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2013年11月28日 (木)

山陽道(西宮駅→神戸駅)

2013年11月16日

西宮駅(JR神戸線)・・・天神橋(東川)・西国街道・・角之橋(六堪寺川)・・正念寺・・中国街道合流地点・山陽道起点・・西宮宿・・高札場跡(札場交番)・・蛭児大神御輿屋伝説地・・西宮神社・・圓満寺・・・香櫨園駅(阪神本線)・夙川橋(夙川)・・・(芦屋市)・・・浜街道分岐地点・・親王寺・・・阪神本線踏切・・・道標・・・金津山古墳・・・阿保親王廟道標・・・打出天神社・・・白露地蔵尊・西国橋(宮川)・・・国道2号・・・業平橋(芦屋川)・・・県営深江団地・葦屋駅家跡(深江北町遺跡)・・・国道2号・・・赤鳥居前交差点・・・要玄寺川橋・・・天上川橋・・・三王神社・旧道・・・くび(花松)地蔵・・・国道2号・・・住吉橋(住吉川)・・・住吉駅(JR神戸線)・・・有馬道道標・・西国街道碑・・本住吉神社・・・大手筋交差点・旧道・・御影中学校・西国街道の松・旧西国街道標柱・・・一里塚橋(天神川)・・・徳川道起点・・・西国橋(石屋川)・・・石屋川駅(阪神本線)・・・新在家駅(阪神本線)・・・下河原橋(都賀川)・・大石駅(阪神本線)・・・厄除東向八幡宮標柱・国道2号・・・西灘交差点・旧道・・・岩屋中橋(西郷川)・旧道・・・灘駅(JR神戸線)・・・脇浜子安地蔵尊・・・大安亭市場・・・雲井橋(生田川)・澄覚法親王歌碑・お玉大神・・・三ノ宮駅(JR神戸線)・・・生田神社・生田森・・・生田筋・・(JR神戸線)・・浜街道合流地点(センター街通り)・・・三宮神社・・元町アーケード・・・走水神社・・・きらら広場・兵庫県里程元標・・・(JR神戸線)・・・湊川神社・・・JR神戸駅

 古代の律令制のもとでは、山陽道は都と大宰府を結ぶ大幹線道路で、唯一の大路とされた。鎌倉時代には衰えたが、江戸時代になると西国と畿内を結ぶ脇街道としてにぎわい、西国街道の名で親しまれた。今回歩いた兵庫県内では「西国街道」と標示された説明板・標柱などが多い。
 京都から西宮までを西国街道として歩いた。その先、下関までを近世の山陽道として歩く。途中、古代山陽道の駅家(うまや)跡などにも立ち寄りながら進みたい。

   【ル-ト地図】 

 写真をクリックすると拡大します。

Img_7458山陽道起点 《地図

ここが西国街道歩き、中国街道歩きの終点とした所で、正念寺(右)の先で右折し、西宮宿から西宮神社へと進む。西宮神社までは『西国街道④』に記載。

香櫨園駅前を通り、高架の阪神本線と国道2号の間の道を進み、西宮市から芦屋市に入る。

Img_7475浜街道分岐地点 《地図

大名行列などが通った本街道はここを右折、庶民の生活道路だった海岸沿いの浜街道は直進する。

浜街道を少し進み、在原業平の父、阿保親王ゆかりの親王寺に寄る。

Img_7472親王寺

阿保親王の別邸跡に建てられた親王の菩提寺。

浜街道分岐地点に戻り、右折し本街道を進む。

Img_7478道標の南面:「右西宮道」、西面:「左中山道」
地蔵の左面:「左甲山・荒神・中山・妙見山」で、「中山」は西国三十三所の第24番札所中山寺のこと。

この先で打出小槌町に入って行く。芦屋の民話『打出の小槌

Img_7488金津山古墳 《地図

阿保親王が財宝を埋めたという『黄金伝説』のある前方後円墳。

Img_7485説明板

Img_7489道標「阿保親王廟 是ヨリ五丁」

右折し途中の打出天神社まで行く。

Img_7492打出天神社

今日は「七五三」だ。

Img_7491説明板

Img_7494打出小槌郵便局

預金するとどんどんお金が増えるかも。

Img_7496白露地蔵尊堂(西国橋のたもと) 《地図

Img_7497白露地蔵

延享2年(1745)の造立で、芦屋で一番古い地蔵とか。名前の由来は何なのか?

