

Img_3161 西御門を抜けて城外に出て街道に戻る。 《地図

Img_3169 花巻宿の家並み

ここ一日市町に本陣があった。

Img_3173 明治天皇御聖蹟碑

Img_3185広隆寺 《地図

右奥は樹齢600年の大いちょう。

Img_3187 説明板

Img_3191 旧家

Img_3193 奥州街道古道分岐地点《地図》 

すぐ先の四日町三交差点を左に行くのが古道(明暦4年(1658)以前)の道筋。本館橋(枇杷沢川)を渡って、JR釜石線のガードの所まで行って見た。その先に道標が立つようだ。

右折して国道4号を直進、北上する新道を行く。

Img_3203 東京から500km地点

まだかもうか?

Img_3211 宮野目一里塚跡(131) 【ル-ト地図】の④

跡形もないと思っていたが、新しく塚が再現されている。塚上には榎が植わっていたようだ。

Img_3215 説明板

Img_3213 標柱と説明板

今年の3月に宮野目コミュニティ会議・宮野目ふるさと会が設置した新しいもの。

Img_3223 宮の目坂(幅下坂)を上る。

Img_3230 宮野目~紫波の蔭沼の間、14kmは一直線の街道で両側には松並木が続いていた。

Img_3235 新堤(溜池)

Img_3237花巻空港駅口交差点 《地図

交差点の南西角に追分の碑(道標)がある。花巻空港駅はもとは二枚橋駅で昭和63年に改称された。
右前方が早池峰山方向。

Img_3241 追分の碑

右が享保9年(1724)の奥州街道と、北上川を葛の渡しで渡って東へ向う早池峯道の道標、左が明治23年の土佛観世音への土佛街道(消滅)の道標。

Img_3240 説明板

Img_3246 江曽一里塚跡(132)

塚の根バス停の所ですぐ先が塚の根交差点。
説明板には東塚のみ現存とあるが、西塚も再現されている。

Img_3249 説明板

Img_3253 小森林館跡

稗貫氏の家臣、小森林氏の居館跡と伝える。

Img_3254 説明板

Img_3257 逆ヒバ

弘法大師が、湧き水でのどを潤すため、地面にさした杖が根づいたもので、名の由来は、大きくなっても杖のように根元が細く、幹が太いため、逆さになったヒバに見えたことからとか。もう枯れ死寸前か。小森観世音はこの奥か?

Img_3265 耳取川(耳取橋から) 《地図

前九年の役の時、敗れた安倍軍の兵士の耳が取られて集められたという伝説があるようだ。耳取山もあるらしい。

 この先、国道は左へカーブして行くが、右に県道265号に入り石鳥谷宿へと進む。

Img_3280 杉生桜 《地図

杉の幹に寄生した山桜。杉は奥州街道の路線変更が行われた明暦4年(1658)当時のものと推定され、昭和58年に安全対策上現在の高さに切られた。桜は毎年開花するそうだ。

セブンイレブンの手前で左折し、四日町三交差点で分かれた奥州街道古道跡と旧好地一里塚跡を訪ねる。

Img_3287 上和町遺跡標柱

どんな遺跡なのか?

Img_3291 奥州街道古道跡(鎌倉街道) 《地図

古道は光林寺前を通り、国道4号の石鳥谷交差点あたりから、ここへ(正面の草むらの溝が旧道跡)と通じていた。この先も古道は途切れているが、犬渕交差点の先で鎌倉街道として残っている。それは明日のお楽しみ。

Img_3293 説明板

Img_3295 古道跡

草に埋もれた溝になっている。並木道だったのだろうか?

Img_3297_2 旧好地一里塚跡 【ル-ト地図】の⑤

正面の説明板の所が東塚跡で、西塚は昭和の初期に消滅した。

Img_3300 説明板

新道の好地一里塚跡は明日とし、石鳥谷駅に向かった。

Img_3307 石鳥谷駅

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