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2013年12月 6日 (金)

山陽道(朝霧駅→加古川駅)

2013年11月18日

朝霧駅(JR神戸線)・・・朝霧橋(朝霧川)・・・旧道・・明石宿(大蔵谷宿)・・題目塔・・明石藩大砲練習場あたり・・穂蓼八幡宮・・受持姫大明神・大蔵会館・本陣跡・・稲爪神社・・大蔵院・・枡形・・道標・・忠度塚・・人丸前交差点・国道2号・道標・・腕塚神社・・(山陽電鉄・JR線ガード)・両馬川旧跡碑・・馬塚跡・・長寿院・・柿本神社・・月照寺・・国道2号・・休天神社・・枡形・道標・日本標準時子午線通過地標・・・朝顔光明寺・・・明石駅・・明石城跡・・・本町1番街・・高札場跡あたり・・・大観橋(明石川)・・・山陽電鉄踏切・・JR神戸線ガード・・・十輪寺・・・和坂(かにがさか)・・坂上寺・・・西明石町5丁目交差点・国道2号・・・旧道・・・割池跡あたり・・・西明石駅(山陽新幹線)・・・雲楽池・・(国道2号)・旧道・・大久保宿(間の宿)・・住吉神社・・常徳寺・・本陣跡安藤家・・大久保橋(谷八木川)・・・大谷橋(東川)・・・明治天皇小休所跡・・・(JR大久保駅)・・・大久保西交差点・国道2号・・・富士通工場・・・西脇橋(赤根川)・・・大池東交差点・旧道・・・金崎宮鳥居・・金崎宮・・・道標・・・正覚寺・・・亥ノ池・・・長坂・・・古前中池・・・大道池・邑美駅家跡あたり(長坂寺遺跡)・・・長池・・・水争い記念碑?・・・五輪塔・・・清水神社・・・西福寺・道標・・・瀬戸川橋・・・清水橋(清水川)・・・道標・・・稲荷社・・・(加古川市)・・・土山橋(喜瀬川)・・・土山薬師・・・勝負下踏切(JR神戸線)・・・五社大神社・・・高畑薬師堂・・・長松寺・・・国道2号・・・旧道・・・西谷八幡神社・・・新在家第2公園・・・五輪塔・・イオン加古川・・東加古川ハイタウン・・・道標・野口神社・・・教信寺・・・(国道2号)・・駅ケ池・・賀古駅家跡(古大内遺跡・大歳神社)・・・宝篋印塔(伝和泉式部墓)・・・おりい坂・おりいの清水跡・観音堂?・・・二号橋(別府川)・・・平野東交差点・国道2号・・・旧道・・・龍泉寺・・・胴切れ地蔵・・・加古川駅(JR山陽本線)

  【ル-ト地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_7929明石宿(大蔵谷宿)へ入る。《地図

江戸時代には山陽道屈指の宿場として栄えたという。

Img_7935説明板(大蔵会館前に設置)

Img_7933穂蓼(ほたて)八幡神社

推古天皇の頃、三韓から侵攻してきた不死身の鉄人を討った越智益躬(おちのますみ)を祀る。
神社の東側に明石藩大砲練習場があったそうだ。

Img_7931説明板

Img_7934本陣跡(右の大蔵会館の向い側あたり)

鳥居は受持姫大明神

Img_7937稲爪神社地図

三韓から侵攻してきた不死身の鉄人の討伐を命じられた越智益躬は、故郷伊予の大山祇神社(三嶋大明神)に成就を祈った。鉄人が明石に着いた時、大山祇神が姿を現し、鉄人の弱点の足の裏を射よと告げた。お告げにより益躬は鉄人を矢で射殺した。 益躬は感謝して、この地に大山祇神社を勧請したという。
秋の大祭には、鉄人が乗って来たという牛に因んだ、「大蔵谷の牛乗り」が行われる。