西国橋を渡って進み、国道2号に合流する。

Img_7504業平橋(芦屋川)から北方向 《地図

在原業平の物語という『伊勢物語』の八七段に、「昔、男、つのくにむばらのこほり、あしやのさとにしるよしゝて、いきてすみけり」とある。橋の手前の北側が「業平町」で、そのあたりに別荘があったようだ。
東京スカイツリーのそばにも業平橋があり、「業平」の地名も残る。東京スカイツリー駅(東武線)も、もとは業平橋駅だった。『東京坂道散歩(墨田区)』に記載。
芦屋川は天井川で、すぐ上流でJR神戸線が川の下を通っている。「天井川の写真」(『デジカメ散歩日記』)

神戸市東灘区に入り、古代山陽道の駅家(うまや)跡を訪ねる。

Img_7506葦屋駅家跡(深江北町遺跡) 《地図

ここから奈良時代の「驛」と墨書した土器が出土したそうだ。『古代山陽道の駅家を辿る

国道2号に戻る。

Img_7512赤鳥居 

鳥居の左前に道標「稲荷之社 從是三町」がある。阪急神戸線の北側の森稲荷神社のこと。

Img_7514要玄寺川

JR神戸線の北側に要玄寺がある。

三王神社の所で国道の北側の道に入る。

Img_7517くび(花松)地蔵堂 《地図

Img_7518くび地蔵

地蔵の顔立ちではないと思うが。先住の花松地蔵はどこにあるのか?

Img_7519説明板

ここを左折し国道2号に出る。

Img_7523住吉橋(住吉川)から北方向

住吉川も天井川。

Img_7525道標「有馬道 是ヨリ北江九十丁」 《地図

江戸時代、六甲を越えて有馬へ行く道は魚屋道だったが、明治7年に大坂~神戸間の鉄道が開通し、住吉に駅が設置されると住吉川沿いに山中に入り、魚屋道に合流する道が利用されるようになった。これが住吉越えの「有馬道」。

Img_7527西国街道碑(本住吉神社前)

住吉は西宮宿と兵庫宿の間にある「道中昼休みの宿」で、本住吉神社前に大名の「休み本陣」があり、街道沿いには多くの「休み茶屋」があった。

Img_7529本住吉神社

大手筋交差点で左折し旧道に入る。

Img_7532西国街道の松 《地図

松並木の名残りのクロマツ。ここを右折して行く。向い側には、「旧西国街道」の標柱が立つ。

Img_7533説明板

Img_7537一里塚橋(天神川) 《地図

Img_7540説明板

Img_7541徳川道起点 《地図

西国街道の迂回路として整備された道だが、一度も正式に使われることなく廃道となった幻の道で、『日光御廻り道』を思い出した。
右折し北上するのが徳川道で、山陽道は左折して、すぐに西国橋を渡って西進する。

Img_7542説明板

処女塚古墳に寄るのを忘れた。『処女塚伝説

Img_7549厄除東向八幡宮標柱 《地図

表面は「七五三まいり」の看板で隠されている。

Img_7552船寺神社=厄除東向八幡宮

ここで国道2号に出て、西灘交差点を直進し国道から離れる。

Img_7558脇浜子安地蔵尊 《地図

Img_7567大安亭市場 《地図

Img_7562由来

Img_7570雲井橋

このあたりは生田川公園になっている。

Img_7576説明板(旧西国街道)

Img_7572澄覚法親王歌碑

布引の滝」の歌、2首。

Img_7574お玉大神(雲井橋を渡った所)

