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2013年8月21日 (水)

鎌倉街道(中の道①)

2013年8月2日

鎌倉駅(JR横須賀線)・・・若宮大路(二の鳥居・・段葛・・三の鳥居)・・鶴岡八幡宮・・流鏑馬馬場(鎌倉街道起点)・・西鳥居・・・巨福呂坂入口・・・巨福呂坂洞門・・・円応寺・・・建長寺・・・亀ヶ谷坂上り口・長寿寺・・・第三鎌倉道踏切(横須賀線)・・・浄智寺・・・東慶寺・・・北鎌倉駅前・・・十王堂橋(西瓜川)・・・水堰橋(小袋谷川)・観音道標・・・第一鎌倉道踏切・・成福寺・・・離山富士見地蔵・・・(はなれ山通り)・・・砂押川・・・山蒼稲荷神社・・・(横浜市栄区)・・(青木神社)・・・笠間の庚申塔・・・法安寺・・・今泉村不動道標・・・笠間交差点・・・新橋(いたち川橋)・道標・延命地蔵・・・稲荷社・・・JR根岸線ガード・・・本郷台小学校・・本郷台地区・・小菅ヶ谷小学校・・行止り迂回・・見晴橋(環状3号道路)・・すりこばち坂・・・舞岡南の橋・・庚申塔道標・・・舞岡公園・・・日限地蔵尊(福徳院)・・・下永谷駅(横浜市営地下鉄)

  【ル-ト地図】(16.2km)

 東京都区内の鎌倉街道「中の道」を歩いたので、鎌倉からも歩かねばなるまい。
 「中の道」は、鶴岡八幡宮→巨福呂坂→水堰橋→日限山→鶴峰→荏田と進み、荏田からは大山街道の道筋と重なり→二子で多摩川を渡って行く。

 「鎌倉街道推定ルート」は『中世を歩く』(北倉庄一著)の13頁

 写真をクリックすると拡大します。

Img_4163段葛(若宮大路)

ここを歩いている人は少ない。

Img_4166三の鳥居をくぐって鶴岡八幡宮境内に入る。

世界遺産にはならなかったが、平日で暑い中をこの人出だ。

Img_4198流鏑馬馬場 【ル-ト地図】の①

ここを鎌倉街道の起点とし、「中の道」は西鳥居をくぐって巨福呂坂へ、「上の道」は化粧坂へと向かい、「下の道」は東鳥居から朝比奈切通しへと進む。

この先、巨福呂坂入口~亀ヶ谷坂の上り口までは『鎌倉市の坂⑤』に記載。

Img_4216長寿寺山門 《地図

Img_4215説明板

Img_4221北鎌倉駅前(鎌倉方向)

ここまでは観光客が多いが、この先はいない。

この先で鎌倉十橋の十王堂橋を渡る。

Img_4223小坂郵便局

さすが鎌倉、瀟洒な造りだ。この先で手に持っているはずの地図がないのに気づきパニック寸前?急ぎ引き返し道端に落ちているのを発見。汗を拭く時に落としたのかも。ほっと一件落着してまた大汗だった。

Img_4229水堰(すいせき)橋(小袋谷川) 【ル-ト地図】の②

「中の道」は橋の手前を右に入って行く。「上の道」のルートの一つは橋を渡って行く。
①電柱の右に「せゐ志くばし」標柱。鎌倉へ入る武士たちは、ここで勢揃いし身支度を整えたという。「せいぞろい」→「せいしく」→「すいせき」だとか。ちょっとこじつけの感があるが、まあいいだろう。
②右の金網内に観音道標

Img_4226観音道標(享保12年(1727))

観音像の下に、「右とつか 左藤さわ 道」と刻むというが、判読できず。

 第一鎌倉道踏切を渡る。

Img_4235成福寺山門 《地図

Img_4237少しくねった道が旧道らしいか。

Img_4242離山富士見地蔵 【ル-ト地図】の③

往時は南から北へ、地蔵山・長山・腰山という3つの山があったというが切り崩され、昭和58年に地蔵山のこの地蔵はここへ移された。

文明18年(1486)に、東国を巡った道輿准后は、「はなれ山といへる山あり。誠に続きなる尾上もみえ侍らねば、”朝まだき 旅立つ里の をちかたに 其の名もしるき はなれ山かな”」と詠んだ。廻国雑記

