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2013年12月11日 (水)

山陽道(出雲街道分岐地点→相生駅)

2013年11月20日

出雲街道分岐地点(青山の道標)・・教専寺・・・内川橋(青山川)…稲岡神社・・・国道2号・・・旧道・・・(太子町)・・・順海寺・・・山田峠・・・明治天皇山田小休所跡・・・(姫路バイパス)・・・国道2号・・・原西交差点・旧道・・・原坂・・桜井の清水跡・・・黒岡神社鳥居・・・黒岡神社・黒岡神社古墳・・・太田地蔵・・・栄橋(大津茂川)・・・国道179号・・・旧道・・鵤宿・・斑鳩寺・・北向地蔵・・・阿宗神社標石・・・茶屋垣内地蔵尊・・・誉鳩橋(林田川)・(たつの市)・・旧道・・・乗願寺・・・皇神社・・・揖保小学校・・・揖保中交差点・国道2号・・・揖保川大橋(揖保川)・・旧道・・(山陽本線)・・正條の渡し跡・室津街道分岐地点・・・道標・正條宿・・浄栄寺・・本陣跡井口家・・・(竜野駅)・・・三枚橋(馬路川)・・・片島宿・・地蔵堂・・了福寺・・本陣跡・・荒神社・・荒神橋(馬路川)・・・西池・・(相生市)・・・(山陽新幹線)・・神戸若宮神社・・・岩谷川・・・古池大谷川・・・普光沢川橋・・・陸橋(鮎帰川)・・・道標・・・相生駅(JR山陽本線)

   【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_8580青山の道標(安政2年(1855))・出雲街道追分 《地図

「左 備前 九州 金毘羅 宮嶋往来」で、山陽道は左折。
「右 因州 伯州 作州 雲州 往来」で、出雲街道は直進。出雲街道は佐用宿までは因幡街道と同じ道筋で「因伯雲作往来」といった。

Img_8590
青山の家並み

Img_8594稲岡神社 《地図

ここは「播磨風土記」の十四の丘の一つ、「稲牟礼丘」の麓。

Img_8595説明板①

Img_8597説明板②

Img_8600お陰参り図絵馬(複製)(文政13年(1830))

絵の下の部分がお陰参りの様子。

国道2号に合流し、青山南で左に入り、順海寺の手前で太子町に入り、南に進み山田峠へと上る。

Img_8610順海寺 《地図

播磨四国八十八ヶ所の第12番

Img_8611山田峠 《地図

峠といっても高くはない。下り始めると左側に「山陽道山田峠」の標柱がある。

Img_8620「明治天皇山田御小休所跡碑」(左の民家内)

姫路バイパスをくぐり国道2号に出て、原西交差点で右に旧道に入る。

Img_8626旧家

Img_8628原坂を下る。《地図

Img_8634桜井の清水跡(原坂の途中の左側)

播磨十水というが、涸れているのか石の囲いと蓋がしてある。

Img_8631説明板

もう「薬」はおろか飲めもしない。

Img_8635城山楯岩城址」標識

赤松則弘が築いた北方の城山(250m)にある中世の山城。 姫路藩士の小屋左次右衛門が描いた見取り図によると、現在のテレビ塔の所が本丸で、南と西北に伸びる屋根上に、二の丸、三の丸を設けたかなり大規模な山城であったと記す。巨岩がのように立ち並んでいるところから、この名がつけられたという。『太子町観光協会』のHPより

Img_8637黒岡神社鳥居

Img_8641黒岡神社 《地図

祭神は新羅の大軍を討伐したという藤原貞国と、菅原道真。

Img_8647_2黒岡神社古墳

天神さんの牛が墓守をしている。

Img_8642説明板

Img_8644石室前

家型石棺の蓋に「藤原貞国掾塚」と刻まれている。この古墳を藤原貞国の墓として盗用(再利用?)したということ。

Img_8645片袖式石室

蓋と底石を持ち去られた家型石棺の無残な姿。

Img_8653太田地蔵堂

Img_8656子授け延命地蔵

行基の作とか。

国道179号に合流し、東俣交差点の先で旧道に入る。

Img_8662左へ旧道に入ると鵤宿だ。《地図

斑鳩寺の門前町として発展し、継立業務はなかった。本陣も街道沿いにはなく、門前の鵤新町にあった。

Img_8666斑鳩寺地図

Img_8669説明板

Img_8670三重塔

斑鳩寺の文化財

門前から街道に戻る。

Img_8685北向地蔵(正面)