人名と思ったが、「おたま」でなく「しゃもじ」が奉納されていた。

JR三ノ宮駅をくぐって北側に出る。

Img_7580生田神社 《地図

「七五三」の土曜日で、けっこうな賑わいだ。
境内には「源平の合戦の史跡」が多い。

Img_7591生田森

Img_7597説明板

生田筋を南進し、JR線をくぐる。

Img_7598浜街道合流地点 《地図

センター街通りとの交差地点で、芦屋で本街道を分かれた浜街道がここで合流する。

Img_7599三宮神社地図

神戸事件発生の地」碑が立つ。「生麦事件」の神戸版か。

Img_7600元町のアーケードを抜ける。《地図

すごい人波だが、街道歩きは我一人だろう。

Img_7602走水(はしうど)神社 《地図

旧走水村の氏神、菅原道真が祭神で、狛が出迎えてくれる。

Img_7604兵庫県里程元標 《地図

元町のアーケードを抜けた「きらら広場」

Img_7605分」まで書かれているすぐれ物?

JR神戸線をくぐり湊川神社に寄る。

Img_7611湊川神社地図

Img_7608道標(弘化3年(1846))

「従是楠公石碑道」・「従是くすのき公せ記ひみち」で、もとは山陽道にあったもの。

Img_7612神戸駅

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2013年11月13日 (水)

奥州街道(奥内駅→蟹田駅)

2013年10月22日

奥内駅(JR津軽線)・・・国道280号・・・天満宮標柱・・・内真部橋(内真部川)・・・大山祇神社標柱・・・稲荷神社標柱・・(左堰駅)・・・左堰橋(左堰川)・・・六枚橋(六枚橋川)・・昇龍の松・赤平家・・・熊野宮神社標柱・・・(後潟駅)・・・馬頭観音神社・・・後潟神社・・・稲荷神社・・・四戸橋(四戸橋川)・・(蓬田村)・・・地蔵堂・・・傘松観世音・・・中沢小学校記念館・・・長科橋(長科川)・・・(蓬田駅)・・・正法院・・・阿弥陀橋(阿弥陀川)・・稲荷神社・・・八幡宮標柱・・・蓬田橋(蓬田川)・・・蓬田漁港・・・(郷沢駅)・・・浜田橋(郷沢川)・・・玉松園入口標識・・津軽線線路・・玉松台・・・国道280号・・・玉松橋(板木沢川)・・・(瀬辺地駅)・・・天満宮・・・地蔵祠・・・広瀬橋(広瀬川)・・・田中邸跡?・・・(外ヶ浜町)・・・津軽藩蔵屋敷跡(青森法務局蟹田出張所跡)・・・八幡宮・・・蟹田駅(JR津軽線)

  【ル-ト地図】(18.1km)

 陸奥湾沿いを北上し、青森市から蓬田村、外ヶ浜町の蟹田へと進んだ。
 この先、奥州街道歩きの終点する三厩から竜飛崎まではたいした距離ではないが、太宰治が小説『津軽』で「津軽の旅行は、五、六月に限る」と言っているように、来年の5、6月の楽しみとしよう。

 奥州街道蟹田駅→平舘)』へ続く。

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Img_7218旧家

左堰橋を渡った右手。

Img_7220旧家

Img_7225六枚橋から六枚橋川上流方向

Img_7230昇龍の松・赤平家 【ル-ト地図】の①

盆栽の化け物か。赤平家は松前藩主の参勤交代の際の宿泊所だった。

Img_7226説明板

Img_7233尻八城址標識

安東氏が築いたという本州最北端にある本格的な山城。

Img_7239馬頭観音神社 【ル-ト地図】の②

・鳥居・観音堂、まさに神仏混交(習合)だ。

Img_7243国道に戻らず、馬頭観音神社前の道を行く。

Img_7247後潟神社 《地図

旧郷社、祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命。

Img_7258四戸橋(四戸橋川)河口 《地図

「しのへ」ではなく「しと」、風が強く白波が立っている。

橋を渡って青森市から蓬田村に入る。

Img_7266地蔵堂

地蔵(天保12年(1841))は天明飢饉の犠牲者供養のため建立されたと伝える。

Img_7267地蔵堂の脇

百万遍供養塔(左)・右の猫が浮彫されているのは、猫の墓か動物の供養塔か?

