奥州街道(石鳥谷宿→日詰郡山宿)
2013年6月16日
石鳥谷駅(JR東北本線)・・・県道265号・石鳥谷宿・・石鳥谷肥料相談所跡・・好地一里塚跡(133)・・薬師堂橋(薬師堂川)・・菊の司酒造・井筒屋跡・・・長坂・・菊池数馬の墓・・・境塚・・(柴波町)・・・犬淵交差点・国道4号・・・鎌倉古道跡・・・国道4号・・・滝名川橋・・善知鳥坂・善知鳥館跡・・・蔭沼一里塚跡(134)あたり・・・山吹橋(山吹川)・・・五郎沼・・薬師神社・・樋爪館跡・・・国道4号・・・(東北新幹線)・・・覚王寺・・旧道・・・志賀理和気神社・・紫波運動公園・・郡山河岸(北上川)・・・日詰郡山宿・・平井邸・・明治天皇旧蹟碑(ふれあい公園)・・来迎寺・・・国道4号・・勝源院・・・城山入口交差点・二日町一里塚跡(135)・御幸新道・・・(高水寺城跡)・・・日詰長岡通代官所役屋(御仮屋)跡あたり・・・高水寺・走湯神社・・・本宮神社・・・国道4号・旧道・・・蟠龍寺・・・横澤酒造店・・・五内川橋(五内川)・・・国道4号・・・稲荷神社・・・国道4号・・三枚橋(岩崎川)・(矢巾町)・・・間野々一里塚跡(136)・・・徳田神社・徳丹城跡・・・高田藤沢稲荷神社・・・見前橋(見前川)・(盛岡市)・・・今宮神社・見前一里塚跡あたり(137)・・・大国神社・・・いたこ塚・・・川久保一里塚跡(138)・稲荷街道追分・県道16号・・・小鷹刑場跡・・・仙北町駅口交差点・・・仙北町駅(東北本線)
【ル-ト地図】
石鳥谷宿から長坂を上り、坂上の境塚から紫波町に入る。鎌倉古道跡に寄り、滝名川橋を渡って善知鳥坂を上り、五郎沼へ下る。期待した古代の蓮の花は咲いていなかった。
志賀理和気神社境内から北上川の郡山河岸跡に出て一休み。街道に戻り、日詰郡山宿を通って行く。
二日町一里塚跡から御幸新道に入り、高水寺城跡を眺めながら、高水寺・走湯神社へと進んだ。三枚橋を渡れば矢巾町で国道4号を行く。間野々一里塚跡、徳丹城跡を過ぎ、見前橋を渡ってやっと盛岡市に入った。
今日も暑い日でバテ気味で午後は何度も休みながらの道中となった。明日は盛岡城下へ入って散策し、今回の奥州街道歩きの打ち止めとする。
写真をクリックすると拡大します。
宮澤賢治はここから斜め向いの好地一里塚を見ていたのだろう。『三月』という詩に「一里塚」が出てくる。
好地一里塚跡(133) 《地図》
「・・・・一里塚一里塚 塚の下からこどもがひとりおりてくる つゞいてひとりまたかけおりる
町はひっそり 火の見櫓が白いペンキで、 泣きだしさうなそらに立ち 風がにはかに吹いてきて 店のガラスをがたがた鳴らす」
今は左に説明板があるだけで、賢治の詩の子どもたちが下りて来た塚も「並木の松」もない。「町はひっそり」は当時と同じだが。
石鳥谷は「南部杜氏の里」
正面向うの煙突は菊の司酒造七福神工場だが、平成23年9月に盛岡の本社に統合された。道の駅石鳥谷内に 「南部杜氏伝承館」もある。
「七福神」は菊の司酒造に引き継がれた。
左に菊池数馬の墓。菊池家はもとは肥後熊本の菊池氏の一族という。
境塚 《地図》
好地村と犬渕村の境だった。今は花巻市と紫波町の境。
犬淵交差点で国道4号に出て次の信号の所を左折し、鎌倉街道跡へ寄る。
鎌倉街道跡へ左折する。 《地図》
奥州街道古道は四日町三交差点→光林寺前→旧好地一里塚跡からここへ通じていた。
北へ向う。《地図》
東根山(928m・正面)・南昌山(右の尖った山)
坂の両側は善知鳥館跡で、坂上から五郎沼へと下って行く。安倍氏かそれに連なる有力者の居館か柵だったとも。
各地にある善知鳥坂については、『白河市の坂』の善知鳥坂跡の所に記載。『うとう坂表』
五郎沼へ下る途中の蔭沼地区で「塚」という屋号の家があるそうだ。
山吹色に輝く砂金の「黄金伝説」
奥州藤原氏の初代清衡の孫、樋爪太郎俊衡、五郎季衡兄弟の館が近くにあり、五郎が幼い頃よく沼で遊んでいたことからその名がつけられたといわれている。池の北側あたりに、若い娘の人柱伝説の「夜泣き石」があるようだが見逃した。
藤原泰衡の首桶に手向けられた五郎沼の蓮の種から800年を経て五郎沼に里帰りして花咲いたというロマン。
泰衡の首桶に蓮の種を入れたのは藤原太郎俊衝としている。参考:『五郎沼と樋爪館』(紫波町観光交流案内)
もとは薬師堂だが、神仏分離で神社になってしまった。このあたり一帯が樋爪館跡。近くに元亨3年(1323)の銘の不動明王絵像碑があるはずだが分からず。
南面の桜(志賀理和気神社) 《地図》
これも「古代ロマンの桜」だ。結末はハッピーエンドだったのだろうか? まあ相手の藤原某は都の女たらしの貴族だろうから、相場は決まっているか。
最北の延喜式内社。通称の「赤石神社」・「赤石さん」は紫波の地名の由来となったという霊石の「赤石」から。「シカリ」は①アイヌ語で、「蛇行する流れ」(北上川のことか)。北海道には石狩(いしかり)川がある。②マタギの統率者の「シカリ」からとも。
