« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年8月31日 (土)

鎌倉街道(中の道②)

2013年8月26日

下永谷駅(横浜市営地下鉄)・・・下永谷市民の森・・・上柏尾歩道橋(国道1号)・・・跨線橋(東海道線)・・・嶽下橋(平戸永谷川)・・秋葉三叉路・・・川上小学校・・・名瀬橋(横浜新道)・・・徳翁寺・・・戸塚カントリー倶楽部迂回・・・柳橋(川上川)・・・合掌の里・・・(旭区)・・・都塚・道標「鎌倉道」・・・こども自然公園・・・(保土ヶ谷バイパス)・・・(東海道新幹線)・・・相模鉄道踏切・・・鎧の渡し緑道・・鎧の渡し標柱・首洗い井戸標柱(旭区役所)・・・首塚・・・鶴ヶ峰交差点(八王子街道)・・・白根交差点・・鶴ヶ峰坂下・白根通り・・・代官前バス停・・斎藤橋・びんだら池跡・・代官橋・・・正円寺・・白根小入口交差点・・白根郵便局・・・旭台中央公園・・・(緑区)・・・池ノ谷公園・・・寺山町交差点(中原街道)・・・長泉寺・・・中山第二踏切(JR横浜線)・・・中山駅(JR横浜線)

  【ル-ト地図】(16.9km)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4562芙蓉苑の裏から旧道が復活する。 《地図

戸塚区と港南区の境の尾根道を通って行く。

Img_4566未舗装の林間の道となる。

Img_4569道らしくない道を進む。私道だろうか?

Img_4575一般道となって下って行く。

横浜市は起伏、坂が多い。

Img_4578下永谷市民の森沿いを行く。 【ル-ト地図】の①

少し先に「五山見亭」があるが、今は山一つの見晴らしもない。

Img_4584一般道に出て、また未舗装の道に入る。

Img_4585あまり通られていない道だ。

Img_4591柏尾郵便局前 《地図

右は五輪塔の一部か。

この先で国道1号(東海道)に出て右折し、上柏尾歩道橋で国道1号を渡り、跨線橋で東海道線を越えて行く。

Img_4597嶽下橋(平戸永谷川)から

秋葉三叉路の先で右に入り、川上小学校前を通り、名瀬橋(横浜新道)を渡り北上する。

Img_4609徳翁寺山門 《地図

この先、鎌倉街道は戸塚カントリー倶楽部内となり、右に迂回する。

Img_4620横浜カントリークラブ(右))・戸塚カントリー倶楽部(左)の間を行く。 《地図

この先で大きく左(西)にカーブし、旭区に入ったクラブハウスあたりで旧道が復活する。

Img_4630都塚 【ル-ト地図】の②

標柱には、「武蔵の国と、相模の国の国境 鎌倉の都が一望できた。」

正面に小さな道標が立つ。左に上ると地蔵堂がある。そこからの眺望はきかない。

Img_4632道標

「南 鎌倉道」・「西 武相堺」・「北 二俣川村」・「○○本宿青年○」

戸塚区は「相模国鎌倉郡」、旭区は「武蔵国都筑郡」で「武相堺」だ。

Img_4627地蔵堂(都塚上)

Img_4636こども自然公園内を進む。 《地図

このあたりは「二俣川・鶴ヶ峰の戦」で畠山重忠軍が1万騎以上の北条軍と激戦を繰り広げた「万騎が原」(まきがはら)の地。

保土ヶ谷バイパス→東海道新幹線→相模鉄道踏切を越え、鶴ヶ峰地区に入る。

Img_4644鎧の渡し緑道(旧帷子川) 《地図

正面左は旭区総合庁舎

Img_4646「鎧の渡し」・「首洗い井戸」標柱 【ル-ト地図】の③

鎌倉街道が帷子(かたびら)川を渡る所で、以前は川幅が広く、武士は頭に鎧をのせて渡ったという。帷子川の流れは変えられて「鎧の渡し緑道」になった。

Img_4647説明板

Img_4651(畠山重忠)首塚

Img_4649説明板

その他、駕籠塚など畠山重忠ゆかりの所は、『浜街道(絹の道)②』に記載。

Img_4652鶴ヶ峰坂下 【ル-ト地図】の④

【坂標】には、「長さ二町(218m)の急坂で旧八王子街道の難所であった。馬の蹄鉄を造った鍛冶屋が坂の両側にあった。」
鎌倉街道中の道と上の道を結ぶ支道(連絡道)だったのだろう。『旭区の坂①

