奥州街道(御堂駅→一戸駅)
2013年9月11日
御堂駅(いわて銀河鉄道)・・・国道4号・・・尾呂部一里塚跡(148)あたり・・・旧道・・・御堂橋(北上川)・・・御堂観音・弓弭の泉・・・御堂・馬羽松一里塚跡(149)・(一戸町)・・・摺糠交差点(県道30号)・・・摺糠一号橋(平糠川)・・・旧道・・・奥州街道最高地点(484m)・・・旧中山一里塚跡(150)・・・蒼前神社・・・青面金剛像塔・・・火行伝馬所跡・・・ヨノ坂・・・小繋一里塚跡(151)・・・小繋御番所跡・・・長楽寺(小繋地蔵尊)・・・下平踏切(いわて銀河鉄道)・国道4号・・・旧道・・・国道4号・・・笹目子橋(小繋川)・・・笹目子トンネル・・川底一里塚標識・旧道・・・川底一里塚跡(152)・・・高屋敷地区・・駒形社・上の井戸・・中の井戸・・下の井戸・・・五月舘の追分石・・・(小鳥谷珪化木地帯)・・・(国道4号小鳥谷バイパス)・・・明治天皇小休所跡・・・国道4号・・・藤島のフジ・観音堂のフジ・・・(小鳥谷駅)・・・野中一里塚跡(153)・・・小姓堂地区・・御小姓神社?・・・日影坂・・・明治天皇御野立所之碑・・・雷電神社・・・女鹿口地区・・女鹿橋(女鹿橋)・・・荷坂・・・老ヶ館跡入口・・・白子坂・・百姓一揆集結地・・・(いわて銀河鉄道)・・・県道274号・・・御所野縄文公園標識・・・旧道・・・諏訪野一里塚跡(154)・・一戸駅(いわて銀河鉄道)→盛岡駅
【ル-ト地図】(27.7km)
今日は今回の奥州街道歩きのハイライトだ。見所は多く、起伏も距離もけっこうある。天気もまあまあだし、ゆっくりと楽しもう。
写真をクリックすると拡大します。
水堀小学校から500mほど北。右上に地蔵と念仏供養塔。
国道4号をひたすら北上する。
ここで右に入り御堂観音、北上川の源流へ。《地図》
北上川に架る最初の橋。
右へ2kmはちょっとあるか。
御堂観音 【ル-ト地図】の①
坂上田村麻呂が祈願所として建立。
水は澄んでいる。「前九年の役」の際、源義家が「弓弭」(弓のつるをかける先端部分)で掘って湧き出た清水という伝説。
樹齢1200年以上という老大木だが、痛々しい姿になっている。雷に打たれたのだろうか。
岩手町(西塚)と一戸町(東塚)の境。
天明5年(1785)9月7日にここを通った菅江真澄は、「馬羽松 (馬不喰と昔はいった)という所がある。(源)頼義の馬糧の糠(ぬか)が腐って馬が食べなかったので捨てた所から出た名であるという。」と菅江真澄遊覧記の「けふのせば布」に記す。
所有者の名前まで記載されている。一戸町の奥州街道沿いには道標、説明板が整備されていて分かりやすく、ありがたい。
「北へ3.7km 中山一里塚」と距離まで書いてある。
この摺糠の交差点を左折して県道30号を行けば、奥中山高原駅へ出る。
摺糠一号橋 《地図》
正面の鳥居の石段下で小休止。ここは右に進む。
地図には記載のない道だ。
左に標柱。さほどの高さは感じない。
現在の街道からは少し離れている。
馬の守護神の藤原宗善を祀るか。
道祖神的な役割をしていた庚申塔。右は首の欠けた地蔵で、左は墓だろう。
昔このあたりは大変な難所で行者に火を与えたことからついた地名という。沼宮内宿と一戸宿の間は長く、「山また山の果てしなき地」で旅人が凍死したので、ここに家を建てて難を救ったといわれる。それが伝馬所設置につながったのだろう。
この先で舗装道路は途切れ、ヨノ坂の下りとなる。左へ「開拓農道小繋線」を行けば小繋駅へ通じる。
大規模な改修が行われなかったため、往時の景観を残す道となっている。
難所といわれた所だが傾斜はゆるく、下りは楽だ。ただ、湿地帯でぬかるんでいて、露草で靴の中はびっしょりになるが。
伊豆の下田街道で、二本杉峠から伐採工事中の宗太郎園地を下った時と比べれば、子どもだましみたいなもので、何てことはない。
西塚が残る。
6人(うち女性5人)の共同所有だ。入会地を巡る「小繋事件」を思い出した。勉強したこともあるのよ、昔は。
奥州街道と巡見道(江戸時代に幕府より派遣された「巡見使」一行が通った道)の分岐点で、交通の要衝地だった。
小繋から奥州街道の西側を、笹目子・上女鹿沢一里塚→穴久保下女鹿沢一里塚→奥州街道に合流するのが巡見道。
本陣としても使われた寺だが、度々の火災で坂上田村麻呂の建立と伝える地蔵堂(正面奥の小繋地蔵尊)のみが残る。
下平踏切(いわて銀河鉄道)・国道4号
笹目子トンネル(611m)に入る。 《地図》
山越えの旧道は鉄道の敷設で通行不能となった。
歩道はついていて中も明るく、交通量はそれほどでもないが、大型車の爆音には耳をふさぐ。出口が見えてきてやれやれだ。ここも『四国遍路道』のトンネル歩きに比べれば楽勝だ。
道と道標を整備してくれた地元の人たちに感謝だ。
左から来る道が本来の街道の道筋だが、鉄道の敷地で分断され行止りとなる。
惜しいかな「高間舘坂」・「赤羽根坂」・「舅転の険」などの難所もあったのだが。右に200mで川底一里塚跡だ。
ふっくらとした乳房のような両塚の間を街道が通っている。
この先で一般道へ出る。
高屋敷地区へ 《地図》
平成18年からの景観づくり活動で復元された。浅いので長い柄杓で汲み上げるそうだ。左側に小さな石祠の駒形社がある。
高屋敷には馬継所が置かれていた。
迷う所だがちゃんと道標が立つ。一戸町にはまた感謝だ。
左の山道を少し上った所(写真の左端)
まあ奥州街道も山道と大差はないが。
小鳥谷珪化木地帯はどのあたりか、分からず通り過ぎてしまった。
旧小鳥谷村で村長をしていた旧庄屋宅だそうだ。
この先で国道4号に合流する。《地図》
フジに巻きつかれたカツラとサクラも老木となって現在は鉄のヤグラと支柱で支えている。
小鳥谷駅を通り過ぎる。この先、日影坂、荷坂、白子坂と起伏のある所が待っている。
野中一里塚跡(153) 《地図》
塚跡は残らず。
奥州街道はこの先を直進し、国道4号と離れるので国道の600km地点は通っていない。
社殿はどこに?
たしかにこのあたりは日影だ。
この先で下りとなる。
女鹿口地区に入り女鹿橋を渡る。
右へ上って行くのだが、どれ位か分からず通過する。
このあたりから白子坂の下りとなる。
白子坂の途中で広場のような平坦地になっている。集結するにはもってこいの地か。
白子坂の坂下でいわて銀河鉄道をくぐって、県道274号の出る。
白子坂は「山土尽く白灰」という様子ではなかった。
御所野縄文公園標識
1kmだがパス。ここも世界遺産登録を目指している。
諏訪野一里塚跡(154) 《地図》
塚跡は残らず。すぐ先で県道に出た所が一戸駅。ちょうど盛岡行の電車に間に合ってグッドタイミングだった。
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