Img_7940旧家

Img_7943大蔵院

嘉吉の乱の赤松満祐の弟の赤松祐尚夫妻の墓がある。

Img_7942説明板

Img_7945桝形 《地図

街道はここを左折しすぐ右折して行くのだが、右折して源平のゆかりの所などに寄り道する。正面は明石人丸教会。

Img_7946道標

南面:「左たゞのり道」、北面:「右へ 半丁 忠度塚」 (『山陽道の道標』による)

ここを左に入って忠度塚へ。

Img_7948忠度塚

中山道深谷宿の先に、平忠度の供養塔(清心寺境内)、忠度を討った岡部六弥太忠澄の墓が普済寺近くの墓地にある。『中山道(熊谷宿→本庄宿)』に記載。

Img_7949説明板

Img_7950道標(万延元年(1860)) 《地図

東面:「右 人磨山三丁」、南面:「正一位柿本大明神道」、西面:「左 人丸山三丁」で、柿本神社への道標。

Img_7955腕塚神社

祭神は岡部六弥太に右腕を斬り落されたという平忠度で、腕・腰の病にご利益ありという。

Img_7956由緒碑

Img_7958両馬川旧跡碑(山陽電鉄ガード下)

平忠度と岡部六弥太が馬を並べて戦ったため「両馬川」と呼ばれた川があった。

Img_7959説明板

Img_7966馬塚跡標柱

琵琶の名手の平経正の馬を埋めた所という。背後は明石藩主松平家廟所で、その向うが東経135度日本標準時子午線の真上の明石市立天文科学館

Img_7974柿本神社地図

Img_7972由緒

Img_7977門前から明石海峡

水平日時計・右は芭蕉句碑「蛸壺やはかなき夢を夏の月」(『笈の小文』の最後の句)で、背後に天文科学館の塔がそびえる。

Img_7980子午線標示柱

Img_7979説明板

Img_7982月照寺山門

もとは伏見城の薬医門→明石城の切手門.

Img_7983説明板

Img_7987本堂

右は八つ房の梅

Img_7986説明板

800mほど北方の高家寺(太寺廃寺跡)あたりが、古代山陽道の明石駅家跡という。「菅公旅次遺跡」碑もあるそうだ。《地図》 『古代山陽道の駅家(うまや)を辿る

「途に在りて、明石の駅亭に到る。駅亭の長、見て驚く。驚くことなかれ 時の変改するを 一栄一落 是れ春秋」(『菅家後集』)

Img_7990休天(やすみてん)神社道標

Img_7991休天神社 《地図

鳥居をくぐった右側に「菅公駐駕驛長宅址」の石柱がある。ここが大宰府へ左遷される途中の菅原道真が休んだ(泊まった)明石の駅長宅跡ということか。明石駅家跡とされる高家寺からはかなり離れてはいるが。

枡形へ戻って街道を行く。

Img_7999枡形

右に道標(慶応元年(1865))
東面:「右 か古川 ひ免ぢ 道」、北面:「左 ひゃうご 大阪 道」

中央に「日本標準時子午線通過地標」

Img_7998説明板

Img_8004光源氏月見の池(朝顔光明寺) 《地図

まあこんなもんとは思っていたが、せめて水くらい張って欲しいね。

すこし離れているが明石駅の北側の明石公園に寄る。

Img_8010明石城巽櫓 《地図

Img_8018案内図

街道に戻り本町一番街を進む。

Img_8028高札場跡(本町2丁目交差点) 《地図

Img_8031大観橋を渡り、右に入って行く。

明石川は徒渡りで、橋の西詰に姫路門が設置されていた。

山陽電鉄踏切を渡り、JR神戸線ガードをくぐって行く。

Img_8038焼け残った杉(十輪寺) 《地図

「太閤さんの木やで」の老人の一言で、残ったという。

Img_8037説明板

Img_8040 和坂(かにがさか)の上りとなる。《地図

道行く人に悪さをしていた古狐を、大池に棲む大蟹が退治した。今度はその大蟹が驕り高ぶって、この坂を行き交う人たちを襲った。諸国巡礼中の弘法大師が大蟹を岩(蟹塚)に封じ込めたという伝説の「蟹が坂」で、大蟹が棲んでいた池は、埋めたてられて浄水場になり、池の中の島にあった「蟹塚碑」が近くの公園に移され残っているそうだ。