Img_8689鵤宿の家並み 《地図

寂びしい通りになっている。この先に神戸燐寸の工場がある。

Img_8690阿宗神社標石

「従是北八丁廣山村鎮座」・「式内阿宗神社」で、北方の「たつの市」にある。

Img_8694茶屋垣内地蔵尊

Img_8696地蔵

にこやかというか、力んでいるようにも見える。

この先で林田川の土手に突き当たる。誉鳩橋(林田川)を渡ってたつの市に入る。

Img_8697誉鳩橋(林田川)

このあたりから渡し船で渡り、文久3年(1863)には橋が架けられたそうだ。

Img_8700橋を渡って土手を下り、旧道の続きを行く。《地図

乗願寺前で左に進む。

Img_8710桑の木(揖保小学校校庭) 《地図

龍野の生まれの詩人、三木露風の童謡♪「赤とんぼ」。これは「記念植樹」で、歌詞は「山の畑の桑の実」だから歌われたのはこの木ではなかろう。
三鷹市の大盛寺の墓地には墓がある。『人見街道』に記載。

Img_8709説明板

Img_8712播州手延そうめん工場

出雲街道の「そうめんの里」で「揖保之糸」を食べたことを思い出した。

山陽本線の踏切手前で右折し、国道2号の揖保中交差点に出る。《地図

Img_8717揖保川(揖保川大橋)を渡る。

街道は山陽本線の少し下流を、「正條の渡し跡」で渡っていた。出雲街道は「寝釈迦の渡し」で渡っていた。

Img_8722正條の渡し跡  《地図

室津街道(直進)と山陽道(右へ)とが交わる交通の要所で、数隻の高瀬舟が待機していた。西国の大名たちは瀬戸内海は航路を使い、室津港から室津街道を通って北上し、ここ正條宿から山陽道で姫路方面に向かった。大名行列ともなると舟が足りず、対岸の揖保村や真砂村から借りたという。
明日、室津街道を歩く予定だったのだが・・・・。(翌年の11月25日に歩いた)

Img_8727道標(明治15年・揖保川郵便局脇)

「右飛免ぢかうべ 左た津の山さき 道」(姫路・神戸・龍野)で、街道は右折して正條宿へ入る。左折して浄栄寺に寄る。

Img_8734浄栄寺山門

龍野城の東門を明治7年に移築。別名を「すかし門」ともいい、見張り部屋がついた門で、閉門時にも城に近づく者を監視することができた。総けやき造り、釘を使っていないのが特長。

Img_8739本陣跡井口家

「明治天皇御駐輦趾」碑・「明治天皇正條行在所」碑が立つ。建物は、すべて建て替えられている。

Img_8743正條宿の家並み 《地図

Img_8744米穀店

竜野駅前を通り、馬路川を渡り、片島宿へ進む。

Img_8752左に片島宿に入る。《地図

Img_8756家並み

片島宿と正條宿の間は2kmほどで、継立て業務は、正條宿と有年宿、片島宿と姫路宿の間で行った。

Img_8758了福寺 《地図

本陣の門を移築。

Img_8760本陣跡山本家

左に「旧片島本陣趾」標柱

Img_8763荒神社(荒神橋(馬路川)の手前) 《地図

Img_8772天井の絵馬

「義経の鵯越」など

Img_8779西池 《地図

この先で相生市に入り、山陽新幹線をくぐる。

Img_8784神戸若宮神社 《地図

少し上に子守荒神の祠がある。

岩谷川→古池大谷川→普光沢川→鮎帰川を渡って行く。この間、見所は少ない。

Img_8798道標(正面のミラーの左) 《地図

「是より右さいこくみち」・「是より左あ加本城下みち」(赤穂城下道)で、右が山陽道(西国道)。
今回の山陽道歩きはここを終点とし、右へ相生駅に向かった。
明日は室津街道を歩く予定だったのだが、2、3日前から風邪気味でのどが痛く、その夜に発熱した。翌朝、やむなく姫路から新幹線で帰京した。家に着くまでの半日は街道歩きの難所よりきつかった。

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