奥州街道(黒沢尻宿→石鳥谷宿)
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【ル-ト地図】
黒沢尻宿を抜け、両塚が残る二子一里塚跡から北上工業団地の間を通り、ここも見事な両塚が残る成田一里塚跡を過ぎると花巻市に入る。豊沢川を渡って花巻城跡を散策し、花巻宿を通って行く。
四日町三交差点からは明暦4年に切り替えられたまっすぐな新道(現国道4号・県道265号)を行く。石鳥谷地区に入り、逆ひば・杉生桜の珍木を見て左折し、古道跡と旧好地一里塚跡を訪ねた。
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和賀川の川留のなどの不測の事態に備えた間の宿だったが、北上川舟運の中継基地の黒沢尻河岸擁して栄え、本陣・脇本陣も置かれた。
脇本陣三浦屋跡 《地図》
北上信用金庫の前に標柱。
さくらの百貨店前に説明板
向い側あたりが本陣鍵屋跡
「メガネの松村前」に標柱
黒沢尻宿を抜け、北上線、東北本線を渡って行く。
両塚が残る。西塚は塚越稲荷神社内
殺風景な工場群の間と思っていたが、けっこう緑豊かで気分がよかった。
東塚は桜、西塚はケヤキの見事な一里塚跡。すぐ先が一里塚バス停。
旧成田小学校(2012年3月閉校で解体工事中)のすぐ先で花巻市に入る。
神仏混淆か廃仏毀釈か?
十二丁目坂を上る。《地図》
稗貫氏の家臣の十二丁目氏に由来する地名。元は伊藤を称していたが、室町時代に十二丁目に改称したそうだ。
緩やかな坂で、今は国道4号に分断されている。
ガードレールの外のがけから田んぼの方へ傾いて立っている。
支柱に寄りかかって頑張っている奥州街道の4本の名残り松のうちの1本。
宮澤賢治のいう「古いみちのくの断片」の「青い松並」は4本だけになってしまった。
前九年の役で政府軍の将、源頼義がこの付近に陣所を置いたという。
この先で岩崎街道が南西に分岐する。《地図》
ここから南西に向かい、山ノ神・飯豊・門屋・新平(にっぺい)を経て江釣子佐野から和賀川を渡り、岩崎で旧秋田街道に至る全長15.6kmの道。江戸時代前期に奥州街道が整備されるまでは本街道と呼ばれていた要路だった。
このあたりは賢治文学散歩道で、詩碑やゆかりの物が多い。この先には桜地人館がある。
平野家(左)・今川家(右)
管理人のご婦人2人にお茶と飴で接待していただき、しばし談笑し小休止。
これも賢治の羅須地人協会の付属の建物。
左の店舗前に説明板。偉容を誇ったという「錦塚」は跡形も残らず。
「高村光太郎ゆかりの寺」でもある。
飢死供養塔(中央・文化12年(1815))・飢饉疫病死供養塔(右・文化2年(1805)で宝暦6年と天明3年の飢饉死者の供養塔)・飢饉供養塔(左・天保4年(1833))。
飢饉の時には境内には「救け小屋」が設けられた。
かつては鳥谷ヶ崎城と呼ばれ、安倍氏の城柵のあった地と伝え、その後、戦国時代までは稗貫氏の居城だった。
円城寺坂 《地図》
もとは円城寺門は坂上のこのあたりにあった。
現在は鳥谷崎神社に移築。
馬場口御門跡→白堀跡→東御門跡→焔硝御蔵跡→御囲穀御蔵跡→御台所前御門緒本丸跡→西御門跡へと進んだ。
西御門を抜けて城外に出て街道に戻る。 《地図》
ここ一日市町に本陣があった。
広隆寺 《地図》
右奥は樹齢600年の大いちょう。
奥州街道古道分岐地点《地図》
すぐ先の四日町三交差点を左に行くのが古道(明暦4年(1658)以前)の道筋。本館橋(枇杷沢川)を渡って、JR釜石線のガードの所まで行って見た。その先に道標が立つようだ。
右折して国道4号を直進、北上する新道を行く。
まだかもうか?
跡形もないと思っていたが、新しく塚が再現されている。塚上には榎が植わっていたようだ。
今年の3月に宮野目コミュニティ会議・宮野目ふるさと会が設置した新しいもの。
宮野目~紫波の蔭沼の間、14kmは一直線の街道で両側には松並木が続いていた。
花巻空港駅口交差点 《地図》
交差点の南西角に追分の碑(道標)がある。花巻空港駅はもとは二枚橋駅で昭和63年に改称された。
右前方が早池峰山方向。
右が享保9年(1724)の奥州街道と、北上川を葛の渡しで渡って東へ向う早池峯道の道標、左が明治23年の土佛観世音への土佛街道(消滅)の道標。
塚の根バス停の所ですぐ先が塚の根交差点。
説明板には東塚のみ現存とあるが、西塚も再現されている。
稗貫氏の家臣、小森林氏の居館跡と伝える。
弘法大師が、湧き水でのどを潤すため、地面にさした杖が根づいたもので、名の由来は、大きくなっても杖のように根元が細く、幹が太いため、逆さになったヒバに見えたことからとか。もう枯れ死寸前か。小森観世音はこの奥か?
耳取川(耳取橋から) 《地図》
前九年の役の時、敗れた安倍軍の兵士の耳が取られて集められたという伝説があるようだ。耳取山もあるらしい。
この先、国道は左へカーブして行くが、右に県道265号に入り石鳥谷宿へと進む。
杉生桜 《地図》
杉の幹に寄生した山桜。杉は奥州街道の路線変更が行われた明暦4年(1658)当時のものと推定され、昭和58年に安全対策上現在の高さに切られた。桜は毎年開花するそうだ。
セブンイレブンの手前で左折し、四日町三交差点で分かれた奥州街道古道跡と旧好地一里塚跡を訪ねる。
どんな遺跡なのか?
奥州街道古道跡(鎌倉街道) 《地図》
古道は光林寺前を通り、国道4号の石鳥谷交差点あたりから、ここへ(正面の草むらの溝が旧道跡)と通じていた。この先も古道は途切れているが、犬渕交差点の先で鎌倉街道として残っている。それは明日のお楽しみ。
草に埋もれた溝になっている。並木道だったのだろうか?
正面の説明板の所が東塚跡で、西塚は昭和の初期に消滅した。
新道の好地一里塚跡は明日とし、石鳥谷駅に向かった。
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