Img_4655斎藤橋・びんだら池(鬢手洗池)跡 【ル-ト地図】の⑤

斎藤家は室町時代以前からこの地に居住し、江戸時代には代官・名主を勤めた。この手前の「代官前」バス停、この先の「代官橋」にその名が残る。

源頼朝が奥州に向かう途中、池の水で(びん)をなでつけたという。この池の水を子供の頭に注ぐとシラクモなどが出ないといわれたそうだ。

白根郵便局の先を右折し上って行く。

Img_4659静かな旧道の坂だが、そろそろ暑さでバテてきた。《地図

この先で旭台中央公園を横切って行く。

Img_4663高台の道となり、緑区に入る。

Img_4666池ノ谷公園(前方左)の所で左に進み、中原街道へと下り、寺山町交差点を横切って行く。 《地図

旧道は長泉寺の西側を進む。

Img_4674中山第二踏切(JR横浜線) 《地図

今日はここまでとし、左に中山駅に向った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月21日 (水)

鎌倉街道(中の道①)

2013年8月2日

鎌倉駅(JR横須賀線)・・・若宮大路(二の鳥居・・段葛・・三の鳥居)・・鶴岡八幡宮・・流鏑馬馬場(鎌倉街道起点)・・西鳥居・・・巨福呂坂入口・・・巨福呂坂洞門・・・円応寺・・・建長寺・・・亀ヶ谷坂上り口・長寿寺・・・第三鎌倉道踏切(横須賀線)・・・浄智寺・・・東慶寺・・・北鎌倉駅前・・・十王堂橋(西瓜川)・・・水堰橋(小袋谷川)・観音道標・・・第一鎌倉道踏切・・成福寺・・・離山富士見地蔵・・・(はなれ山通り)・・・砂押川・・・山蒼稲荷神社・・・(横浜市栄区)・・(青木神社)・・・笠間の庚申塔・・・法安寺・・・今泉村不動道標・・・笠間交差点・・・新橋(いたち川橋)・道標・延命地蔵・・・稲荷社・・・JR根岸線ガード・・・本郷台小学校・・本郷台地区・・小菅ヶ谷小学校・・行止り迂回・・見晴橋(環状3号道路)・・すりこばち坂・・・舞岡南の橋・・庚申塔道標・・・舞岡公園・・・日限地蔵尊(福徳院)・・・下永谷駅(横浜市営地下鉄)

  【ル-ト地図】(16.2km)

 東京都区内の鎌倉街道「中の道」を歩いたので、鎌倉からも歩かねばなるまい。
 「中の道」は、鶴岡八幡宮→巨福呂坂→水堰橋→日限山→鶴峰→荏田と進み、荏田からは大山街道の道筋と重なり→二子で多摩川を渡って行く。

 「鎌倉街道推定ルート」は『中世を歩く』(北倉庄一著)の13頁

 写真をクリックすると拡大します。

Img_4163段葛(若宮大路)

ここを歩いている人は少ない。

Img_4166三の鳥居をくぐって鶴岡八幡宮境内に入る。

世界遺産にはならなかったが、平日で暑い中をこの人出だ。

Img_4198流鏑馬馬場 【ル-ト地図】の①

ここを鎌倉街道の起点とし、「中の道」は西鳥居をくぐって巨福呂坂へ、「上の道」は化粧坂へと向かい、「下の道」は東鳥居から朝比奈切通しへと進む。

この先、巨福呂坂入口~亀ヶ谷坂の上り口までは『鎌倉市の坂⑤』に記載。

Img_4216長寿寺山門 《地図

Img_4215説明板

Img_4221北鎌倉駅前(鎌倉方向)

