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2013年9月22日 (日)

奥州街道(御堂駅→一戸駅)

2013年9月11日

御堂駅(いわて銀河鉄道)・・・国道4号・・・尾呂部一里塚跡(148)あたり・・・旧道・・・御堂橋(北上川)・・・御堂観音・弓弭の泉・・・御堂・馬羽松一里塚跡(149)・(一戸町)・・・摺糠交差点(県道30号)・・・摺糠一号橋(平糠川)・・・旧道・・・奥州街道最高地点(484m)・・・旧中山一里塚跡(150)・・・蒼前神社・・・青面金剛像塔・・・火行伝馬所跡・・・ヨノ坂・・・小繋一里塚跡(151)・・・小繋御番所跡・・・長楽寺(小繋地蔵尊)・・・下平踏切(いわて銀河鉄道)・国道4号・・・旧道・・・国道4号・・・笹目子橋(小繋川)・・・笹目子トンネル・・川底一里塚標識・旧道・・・川底一里塚跡(152)・・・高屋敷地区・・駒形社・上の井戸・・中の井戸・・下の井戸・・・五月舘の追分石・・・(小鳥谷珪化木地帯)・・・(国道4号小鳥谷バイパス)・・・明治天皇小休所跡・・・国道4号・・・藤島のフジ・観音堂のフジ・・・(小鳥谷駅)・・・野中一里塚跡(153)・・・小姓堂地区・・御小姓神社?・・・日影坂・・・明治天皇御野立所之碑・・・雷電神社・・・女鹿口地区・・女鹿橋(女鹿橋)・・・荷坂・・・老ヶ館跡入口・・・白子坂・・百姓一揆集結地・・・(いわて銀河鉄道)・・・県道274号・・・御所野縄文公園標識・・・旧道・・・諏訪野一里塚跡(154)・・一戸駅(いわて銀河鉄道)→盛岡駅

  【ル-ト地図】(27.7km)

 今日は今回の奥州街道歩きのハイライトだ。見所は多く、起伏も距離もけっこうある。天気もまあまあだし、ゆっくりと楽しもう。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5420尾呂部一里塚跡(148)あたり

水堀小学校から500mほど北。右上に地蔵と念仏供養塔。

国道4号をひたすら北上する。

Img_5427茅葺の家

Img_5429ここで右に入り御堂観音、北上川の源流へ。《地図

Img_5430御堂橋

北上川に架る最初の橋。

Img_5433古い門が残る民家

Img_5434御堂新田の滝分岐(正面に標識) 《地図

右へ2kmはちょっとあるか。

Img_5437御堂観音 【ル-ト地図】の①

坂上田村麻呂が祈願所として建立。

Img_5443御堂観音堂

Img_5436説明板

Img_5442弓弭(ゆはず)の泉(北上川の源泉)

水は澄んでいる。「前九年の役」の際、源義家が「弓弭」(弓のつるをかける先端部分)で掘って湧き出た清水という伝説。

Img_5439大杉

樹齢1200年以上という老大木だが、痛々しい姿になっている。雷に打たれたのだろうか。

Img_5448御堂・馬羽松(まはまつ)一里塚跡(149)

岩手町(西塚)と一戸町(東塚)の境。
天明5年(1785)9月7日にここを通った菅江真澄は、「馬羽松 (馬不喰と昔はいった)という所がある。(源)頼義の馬糧の糠(ぬか)が腐って馬が食べなかったので捨てた所から出た名であるという。」と菅江真澄遊覧記の「けふのせば布」に記す。

Img_5450説明板(一戸町)

所有者の名前まで記載されている。一戸町の奥州街道沿いには道標、説明板が整備されていて分かりやすく、ありがたい。

Img_5457馬羽松から摺糠(すりぬか)地区へと下って行く。

Img_5460標柱

「北へ3.7km 中山一里塚」と距離まで書いてある。

Img_5465火の見(一戸町消防団)

この摺糠の交差点を左折して県道30号を行けば、奥中山高原駅へ出る。

Img_5470摺糠一号橋 《地図

正面の鳥居の石段下で小休止。ここは右に進む。

Img_5473左へ旧道へ入り、北上する。

地図には記載のない道だ。

Img_5474杉並木が片側に続く。

Img_5475高原上の道となる。

Img_5482ここは左へ進む。

Img_5483草原が広がる。

Img_5484奥州街道最高地点(484m)

左に標柱。さほどの高さは感じない。

Img_5488東南方向の眺め

Img_5489旧中山一里塚跡(150) 【ル-ト地図】の②

現在の街道からは少し離れている。

Img_5492説明板

Img_5494蒼前神社

馬の守護神の藤原宗善を祀るか。

Img_5496青面金剛像塔(正面奥)

Img_5500青面金剛像(安永4年(1775))

道祖神的な役割をしていた庚申塔。右は首の欠けた地蔵で、左は墓だろう。

Img_5498説明板

Img_5508舗装されているが往時の街道風情が残る道だ。

Img_5513火行(ひぎょう)伝馬所跡

昔このあたりは大変な難所で行者に火を与えたことからついた地名という。沼宮内宿と一戸宿の間は長く、「山また山の果てしなき地」で旅人が凍死したので、ここに家を建てて難を救ったといわれる。それが伝馬所設置につながったのだろう。

Img_5514説明板

Img_5516この先で舗装道路は途切れ、ヨノ坂の下りとなる。左へ「開拓農道小繋線」を行けば小繋駅へ通じる。

Img_5520説明板

Img_5521ヨノ坂を下る。 【ル-ト地図】の③

大規模な改修が行われなかったため、往時の景観を残す道となっている。
難所といわれた所だが傾斜はゆるく、下りは楽だ。ただ、湿地帯でぬかるんでいて、露草で靴の中はびっしょりになるが。