Img_7269傘松観世音 【ル-ト地図】の③

鳥居の左側の傘を拡げたような老松が傘松のようだ。本尊は聖観音で嘉永2年(1849)、中沢村有志が発起人となり、無病息災、部落民安泰を祈願し建立、安置したもので、変事に際には黒色に変じ、ついには漆黒となり露をもらすという。
ここも馬頭観音神社と同じで、観音堂と鳥居だ。

Img_7276中沢小学校記念館(蓬田保育園の庭)

校舎にしては小さいが。

Img_7289正法院山門(仁王門)

松前藩主の参勤交代の休憩所だった。

Img_7299稲荷神社

旧村社

Img_7301阿弥陀橋(阿弥陀川) 《地図

金光上人が阿弥陀如来像(県重宝・弘前市の西光寺に安置)を掘り上げたことに由来する。

Img_7312蓬田漁港

天明8年(1788)、この地を通り北海道へ渡った菅江真澄は、「さらに行くと郷沢(蓬田村)という村のあとがある。卯辰の飢饉(天明飢饉)に、漁をしても魚さえなく、犬を料理したり馬を殺して食ったころ、住む人も死にたえ、家々も焼けてしまったのだという。瀬辺地をへて広瀬(蓬田村)というところの細い流れにのぞんで「ひろせ川袖つくはかりあさきをやこころふかめてわかおもへらん」(万葉集巻七、読人知らず)と、大和とおなじ地名があるので、ここで口ずさんでみて、蟹田の宿駅を越えると川があった。綱舟をたぐってわたしている」と記す。『外ヶ浜づたい』より

 

Img_7348玉松園入口標識

Img_7326津軽線で行止りだが。

フェンスの脇から線路を渡る。

Img_7342玉松台 【ル-ト地図】の④

江戸時代、青森港や油川港へ向かう舟は、ここの松を見て何時頃湊へ着けるかを目算し、地元の船は灯台代わりの目印にしたと伝える。

Img_7327説明板

Img_7335玉松

枝が円を描いていて「玉」だそうだ。

Img_7328民話

あっさりとあきらめてしまうとは人のいい庄屋だ。

Img_7339玉松台から玉松海水浴場 《地図

たままつ海の情報館」もある。

Img_7353龍飛まで47km

終点が近づいてきてなんとなく寂しい感じだ。今回行かないが。

Img_7369天満宮参道(振り返って海方向を見ている)

旧道は天満宮の丘よりの斜面を通っていたようだ。

Img_7364天満宮

標高25m

Img_7375地蔵

回りには百万遍供養塔

Img_7381広瀬川河口

かもめが群れて、頭上を舞う。

Img_7391気温14℃

海からの風で体感温度は低く感じる。上着を着ないと寒い。

Img_7402田中吉兵衛邸跡?

無住のようだ。明治から大正にかけての海運業で財をなしたそうだ。

Img_7394土蔵は開けっ放し、空っぽ。

Img_7397庭園?

Img_7407海と津軽線の線路に挟まれて進む。

このあたりは潮が引くと海岸を歩き、海が荒れると山側を歩いたそうだ。

Img_7418津軽海峡線の特急だ。

後で蟹田駅から青森まで乗るつもりだ。

Img_7421外ヶ浜町に入った。《地図

2005年3月に蟹田町・平舘村・三厩村が新設合併して誕生した町。

Img_7428蟹田の町並みに入る。

Img_7430津軽藩蔵屋敷跡(左・青森法務局蟹田出張所跡) 【ル-ト地図】の⑤

Img_7435八幡宮(村社)

Img_7436左折して蟹田駅へ

この先、街道は海岸沿いを行くが、津軽線は北西に離れて行く。今回の奥州街道歩きはここまでとし、この先、三厩から龍飛崎までは、来年の5月の楽しみとしよう。

Img_7437蟹田駅

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2013年11月 7日 (木)

奥州街道(野内駅→青森駅→奥内駅)