ここまでは観光客が多いが、この先はいない。

この先で鎌倉十橋の十王堂橋を渡る。

Img_4223小坂郵便局

さすが鎌倉、瀟洒な造りだ。この先で手に持っているはずの地図がないのに気づきパニック寸前?急ぎ引き返し道端に落ちているのを発見。汗を拭く時に落としたのかも。ほっと一件落着してまた大汗だった。

Img_4229水堰(すいせき)橋(小袋谷川) 【ル-ト地図】の②

「中の道」は橋の手前を右に入って行く。「上の道」のルートの一つは橋を渡って行く。
①電柱の右に「せゐ志くばし」標柱。鎌倉へ入る武士たちは、ここで勢揃いし身支度を整えたという。「せいぞろい」→「せいしく」→「すいせき」だとか。ちょっとこじつけの感があるが、まあいいだろう。
②右の金網内に観音道標

Img_4226観音道標(享保12年(1727))

観音像の下に、「右とつか 左藤さわ 道」と刻むというが、判読できず。

 第一鎌倉道踏切を渡る。

Img_4235成福寺山門 《地図

Img_4237少しくねった道が旧道らしいか。

Img_4242離山富士見地蔵 【ル-ト地図】の③

往時は南から北へ、地蔵山・長山・腰山という3つの山があったというが切り崩され、昭和58年に地蔵山のこの地蔵はここへ移された。

文明18年(1486)に、東国を巡った道輿准后は、「はなれ山といへる山あり。誠に続きなる尾上もみえ侍らねば、”朝まだき 旅立つ里の をちかたに 其の名もしるき はなれ山かな”」と詠んだ。廻国雑記

Img_4239「旧鎌倉街道中ノ道」と刻まれている。

Img_4240説明書

「地蔵は目のお医者」という話は、「蜂に目を刺されて痛がるカラスを、この地蔵が経を唱えて直した。それを見ていた狐が「離山の地蔵は目のお医者」と、言いふらし回った」という云い伝えからとか。

砂押川を渡り、横浜市栄区に入る。

Img_4253青木神社地図

笠間の鎮守。急な石段坂が手招いているが、ここから遥拝で失礼する。

Img_4256笠間の庚申塔

左から古い順に並んでいる。この左に地蔵坐像(年代不詳)がある。

Img_4255説明板

Img_4265今泉村不動(宝永7年(1710)) 《地図

今泉4丁目の称名寺は「今泉不動」。

この先の左側の笠間中央公園で、縄文時代から平安時代にかけての住居跡など多数の遺構が発掘された。

笠間交差点を横切り、新橋(にいばし)を渡る。

Img_4272新橋(いたち川)

あの兼好法師も、「かにわが ちにしひより りのきて ぜだにねやを らはざるらん」(私が旅に出てからだいぶ日が経ったけれど、私の寝室にもさぞかしほこりが積もっているだろうな。風が吹き払ってくれることもないだろうし) と詠んだ歌枕とは知らず、川の流れを撮らなかった。

橋の表示板には動物の「いたち」が描かれているが、「出立川」(いでたちがわ)が訛ったという。川岸には宿駅があり、鎌倉公方が武蔵国へ赴く時はここで昼食をとることが慣例になっていたそうだ。

新橋の向うに道標と延命地蔵の小祠がある。《地図

Img_4274道標(元禄4年(1691)?)

