鎌倉街道(上の道①)
2013年9月30日
鎌倉駅(JR横須賀線)・・・鶴岡八幡宮・・流鏑馬馬場(鎌倉街道起点)・・西鳥居・・・鉄の井(鎌倉十井)・・・鎌倉市川喜多映画記念館・・・岩窟不動尊・・・扇ヶ谷踏切(横須賀線)・・・寿福寺・・・英勝寺・・(伝)阿仏尼の墓・・・隠里稲荷・・・(伝)景清の土牢跡・・・化粧坂切通し・・・源氏山公園・・日野俊基の墓・・・藤原仲能墓碑・・・葛原岡神社・・・山の内配水池・・・日当公園・S字坂・・・梅見坂上・・・日当り坂上・・西の坂・・・深沢中学校・大仏切通し経由上の道合流地点・・・東光寺・・・駒形神社・・・大慶寺・・・(湘南モノレール)・洲崎古戦場跡あたり・・・天満宮・・・泉光院・・・(JR東日本大船工場引込線跡?)・・・町屋橋(柏尾川)・・(藤沢市)・・・JR東海道線ガード・・・十二天公園前バス停→藤沢駅
【ル-ト地図】
鎌倉街道「上の道」の主要ルートには、①化粧坂切通し経由、②大仏切通し経由、③巨福呂坂切通し→水堰橋経由(ここまでは「中の道」と一緒)がある。
①の道筋をたどり、化粧坂切通し→深沢→瀬谷→町田→小野路→関戸の渡し跡で多摩川を渡って行くとしよう。
*「鎌倉街道推定ルート」は『中世を歩く』(北倉庄一著)の13頁
写真をクリックすると拡大します。
もとは背後の絶壁の岩窟の奥の壁面に不動像が彫られていたそうだ。右に不動茶屋がある。
「十六夜日記」の著者
お狐さんより招き猫の方が大きく幅をきかせている。
(伝)景清の土牢跡 【ル-ト地図】の2
源頼朝を暗殺しようとして捕われ、ここに幽閉されたという言い伝えの所。岩の前に平景清の法名、「水鑑景清大居士」の標柱が立つ。
落語『景清』
化粧(仮粧)坂(けはいざか・けわいざか)切通し 《地図》
坂名の由来は、このあたりに化粧した遊女がいたからとも、戦で討ち取った平家の武将の首を化粧して、ここで検分したからともいわれる。
距離はそれほどでもないが、ぬかるんでいる所もある。雨の時などは坂を雨水が流れ落ち、冬場は凍ってアイスバーンにもなるか。
日野俊基墓標柱
南朝方の忠臣で墓所は後ろ。
墓の塚はどこか?
日野俊基を祀る。
西に向かい一般道に出る。
S字坂 《地図》
右に【坂標】
下って大きく右にカーブする。地図を見ればS字の形がよく分かる。東京文京区のS坂(新坂)より、この坂の方がだんぜんS字に近い。
梅見坂 《地図》
右の電柱前に【坂標】
西の坂が鎌倉街道方向。このあたりは坂だらけで、じっくり探せばもっと名前のついた坂があるかも。
日当り坂 《地図》
南向きで日当りがいいのだろうが、3時を過ぎて日影坂になってきている。
西の坂を下る。 《地図》
ここを右折し、すぐ左折して行く。
ここから遥拝で済ます。
広大な寺域を誇り、寺分の地名の由来にもなり、関東十刹と列せられたもとの大慶寺の塔頭だった「方外庵」を改称した寺。
富士塚小入口交差点(上は湘南モノレール) 《地図》
洲崎古戦場跡あたりで、右折した先の左側に洲崎古戦場碑が立っているようだ。
上町屋の鎮守
JR東日本大船工場引込線跡? 《地図》
この先で町屋橋(柏尾川)を渡り藤沢市に入り、JR線の地下道を抜ける。この間、街道の道筋は失われている。
十二天公園前バス停 《地図》
今日はここで終わり。街道はすぐ先の村岡東二丁目交差点を左折し貝殻坂を上って行く。
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