2013年10月21日

野内駅(青い森鉄道)・・・県道259号・・・野内橋(野内川)・・・原別橋(原別川)・・・海昌寺・・・造道交差点・沢田橋(赤川)・旧道・奥州街道標柱・・・猿田彦神社・・・合浦公園・三誉の松・・・茶屋町・・・旭橋(堤川)・・・塩町・・・湊奉行所跡(聖徳公園)・・・棟方志功出生の地・枡形跡・・奥州街道終点の碑・青森市道路元標・善知鳥神社・・・青い森公園・・・御仮屋跡碑(青森県庁)・・・青森湾・八甲田丸・・青森駅・・あすなろ橋(跨線橋)・・・県道280号・・・森林博物館・・沖館橋(沖館川)・・・新井田橋(新城川)・・・明誓寺・・・油川神明宮・・・浄満寺・千人塚・・・大浜橋(天田内川)・・・西田酒造店・羽州街道・松前街道合流地碑・・油川湊番所跡あたり・・・油川橋(油川)・・・油川温泉・・・(油川駅)・・・粟島神社・・・浜田橋(浜田川)・・・八幡宮参道・・・羽黒神社標柱・・・瀬戸子川・・・八幡宮標柱・・・(津軽宮田駅)・・・清岸寺・・・奥内橋(奥内川)・・・三社宮標柱・・・貝倉神社・・・奥内駅(JR津軽線)

  【ル-ト地図】(23.0km)

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Img_7058赤川河口(沢田橋から) 《地図

正面は青森湾

橋を渡って右に旧道入る。

Img_7059電柱前に奥州街道の標柱

Img_7064猿田彦神社

自然石の猿田彦塔(文化5年(1808))が祠内に祀られている。

Img_7072合浦 (がっぽ)公園中を通る。 【ル-ト地図】の①

Img_7077説明板

Img_7075三誉の松

Img_7074説明板

Img_7079茶屋町の家並み

「茶屋」が並んでいたというの面影はない。

Img_7082旭橋から堤川河口方向 《地図

寛文11年(1671)に木橋が架けられる前は舟渡しだった。旭橋の東南詰めに「茶屋町延命地蔵尊」があるようだが見逃した。

Img_7083塩町を進む。 《地図》 

Img_7086説明板

Img_7089湊番所跡あたり(聖徳公園) 《地図

明治天皇の記念碑ばかりで、湊番所の説明板などはない。

Img_7093_2高札場跡 《地図

ここは枡形跡で左側が棟方志功出生の地。

Img_7098奥州街道終点の碑・青森市道路元標(善知鳥神社前) 【ル-ト地図】の②

ここを終点とし、この先は松前街道・外ヶ浜道とするが諸説あり。

Img_7095説明板

Img_7099善知鳥(うとう)神社

Img_7100由緒

Img_7106菅江真澄句碑・謡曲善知鳥の旧蹟碑

Img_7102説明板(句碑)

Img_7105説明板(謡曲)

Img_7110青い森公園

向う側の県庁が御仮屋跡

Img_7112御仮屋跡碑 【ル-ト地図】の③

この碑を見つけるのに苦労した。ここから20mも離れていない東門の守衛も知らないとは情けないね。

Img_7113説明板

Img_7115米穀商店

Img_7440八甲田丸  《地図

船首側には、♪「津軽海峡冬景色」♪の碑がある。近づいたら歌いだした。観光客の多い日などは一日中歌いっぱなしだろう。奥州街道歩きの終点とする竜飛崎にもあるようだ。拙者の美声はそこで聞かせるとしよう。

青森駅にぶつかり街道は途切れる。南側のあすなろ橋で線路を越える。

Img_7123あすなろ橋 《地図

Img_7125街道復活地点 《地図

この先で国道280号に合流し、陸奥湾沿いを北上する。

Img_7127森林博物館  《地図

Img_7131沖館橋(沖館川)から青森湾方向

右は森林博物館

油川の入口に代官所があったそうだが何の標示もなかった。

Img_7146浄満寺 【ル-ト地図】の④

円空作の木彫釈迦牟尼如来坐像を安置。

Img_7151天明飢饉供養塔・千人塚

浄満寺境内に天明飢饉の犠牲者800人を埋葬した千人塚が作られた。
右の五輪塔は油川城の奥瀬氏の墓と伝える。

Img_7150由来

Img_7148森山弥七郎供養碑(浄満寺境内)