「従是とつ加道」・「従是ぐミやうじ道」で、 北へ直進して戸塚へ向かう広い道は、江戸時代に拡幅整備された道で、「浦賀道」の戸塚道。
「中の道」は北東に分かれる細い「ぐミやうじ道」で、この先の日限山で「中の道」から分かれ、餅井坂を越えて弘明寺へと続き、「下の道」と合流する鎌倉街道の連絡道。

Img_4275延命地蔵

Img_4277稲荷社

馬頭観音・地蔵・庚申塔が並ぶ。

この先でJR根岸線ガートをくぐる。

Img_4282長屋門の旧家

Img_4287起伏のある本郷台の住宅街を抜けて行く。

Img_4288小菅ヶ谷小学校(右)に沿って上る。

Img_4291行止りとなる。《地図

下は環状3号道路で、右へ見晴橋へ迂回する。旧道はここを下って、向う側の送電線の所へ上り返していたのだろう。それが形状から「すりこばち(摺小鉢)坂」では。道輿准后はここでも、「すりこばち坂といへる所にて、また俳緒歌をよみて人に見せ侍りける。”ひだるさに宿急ぐとや思ふらむ 路より名のる すりこばち坂”」と詠んでいる。『廻国雑記』

Img_4294見晴橋から環状3号

Img_4297すりこばち坂を上る。 【ル-ト地図】の④

この道は戸塚区(左)と栄区の境で、この先の舞岡公園で戸塚区と港南区の境の道となる。

Img_4298坂上方向

Img_4304坂上から南東方向

Img_4309舞岡南の橋

この橋は新しく、下の広い車道も新しいようで手持ちの地図には載っていなかった。ここを渡らずに古そうな道を下って行ったら明治学院大学へ出てしまって引き返す。【ル-ト地図】にも歩いた道筋を記載した。
渡った先の左側に庚申塔供養塔道標が移設されている。

Img_4318庚申供養塔道標(元文2年(1737)) 【ル-ト地図】の⑤

左側面に「これよりかまくらミち」・右側面に「これよりぐめうじミち」。下の道→弘明寺→餅井坂→日限山・中の道→ここ→新橋→水堰橋→鎌倉のルート。

Img_4315説明板

Img_4319舞岡公園を抜けて行く。

Img_4329日限地蔵尊(福徳院)

毎月「四」のつく日が縁日で、この日に願を掛けると必ず叶うそうだ。『日限地蔵』(港南区の民話)
ここは港南区で旧道は、ここの南側の戸塚区との境を進む。

Img_4327旧道

右が日限地蔵の敷地。

Img_4330この先で道は途切れる。《地図

右に下って下永谷駅交差点の広い車道を横切って行く。芙蓉園の西側で旧道が復活している。それを確認して今日は打ち止めとし、まだ時間は早いが下永谷駅に向かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月14日 (水)

東京坂道散歩(鎌倉街道 中の道③)

2013年8月9日

赤羽駅(JR京浜東北線)・・・宝憧院前(日光御成道合流地点)・道標・・・JR線ガード・・師団坂下・・うつり坂・・坂本庚申塔・・・善徳寺・大恩寺・富士見坂・・(板橋区)・・・(国道17号)・・・長徳寺・長徳寺坂・・・(首都高5号)・・・(富士見街道)・・・双葉町交差点(環七通り)・・・山中橋(石神井川)・・・東武東上線踏切・・・専称院・・・轡神社・・・海老山坂下・(旧川越街道)・日大病院入口交差点(川越街道)・・・地蔵坂上・・大谷口給水所・・・(豊島区)・・・要町3交差点・・・千川上水跡・・・西武池袋線踏切・・・籾山牧場跡・・・南長崎6交差点(目白通り)・(中野区)・・・中野通り・・・水の塔公園・・・(新青梅街道)・・・葛谷御霊神社・・哲学堂公園・・・四村橋(妙正寺川)・・・西武新宿線踏切・・・功運寺・・・(早稲田通り)・・・北野神社・・・(JR中央線)・・・紅葉山公園・・・紅葉山公園下交差点(大久保通り)・・・三味線橋(桃園川緑道)・・・鍋屋横丁交差点(青梅街道)・・・十貫坂上交差点(中野通り)・・(杉並区)・十貫坂・・十貫坂地蔵堂・・・和田見橋(神田川)・(中野区)・・・本郷堰跡宝福寺・・多田神社・・・一本松の庚申塚・・・(渋谷区)・・十号坂・・・(甲州街道)・・・笹塚駅(京王線)・・・笹塚橋(玉川上水)・・(世田谷区)・・・大原一西交差点(井ノ頭通り)・・・羽根木交差点(環七通り)・・・羽根木神社参道・・・子育地蔵尊・・・東松原駅(井の頭線)・・・(赤堤通り)・・・(北沢川緑道)・・・梅ヶ丘駅(小田急線)・・・豪徳寺・・・世田谷城址公園・・・(烏山川緑道)・・・上町駅(東急世田谷線)・・・(世田谷通り)・・・ボロ市通り・大山街道合流地点・・・世田谷代官屋敷跡・・・上町駅