「小舟渡」と呼ばれた小さな入江(階段の所)で一休みしたが、陽射しが強く風もなく早々退散。
涼しそうだねえ。今日は日曜で河川敷の紫波運動公園も賑わっていた。
街道に戻り日詰郡山宿に入る。
原敬も訪れた豪商の平六商店(現菊の司酒造)の邸宅。平井家は江戸初期から藩米を預かる御蔵宿で、倉庫運送業、宿屋などを営んでいた。
町の中心部だが、静かでひっそり人影もない。時が止まったようだ。
継立業務は二日町、日詰町、下町が10日ずつ分担した。本陣は日詰町の桜屋と井筒屋、上町(二日町)では御仮屋(代官所)が利用された。
手を合わせると主題曲が流れ、町の説明が始まる。銭形平次といえばやっぱり大川橋蔵だろうよ。作者の野村胡堂は紫波町の生まれ。すぐ先の銭形平次会館は閉まっていた。
説明板の美濃屋(畿久屋)金子家だろう。
来迎寺に突き当たり左折して行く。
途中で会った近所の人に、国道沿いの「シライシパンアウトレットショップ日詰店」でパンを買って昼食にしたらいいと勧められた。買わなかったが美味くて安いのか、車で買いに来る人が多くいた。
勝源院 《地図》
逆かしわを探してウロウロ、墓参りに来た人に聞いてやっと分かった。
かなりの迫力だ。前九年の役の後に源頼義・義家父子が植えたという伝説もあるそうだが、樹齢約300年ではちょっと無理な話だ。
渡った左の民家の敷地内に二日町一里塚跡の標柱がある。
交差点を右折し「御幸新道」に入る。
高水寺(こうすいじ)城跡(城山公園)の西側を進む。
この先あたりが日詰長岡通代官所役屋(御仮屋)跡で、本陣としても利用された。宿の中心部からはかなり離れている。
源頼朝が高水寺の鎮守のために、伊豆の足湯権現を勧請したと伝える。
ここで地元の人とリュックを背負って、立ったまま長話をしてしまい、後でその疲れが出た。
源義家が前九年の役の戦勝を祈願し、奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝が戦勝を感謝し、走湯権現に奉納の上矢の鏑を2つを射立てたという槻の2代目とか。
ここのケヤキも見事だ。
蟠龍(ばんりゅう)寺(右)
本尊は鑑真→孝謙天皇→藤原仲麻呂へ渡ったという千枚苞巻観音像(當国七番観音)。一寸八分の秘仏だそうだが・・・・。
「月の輪」の由来は前九年の役の際の池、その後の藤原秀衡の修造の「月の輪形」によるそうだ。
五内川橋(五内川)を渡って国道4号に出る。
塚も松並木の跡形もなく、殺風景な車道となってしまった。すぐ先に「東京まで522km」の標識が立つ。
三枚橋(岩崎川)を渡って矢巾町に入る。
徳丹城跡 【ル-ト地図】の104
北にあった志波城(盛岡市)を、水害を理由に弘仁2年(811)、文室綿麻呂の建議により南10kmのこの地に移転・造営したが、9世紀半ばには廃絶された古代律令国家の城柵跡。
アイヌ語の「ト・コタン」(集落・部落)に由来する名という。『コタンの口笛』というのがあった。古いねえ俺も。国道を挟んで「矢巾町歴史民俗資料館」があるがパスした。
元々の地主神は熊野神で、前九年の役の際に源頼義が熊野社を勧請したという。
広い境内の大きな稲荷社だが、国道を横切るのが面倒でここから遥拝のみではご利益は薄いか。
見前橋(見前川)を渡れば盛岡市だ。
今日も暑く、強い日差しでバテてきた。並木の小さな日陰でもありがたい。
今宮神社・見前一里塚跡あたり(137) 《地図》
社殿に座り込んで30分ほどの大休止。
大国(だいこく)神社(左) 《地図》
津軽町の遊郭の遊女や楼主が奉納した献額(絵馬)は見当たらず。むろんこのあたりが遊郭街だったことを感じさせる建物なども皆無。
遊郭街を偲ぶ唯一のものか。囲いの中は百万遍供養塔(昭和8年)などの石塔で塚跡もないが。
吉田松陰の『東北遊日記』には、「過津志田村・・・・廃良田新起妓楼数十家・・・・」で、松蔭は通過しただけで遊郭で遊ばなかったようだ。松陰が旅した嘉永4年(1851)にはまだ塚も新しく、見たかも。
川久保一里塚跡(138)・稲荷街道追分 《地図》
斜め左、南西方向に稲荷街道が分岐する。
稲荷街道(右)
志和稲荷神社《地図》方向で、松陰の『東北遊日記』には、「川久保 塚根ニ茶屋一軒アリ・・・・コノ茶店ノ脇ニ道アリ 是ヲ志和街道ト云 志和稲荷ヘ参詣ノ道也 茶屋ノ側ニ稲荷ノ鳥居アリ」で、一里塚には触れていない。今は鳥居も茶店も一里塚もない。
「殺生場とも通称された。左に天保7年(1836)の供養塔。この先に足軽同心屋敷が並び、枡形があったとそうだ。
仙北町は江戸初期に、2代藩主南部利直が奥州街道の南口に出羽国仙北郡の出身者を住まわせたことに由来するという。紫波郡の穀倉地帯に近く、米の集散や農民相手の商工業によって発展した。
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