Img_4239「旧鎌倉街道中ノ道」と刻まれている。

Img_4240説明書

「地蔵は目のお医者」という話は、「蜂に目を刺されて痛がるカラスを、この地蔵が経を唱えて直した。それを見ていた狐が「離山の地蔵は目のお医者」と、言いふらし回った」という云い伝えからとか。

砂押川を渡り、横浜市栄区に入る。

Img_4253青木神社地図

笠間の鎮守。急な石段坂が手招いているが、ここから遥拝で失礼する。

Img_4256笠間の庚申塔

左から古い順に並んでいる。この左に地蔵坐像(年代不詳)がある。

Img_4255説明板

Img_4265今泉村不動(宝永7年(1710)) 《地図

今泉4丁目の称名寺は「今泉不動」。

この先の左側の笠間中央公園で、縄文時代から平安時代にかけての住居跡など多数の遺構が発掘された。

笠間交差点を横切り、新橋(にいばし)を渡る。

Img_4272新橋(いたち川)

あの兼好法師も、「かにわが ちにしひより りのきて ぜだにねやを らはざるらん」(私が旅に出てからだいぶ日が経ったけれど、私の寝室にもさぞかしほこりが積もっているだろうな。風が吹き払ってくれることもないだろうし) と詠んだ歌枕とは知らず、川の流れを撮らなかった。

橋の表示板には動物の「いたち」が描かれているが、「出立川」(いでたちがわ)が訛ったという。川岸には宿駅があり、鎌倉公方が武蔵国へ赴く時はここで昼食をとることが慣例になっていたそうだ。

新橋の向うに道標と延命地蔵の小祠がある。《地図

Img_4274道標(元禄4年(1691)?)

「従是とつ加道」・「従是ぐミやうじ道」で、 北へ直進して戸塚へ向かう広い道は、江戸時代に拡幅整備された道で、「浦賀道」の戸塚道。
「中の道」は北東に分かれる細い「ぐミやうじ道」で、この先の日限山で「中の道」から分かれ、餅井坂を越えて弘明寺へと続き、「下の道」と合流する鎌倉街道の連絡道。

Img_4275延命地蔵

Img_4277稲荷社

馬頭観音・地蔵・庚申塔が並ぶ。

この先でJR根岸線ガートをくぐる。

Img_4282長屋門の旧家

Img_4287起伏のある本郷台の住宅街を抜けて行く。

Img_4288小菅ヶ谷小学校(右)に沿って上る。

Img_4291行止りとなる。《地図

下は環状3号道路で、右へ見晴橋へ迂回する。旧道はここを下って、向う側の送電線の所へ上り返していたのだろう。それが形状から「すりこばち(摺小鉢)坂」では。道輿准后はここでも、「すりこばち坂といへる所にて、また俳緒歌をよみて人に見せ侍りける。”ひだるさに宿急ぐとや思ふらむ 路より名のる すりこばち坂”」と詠んでいる。『廻国雑記』

Img_4294見晴橋から環状3号

Img_4297すりこばち坂を上る。 【ル-ト地図】の④

この道は戸塚区(左)と栄区の境で、この先の舞岡公園で戸塚区と港南区の境の道となる。

Img_4298坂上方向

Img_4304坂上から南東方向

Img_4309舞岡南の橋

この橋は新しく、下の広い車道も新しいようで手持ちの地図には載っていなかった。ここを渡らずに古そうな道を下って行ったら明治学院大学へ出てしまって引き返す。【ル-ト地図】にも歩いた道筋を記載した。
渡った先の左側に庚申塔供養塔道標が移設されている。

Img_4318庚申供養塔道標(元文2年(1737)) 【ル-ト地図】の⑤

左側面に「これよりかまくらミち」・右側面に「これよりぐめうじミち」。下の道→弘明寺→餅井坂→日限山・中の道→ここ→新橋→水堰橋→鎌倉のルート。

Img_4315説明板

Img_4319舞岡公園を抜けて行く。

Img_4329日限地蔵尊(福徳院)

毎月「四」のつく日が縁日で、この日に願を掛けると必ず叶うそうだ。『日限地蔵』(港南区の民話)
ここは港南区で旧道は、ここの南側の戸塚区との境を進む。

Img_4327旧道

右が日限地蔵の敷地。

Img_4330この先で道は途切れる。《地図

右に下って下永谷駅交差点の広い車道を横切って行く。芙蓉園の西側で旧道が復活している。それを確認して今日は打ち止めとし、まだ時間は早いが下永谷駅に向かった。

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