  【ル-ト地図】(22.7km)

 紅葉橋(石神井川)の先で日光御成道に合流した鎌倉街道の東回りの「中の道」は、赤羽の宝憧院前で西回りの「中の道」に合流する。今回はここから二子多摩川へ向け、西回りの「中の道」を進み、世田谷代官屋敷跡そばの大山街道の合流地点まで歩く。
  北区→板橋区→豊島区→中野区→杉並区→中野区→渋谷区→世田谷区と進む。

 猛暑の中、2日かけて歩くつもりでいたが、ほとんどが知っている道筋なので、赤羽駅を6時半過ぎに出発したら12時頃には大山街道との合流地点に着くことができた。昼近くになるとさすがに暑さが増し、帰りの電車の冷房が何よりだった。
 

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4336宝憧院前 《地図

門前の道標(元文5年(1740))の「西 西国冨士道 板橋道」に従い左折して板橋道に入る。 右折して行けば岩淵宿から荒川の「川口の渡し跡」(岩淵渡船場跡)と続く。『日光御成道』(岩淵宿→大門宿)

JR線ガードをくぐり、うつり坂を上る。

Img_4346うつり坂  【ル-ト地図】の①

板橋道で、坂の途中の左側に坂本庚申塔の小祠がある。

善徳寺の前から富士見坂を下る。

Img_4359富士見坂を下る。《地図

今は傾斜も緩く、富士も見えない。途中で左に入り板橋区となる。

Img_4365長徳寺坂を下る。《地図

右が長徳寺

首都高5号をくぐり、富士見街道→環七通りを横切って行く。

Img_4383山中橋から石神井川

この橋が本来の「板橋」ともいう。少し霞んでいる。光化学スモッグのせいか?

東武東上線を渡って行く。

Img_4388轡(くつわ)神社  《地図

鎌倉街道沿いで、源義経、徳川家康の由来話がある神社。

日大病院入口交差点で川越街道を横切る。

Img_4396大谷口給水所 《地図

(旧)大谷口配水塔から生まれ変わった新しい配水塔。

この先を斜め左に入り、板橋高校の先で豊島区に入る。要町交差点を渡り、再び斜め左に進む。

Img_4410千川上水跡を通る。 【ル-ト地図】の②

すぐ先は千川親水公園になっている。きれいな公園ではないが。

Img_4413説明板

Img_4416昭和30年頃の写真

懐かしい風情があるねえ。

Img_4419籾山牧場跡の説明板

西武池袋線を渡った先の、南長崎6-9-8の「ベルデ南長崎」の所。《地図

こんな所に牧場があったとは驚いたが、千川上水の写真(上)よりずっと以前の大正初期というから、牧場風景も想像できるか。

Img_4425水の塔公園  《地図

昭和41年まで使われていた旧野方配水塔で、空襲の弾痕が残っている。

Img_4430哲学堂公園(右)

