奥州街道(盛岡城下→渋民宿→好摩駅)
2013年9月9日
盛岡駅→四ツ家惣門跡・・・上田踏切(JR山田線)・・・上田組町跡・・・正覚寺・・盛岡一高・・・NHK前交差点・・・高松の池・・・高松神社・・・上田一里塚跡(140)・・・座頭ころがし・・・松園観音・・・長坂・・・県立博物館・・・松園水辺公園・・・小野松一里塚跡(141)・・小野松観音・・・観音清水・・・観音橋(飛田川)・・・春日大明神・・・笹平大橋(北上川)・・・笹平一里塚跡(142)・・・二つ坂・・・明治天皇小休所跡・・・門前寺橋(濁川)・・・渋民野球場・・・盛岡工業団地・・・(国道4号ガード)・・・渋民一里塚跡(143)・・館石川・・・渋民宿・・(愛宕清水)・・愛宕の森・愛宕神社・・・宝徳寺・・石川啄木記念館・渋民尋常小学校校舎・・国道4号・・駒形神社鳥居・・・好摩口交差点・・・芋田橋(北上川)・・・好摩駅(いわて銀河鉄道)
【ル-ト地図】
秋の気配を感じる岩手の奥州街道を、盛岡城下から金田一宿まで4日間で歩く。
写真をクリックすると拡大します。
上田組町跡 《地図》
南部藩の足軽屋敷が並び、「御組丁」・「御同心丁」・「上田ぐみ(茱萸)町」ともいわれた。
足軽たちの檀家寺として親しまれていた寺。浅田次郎の小説『壬生義士伝』の主人公、吉村貫一郎が、のちに妻となるしづと初めて出会った場所。
盛岡三十三観音の第十八番
「汗搔観音」と呼ばれる木造聖観音立像を見たいものだが。
街道を挟んだ西側には、宮澤賢治、石川啄木らが学んだ名門、盛岡一高がある。
盛岡城築城時に、上田沼に治水のために築いた上田堤にできた池。
「日本さくらの名所100選」・「白鳥の飛来地」で、岩手山を望む景勝地。
ゆっくりしたい所だが、まだ歩き始めたばかりでそうも行くまい。
祭神の猿田彦は道の神。道中の無事安全を願う。(ちょっと一礼しただけだが)
このあたりの街道沿いには茶屋があったそうだ。
西塚のみ残る。
昭和初期の「上田一里塚」と奥州街道とドミニカン修道院」の写真。
すぐ先に松並木の名残りが5、6本。
ここを左に入る。 《地図》
分かりにくく、少し先に進んでしまった。
写真で見るより急坂だ。坂上近くに松園観音があるが入らず。
ここも前を素通り。
南部片富士湖(四十四田ダム湖)
北上川本流のただ一つのダム。南部片富士とは岩手山のこと。『周辺図』
上田一里塚跡からこの地に移ってきた。《地図》
東西両塚が残る。
その前に右に入って小野松観音に寄る。
観音堂より立派な鳥居だ。ここは里宮で北東の小野松山(291m)の山腹に奥宮がある。
正観音の一寸八分の金像というからここにはないのだろう。奥宮に安置されているのか?
