東京坂道散歩(鎌倉街道 中の道(東回り①))
2013年7月25日
二子玉川駅(東急田園都市線)・・・玉川高校交差点・・・丸子川・・稲荷坂・・上野毛稲荷神社・・・(環八通り)・・(上野毛駅(東急大井町線))・・・宮前橋(谷沢川)・・・天祖神社・・原の坂・・東京都市大学・・・産能短大交差点・目黒通り・・(目黒区)・・・太鼓坂上・・しどみ坂上・・氷川坂上・・・中根橋(呑川緑道)・・(都立大学駅(東急東横線))・・柿の木坂下・・・柿の木坂一交差点(環七通り)・・・葦毛塚・・・(蛇崩川緑道)・・・庚申塔道標・・・蛇崩交差点・・半兵衛坂・・・寿福寺・・・宿山の庚申塔・・・小川坂・・・(山手通り)・・宿山橋(目黒川)・・・目切坂・・目黒元富士跡・・(渋谷区)・・地蔵道標・・旧朝倉家住宅・・猿楽塚・・・代官山坂上・・・天狗坂上・・・猿楽橋(JR山手線)・・・東横線ガード・・並木橋(渋谷川)・・八幡坂①・・金王八幡宮・・・(六本木通り)・・・国道246号・・・(地下鉄表参道駅)・・・(外苑西通り)・・・青山熊野神社・勢揃坂・・竜厳寺・・慈光寺・・・榎坂下・・お萬榎稲荷・・観音坂上・・・鳩森八幡神社・・八幡坂上②・・・東京体育館・・・千駄ヶ谷駅(JR総武線)
【ル-ト地図】
鎌倉→鶴峰→荏田→二子と進んで多摩川を渡った鎌倉街道「中の道」の主要な道筋はこの先、赤羽の岩淵で合流するまで2つある。今回は東側のルートをたどる。
蒸し暑い中を世田谷区→目黒区→渋谷区→新宿区→豊島区→北区→荒川へとゆっくりと進もう。この間、「鎌倉街道」を示す古蹟は少ないが道沿いに坂は多い。初めて歩く坂がないのが残念だが、道筋は覚えていて土地勘もあるから気楽だ。
*「鎌倉街道推定ルート」は『中世を歩く』(北倉庄一著)の13頁
写真をクリックすると拡大します。
稲荷坂を上る。《地図》
坂上から環八通り・上野毛駅を横切って行く。
営業しています。
産能短大交差点で目黒通りに合流する。
太鼓坂上 《地図》
氷川坂上 《地図》
都立大学駅の所で北に入り、柿の木坂一交差点(環七通り)を渡り、世田谷区と目黒区の境を北上する。
源頼朝がこのあたりの沢に落ちて死んだ愛馬を葬った塚という伝承地。頼朝は奥州藤原氏征討の帰路、再びこの地に立ち寄り、馬に乗って通っては危険であるから馬を引いて通るように命じ、以後、この地を馬引沢と呼んだという。上馬引沢・下馬引坂→上馬・下馬の地名になったとか。
「鎌倉街道」を示す古蹟が、道の真ん中に堂々と残っていて嬉しくなった。
庚申供養塔道標 《地図》
ここから目黒区に入る。
「北 めぐろ道」・裏面に「南 ゆふてん寺道」(祐天寺)
1940年(昭和15年)の「幻の東京オリンピック」の際に整備された道で、通称「オリンピック道路」。2020年の(東京)オリンピックも2度目の幻になるかも。
坂の左側に寿福寺がある。
宿山の庚申塔 《地図》
庚申塔は3基で、背の高いのは地蔵。
ここを右に進む。
小川坂を下る。《地図》
往時は武者たちが鎌倉を目指し、馬でこの坂を駆け上ったのだろうが、今では一方通行で車は鎌倉方向には行けない。
山手通り・・宿山橋(目黒川)を渡る。【ル-ト地図】の6
「旧鎌倉街道」なのだ。
別所坂上が「目黒新富士」だが、今はどちらからも富士は見えず、富士塚もない。『浮世絵に見る目黒』
ここから渋谷区になる。
台座正面に、「右大山道 南無阿弥陀仏 左祐天寺道」
向い側に旧朝倉家住宅がある。
円墳で2基あった。その間を初期の鎌倉街道が通っていたという。目黒川から直線的に上っていたのだろう。
この古墳の上で猿楽が演じられていて、この名がついたのか? 「猿楽町」の由来の塚でもある。
猿楽橋を渡り、並木橋へと進む。
橋の袂に「鎌倉道」の説明板がある。
八幡坂の上りとなる。《地図》
鎌倉に縁のある金王八幡宮(渋谷城址)が坂の途中の左に入った所にある。
一帯は渋谷氏の渋谷城址。城主の渋谷金王丸は源頼朝の御家人だった。
この先、鎌倉街道とはほど遠い、車と人の多い現代の渋谷の町中を足早に抜け、勢揃坂を目指す。
八幡太郎義家ゆかりの坂。
坂下から鳩森八幡神社に上り、千駄ヶ谷駅に向かった。そのあたりは『渋谷区の坂③』に記載。
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