園内には「経験坂」がある。このあたりは「中野区の坂②」で歩いている。

公園の西側一帯は江古田古戦場跡

Img_4427葛谷(くずのや)御霊神社地図

「前九年の役」の際の源義家らの伝承がある神社。奥州街道では「前九年の役」によく出会った。

Img_4431四村橋で妙正寺川を渡る。

新宿区と中野区の境の何の風情・変哲もない橋と川だが、昔は武蔵国豊島郡と多摩郡の境で、橋の東西、川の上・下流で4つの村を分かっていたのだろうか。

Img_4436西武新宿線踏切

電柱脇に庚申塔。

吉良家の墓所の功運寺へ寄る。

Img_4441万昌院功運寺 《地図

早稲田通りを横切り、JR中央線ガードをくぐって行く。

Img_4448紅葉山公園 (右)

Img_4452三味線橋で桃園川緑道を横切る。

Img_4457鍋屋横丁交差点 《地図

青梅街道との交差点。鍋や釜を売る店が並んでいたのではなく、「鍋屋」という茶店からこの名がついた。

Img_4458由来碑

十貫坂上交差点(中野通り)から十貫坂を下る。

Img_4463十貫坂 【ル-ト地図】の③

十貫坂の由来については諸説ある。「中野区の坂①」 右は十貫坂地蔵堂。

 いったん杉並区に入る。

Img_4466和田見橋(神田川) 《地図

近くに和田義盛の館があったともいう。

橋を渡れば再び中野区になる。

Img_4468本郷堰跡 《地図

神田川から取水した農業用水路の堰があったのだろう。

Img_4473万年マス

地下鉄東西線の建設現場から発掘された、江戸初期の神田上水用の溜マスで、石造りは少ないそうだ。(本郷堰のものではない)

Img_4476多田神社

源義家が多田源氏の祖の源満仲を祀ったのが始めという。雑色(村)の鎮守。

Img_4477説明板

Img_4480一本松の庚申塚 《地図

松は2代目か? 松の右に庚申塔の小堂がある。

Img_4482説明板

 渋谷区笹塚に入る。

Img_4485十号坂を下る。 【ル-ト地図】の④

玉川上水新水路に新宿中央公園あたりから架けられた十番目の橋で「十号橋」という名だった。その番号が通りの名称の「十号通り」となり、坂名にもなった。『笹塚十号坂商店街
橋はなくなったが坂と商店街にその名が残った。

Img_4488頭上のアーチ

Img_4489上りとなって甲州街道へと続く。

甲州街道を渡り、京王線をくぐり、観音通商店街を抜ける。笹塚観音がどこにあるのか気がつかなかった。

Img_4499玉川上水(笹塚橋から)

橋を渡れば世田谷区に入る。井ノ頭通り→環七通りを横切って行く。

Img_4510子育地蔵 《地図

Img_4509由来

「・・・一里塚のそばに・・・」とある。ここに一里塚があったのだろうか?

東松原駅(井の頭線)の踏切を渡って行く。

Img_4517北沢川緑道を横切る。 《地図

ここは光明橋跡

梅ヶ丘駅(小田急線)の踏切を渡る。

Img_4520新しそうな道だ。最近、拡幅整備されたのか?

Img_4532豪徳寺山門

Img_4529三重塔

2005年に訪れた時にはまだ竣工していなかった。

Img_4533参道は少し涼しく感じる。

Goutokuji「江戸名所図会」の豪徳寺

Img_4541世田谷城址公園 《地図

吉良氏が築いた平山城。

Img_4539説明板

Img_4544烏山川緑道を横切る。

上町駅(東急世田谷線)を通り過ぎる。

Img_4546大山街道合流地点 《地図

もとは鎌倉街道は上町駅あたりから桜小学校を突っ切っていたのだろう。ここを右折して行けば二子で多摩川を渡り、溝口→荏田へと「中の道」は『大山街道』と重なって進む。
左折して世田谷代官屋敷跡を終点とした。

Img_4547世田谷代官屋敷跡 【ル-ト地図】の⑤

Img_4549説明板

Img_4551代官屋敷主屋(大場家)

Img_4556白洲跡

代官所の取り調べ、裁きの場の「お白洲」もちゃんとある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 5日 (月)

東京坂道散歩(鎌倉街道 中の道②)