もう少し短い文章にならないものか。
岩手山(2038m)
惜しいかな、上部は雲隠れ。下は北上川。
観音橋(飛田(ひだ)川)から 《地図》
この先で北上川に流れ込む。
笹平大橋(北上川)・岩洞第二発電所
水力・火力・風力その他の自然エネルギーに限る。原発はダメよ。
「岩手山 秋はふもとの三方の 野に満つる蟲を何と聴くらむ」(石川啄木・橋の欄干の歌碑)
右下の北上川の岸近くに笹平一里塚跡がある。北上川本流が四十四田ダムで堰き止められて水位が上昇し、このあたりの旧奥州街道は水没してしまった。
覆い隠されている。ここを左に入って民家の方へ左折して行くのだが、「床止護岸工事」(25年12月20日まで)用道路でその先は通行不能。
少し引き返し、工事用道路に入り岸辺に下りる。
何の標識もないが(後で調べると塚に立っている木の杭に「笹平一里塚」と書かれているようだ)、たぶんこれが西塚だろう。すぐ後ろは北上川の流れ。増水時には水没するか。塚は崩壊寸前、工事用重機で根こそぎ崩されてしまうのか。盛岡市は保存する気はあるのか。工事業者まかせでほったらかしか。
上って下る「二つの坂」か? 昔は千本松という、根元から多くの枝の生えた松があったが、菅江真澄が旅した頃にはすでに枯れていたという。
姫神山(1123m)はくっきり、稲穂も刈入れ間近で黄金色に輝いている。
「白河以北一山百文」 と吐いた、明治新政府軍を率いた薩長土肥の役人に見せたい風景だ。
雨の中を登った。雲の切れ目から寸時、岩手山山頂が頭をのぞかせた。
濁川を渡り、渋民野球場から盛岡工業団地の間を抜け、国道4号(渋民バイパス)をくぐって行く。
右の電柱脇に「奥州道中 渋民一里塚跡」の標柱。塚は残らず。
盛岡以北は宿駅の間隔は長くなり、規模も小さかった。渋民宿の出入口には柵戸が置かれていた。右折したすぐ先に愛宕清水があるようだが、気づかずに通り過ぎてしまった。
愛宕の森 《地図》
啄木がよく散策した道。この下に啄木が通い、代用教員としても務めた渋民尋常小学校があった。
啄木一家が住んだ寺。「啄木」の名はここから生まれた。
愛宕神社下からここへ移築された。
啄木一家が間借りしていた家だが、奥州道中渋民宿の町家だったことの方が興味深い。
一部2階建ての広く立派な町家だ。啄木一家は借家でなく、間借りだった。
「ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな」(啄木『一握の砂』より)
この風景を毎日眺めていれば、なるほど、納得。
国道4号に出て北上する。
北上川が蛇行しながらすぐ左下を流れる。《地図》
この先の奥州道中は北上川の源流を訪ねる旅でもある。
啄木の『渋民日記』の「八月中(暑中休暇中)」に、「この月、村に祭礼が二度あつた。・・・(中略)・・・六日は陰暦六月十七日で芋田にある村社駒形神社の祭典、所謂「お蒼前さま」であつた。この社は、其昔、九郎判官義経が高館の城落ちて、表向きは死んだ風に装ふて僣かに北海へ落人となつた時、其乗馬の斃れたのを葬むつた所であるさうな。されば今猶、その馬の足跡を刻んだ石がこの社に残つて居る。又、十町許り離れて武道の部落には、義経が一夜を明かしたといふ判官館といふのがある。・・・(以下略)」と紹介されている。
「霧ふかき 好摩の原の停車場の 朝の虫こそ すずろなりけり」 (『一握の砂』より)
今は歌心を誘う駅あたりの光景ではない。歌心も持ち合わせていないが。
JR東日本から引き継いだ第三セクターの鉄道にしては地味な車輛だ。JR境線の「鬼太郎列車」とは行かないまでも、もう少し派手にしたらどうか。路線存続が第一、余計なお世話か。
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コメント
どうぞ使ってください。
投稿: ?様へ(坂道散歩) | 2015年1月22日 (木) 08:08
突然メールして、すみません。
東京都文京区在住のものです。
今回、文京区で「石川啄木展」を2月8日からやることになっています。
昨年の夏、盛岡市、渋民地区等を巡り、資料を収集したのですが、、愛宕の森の良い写真を取り損ねてしまいました。
ネットで、雰囲気のある写真があるのを見つけ、承諾して頂ければ、展示会で使用したいと思っています。
ご協力頂けると有り難いのですが、よろしくお願い致します。
投稿: | 2015年1月22日 (木) 02:35