鎌倉街道(上の道②)
2013年10月1日
藤沢駅(JR東海道線) バス→十二天公園前・・村岡二丁目交差点・貝殻坂・・長福寺・・村岡城址公園・・・日枝神社・・・渡内交差点・県道302号・・・慈眼寺・・・(県道312号)・・・森坂稲荷・・・柄沢神社・・・道祖神①・・・道祖神②・・・滝ノ川・・・旧東海道(県道30号)・(戸塚区)・・鉄砲宿(間の宿)・・・東俣野陸橋(国道1号)・・・俣野別邸庭園・もみじ坂・・・庚申塔など・・・八坂神社鳥居・堂坂下・水堰橋経由合流地点・・・八坂神社・・・龍長院・・・宇田川橋(宇田川)・・・鼻返し橋・・・俣野観音堂・・・上俣野神社・・・庚申塔・・・境川遊水池公園・・(泉区)・・・東泉寺・・・琴平神社・・・富士塚城址公園・・・(横浜市営地下鉄)・(相鉄いずみ野線)・・・左馬神社①・・・県道22号(長後街道・大山道)・・無量寺・・・飯田神社(サバ神社②)・・・いちょう団地・・・本興寺・上飯田せせらぎ緑道・・・(東海道新幹線ガード)・・・羽太郷土館跡・・・道祖神・・・柳明神社・堅牢地神塔道標・・・出水橋(相沢川)・・・(中原街道(県道45号))・・・宗川寺・・・新道稲荷神社・・・左馬神社③・・・西福寺・・・稲荷神社・・(厚木街道)・・・道祖神・地神塔?・・・(相模鉄道)・・・大門小学校・・・地神塔・庚申塔・・・境川・・・(国道467号)・・・大和駅(小田急江ノ島線)
【ル-ト地図】
*参考:『泉区 地区別小史』
写真をクリックすると拡大します。
貝殻坂を上る。《地図》
空は晴れているのに雨が降っている。この先、降ったり止んだりの一日だった。
坂の途中の左側に村岡城址公園がある。
村岡城址公園 【ル-ト地図】の3
坂東八平氏の祖とされる平良文(村岡五郎)の居城跡と伝えられる所。奥に城址碑があるだけで遺構は何もなし。
渡内の鎮守だが、もとは平良文が守護神として京都の日吉山王大権現を勧請したものという。祭神は大山咋命と村岡(平)良文。石灯籠は天保6年(1835)の建立。
慈眼寺山門 《地図》
左脇に平氏満の墓がある。
社殿・祠はないようだ。新旧が混ざっている。
由緒に「創立の時不詳であるが、建久四年(一一九四年)右大将源頼朝武州入間川に狩りせし路次当神社に奉斎せしより、鎌倉武士及び領主大久保佐渡守忠保等の崇敬極めて篤く、村民亦氏神と仰ぎ祭事を尽くした」とある。
手前は天保10年?造立の庚申塔。
この先の道筋ははっきりしない。
道祖神①(昭和21年) 《地図》
道祖神② 《地図》(このあたりだったか?)
新旧の2基
この先を左折し、滝ノ川を渡り右折して行った。
戸塚区との境の坂を上り旧東海道(県道30号)に出る。 《地図》
東海道の戸塚宿と藤沢宿の間の宿で、影取の地名の由来となった大蛇を鉄砲で退治した猟師が住み着いたことからこの名がついたという。民話『影取池』
国道1号を東俣野陸橋で渡ると「俣野別邸庭園」(誰の別邸だったかが書かれていないお粗末な資料)への標識があったので寄って見る。これが正解で庭園内に「もみじ坂」を見つけた。
もみじ坂 《地図》
もとは住友財閥の邸宅があったが、火事で焼失したそうだ。
庚申塔・地神塔などの辻 《地図》
左端の南無大師遍照金剛塔には木食○○とある。右端のとろけかかったような地蔵?には元禄2年(1689)の銘がある。
ここで、水堰橋経由の「上の道」に合流する。鳥居をくぐって八坂神社までの参道はない。
鳥居の右手の庚申塔の1基は「右かまくらみち、左はちおうじみち」と道標を兼ねているそうだが気づかなかった。
影取→水堰橋経由の「上の道」の道筋のこと。
宇田川橋(宇田川)を渡り、すぐ先で「鼻返し橋」を渡る。面白い名だが由来を調べても分からず。
源頼朝に敵対した俣野五郎景久の守護仏という十一面観音像を祀る。
