鎌倉街道(下の道⑤)
2013年9月30日
綱島駅(東急東横線)・・・東照寺・・・来迎寺・・・飯田家住宅・・・金蔵寺・・・天神坂・駒林神社・・・鎌倉街道標石・・・真福寺(下田地蔵)・・下田神社・・・(川崎市)・・・中原養護学校・・・神庭緑地・・・橘橋(矢上川)・・・小関橋跡(江川せせらぎ遊歩道)・・・中原街道合流地点・・大戸神社・・・武蔵中原駅(JR南武線)
【ル-ト地図】
*この先、小杉御殿町→小杉陣屋町→丸子の渡し(多摩川)→
①沼部(北回りルート)→洗足坂上交差点『中原街道②』・『中原街道①』(逆方向に歩いている)・品川道→大井町
②沼部(南回りルート)→大森→大井町となる。
写真をクリックすると拡大します。
「横浜七福神」の布袋尊。石段敷石は文化元年(1804)のもの。
無住で荒れているが廃寺ではないようだ。境内には庚申塔・歳神塔・天地神袛塔?(文久元年(1861))など石造物が多い。
旧北綱島村の名主家。来迎寺の天地神袛塔?の願主の飯田助太夫は当家の一族か?
上野の寛永寺の末寺として栄え、敷地面積は2万坪。徳川家康・秀忠父子により梵鐘が寄進された。凝った作りの灯籠だ。日光東照宮でも意識したのか?
「横浜七福神」の寿老人
坂の途中の右側、駒林神社の祭神、菅原道真にちなむ坂。
道興准后は東国の旅の途中、「駒林といへる所に到りて、宿をかり侍るに、あさましげなる賎の伏屋に、落葉所をせき侍るを、ちとはきなどし侍りける間、たたずみて思ひつづけける」と『廻国雑記』に記す。
天神坂を上って北西方向に回り込むのが本来の街道の道筋のようだが、坂下から駒林小学校沿いを進んだ。
急坂を上る。《地図》
斜度2°(21.2%)らしい。
「史跡 鎌倉街道」と刻む。
真福寺(下田地蔵尊) 《地図》
本尊は高さ台座とも40cmほどの、左手に子供を抱いた木造の下田子育延命地蔵菩薩座像で、黒塗りの厨子に納められているそうだ。
地区の産土神。標石の後ろに宝永5年(1708)の青面金剛像庚申塔。
港北区(横浜市)から川崎市に入り、中原区と高津区の境を進む。
中原養護学校の手前で左に入り、橘橋へ通じる道があるようだが、神庭緑地を抜けて行った。
3基ある円墳の一つ。
小関橋跡(江川せせらぎ遊歩道) 《地図》
中原街道合流地点 【ル-ト地図】の11
正面が大戸神社で、社殿前の狛犬は砲弾を抱えている。鎌倉街道下の道はここを右折し、中原街道を進み、小杉御殿町→小杉陣屋町→丸子の渡しで多摩川を渡って行く。
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