2013年7月26日

千駄ヶ谷駅(JR総武線)・・・(新宿区)・・新宿御苑(千駄ヶ谷門~新宿門)・・(甲州街道)・・太宗寺・・・瓶割坂上(靖国通り)・・・西向天神社・大聖院(山吹坂・不動坂)・・・抜弁天(厳島神社)・弁天坂上久左衛門坂上・・・(大久保通り)・・・箱根山・・戸山公園・・箱根山通り・・・放生寺・・穴八幡神社・・・八幡坂(早稲田通り)・・グランド坂上・・・水稲荷神社・・甘泉園公園・・・面影橋駅(都電荒川線)・・面影橋(神田川)・・(豊島区)・・山吹の里碑・・・氷川神社・・南蔵院・・・宿坂・・金乗院(目白不動)・・・(目白通り)・・・鬼子母神前駅(都電荒川線)・・・鬼子母神堂・・・法明寺・・・威光稲荷神社・・・本立寺・・・東池袋交差点・・・サンシャインシティ・・東池袋中央公園・・・子育地蔵・・・宮仲橋(JR跨線橋)・・・明治通り・・・千川上水分配堰碑・・旧中山道(堀割交差点)・・・西巣鴨交差点(国道17号)・・(北区)・・八幡通り商店街・・・御代台の坂下・・・滝野川八幡神社・狐塚の坂下・・・四本木稲荷神社・・・金剛寺(源頼朝布陣伝承地・松橋あたり)・・紅葉橋(石神井川)・・・日光御成道合流地点・・・東十条駅(京浜東北線) 

  【ル-ト地図】 (14.0km)

 新宿御苑を突っ切り、甲州街道を渡り北に向かう。西向天神、抜弁天から箱根山に上り、面影橋へと下った。
 豊島区に入り、目白不動の金乗院沿いの急な宿坂を上り、鬼子母神から池袋のビル街の雑踏を抜け、宮仲橋を渡って明治通りに出て北東に進む。
 旧中山道を横切り、国道17号を渡って北区に入り、「鎌倉」の伝承が残る松橋あたりを過ぎて日光御成道に合流した。岩淵宿の先の荒川土手まで行くつもりだったが、蒸し暑さでバテ気味で東十条駅までとした。

 *この先は『日光御成道(本郷追分→岩淵宿)』へ続く。

 *坂の詳細は『東京23区』(坂道散歩)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3993御涼亭(台湾閣・新宿御苑内) 《地図

Img_3994説明板

Img_3995庭園

御苑を抜け甲州街道を渡り北へ、太宗寺~瓶割坂上(靖国通り)~西向天神社・大聖院(山吹坂・不動坂)~抜弁天へと進む。

Img_4027抜弁天(厳嶋神社) 【ル-ト地図】の①

鎌倉街道沿いで源義家のゆかりの地。

Img_4023説明板

大久保通りを越え箱根山に向かう。

Img_4033箱根山(44.6m) 【ル-ト地図】の②

山と呼ぶのは恥ずかしいか。このあたりは源頼朝の御家人の和田義盛の領地だった。
箱根山の地面の下には陸軍戸山学校時代の銃弾が多数埋まっているそうだ。戦時中、細菌戦の人体実験を行っていたとされる731部隊との関連が噂され、都内有数の心霊スポットとか。

Img_4035説明板

Img_4037山頂から新宿高層ビルの眺め

冬には池袋のサンシャインビルが望めるそうだ。

箱根山通りを下り、穴八幡に寄り八幡坂を上って西早稲田交差点で右折して行く。

Img_4046堀部安兵衛之碑(水稲荷神社境内)

西早稲田交差点あたりが仇討で有名な「高田の馬場」跡。
落語『高田馬場

Img_4048水稲荷神社地図

小さな水神社と思っていたが、境内は広く社殿も立派だ。

Img_4054甘泉園公園

Img_4051池泉回遊式庭園

Img_4050説明板

Img_4056面影橋駅(都電荒川線)

