奥州街道(野内駅→青森駅→奥内駅)
2013年10月21日
野内駅(青い森鉄道)・・・県道259号・・・野内橋(野内川)・・・原別橋(原別川)・・・海昌寺・・・造道交差点・沢田橋(赤川)・旧道・奥州街道標柱・・・猿田彦神社・・・合浦公園・三誉の松・・・茶屋町・・・旭橋(堤川)・・・塩町・・・湊奉行所跡(聖徳公園)・・・棟方志功出生の地・枡形跡・・奥州街道終点の碑・青森市道路元標・善知鳥神社・・・青い森公園・・・御仮屋跡碑(青森県庁)・・・青森湾・八甲田丸・・青森駅・・あすなろ橋(跨線橋)・・・県道280号・・・森林博物館・・沖館橋(沖館川)・・・新井田橋(新城川)・・・明誓寺・・・油川神明宮・・・浄満寺・千人塚・・・大浜橋(天田内川)・・・西田酒造店・羽州街道・松前街道合流地碑・・油川湊番所跡あたり・・・油川橋(油川)・・・油川温泉・・・(油川駅)・・・粟島神社・・・浜田橋(浜田川)・・・八幡宮参道・・・羽黒神社標柱・・・瀬戸子川・・・八幡宮標柱・・・(津軽宮田駅)・・・清岸寺・・・奥内橋(奥内川)・・・三社宮標柱・・・貝倉神社・・・奥内駅(JR津軽線)
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
赤川河口(沢田橋から) 《地図》
正面は青森湾
橋を渡って右に旧道入る。
自然石の猿田彦塔(文化5年(1808))が祠内に祀られている。
合浦 (がっぽ)公園中を通る。 【ル-ト地図】の241
「茶屋」が並んでいたというの面影はない。
旭橋から堤川河口方向 《地図》
寛文11年(1671)に木橋が架けられる前は舟渡しだった。旭橋の東南詰めに「茶屋町延命地蔵尊」があるようだが見逃した。
塩町を進む。 《地図》
湊番所跡あたり(聖徳公園) 《地図》
明治天皇の記念碑ばかりで、湊番所の説明板などはない。
高札場跡 《地図》
ここは枡形跡で左側が棟方志功出生の地。
奥州街道終点の碑・青森市道路元標(善知鳥神社前) 【ル-ト地図】の242
ここを終点とし、この先は松前街道・外ヶ浜道とするが諸説あり。
善知鳥安方(一説に将門の家臣)の創建と伝える。安方は『善知鳥安方忠義伝』 にも登場する。『将門マップ』
向う側の県庁が御仮屋跡
この碑を見つけるのに苦労した。ここから20mも離れていない東門の守衛も知らないとは情けないね。
船首側には、♪「津軽海峡冬景色」♪の碑がある。近づいたら歌いだした。観光客の多い日などは一日中歌いっぱなしだろう。奥州街道歩きの終点とする竜飛崎にもあるようだ。拙者の美声はそこで聞かせるとしよう。
青森駅にぶつかり街道は途切れる。南側のあすなろ橋で線路を越える。
あすなろ橋 《地図》
街道復活地点 《地図》
この先で国道280号に合流し、陸奥湾沿いを北上する。
右は森林博物館
油川の入口に代官所があったそうだが何の標示もなかった。
浄満寺 【ル-ト地図】の245
円空作の木彫釈迦牟尼如来坐像を安置。
浄満寺境内に天明飢饉の犠牲者800人を埋葬した千人塚が作られた。
右の五輪塔は油川城の奥瀬氏の墓と伝える。
青森開港の功労者。
「田酒」・「喜久泉」の醸造元
商店が軒先を出し合い、雨・風・雪を避けて通れるようにしたアーケード。
羽州街道・松前街道合流地碑 【ル-ト地図】の246
ここを奥州街道の終点・松前街道の起点としている。
油川は交通の要衝地、外ヶ浜第一の湊として栄えたが、青森港開港後はその地位が下がった。油川商人の才覚と努力で商人町として生き残って繁栄したが、度重なる火災と明治3年に油川を経由しない弘前~青森間の新道が開通し打撃を受け衰退して行った。
この先で右に入った浜沿いが湊番所跡だが、説明板などはない。
社殿の後ろは青森湾。
ここ津軽にも飛鳥(あすか)があった。西方に飛鳥山(104m)もある。
津軽線の向うに鳥居が見える。
瀬戸子川 《地図》
木彫阿弥陀如来坐像(青森市指定文化財)
本堂前の庭の石灯籠2基は上野の寛永寺から下付されたそうだ。
普通の民家風の建物だ。西方約4kmの奥内川中流域の山中にあるという貝倉神社の末社だろうか。
無人駅
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
- My郷散歩(松戸の稲荷巡り)(2023.11.13)
- My郷散歩(2023.11.12)
この記事へのコメントは終了しました。





































コメント