山陽道(出雲街道分岐地点→相生駅)
2013年11月20日
出雲街道分岐地点(青山の道標)・・教専寺・・・内川橋(青山川)…稲岡神社・・・国道2号・・・旧道・・・(太子町)・・・順海寺・・・山田峠・・・明治天皇山田小休所跡・・・(姫路バイパス)・・・国道2号・・・原西交差点・旧道・・・原坂・・桜井の清水跡・・・黒岡神社鳥居・・・黒岡神社・黒岡神社古墳・・・太田地蔵・・・栄橋(大津茂川)・・・国道179号・・・旧道・・鵤宿・・斑鳩寺・・北向地蔵・・・阿宗神社標石・・・茶屋垣内地蔵尊・・・誉鳩橋(林田川)・(たつの市)・・旧道・・・乗願寺・・・皇神社・・・揖保小学校・・・揖保中交差点・国道2号・・・揖保川大橋(揖保川)・・旧道・・(山陽本線)・・正條の渡し跡・室津街道分岐地点・・・道標・正條宿・・浄栄寺・・本陣跡井口家・・・(竜野駅)・・・三枚橋(馬路川)・・・片島宿・・地蔵堂・・了福寺・・本陣跡・・荒神社・・荒神橋(馬路川)・・・西池・・(相生市)・・・(山陽新幹線)・・神戸若宮神社・・・岩谷川・・・古池大谷川・・・普光沢川橋・・・陸橋(鮎帰川)・・・道標・・・相生駅(JR山陽本線)
【ル-ト地図】
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青山の道標(安政2年(1855))・出雲街道追分 《地図》
「左 備前 九州 金毘羅 宮嶋往来」で、山陽道は左折。
「右 因州 伯州 作州 雲州 往来」で、出雲街道は直進。出雲街道は佐用宿までは因幡街道と同じ道筋で「因伯雲作往来」といった。
稲岡神社 《地図》
ここは「播磨風土記」の十四の丘の一つ、「稲牟礼丘」の麓。
絵の下の部分がお陰参りの様子。
国道2号に合流し、青山南で左に入り、順海寺の手前で太子町に入り、南に進み山田峠へと上る。
順海寺 《地図》
播磨四国八十八ヶ所の第12番
山田峠 《地図》
峠といっても高くはない。下り始めると左側に「山陽道山田峠」の標柱がある。
姫路バイパスをくぐり国道2号に出て、原西交差点で右に旧道に入る。
原坂を下る。《地図》
播磨十水というが、涸れているのか石の囲いと蓋がしてある。
もう「薬」はおろか飲めもしない。
「城山楯岩城址」標識
赤松則弘が築いた北方の城山(250m)にある中世の山城。 姫路藩士の小屋左次右衛門が描いた見取り図によると、現在のテレビ塔の所が本丸で、南と西北に伸びる屋根上に、二の丸、三の丸を設けたかなり大規模な山城であったと記す。巨岩が楯のように立ち並んでいるところから、この名がつけられたという。
黒岡神社 《地図》
祭神は新羅の大軍を討伐したという藤原貞国と、菅原道真。
天神さんの牛が墓守をしている。
家型石棺の蓋に「藤原貞国掾塚」と刻まれている。この古墳を藤原貞国の墓として盗用(再利用?)したということ。
蓋と底石を持ち去られた家型石棺の無残な姿。
行基の作とか。
国道179号に合流し、東俣交差点の先で旧道に入る。
左へ旧道に入ると鵤宿だ。《地図》
斑鳩寺の門前町として発展し、継立業務はなかった。本陣も街道沿いにはなく、門前の鵤新町にあった。
『斑鳩寺の文化財』
門前から街道に戻る。
鵤宿の家並み 《地図》
寂びしい通りになっている。この先に神戸燐寸の工場がある。
阿宗神社標石
「従是北八丁廣山村鎮座」・「式内阿宗神社」で、北方の「たつの市」にある。
にこやかというか、力んでいるようにも見える。
この先で林田川の土手に突き当たる。誉鳩橋(林田川)を渡ってたつの市に入る。
このあたりから渡し船で渡り、文久3年(1863)には橋が架けられたそうだ。
橋を渡って土手を下り、旧道の続きを行く。《地図》
乗願寺前で左に進む。
桑の木(揖保小学校校庭) 《地図》
龍野の生まれの詩人、三木露風の童謡♪「赤とんぼ」。これは「記念植樹」で、歌詞は「山の畑の桑の実」だから歌われたのはこの木ではなかろう。
三鷹市の大盛寺の墓地には墓がある。『人見街道』に記載。
出雲街道の「そうめんの里」で「揖保之糸」を食べたことを思い出した。
山陽本線の踏切手前で右折し、国道2号の揖保中交差点に出る。《地図》
街道は山陽本線の少し下流を、「正條の渡し跡」で渡っていた。出雲街道は「寝釈迦の渡し」で渡っていた。
室津街道(直進)と山陽道(右へ)とが交わる交通の要所で、数隻の高瀬舟が待機していた。西国の大名たちは瀬戸内海は航路を使い、室津港から室津街道を通って北上し、ここ正條宿から山陽道で姫路方面に向かった。大名行列ともなると舟が足りず、対岸の揖保村や真砂村から借りたという。
明日、室津街道を歩く予定だったのだが・・・・。(翌年の11月25日に歩いた)
「右飛免ぢかうべ 左た津の山さき 道」(姫路・神戸・龍野)で、街道は右折して正條宿へ入る。左折して浄栄寺に寄る。
龍野城の東門を明治7年に移築。別名を「すかし門」ともいい、見張り部屋がついた門で、閉門時にも城に近づく者を監視することができた。総けやき造り、釘を使っていないのが特長。
「明治天皇御駐輦趾」碑・「明治天皇正條行在所」碑が立つ。建物は、すべて建て替えられている。
正條宿の家並み 《地図》
竜野駅前を通り、馬路川を渡り、片島宿へ進む。
左に片島宿に入る。《地図》
片島宿と正條宿の間は2kmほどで、継立て業務は、正條宿と有年宿、片島宿と姫路宿の間で行った。
了福寺 《地図》
本陣の門を移築。
左に「旧片島本陣趾」標柱
荒神社(荒神橋(馬路川)の手前) 《地図》
「義経の鵯越」など
西池 《地図》
この先で相生市に入り、山陽新幹線をくぐる。
神戸若宮神社 《地図》
少し上に子守荒神の祠がある。
岩谷川→古池大谷川→普光沢川→鮎帰川を渡って行く。この間、見所は少ない。
道標(正面のミラーの左) 《地図》
「是より右さいこくみち」・「是より左あ加本城下みち」(赤穂城下道)で、右が山陽道(西国道)。
今回の山陽道歩きはここを終点とし、右へ相生駅に向かった。
明日は室津街道を歩く予定だったのだが、2、3日前から風邪気味でのどが痛く、その夜に発熱した。翌朝、やむなく姫路から新幹線で帰京した。家に着くまでの半日は街道歩きの難所よりきつかった。
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