鎌倉街道(中の道③)
2013年8月27日
中山駅(JR横浜線)・・・中山第二踏切(横浜線)・・・都橋(恩田川)・・・青砥交差点・・・精進橋(鶴見川)・地蔵の渡し跡あたり・(都筑区)・・・川和町駅(横浜市営地下鉄)・・・瑞雲寺・・川和小学校・・・旧道・・・横浜上麻生道路・庚申塔祠・・句碑・・手斧橋・旧道・・・川和高校・・・川和高校北側交差点・・・荏田坂・荏田高校・・・池尻橋・・(青葉区)・・・真福寺・・・大山街道合流地点・・・荏田下宿庚申塔・・・中宿秋葉講常夜灯・・荏田交差点(国道246号)・・・高札場跡・・・庚申塔・・・(東名高速)・・・江田駅(東急田園都市線)
【ル-ト地図】
*大山街道合流地点から先、「中の道」は大山街道と重なり、『川崎市の坂②』→『川崎市の①』→『大山街道(赤坂御門跡→二子の渡し跡)』(逆方向に歩いている)→『東京坂道散歩(鎌倉街道中の道①・②・③)』と続く。
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都橋から恩田川
この先、道路工事中で精進橋を渡るまで少し迷った。
ここは鎌倉街道の道筋ではないようだ。
精進橋(鶴見川)
この手前は道路工事中でここまで来るのに苦労した。橋を渡るというおばさんに道案内してもらい助かった。橋名の由来は何か?
「地蔵の渡し」があったのはこのあたりか。地蔵は天宗寺に移されているそうだ。《地図》
モノレールではない。地下鉄の駅だ。
少しは旧道らしいか。《地図》
この先で右にカーブし、横浜上麻生道路に出る。
庚申塔の祠 《地図》
道路向かいに句碑がある。そのすぐ先が手斧(ちょうな)橋。
句は読めない。台座に「川和里」とある。このあたりは川和の宿があった交通の要衝地で、「上サ」という字名だった。その由来は諸国を巡歴した花山法皇がこの地にも訪れ、その名をとって花山(かざん)が上山(かざん)となり、「上サ」となったという。今でも「上サ会館」にその名が残る。
手斧橋(?川)の手前を右折し坂を上って行く。
この先で広い道に合流し川和高校へと上って行く。《地図》
川和高校北側交差点 《地図》
正面左は大丸デパートではなく、大丸調整池だろう。
この先は都筑区と青葉区の区境あたりを北行する。
荏田高校のHPに載っていた坂名。
右の崖下は荏田高校のグランド。
池尻橋を渡る。《地図》
下は車道。橋を渡って進むと左側が低くなり、開けてくる。
青葉区に入り真福寺の方へ下って行く。
真福寺 《地図》
「木造千手観音立像」(本尊・県重文)
「木造釈迦如来立像」(国重文)
「奉納絵馬」
大山街道合流地点 【ル-ト地図】の9
溝口・二子方向、すぐ先の右側に荏田下宿庚申塔がある。大山方向に進み、中宿常夜灯から国道246号を渡り、大山街道を江田駅に向かった。
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