Img_8043坂上方向

途中の右側に坂上寺がある。このあたりの地名は「和坂」で、今は「わさか」と読んでいる。

Img_8041坂上寺

「かにがさかのお大師さん」で、右は鯖をぶらさげている弘法大師像。四国八十八札所には鯖大師(番外霊場別格第四番)があり、近くの馬ひき坂には、鯖大師伝説がある。『四国遍路道(徳島県②)』に記載。

西明石町5丁目交差点で国道2号に出て、松の内交差点の先で左に旧道に入る。

Img_8049旧道に入り西明石駅をくぐって行く。

Img_8050割池跡あたり

正面が山陽新幹線の西明石駅

Img_8051説明板

これを書いたのは沢地小学校の6年生。

西明石駅をくぐって行く。

Img_8055雲楽池 《地図

水面が見えない。

国道2号に出て、斜め左に入ると大久保宿だ。

Img_8059大久保宿(間の宿) 《地図

右は住吉神社

Img_8064家並み

左の東蔵は住吉神社の屋台蔵。谷八木川の先に西蔵があるようだ。先の右側は常徳寺。

Img_8070本陣跡(安藤家)

Img_8082明治天皇大久保小休所建物

Img_8086旧家

JR大久保駅前を通り、大久保西交差点で国道2号に出る。

Img_8089富士通工場 《地図

街道は工場の敷地内を斜めに横切っていた。

大池東交差点で右折し、旧道の続きを行く。

Img_8097金崎宮鳥居 《地図

Img_8099金崎宮

もとは約1.8mの黒岩を神体とする「黒岩神社」だった。住吉神社を合祀して改称した。

街道に戻らず金崎宮の前の道(大山寺道)を進むと西国街道(山陽道)との分岐に出る。

Img_8101道標「左 山寺道」で太山寺(神戸市西区)への道。 《地図

振り返って見ている。右が西国街道(山陽道)で鳥居前からの道はここへ通じている。

Img_8109長坂を上る。《地図

左は亥の池

Img_8116道標(古前中池前) 《地図

「魚住之太子道」・「小式部内侍祷之松」らしいが、かすれていて判読困難。
①「魚住之太子」は南方の遍照寺のこと。
②和泉式部が娘の小式部内侍の死を悼んで植えた「祷(いのり)の松」が街道付近にあったそうだ。(『和泉式部の足跡を訪ねる』の「山陽道に沿って」)
この先、加古川市に入ると和泉式部の墓だとされる宝篋印塔がある。(後述)

Img_8118大道池(長坂寺(ちょうはんじ)遺跡・邑美駅家あたり)

発掘調査で寺院跡ではなく、古代山陽道の駅家跡と推定されている。ただし早くに廃止されたらしく、その名前は記録に残っていない。そこで古代の地名の「邑美郷」や聖武天皇が行幸したという「邑美頓宮」にちなんで(仮称)「邑美駅家」(おうみのうまや)と呼んでいる。参考:『古代山陽道の駅家(うまや)を辿る

長坂寺遺跡」の標柱を探して池の回りをうろついたが見つからず。

Img_8126記念碑

弘化年間(1844~47)の水争いの勝訴記念碑?