青森開港の功労者。

Img_7147説明板

Img_7164西田酒造店 《地図

「田酒」・「喜久泉」の醸造元

Img_7166こみせ

商店が軒先を出し合い、雨・風・雪を避けて通れるようにしたアーケード。

Img_7168羽州街道・松前街道合流地碑 【ル-ト地図】の⑤

ここを奥州街道の終点・松前街道の起点としている。
油川は交通の要衝地、外ヶ浜第一の湊として栄えたが、青森港開港後はその地位が下がった。油川商人の才覚と努力で商人町として生き残って繁栄したが、度重なる火災と明治3年に油川を経由しない弘前~青森間の新道が開通し打撃を受け衰退して行った。

Img_7167説明板

この先で右に入った浜沿いが湊番所跡だが、説明板などはない。

Img_7176粟島神社

社殿の後ろは青森湾。

Img_7181飛鳥地区を行く。

ここ津軽にも飛鳥(あすか)があった。西方に飛鳥山(104m)もある。

Img_7182羽黒神社標柱

津軽線の向うに鳥居が見える。

Img_7185瀬戸子川 《地図

Img_7189津軽宮田駅を過ぎる。

Img_7192清岸寺

木彫阿弥陀如来坐像(青森市指定文化財)
本堂前の庭の石灯籠2基は上野の寛永寺から下付されたそうだ。

Img_7191説明板

Img_7198貝倉神社

普通の民家風の建物だ。西方約4kmの奥内川中流域の山中にあるという貝倉神社の末社だろうか。

Img_7202奥内駅(JR津軽線)

無人駅

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2013年11月 2日 (土)

奥州街道(清水川駅→野内駅)

2013年10月20日

清水川駅(青い森鉄道)・・・国道4号・・・旧道・・・清水川漁港・・・清水川八幡宮・・・国道4号・・・清水川大橋(清水川)・・・平内パーキング・奥州街道標柱・案内板・・・堀替川・・・(青い森鉄道)・・県道9号・・・神明宮・・・庚申塔・・・小湊橋(小湊川)・・・浄専寺・・御家中の松・・高橋竹山碑・平内代官所跡・歴史民俗資料館・・・竹内家跡(明治天皇行在所跡)・平内町役場・・かどや久末商店・・・(国道4号)・・・天明飢饉供養塔・・・奥州街道標柱・・・人形坂・・・藤沢交差点・国道4号・・・(西平内駅)・・・(青い森鉄道)・・・旧国道4号・・・ほたて広場・土屋番所跡・・・懸坂跡・(青森市)・・・八大龍神宮・・・奥州街道標柱・案内板・・・浅虫温泉・・足湯公園・・椿館・・夢宅寺・・柳の湯(本陣跡)・・浅虫川・高札場跡・・・国道4号・・・うとう坂跡・・・善知鳥崎・(善知鳥トンネル)・古戦場標柱・明治天皇御休所跡碑・うとうまいの梯跡・・・久栗坂交差点・・稲荷神社・とうまい坂・・県道259号・・・根井橋(根井川)・・久栗坂漁港・・・観音寺・錦木之塚・・不動尊・・県道259号・・久栗坂・・川上神社・・・(青い森鉄道)・・・貴船川・・・(青い森鉄道)・・・野内番所跡・・当古寺・・松並木跡・・野内駅(青い森鉄道)

  【ル-ト地図】(28.7km)

  途中から雨となったが予定通り青森市に入り、野内駅まで進んだ。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6853清水川八幡宮 《地図

かわいい狛が出迎えてくれた。陸奥では馬を大切にしているが分かる。

Img_6855由緒

Img_6859清水川大橋から清水川

Img_6861現在気温15℃

上着を着て歩いているとちょっと暑いくらいだ。

Img_6865平内パーキング

ミニ松並木と街道碑

Img_6864説明板

狩場沢と土屋の間の旅籠は、小湊に1軒あるだけだったようだ。

堀替川を渡り、浜子地区を過ぎ、青い森鉄道を越えた先で国道4号から離れ右へ入り、県道9号を沼館、小湊へと進む。

Img_6877大島椿山・白鳥渡来地標識

この先で右折して県道9号を北上すれば、小湊の白鳥渡来地で、夏泊半島の先端には椿自生北限地帯も椿山がある。白鳥は10月上旬頃から渡来するとは知らなかった。ここから近いのに惜しいことをした。
街道は直進する。

