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2013年9月 1日 (日)

鎌倉街道(中の道③)

2013年8月27日

中山駅(JR横浜線)・・・中山第二踏切(横浜線)・・・都橋(恩田川)・・・青砥交差点・・・精進橋(鶴見川)・地蔵の渡し跡あたり・(都筑区)・・・川和町駅(横浜市営地下鉄)・・・瑞雲寺・・川和小学校・・・旧道・・・横浜上麻生道路・庚申塔祠・・句碑・・手斧橋・旧道・・・川和高校・・・川和高校北側交差点・・・荏田坂・荏田高校・・・池尻橋・・(青葉区)・・・真福寺・・・大山街道合流地点・・・荏田下宿庚申塔・・・中宿秋葉講常夜灯・・荏田交差点(国道246号)・・・高札場跡・・・庚申塔・・・(東名高速)・・・江田駅(東急田園都市線)

  【ル-ト地図

 大山街道合流地点から先、「中の道」は大山街道と重なり、『川崎市の坂②』→『川崎市の①』→『大山街道(赤坂御門跡→二子の渡し跡)』(逆方向に歩いている)→『東京坂道散歩(鎌倉街道中の道①・②・③)』と続く。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4677都橋から恩田川 

 

この先、道路工事中で精進橋を渡るまで少し迷った。

Img_4679水難者供養塔・地蔵・庚申塔

ここは鎌倉街道の道筋ではないようだ。

 

Img_4685庚申塔(右)

 

Img_4691精進橋(鶴見川) 

この手前は道路工事中でここまで来るのに苦労した。橋を渡るというおばさんに道案内してもらい助かった。橋名の由来は何か?
「地蔵の渡し」があったのはこのあたりか。地蔵は天宗寺に移されているそうだ。《地図

 

Img_4695川和町駅

モノレールではない。地下鉄の駅だ。

 

Img_4698少しは旧道らしいか。《地図

 

この先で右にカーブし、横浜上麻生道路に出る。

Img_4700庚申塔の祠 《地図

 

道路向かいに句碑がある。そのすぐ先が手斧(ちょうな)橋。

Img_4704句碑(天保3年?)

句は読めない。台座に「川和里」とある。このあたりは川和の宿があった交通の要衝地で、「上サ」という字名だった。その由来は諸国を巡歴した花山法皇がこの地にも訪れ、その名をとって花山(かざん)が上山(かざん)となり、「上サ」となったという。今でも「上サ会館」にその名が残る。

 

手斧橋(?川)の手前を右折し坂を上って行く。

Img_4711この先で広い道に合流し川和高校へと上って行く。《地図

 

Img_4714川和高校(右前方)

 

Img_4716川和高校北側交差点 《地図

正面左は大丸デパートではなく、大丸調整池だろう。
この先は都筑区と青葉区の区境あたりを北行する。

 

Img_4724荏田坂を上る。 

荏田高校のHPに載っていた坂名。

 

Img_4732尾根道を行く。

右の崖下は荏田高校のグランド。

 

Img_4733池尻橋を渡る。《地図

下は車道。橋を渡って進むと左側が低くなり、開けてくる。

 

青葉区に入り真福寺の方へ下って行く。

Img_4748真福寺 《地図

 

Img_4745説明板

木造千手観音立像」(本尊・県重文)
木造釈迦如来立像」(国重文)

 

Img_4746説明板

奉納絵馬

 

Img_4751大山街道合流地点 【ル-ト地図】の9

溝口・二子方向、すぐ先の右側に荏田下宿庚申塔がある。大山方向に進み、中宿常夜灯から国道246号を渡り、大山街道を江田駅に向かった。

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