Img_8132五輪塔(貞和2年(1346))

清水神社手前の左側の墓地の中。

Img_8131説明板

Img_8134清水神社地図

Img_8137説明板

清水のオクワハン

Img_8139道標(左の民家前)、右は西福寺。

東面:「是よ里 者り満名所道」(是よりまりま名所道)
南面:「左 別府手まくらの松 をのへの可年(かね) 高砂相生末川(松)」
西面:「右 岩岡 あかし 道」
北面:「世話方 松葉屋長・・・」
『山陽道の道標』(西福寺前の道標)による。

Img_8147道標

東面:「左 二見」、西面:「右 江井ヶ島」、北面:「右 三木」

Img_8149稲荷社(右) 《地図

この先で加古川市に入る。

Img_8153土山地区を進む。

Img_8157土山薬師

Img_8158薬師像

JR神戸線の踏切を渡って行く。

Img_8161五社大神社 《地図

Img_8163平岡町の家並み

Img_8168天童山老典座和尚と若き日の道元禅師の像(長松寺) 《地図

Img_8167碑文

国道2号に出て平岡小学校の先で右に旧道に入る。

Img_8174西谷八幡神社(右) 《地図

Img_8177説明板

新在家第2公園前の二又を左に進む。

Img_8183イオン加古川の敷地を突っ切って行く。《地図

手前右に五輪塔

Img_8186五輪塔(室町時代初期)

Img_8184説明板

足利左馬頭義氏の墓が何故ここに? 義氏の墓は足利市の法楽寺にある。まあ墓はいくつあっても構わないが。

Img_8188東加古川ハイタウンを抜けて行く。

Img_8190旧道の続きとなる。《地図

Img_8191野口神社(五社宮)

主神は日吉(ひえ)大神で、比叡山延暦寺の守護神日吉大社から分霊を迎え、のちに四柱の神を合わせ祀ったという説もある。
角に道標がある。東面:「東 大野村在」 、南面:「南 式内日岡神社」、西面:「西 廿五丁」。

近くの野口城では秀吉の播磨攻めの時、黒田官兵衛が指揮する秀吉軍と、野口城の城兵・教信寺の僧兵が戦い落城した。

Img_8200随身門(大門)

Img_8197説明板

Img_8208教信寺

Img_8207説明板

Img_8215駅ケ池(うまやがいけ)

教信寺の開基の教信が地元の人々と造った溜池という。

Img_8213大歳神社 《地図

古大内遺跡で賀古駅家(かこのうまや)跡

Img_8212説明板(賀古駅家跡)

駅馬40匹を常備した当時の日本最大の駅家だったそうだ。

街道に戻る。

Img_8220宝篋印塔(伝和泉式部墓) 墓地の先の右側。

和泉式部の墓は兵庫県伊丹市の西国街道沿い、京都府木津川市の山背古道沿い、中山道の御嵩宿の手前にもある。全国に15ケ所くらいあるそうだ。

Img_8221説明板

Img_8225おりい坂を下る。《地図

今は傾斜はゆるい。右に「おりいの清水」の説明板がある。坂名はそれで知った。

Img_8223説明板

平野東交差点で国道2号に出て直進し、旧道に入る。

Img_8233旧道 《地図

Img_8240五輪塔(龍泉寺)

康永3年(1344)の銘があるそうだが、暗くて分からず。

Img_8236説明板

Img_8242胴切れ地蔵堂

Img_8244胴切れ地蔵

西国街道を通る大名行列の前を横切った男が侍に斬られたが、ふと気がつくと何事もなく無事だった。あたりを見回すと、普段お参りしている地蔵の胴が2つに割れていた。地蔵が男の身代わりになったのだ。以来、地元の人々は、この地蔵を「胴切れのお地蔵さん」と呼ぶようになったとさ。
もうあたりは暗くなって不審者と思われそうで、切られた胴は確認しなかった。後ろに回れば見られたようだ、残念。

Img_8246「うだつ」が2階の中央にある旧家

聖徳太子建立七大寺の一つともいう鶴林寺にも寄りたかったが、もう5時半を過ぎていてあきらめた。

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