Img_6881神明宮

七戸隼人が慶長年間(1596~1614)に浜子村に創建し、寛永8年(1631)に藩命で当地に移転したという。

Img_6882庚申塔

ちゃんと鳥居がついている。

Img_6886小湊の町並み 《地図

いずこも同じ秋の夕暮、シャッター通り商店街か。日曜日のせいもあるかも。突き当りを右折する。

Img_6888御家中の通り

このあたりは蝦夷のチャシ(砦・館)があったといわれている所で、藩政時代の明暦2年(1656)以降は津軽家黒石藩領で平内代官所が置かれ、その周辺に武家屋敷を配したことで御家中と呼ばれる小城下町を形成していた。左は浄専寺。

Img_6904御家中の松

推定樹齢300年のクロマツ

Img_6893説明碑

Img_6895高橋竹山

津軽三味線の名人は、ここ平内町の生まれ。

Img_6902平内代官所跡 【ル-ト地図】の①

右は歴史民俗資料館で「初代高橋竹山資料展示室」を兼ねている。

Img_6897説明板

Img_6906豪商竹内与右衛門家跡(平内町役場) 《地図

明治天皇行在所(後ろに碑)にもなった。

Img_6908かどや久末商店(役場の斜め向かい)

寛政10年(1798)正月にこの地に滞在していた菅江真澄の『津軽のつと』に出てくる、小湊の酒屋の「久末」だそうだ。

国道4号を横切り、その先で右折して行く。

Img_6912天明飢饉供養塔 【ル-ト地図】の②

Img_6911説明板

東福寺は町役場の西側にある。「昔の奥州街道」とある。

Img_6915旧道はやっぱりいいね。

Img_6920奥州街道標柱(正面)

平内町が去年の10月に設置したもの。標柱に沿って西へ進む。

Img_6922まだ刈入れ前のようだが。

Img_6923人形坂 《地図

人形送り行事の人形を捨てた所という。上って下って藤沢の人形坂地区を抜ける。

藤沢交差点で国道4号に出る。《地図

Img_6931ここを左へ入るのが旧道かも?

西平内駅の手前。

西平内駅を過ぎ、青い森鉄道を越え、県道9号との分岐の先で左側の旧国道を進む。

Img_6937旧国道を行く。 《地図》(道の標示はない)

右上を国道4号が通っている。

Img_6941車もほとんど通らない静かな道を下る。《地図

雨が降り出してきた。

Img_6946土屋番所跡 【ル-ト地図】の③

津軽家黒石藩の弘前藩領との境の番所。
今は「ほたて広場」で、ここで雨宿りで一休み。

Img_6948説明板

Img_6951ほたて供養塔・ほたて観音

Img_6950由来

Img_6949鍵懸坂(跡) 《地図

天明8年(1788)7月6日に菅江真澄がこの坂を越えた時にはたいそう険しい道で、大木に木のっていた。これは、恋する人を思いながら、縁結びの神に祈り、になった切り枝を投げ、それがうまく木にれば思いが叶うというもので、陸奥には所々にある習俗だと記す。『外ヶ浜づたい』から
今は切り通されて傾斜はほとんどなくなってしまった。

Img_6953ほたて大橋・鴎島

黒石領(平内町)から弘前領(青森市)に入る。

Img_6957奥州街道標柱・向う側に案内板

浅虫温泉へと入って行く。平成16年9月に道の駅「ゆーさ浅虫」の展望浴場で温泉を楽しんだことがある。むろんその時には、東京から歩いて再来するとは夢にも思わなかったが。

Img_6958街道図

とふ(う)まい坂の途中に一里塚があったようだ。

Img_6966足湯公園

飲泉場と温泉玉子が作れる「温泉たまご場」もあるようだ。

Img_6971椿館

棟方志功の常宿

Img_6969夢宅寺地図

菅江真澄が訪れた頃は夢宅庵だった。津軽三十三観音の第23番

Img_6974周辺案内図

Img_6973石木別荘(跡)?