鐘楼の梵鐘はない。戦時中に供出されてしまったままか。
台座に「右飯田町」と刻むのがあるようだが、これも気づかず。右へ行くのが本来の街道筋だろうが、左に行き境川遊水地公園に寄った。
横浜市戸塚区、泉区、藤沢市に位置する県立公園。左奥の遊水地情報センターで小休止。
サギ、カワウ、カモ類、カワセミなどの水辺の鳥が棲息するそうだ。
天明3年(1783)の再建で、平成5年に屋根替修復工事の時に、天明の飢饉、浅間山の噴火、風水害の様子などが、梁や肘木に多数書付 けられているのが発見されたそうだ。
東泉寺が別当寺で、「飯田のこんぴら様」と親しまれている神社。
右の公園内に富士塚城址碑が建つ。
ここで一休みしている間にまた雨が降り出した。
境川沿いのサバ神社(下表)の一社で、左馬頭源義朝が祀られている。以前は「鯖神社」と表記していたそうだ。(手持ちの(古い)地図も鯖神社になっている)
境川流域には、はやり病にかかると「七サバ参り」をすると治るという風習があったそうだ。七サバとは、どこの神社であるか定かでないというが、どの「サバ社」でも七社参ればいいということなのでは?
境川沿いのサバ神社一覧(神奈川県神社誌より)
社 名 | 鎮 座 地 | 旧 社 格 |
佐波神社 | 藤沢市石川 | 村社 |
鯖神社 | 藤沢市今田 | 村社 |
七ツ木神社 | 藤沢市高倉 | 村社 |
左馬神社 | 大和市下和田 | |
左馬神社 | 大和市上和田 | |
左馬社 | 瀬谷区橋戸 | |
飯田神社 | 泉区上飯田町 | 村社 |
左馬神社 | 泉区下飯田町 | 村社 |
鯖神社 | 泉区和泉町 | |
左馬神社 | 泉区和泉町 | 村社 |
左婆神社 | 泉区和泉町 |
この他に、藤沢市西俣野に「左馬明神社」があり計12社となるようだ。
泉区和泉町の3社は源満仲を祀り、他の9社は源義朝を祀る。
雨が降りやまない。
県道22号(長後街道・大山道)を渡ると無量寺がある。
境内に大山道の道標を兼ねた名号碑があるそうだ。
七観音像・地蔵・庚申塔・道祖神などが並ぶ。ここへ移されて来たものか。
飯田神社の前で左に入り、いちょう団地を抜けて行く。
清掃などのメンテが不十分で「住環境と自然との調和が心地よい空間を演出してくれます」とは言えない。
右上の茂みの中にも小さな流れがある。
この先で東海道新幹線をくぐって行く。
羽太(はぶと)郷土館跡(右) 《地図》
廃館したようだ。
「新田義貞公進軍の道」が鎌倉街道。中屋敷地区・忠兵衛屋敷・名主・下屋敷?(羽太郷土館)などがある。
代官・名主・三家・矢の下古戦場(境川を挟んで鎌倉攻めの新田軍と北条軍が戦った所か)などがあるが、今は往時の面影はない。
新旧の道祖神2基と五輪塔の残欠。
裏に堅牢地神塔道標がある。
堅牢地神塔道標(文久元年(1861))
「北 八王子道 南 大山道」
相沢川沿いを進み、出水橋を渡り瀬谷区に入り、瀬谷さくら小学校の先で左折して行き、中原街道を横切る。【ル-ト地図】の6
夫婦イチョウがそびえる。寺の東方80mが瀬谷問屋場跡で、天正6年(1578)に後北条氏の関東経営の駅路として設置されたのが始まりという。
「横浜瀬谷八福神」の福禄寿
戦時中に供出されたが、氏子の協力で新たに造られた。
左馬神社の別当寺だった。「横浜瀬谷八福神」の布袋尊。
道祖神?地神?が三叉路の真ん中に堂々と。《地図》
自動車・自転車もスピードを落とさざるを得ない。まさに道の塞ぎ(ふさぎ)の神は往来・交通安全の神だ。石造物は2基とも古く、磨滅・破損して読みづらい。
相模鉄道をくぐる。
大門小学校 《地図》
今日はここまでとし、左折して境川を渡り相鉄線沿いに大和駅に向かう。
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