Img_5522草深いが直線的な一本道で迷うことはないだろう。

Img_5526倒木のオンパレード

伊豆の下田街道で、二本杉峠から伐採工事中の宗太郎園地を下った時と比べれば、子どもだましみたいなもので、何てことはない。

Img_5527倒木もなくなり気分のいい道を行く。

Img_5528小繋(こつなぎ)一里塚跡(151)

西塚が残る。

Img_5529説明板

6人(うち女性5人)の共同所有だ。入会地を巡る「小繋事件」を思い出した。勉強したこともあるのよ、昔は。

Img_5536小繋御番所跡

奥州街道と巡見道(江戸時代に幕府より派遣された「巡見使」一行が通った道)の分岐点で、交通の要衝地だった。

Img_5537説明板

Img_5499地図

小繋から奥州街道の西側を、笹目子・上女鹿沢一里塚→穴久保下女鹿沢一里塚→奥州街道に合流するのが巡見道。

Img_5539長楽寺

本陣としても使われた寺だが、度々の火災で坂上田村麻呂の建立と伝える地蔵堂(正面奥の小繋地蔵尊)のみが残る。

Img_5540説明板

下平踏切(いわて銀河鉄道)・国道4号

Img_5547国道4号から左に旧道に入る。

Img_5548小繋川沿いの道だが、すぐ国道に合流する。

Img_5552笹目子トンネル(611m)に入る。 《地図

山越えの旧道は鉄道の敷設で通行不能となった。

Img_5555歩道はついていて中も明るく、交通量はそれほどでもないが、大型車の爆音には耳をふさぐ。出口が見えてきてやれやれだ。ここも『四国遍路道』のトンネル歩きに比べれば楽勝だ。

Img_5557トンネルを出て右に川底一里塚跡の方へ上る。

Img_5558道標がなければ分からない道筋だろう。

Img_5560ここから右へ上がる。

道と道標を整備してくれた地元の人たちに感謝だ。

Img_5562上って突き当りの所。

左から来る道が本来の街道の道筋だが、鉄道の敷地で分断され行止りとなる。
惜しいかな「高間舘坂」・「赤羽根坂」・「舅転の険」などの難所もあったのだが。右に200mで川底一里塚跡だ。

Img_5567川底一里塚跡(152) 【ル-ト地図】の④

ふっくらとした乳房のような両塚の間を街道が通っている。

Img_5570説明板

Img_5574高屋敷地区へと向かう。

この先で一般道へ出る。

Img_5575説明板(川底の道)

Img_5578高屋敷地区へ 《地図

Img_5579上の井戸

平成18年からの景観づくり活動で復元された。浅いので長い柄杓で汲み上げるそうだ。左側に小さな石祠の駒形社がある。

Img_5582中の井戸

高屋敷には馬継所が置かれていた。

Img_5584説明板

Img_5588下の井戸

Img_5593ここは右に進む。

迷う所だがちゃんと道標が立つ。一戸町にはまた感謝だ。

Img_5594道標

Img_5598五月舘の追分石(文久元年(1861))

左の山道を少し上った所(写真の左端)

Img_5602「右ハ 山道 左ハ もり岡」

Img_5601説明板

Img_5600この位置から見れば、「右ハ 山道 左ハ もり岡」

まあ奥州街道も山道と大差はないが。

Img_5604説明板に記載のある庚申塔と地蔵

Img_5607林間コースを下って小鳥谷(こずや)地区へと進む。

小鳥谷珪化木地帯はどのあたりか、分からず通り過ぎてしまった。

Img_5614明治天皇小休所跡

旧小鳥谷村で村長をしていた旧庄屋宅だそうだ。

Img_5615この先で国道4号に合流する。《地図

Img_5619藤島のフジ

フジに巻きつかれたカツラとサクラも老木となって現在は鉄のヤグラと支柱で支えている。

Img_5618説明板

Img_5625観音堂のフジ

Img_5623説明板

小鳥谷駅を通り過ぎる。この先、日影坂、荷坂、白子坂と起伏のある所が待っている。

Img_5632野中一里塚跡(153) 《地図

塚跡は残らず。

Img_5631説明板

Img_5635奥州街道はこの先を直進し、国道4号と離れるので国道の600km地点は通っていない。

Img_5643小姓堂(こしょうどう)地区に入って上りとなる。

Img_5646御小姓(おこしょう)神社の鳥居か

社殿はどこに?

Img_5653日影坂を上る。

たしかにこのあたりは日影だ。

Img_5655_2明治天皇御野立所之碑

この先で下りとなる。

Img_5662雷電神社

女鹿口地区に入り女鹿橋を渡る。

Img_5667
右へ荷坂の上りに入る。 【ル-ト地図】の⑤

Img_5670気分のいい坂道だが、そろそろ疲れてきた。

Img_5676老ヶ館跡入口

右へ上って行くのだが、どれ位か分からず通過する。

このあたりから白子坂の下りとなる。

Img_5680百姓一揆集結地

白子坂の途中で広場のような平坦地になっている。集結するにはもってこいの地か。

Img_5682説明板

Img_5683説明板

Img_5685白子坂の坂下でいわて銀河鉄道をくぐって、県道274号の出る。

白子坂は「山土尽く白灰」という様子ではなかった。

Img_5688御所野縄文公園標識

1kmだがパス。ここも世界遺産登録を目指している。

Img_5689諏訪野一里塚跡(154) 《地図

塚跡は残らず。すぐ先で県道に出た所が一戸駅。ちょうど盛岡行の電車に間に合ってグッドタイミングだった。

Img_5690説明板

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