鎌倉街道(下の道③)
2013年8月28日
金沢八景駅(京浜急行線)・・・瀬戸神社・・・琵琶島神社・・・瀬戸橋(宮川)・・・憲法草創之処碑・洲崎町交差点・・・洲崎神社・・龍華寺・・・金沢八幡神社・・赤門通り・・薬王寺・・称名寺・・金沢文庫・・・国道16号・・・能見台第2踏切(京急線)・・・六国峠ハイキングコース・・・能見堂跡・・能見台緑地・・・(横浜横須賀道路)・・・能見台北公園・・・永取沢高校・・岩船地蔵尊・・・(磯子区)・・・笹下釜利谷道路・・栗木交差点・・JR根岸線ガード・・・旧道・かねさわ道案内板・・・妙蓮寺・・・(港南区)・・・新川橋交差点・・・打越交差点(環状2号)・・・関バス停・・・関之橋(笹下橋)・・・横浜刑務所・・・関ノ下交差点・・・(上大岡駅)・・・慰霊堂入口交差点・鎌倉街道・・・京急線ガード・・・最戸橋(大岡川)・旧鎌倉街道・(南区)・・・旧道入口交差点・鎌倉街道・・鎌倉街道碑・・・弘明寺駅(横浜市営地下鉄)
【ル-ト地図】(14.7km)
*『鎌倉市の坂-3(鎌倉街道下の道②)』(金沢八景駅→鎌倉へと歩いている)からの続きです。
写真をクリックすると拡大します。
治承4年(1180)、源頼朝が伊豆三島明神を勧請。
『放下僧の仇討』
琵琶島神社参道 【ル-ト地図】の①
「びゃくしん」の枝が左の海の方へ延びている。
金沢八景『瀬戸の秋月』
瀬戸橋を渡る。
洲崎神社(正面右)
もとは「長浜千軒」といわれた地にあったが、応長元年(1311)大波にさらわれ、村民とこの地に移ってきたという。
龍華寺(りゅうげじ)
茅葺き屋根の鐘楼、梵鐘は天文10年(1541)の銘があるが、鎌倉時代後期の作ではないかという。
薬王寺(右)
源範頼の霊を弔うために建立。
正面奥は称名寺の赤門
拝観料を覚悟していたが無料だった。境内は広く、静かできれいだ。季節がよければ散策にぴったしだろう。
反り橋と阿字ヶ池
禅宗様で茅葺。
古い建物かと思っていた。
国道16号に出て能見台第2踏切(京急線)を渡り、能見台の住宅街を上って行く。
能見堂跡へ向う。《地図》
六国峠ハイキングコースに入る。
能見堂跡あたりから 【ル-ト地図】の②
能見堂とは擲筆山(てきひつざん)地蔵院のこと。
ここは「金沢八景の根元地」だが、眺望は広がらない。
巨勢金岡があまりの絶景に筆が進まず、松の根元に筆を投げ捨てたという「筆擲松」(ふですてまつ)がそびえる。金岡は熊野古道の藤白でも筆を投げ捨てている。『熊野古道(紀伊路⑥)』
この先は北の京急団地の方に行くのだが、迷って西の釜利谷の方へ下ってしまい、大汗をかきながら引き返し、やっと能見台緑地を抜けた。京急団地を通って行く。《地図》
岩船地蔵の本尊は栃木県の岩船山高勝寺にあり、この地蔵尊は子授け、子育て、安産祈願や、海が近いことから漁の安全を祈願したようだ。
金沢区から磯子区に入る。
笹下釜利谷道路に出て栗木交差点を渡り、JR根岸線ガードをくぐった先で右に「かねさわ道」に入る。
右が「かねさわ道」 【ル-ト地図】の③
妙蓮寺の先で港南区に入る。
関バス停・関ノ下交差点などがある。中世には「笹下の関」があって関銭を徴収した交通の要衝地だったのだろう。
最戸橋(大岡川) 《地図》
手前で右に旧鎌倉街道に入ると、港南区から南区になる。この広い道は鎌倉街道の名称。
旧道の面影はないが。
鎌倉街道に合流する。
すぐ先の弘明寺駅(横浜市営地下鉄)から帰宅した。
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