Img_6976柳の湯

津軽家弘前藩本陣跡

Img_6977浅虫川を渡った左側が高札場跡。

Img_6980国道4号に出る。

街道は、①陸奥湾沿いに進み、「うとうまいの梯」を通る。②山越えの「うとう坂」を上り、「とうまい坂」を下る。2つの道筋があったが、山越えのルートは山崩れのため全部は通じていないようだ。

Img_6982うとう坂跡か?

善知鳥神社の「うとう考」の『烹雑の記』(滝沢馬琴)に記すように、海辺の出崎の坂。 『うとう坂表

Img_6985山崩れの跡?

この下を街道が通っていたのだろう。

海沿いを善知鳥崎へと進む。

Img_6987古戦場跡・善知鳥トンネル・うとうまいの梯(かけはし)跡 【ル-ト地図】の④

トンネル手前で右へ小道(うとうまいの梯跡)に入る。
『外ヶ浜づたい』(菅江真澄)には、「道は山路があってそこを馬がかよい、浜辺の道は人が磯をつたって歩いている。うとうまいの梯を渡った。岸から高い岩の上に、六尺ほどの板を渡してあり、いかにも危なそうである。」で、越後の「親不知・子不知」とともに二大険路だったという。

Img_6988古戦場碑

源頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏の残党、大河兼任等が鎌倉軍に対して最期の防戦をした地と伝える。

この先、海岸沿いの小道を進むと、左に明治天皇御休所跡碑がある。その先は背丈ほどもある雨に濡れた雑草にふさがれて進みづらいが、戻ってトンネルを抜けるのも癪だし強行突破した。おかげで全身濡れねずみとなった。海が荒れている時は今でも通れないだろう。

Img_6996うとうまいの梯跡あたり

振り返って見ている。

Img_6994_2説明板①(うとうまいの梯・大河兼任の乱)

Img_6993

Img_6998とうまい坂の坂下

うとう坂を越えた山越えの道は、ここへ通じていた。

Img_6999稲荷神社

右へ上るのが「とうまい坂」。

Img_7004自然歩道案内図

浅虫の八幡宮からの道筋だ。街道は「うとう坂」を上り、「卍高野山」の左側を通って、自然歩道の道筋に合流していたのだろう。

Img_7005とうまい坂(坂上方向) 【ル-ト地図】の⑤

草深く雨で靴の中はすぐにびしょ濡れだ。途中で引き返す。

Img_7006久栗坂漁港

久栗坂交差点から県道259号に入り、久栗坂の集落から右に入って観音寺に寄る。

Img_7019錦木之塚(観音寺境内) 《地図

①善知鳥中納言安方(青森の善知鳥神社を創建したと伝える)の妻の錦木が夫のあとを慕ってここまで来て病歿し、村人が憐れんで埋葬した墓。
②旅の途中で行き倒れになった娘の墓、供養塔。とも伝わるそうだが、①は時代が古過ぎやしないか?
また、菅江真澄は「けふのせば布」で、「錦木塚」の伝説・風習を記しているが、①・②とも全く異なる内容で、この塚とは無縁か?

Img_7020久栗坂を上る。《地図

右が川上神社で急な石段を上る。

Img_7022川上神社

慶長元年(1596)、当村開発の折、田地から発見された観世音像を祀る観音堂(先ほどの観音寺か?)を建立。明治初年の神仏分離の際、高龗神(たかおかみのかみ)を勧請し、川上神社と改称したそうだ。社殿の右隣に山頂薬師堂がある。

Img_7030久栗坂トンネル(青い森鉄道)を越え、浦島地区から野内地区へ下って行く。

貴船川を渡り、青い森鉄道をくぐる。

Img_7034野内番所跡(左)

津軽三関の一つ。左の松あたりに黒石藩、向かい側に弘前藩の番所があった。
ひと月の通行者が100人程度というから、番人も暇をもて余していただろう。

Img_7035説明板

Img_7039当古寺鐘楼門 《地図

本尊の木彫阿弥陀如来像は県の重宝。津軽八十八カ所の第24番。

Img_7042松並木の名残りと、枡形跡の緩やかな曲がり。

Img_7046野内駅(青い森鉄道)

旧野内駅は1.6km手前にあった。2011年3月に青森駅寄りのここに移転した。駅舎は新しいが無人駅。

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