Img_4062面影橋 【ル-ト地図】の③

「面影」・「俤」・「姿見」とはほど遠い何の風情もない橋だ。車の往来が少ないのが唯一の救いだ。

Img_4057説明板

鎌倉街道と推定される古い街道沿い」とある。

面影橋『於戸姫伝説』

Img_4061神田川(面影橋から)

Img_4060山吹の里碑 《地図

通って来た西向天神の山吹坂、大聖院の「紅皿の碑」も太田道灌の「山吹の里」にゆかりの地。『新宿区の坂⑤』に記載。

Img_4059説明板

Img_4065南蔵院

Img_4066説明板

怪談乳房榎

Img_4067説明板(高田村)

Img_4071南蔵院前

江戸時代には高札場、茶店などがある交通の要衝だった。道の曲がり具合も変わっていないそうだ。

Img_4073宿坂の上りとなる。【ル-ト地図】の④

「宿坂の関」があった鎌倉街道筋の急坂。

Img_4076説明板

Img_4074金乗院(目白不動)

丸橋忠弥の墓もある。

Img_4077説明板

Img_4080坂上方向

東側に稲荷坂、西側にのぞき坂と3本の急坂が並んでいる。

宿坂上で目白通りを横切り、鬼子母神へと進む。

Img_4084

鬼子母神大門ケヤキ並木に入る。《地図

Img_4085説明板

Img_4087巨木は老化が進んでいる。

Img_4088鬼子母神堂

ここは法明寺の飛地境内。右側に沿って行く。

Img_4091題目塔の左を進んだ。

Img_4092法明寺の境内を抜ける。

Img_4096細い道を進む。《地図

Img_4097威光稲荷堂

ここも法明寺の境内地。

Img_4101サンシャインビルに向かって進む。

左は本立寺

Img_4105高速道路のジャングルの下を抜ける。鎌倉街道はどこへやら。《地図

Img_4108子育地蔵 《地図

ここは帝京平成大池袋キャンパス。

Img_4110宮仲橋(JR跨線橋)を渡って、池袋の中心街からおさらばだ。 《地図

Img_4115やっとほっとする道になるが、すぐに明治通りに合流する。

Img_4119千川上水分配堰碑(堀割交差点の手前) 《地図

Img_4118説明板

西巣鴨交差点から八幡通り商店街へ入る。

Img_4124八幡通り商店街 《地図

非常に蒸し暑くバテてきた。滝野川八幡神社の先の突き当りを右折して行く。

Img_4132四本木(よもとぎ)稲荷神社地図

円墳の四本木稲荷古墳上。塚上には「頼朝旗立の榎」があったという。

このあたり一帯を松橋といい、弘法大師の伝説地、源頼朝の布陣伝承地という。

Img_4134弁天堂(金剛寺) 《地図

源頼朝は石神井川の松橋弁財天洞窟に祀られていた弘法大師作という弁財天に戦勝を祈願し、太刀を奉納し、金剛寺の寺域に弁天堂を建てたと伝える。

Photo「松橋弁財天窟 石神井川」(『江戸名所図会』)

Img_4133説明板(布陣伝承地)

頼朝が奥州藤原氏を征討に向かう時の布陣地と思っていたが、もっと以前のことだった。

Img_4141紅葉橋(石神井川)から金剛寺(紅葉寺)

陸上自衛隊十条駐屯地の東側を進み、日光御成道合流地点に出た。

Img_4146日光御成道合流地点 【ル-ト地図】の⑤

Img_4148この先は、「日光御成道」と重なって進み、地福寺(鎌倉街道の地蔵)・・・十条富士塚・・・(環七道路)・・・清水坂・・・真正寺坂下(庚申塔道標)・・・普門院・・・稲付一里塚跡・・・静勝寺の坂下・・・宝憧院前で二子からの西側の「中の道」のルートと合流し、荒川を渡って行く。

新荒川大橋まで歩くつもりだったが、蒸暑さにバテた。このあたりは何度も歩いているので十条富士塚の先を右折して東十条駅に向かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »