« 2013年12月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月31日 (土)

山陽道(尾道駅→三原駅)

2014年5月13日

尾道駅(山陽本線)・・・土堂踏切・・・吉源酒造・・・国道184号・日小橋(栗原川)・・・日比崎小学校・七曲迂回・・吉浦地区・・・手崎川・・・茶堂大師堂・茶堂橋(吉和川)・・・沖側町・・・(国道2号)・・・大入峠一里塚跡・・・木原踏切(山陽本線)・・国道2号・(三原市)・・・六本松3踏切(山陽本線)・・・五輪塔(古志清左衛門豊長)・・・神社東バス停・・・旧道・・六本松一里塚跡・・・糸碕神社・・・(山陽本線)・・・国道2号・・・糸崎駅・・・東町踏切・・(国道2号)・・三原城東惣門跡・・・大師堂・・・(山陽本線)・・(山陽新幹線)・・・太神宮・・熊野神社・・専福寺・・松寿寺・・酔心山根本店・・善教寺・伊能忠敬観測地碑・・・三原宿本陣跡・・神明大橋(和久原川)・江戸の水刎・・三原城東大手門跡・・鍛冶曲輪跡・・三原城天守台跡・・三原駅(山陽本線)

  【ル-ト地図

  *『山陽道(三原駅→本郷駅))』に続く。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0508 土堂踏切を渡る。

尾道見物の皆さんか。

Img_0514吉源酒造 《地図

創業安政元年(1854)

Img_0516 日比崎小学校(正面)の脇の石段を上がるのが旧道の七曲というので上って行くが・・・。

Img_0524尾道城の模擬天守(右遠方)が見える。

千光寺公園の西展望台として建てられたものだが、今は閉鎖され廃墟と化している。『尾道市の坂①』に記載。

Img_0525 この石段を上って行くと墓地に入って、その先は林で道は途切れる。二度ほど行きつ戻りつ、うろついたが分からず、校庭では大勢の生徒と先生たちが運動会の練習をしていて、不審者が徘徊していると思われそうなので、日小橋まで引き返し迂回した。後で調べたら、ここは校庭に入って端際を進むとその先に道は続いているのだ。西から南方向に進むべき所を石段を上って北方向に進んでしまったのだ。折角コンパスを持って歩いているのに何故肝心な所で使わなかったのか情けない。「後の祭り」、「後悔先に立たず」で残念なことをした。
【ル-ト地図】は実際に歩いた道で、本来の道筋は『尾道日比崎町略図』(「西国街道を歩く」)で。

吉浦地区~手崎町~東元町~沖側町と進んで、尾道バイパスを越えた。

Img_0544 大入峠一里塚跡(右に標柱) 《地図

三原市木原町に入って国道2号に出ると海が近い。

Img_0550 瀬戸内海の島々を眺め小休止

Img_0563 左に旧道が所々残っている。《地図

Img_0584 五輪塔(六本松3踏切を渡って左に進んだ右側)

隣に「古志清左衛門豊長公」・「天正二十年八月・・」の標柱が立つ。供養塔だろうか。本郷城(大場山城・古志城)の最後の城主で、墓は昌源寺にあるようだ。

Img_0586右に旧道に入る。《地図

すぐ右側に「六本松一里塚跡」の標柱が立つ。

Img_0599糸碕神社神門

三原城内の侍屋敷門を移築。

Img_0598 説明板

Img_0597 クスノキ

Img_0593 説明板

Img_0595 御調井(みつぎい)

神功皇后に献じられた水といい、「井戸崎」→「糸崎」になったといわれる。

Img_0613 三原城東惣門跡 《地図

Img_0618 糸崎漁港

Img_0623 三重塔(松寿寺)

Img_0627酔心山根本店 《地図

Img_0631 三原宿の旧家

Img_0632 旧家

善教寺の前に「伊能忠敬観測地」標柱が立つ。

Img_0639 三原宿本陣跡? 《地図

標示や説明板などはない。
『城下町みはら散策マップ』では冨田酒店の後ろ(北側)の家が本陣跡と記されている。

Img_4067本陣跡?

Img_4071和久原川水刎(みずはね)(江戸の水刎)

(神明大橋の少し下流地点)

城郭を守るため、水の流れを緩和する「はね」の石積み。

Img_4063説明板

Img_0644 三原城東大手門跡(右角に標柱) 《地図

Img_4130鍛冶曲輪跡

Img_4131説明板

Img_0647三原城天守台跡

Img_0648 説明板

Img_4132かくれ城跡

三原駅の高架下に石垣は隠されて続いている。

Img_0653 三原駅構内から天守台跡に出て桜山を眺め、今回の山陽道歩きの打ち止めとした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月28日 (水)

山陽道(神辺駅→尾道駅)

2014年5月12日

神辺駅(JR福塩線)・・・国道313号・・・旧道・・・(国道182号)・・蓮池・・・国道313号・・・鶴ケ橋踏切(福塩線)・道標(出雲大社)・鶴ケ橋(高屋川)・県道391号・・・新茶屋橋・・新茶屋交差点・旧道・・・大渡橋(芦田川)・・土手下の道・・・地神塔・・・常夜灯・・・(山陽自動車道)・・宮入道光音の墓・・・県道378号・・山手地区・・身守地蔵・・山手一里塚跡・・湯傳稲荷神社・・(小田川)・・旧一本松跡標柱・・道標・・地神塔・・(本谷川)・・・(山陽新幹線)・・・地神塔・・・(加屋川)・・・赤坂地区・・・金毘羅常夜灯・・・(河手川)・・・(国道2号)・・・今伊勢宮鳥居・・・国道2号・・・旧道・・国道2号・・西署入口交差点・旧道・・・羽弥尾橋(羽原川)・・・赤壁交差点・国道2号・・(松永駅)・・・バスセンター前交差点・旧道・・・吾妻橋(本郷川)・・今津宿・・薬師寺・・本陣跡河本家・・高緒神社・・脇本陣跡(蓮華寺)・・陰陽石神社・・・真田橋(藤井川)・・・(尾道市)・・・国道2号・・・(高須八幡神社)・・旧道・・・恋乃水跡・・・堀出地蔵尊・・・道標・・関の地蔵・・・高須一里塚跡…尾道バイパス・・・(瀬戸内しまなみ海道)・・・新池・・徳本名号碑・・坊地古池・・(尾道バイパス)・・・防地峠・・境界石(福山領)・番所跡・境界石(藝州領)・・・題目石・・・(尾道バイパス)・・・(山陽本線)・・防地口交差点(国道2号)・・尾道宿・・・尾道駅(JR山陽本線)

 雲って暑さも和らぎ歩き安くなったが、天気予報通り昼頃から雨が降り出した。ちょうど防地峠への上りとなる車道歩きの時に雨脚が強くなり、気分的にも疲れが増した。防地峠からは南に、坂道散歩で歩いた尾道市街地へと下るだけで気楽に行けた。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0335 福塩線沿いを進む。《地図

歩道がなく歩きづらい。この先で福塩線と鶴ケ橋を渡る。橋の袂に新旧2つの「出雲大社道」の道標がある。

Img_0347ホロコースト記念館

ここを左折した所。

Img_0357 芦田川(大渡橋から)

「芦田川大渡り」は、現在の「大渡橋」より少し上流の川岸にあって、常時は徒歩渡り、増水時は渡し船、冬季は橋が架けられたようだ。

渡って土手下の道を歩く。《地図

Img_0360 地神塔

正面は山陽自動車道

Img_0362 常夜灯の先で山陽自動車道をくぐる。

Img_0363 宮入道光音の墓 《地図

加茂町の志川滝山城の城主、宮常陸入道光音は毛利軍と戦って討たれ落ち延びたが郷分あたりで、子の光寄とともに落命したという。昭和初期、芦田川の大改修の際にここへ移設されたそうだ。宮光音とは宮氏の系図の誰に該当するのだろうか?

Img_0378 山手地区へと入って行く。《地図

間の宿だったともいうが、そんな雰囲気は残っていない。芦田川が川止めの時などは賑わったのだろうか。

Img_0383 山手一里塚跡(榎の所) 《地図

Img_0387 湯傳稲荷神社

承応年間(1652~1654)水害により流出後、京都伏見稲荷の分社として再建されたと伝わる。

Img_0388 小田川は天井川になっている。

Img_0392 旧一本松跡標柱

「津之郷の一本松」で、「中国行程記」にも描かれている松だが、昭和60年に松喰虫の被害で枯れて切り倒されたそうだ。芦田川沿いに二本松バス停、三本松バス停もあるが松は残っていないようだ。

Img_0394 道標

「右ふく山道」・「左大坂道」

谷尻バス停の所に地神塔などが並ぶ。山陽新幹線をくぐった坂部バス停の所にも地神塔などがある。

Img_0403 赤坂地区の家並み 《地図

飛脚問屋の岡本家があるようだが見過ごしてしまったか。

Img_0405 金毘羅大権現常夜灯

この先の右側にもある。

Img_0407 国道2号の北側の小高い道を進む。

Img_0408 神村町二区クラブ(右の建物)

ここから緩やかに下って国道2号をくぐる。

Img_0414 今伊勢宮鳥居 《地図

参道は国道2号と山陽本線に分断されている。

応永33年(1426)、平朝臣太夫末次が伊勢に参宮した折り、西国へ供奉せよとの霊夢を見て山陽道を西に向かう途中、当地で一歩も進めなくなった。そこで持って来た石を安置し、社殿を創建したと伝える。

国道2号に出て、神村小学校の看板で右に入り、すぐに国道に合流し、西署入口交差点で再び右に旧道に入る。

Img_0421 右に旧道に入る。 《地図

赤壁交差点で国道へ出て、松永駅入口を過ぎ、バスセンター前交差点から右斜めに旧道に入り、本郷川を吾妻橋で渡って今津宿へと進む。

Img_0431 今津宿へ入る。《地図

Img_0440 本陣跡河本家

Img_0441 説明板

Img_0437 脇本陣跡 《地図

蓮華寺が脇本陣だった。

Img_0443 陰陽石神社

Img_0444 説明板

神霊水の効能試験報告だが、大正11年のものでは・・・。

真田橋(藤井川)を渡った先で尾道市に入る。国道2号に出て高須八幡神社の向い側から右に旧道に入る。

Img_0452 恋之水

井戸跡の前に伊勢音頭が刻まれた碑が立つ。
地くだれば鶴亀山よきよき泉之恋之水」

Img_0456 堀出地蔵 《地図

地図にも載っている所だが説明板などはない。

Img_0458 どれが堀出地蔵?

中央は神像?、左右に線刻の地蔵石像?と、うさぎの置物だが。

Img_0459 道標(右)に沿って進む。

「右ちかみち」だろうか?

Img_0462 関の地蔵堂(右の崖上)

多くの石地蔵が祀られているようだが、行かなかった。

Img_0463 高須一里塚跡 《地図

Img_0465 雨の車道歩きとなる。(阿草入口交差点あたり)

この先で左に尾道バイパス沿いを進み、瀬戸内しまなみ海道をくぐって行く。雨と車だらけの味気ない道で、上はインターチェンジの無機質な空間で疲れが増す。

Img_0470 新池沿いを進む。《地図

Img_0472徳本名号碑(正面)

新池と地古池の間を進む。

Img_0475 尾道バイパスをくぐる。《地図

防地峠への急な上りとなる。

Img_0480 防地峠の境界石 《地図

「従是東 福山領」で、備後福山藩広島藩(安芸藩・芸州藩)の境。
右上の民家が東番所跡でバス停も「番所」だ。

道路を挟んで、

Img_0481 「従是西 芸州領」(正面)

あとは尾道の市街地へ下って行くだけ。

Img_0488 題目石(右) 《地図

南北朝時代に、尾道に日蓮宗を伝えた、京都妙顕寺の妙実上人が尾道を去るとき、信者が見送りをした地に建てられたと伝える。妙顕寺は後、備前法華の祖と仰がれる大覚を輩出している。備前一宮駅の近くに大覚僧正道の道標があった。『山陽道(岡山駅→吉備津駅)
尾道バイパスのガード下を傘をさした児童が2人上って来る。久保小学校の生徒だろう。下りの登校は楽だが、帰り道の上りはきついだろう。

尾道は、『尾道市の坂①』・『尾道市の坂②』記載。

Img_0496 アーケードを抜けて尾道駅に向かう。

Img_0500大和湯跡

食品売り場になっているようだ。

Img_0501 奉行所跡 《地図

本陣笠岡屋家も土堂町にあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月24日 (土)

山陽道(三谷駅→神辺駅)

2014年5月11日

三谷駅(井原鉄道)・・・(井原線)・・・道標・小田川・・・国道486号・・・旧道・・・清水地蔵堂・・・矢掛神社・・・矢掛宿・・矢掛一里塚跡・・多聞寺・・脇本陣跡高草家・・本陣跡石井家・・観音寺・・栄橋(美山川)・・高通川徒渡し跡碑・・・地蔵・国道486号・・・旧道・・・大曲・・・国道486号・・・旧山陽道備中國江良村下原下座所跡標柱・・・道標・・・岡山元標・・・毎戸池・光明真言供養塔・・・毎戸一里塚跡標柱・・・旧道・・・(小田駅)・・・間の宿堀越・・・小田西交差点・国道486号・・・(井原市)・・・旧道・・・(井原線)・・・国道486号・・・平井入口バス停・・道標・・・(早雲の里荏原駅)・・・青木東バス停・旧道・・・日本綿布・・(一里塚跡)・・・(井原線)・・・今市駅本陣跡標柱・・・雄神橋(雄神川)・・・中堀城跡標柱・・甲山八幡宮・・・田中生誕地バス停・・枡形・・相田嘉三郎邸旧宅標柱・・地蔵堂・・(国道486号)・・・山陽酒造・・・日芳橋(小田川)・・・川越し上り場跡碑・・七日市宿・・七日市停車場跡石柱・・本陣屋敷跡碑・・武速神社・・・岩山神社鳥居・・・出部地区・・一里塚跡碑・・八幡宮・・里程標・・・大曲・薬師堂・・・(国道313号)・・・備中大橋跡標柱・・・後月橋(高屋川)・・法泉院・・高屋宿・・子守唄の里やすらぎ広場・・・県境碑・広島県福山市・・・神影橋(清水川)・・・上御領八幡神社・・・上御領一里塚跡・菅茶山先生詩碑・四ツ堂・・・地神塔・・・阿弥陀堂・・・明正寺・・・上御領下組北札場案内図・・・御領八丈岩登山口・・・日吉神社・・・下御領八幡神社・・・備後国分寺跡・国分寺・・・湯野口交差点・国道313号・・・(井原鉄道)・・・旧道・・・橋本橋(高屋川)・・・神辺宿・・一里塚跡・荒神社・・廉塾・菅茶山旧宅跡・・天寶一酒造・・太閤屋敷跡標柱(川北村役場跡)・・・枡形・・西本陣跡・・・神辺駅(JR福塩線)

 宿場風情が色濃く残る矢掛宿から七日市宿、高屋宿へと進み、県境碑から広島県福山市神辺町に入った。備後国分寺跡に寄り神辺宿まで行った。相生駅から歩き始めて今日で5日目、ずっと晴れの日が続いたが明日は雨になるようだ。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9945 道標(安政5年(1858)) 《地図

「左大坂道」で歩いて来た山陽道、「右 玉しま道」で小田川沿いに倉敷市玉島方向への道。

Img_9948 小田川土手下の常夜灯(安政6年)・山上講供養碑(安政5年)・地蔵と大師の小祠

Img_9951 清水地蔵堂

Img_9952 清水地蔵

綺麗な花を飾られて幸せそうな地蔵だ。地元の人たちから大切にされているのだろう。

Img_9958矢掛神社 《地図

備中一宮、吉備津神社の末社。天正10年(1582)毛利元清茶臼山入城にあたり城下鎮守のため、鳥居を寄進したという。(今の鳥居は元禄13年(1700)に庭瀬藩主板倉氏の寄進という)
茶臼山城一帯は神社の南側に、「ヘルシーロード茶臼山文化の丘」として整備されている。

矢掛(やかげ)宿へ入って行く。

Img_9967 一里塚跡(左に標柱と説明板)

両塚とも黒松が植えられていた。

Img_9968 説明板

Img_9966 旧家

Img_9971多聞寺

カラフルでユニークな造りの鐘楼。

Img_9978 白壁の町屋が並ぶ街角

Img_9980脇本陣跡高草家 《地図

Img_9983 説明板

Img_9989 旧家

Img_9993本陣跡石井家

将軍家定に嫁ぐため江戸に向かう天璋院篤姫が泊まった。

Img_9994 説明板

Img_0002 石井醤油店

Img_0019栄橋(美山川)

ここは徒歩渡しで、橋を渡った右側に「高通川徒渡し跡碑」が立っている。

Img_0027 大曲 《地図

民家の左前に「旧山陽道 大曲」の立札が裏返って立っている。左折して国道486号に出る。

Img_0030旧山陽道備中國江良村下原下座所跡標柱(左の電柱前)

参勤交代の際など、村人が下座して迎えた場所という。この先にも下座所跡の標柱がいくつもある。わざわざ(土)下座した場所を残すのには、こちらの頭が下がる。

Img_0032 道標 《地図

「貴布袮宮道」・「是より南十丁」で、南に轟橋(小田川)を渡って行くと貴船神社がある。

Img_0044 光明真言供養塔(毎戸池) 《地図

左が弘化4年(1847)、右が天保5年(1834)

Img_0054 毎戸一里塚跡標柱(左) 《地図

Img_0068 間の宿堀越地区に入る。《地図

矢掛宿と七日市宿の間の宿だった。

Img_0074_2 説明板

Img_0070 レトロな建物

小田西交差点で国道486号に出て進むと井原市に入る。

Img_0084 旧道は一部区間、井原線の北側沿いとなる。《地図

再び井原線をくぐり国道に出る。

Img_0092 道標 《地図》(写真は高越城跡方向)

「高越城址 寶蔵院」で、北の宝蔵院と高越山の北条早雲が生まれた城という高越城跡への道標。早雲の出自については備中荏原荘(井原市)が通説となっているようだ。この先の井原鉄道の駅名もずばりと「早雲の里荏原駅」だ。

Img_0107 道祖煎餅店

「道祖渓名物」とある。道祖渓はかなり北方にあるが、この店はもう営業していないようだが?《地図

日本綿布の木造の事務所の先に、一里塚跡の標柱が立つようだが見逃した。

Img_0110 今市駅本陣跡 《地図

難波家が務めた。矢掛宿と七日市宿の間の宿で、小田川を挟み七日市宿の対岸になり、川止などの時は賑わったという。

Img_0113 雄神(おがみ)橋(雄神川)を渡る。

甲山八幡宮へ曲がる所に、中堀城跡の標柱が立っている。那須与一の兄の光隆の築城という。

Img_0122甲山八幡宮

石灯籠は慶長9年(1604)の建立。ここも那須氏ゆかりの神社。

Img_0121 説明板

Img_0125 社殿の背後が甲山古墳跡。

Img_0124 説明板

Img_0126 田中生誕地バス停

平櫛田中のこと。生家が田中で、養子先が平櫛で2つの姓を合せて号としたそうだ。

Img_0128 枡形跡 《地図

この先左側に「相田嘉三郎邸旧宅」標柱が立つ。

Img_0131 西荏原地区の家並み

Img_0137山陽酒造(ここは山陽道の一本西側の道沿い)

「地酒山陽街道」、「山陽道」でないのが惜しい?

小田川に突き当たり、日芳橋を渡り七日市宿へと入る。

Img_0143 川越し上り場跡(七日市宿側から)

徒歩渡りでここへ上った。

Img_0144 川越し上り場跡碑 《地図

Img_0148 七日市停車場跡石柱(右端)

「七日市停車場」・「大正二年十一月開通」で、井原と笠岡を結ぶ井笠鉄道の七日市駅への案内道標。昭和46年まで走っていたのだ。「井笠鉄道記念館

Img_0151 七日市宿本陣跡碑 《地図

本陣1軒(佐藤家)、脇本陣が3軒というかなり大きな宿場だったが、安政3年(1856)の大火でほぼ全焼し、その後建てられた家が多いそうだ。

Img_0152武速神社

鳥居の左側の支柱に本陣家の「佐藤正左衛門」の名が刻まれている。 

Img_0160 岩山神社鳥居 《地図

井原鉄道の向うに急な石段が見える。ここから遥拝で済ます。

Img_0167 出部(いずえ)地区の旧家

Img_0169 一里塚跡碑(右) 《地図

Img_0177 里程標(左)

「距岡山元標十三・・・」

Img_0183 大曲跡で右折して行く。《地図

分岐に説明板・水準点標柱・道標・薬師堂がある。

Img_0184 説明板

Img_0191 備中大橋跡標柱

Img_0193 「県境まであと少し」だと。

おかげで少しは元気が出たか。

Img_0196 天井川の高屋川を後月(しつき)橋で渡る。

渡った左に法泉院。

Img_0207 高屋宿に入る。

本陣家だった上野家が声楽家の上野耐之の生誕地で、今は「子守唄の里高屋」と呼んでいる。♪『中国地方の子守唄

Img_0216 家並み(振り返って見ている)

Img_0218 県境碑 《地図

岡山県と広島県、備中国と備後国との境。通り一つ挟んで他県人とは。

福山市神辺町に入る。

Img_0229 上御領一里塚跡・菅茶山先生詩碑・四ツ堂

このあたりは一里塚という地名で、一里塚バス停もある。

Img_0232 説明板

Img_0233 四ツ堂

旅人の休憩所、宿泊所として利用された。

Img_0235 一里塚跡碑・菅茶山先生詩碑

Img_0242 阿弥陀堂(左)

すぐ先の右が明正寺

Img_0244 阿弥陀如来像

Img_0250 上御領下組北札場案内図

このあたりに高札場があったのか?

Img_0254御領八丈岩登山口

伝説:「御領山には栗がいっぱい繁り、 高屋川を挟んで向かいの権現山は岩だらけだった。二つの山に棲んでいた鬼が山の高さを競って喧嘩になり、栗と岩を投げ合った。そして御領山(234m)は岩山に、権現山(231m)は栗山になった。それで御領山は岩の分だけ高くなったとさ」

Img_0258 日吉神社

ここも遥拝のみだ。

Img_0260 長屋門

Img_0264 備後国分寺跡 《地図

ここは南門跡で・・・金堂・塔跡・・講堂跡と続く。

Img_0269 説明板

Img_0271 現国分寺仁王門

Img_0283 いろんな趣味の人がいる。

湯野口交差点で国道313号に出て井原鉄道をくぐり、右に旧道入る。

Img_0285 高屋川沿いを進む。

前方の橋本橋を渡って神辺(かんなべ)宿へ入る。

Img_0291 一里塚跡標柱(右の荒神社境内) 《地図

Img_0295

廉塾並びに菅茶山旧宅跡(右)

Img_0298 説明板

Img_0301 神辺宿の家並み(七日市地区)

Img_0306 天寶一酒造

すぐ先の左側に「旧山陽道 神邊駅跡 「太閤屋敷あと」」の標柱が立つ。太閤秀吉が朝鮮役からの帰途、立ち寄った屋敷の跡で、明治以降は川北村役場が置かれていたとある。

Img_0316三日市通りの旧家

Img_0314 西本陣尾道屋菅波家跡 《地図

Img_0319 本陣跡表門

七日市地区にあった東本陣跡はどこか見落とした。建物は残っていないようだが。

Img_0313 説明板

Img_0324 菅波歯科医院 《地図

本陣家の家柄だろう。

神辺駅(JR福塩線)に向った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月22日 (木)

山陽道(岡山駅→吉備津駅・清音駅→三谷駅)

2014年5月10日

岡山駅(山陽本線)・・・岩田町交差点・惣門跡・(JR線地下道)・・・智明権現塔・地蔵尊・・・奉還町商店街・・・三門公園・・・成願寺・・・常福寺・・・国道180号・・・厳井富山交差点・旧道・・・北向八幡宮・・笑塚・・・矢坂大橋(笹ヶ瀬川)・・・国道180号・・・大覚大僧正道碑・・・道標・・・備前備中国境碑・・旧道・・・真金一里塚跡・・・吉備津駅(吉備線)→総社駅(伯備線)→清音(きよね)駅・・・持坂上・・・藤原為貞宝篋印塔・地蔵堂・・・旧国道踏切・・・川辺橋(高梁川)・(倉敷市)・・旧道・川辺一里塚跡碑・・川辺宿本陣跡・・脇本陣跡・・艮御崎神社・・源福寺・・・(国道486号)・・・県道281号・・・末政川・・・二万口交差点・旧道(大曲)・・・吉備公館跡①・吉備真備産湯の井戸①・・・まきび公園・吉備寺・吉備真備廟・・・箭田一里塚跡・・・国道486号・・・旧道・・・熊野神社・黒宮大塚古墳・・・国道486号・・・旧道・・・国道486号・・・(琴弾岩)・・・(矢掛町)・一里塚跡標柱・・・筆塚・吉備公館跡②・吉備大臣宮・産湯の井戸②・・・旧道・・・下道氏公園・下道氏墓・・・(井原鉄道)・・・三谷駅(井原鉄道)

 真金一里塚跡から持坂までは、『吉備路①』・『吉備路②』で歩いているので今回は割愛した。

 【ル-ト地図】(岡山駅→真金一里塚跡→吉備津駅)

 【ル-ト地図】(清音駅→持坂→三谷駅)

 写真をクリックすると拡大します。                        

Img_9725奉還町商店街を抜けて行く山陽道 《地図

明治維新で職を失った武士が、藩から与えられた奉還金を元手に、この地で商売を始めたのがその起源で名前の由来。ほとんどが「士族の商法」で撤退したそうだ。

Img_9728 三門地区の家並み

Img_9729国神社の石段 《地図

元禄15年(1702)の造営

Img_9732 上からの眺めがいい。

三門公園の先で右斜めに進み国道180号に出て、厳井富山交差点を左に上って行く。

Img_9749北向八幡宮

寛平年間(889~97)に矢坂富山城主の富山大掾重興が、城に続く万成山の頂きに社殿を建立したのが始めという。

Img_9753 笑塚(芭蕉句碑) 《地図

八九間空に雨降る柳かな

後ろは茶屋集会所

Img_9759 笹ケ瀬川(矢坂大橋から)

桃太郎の桃が流れて来た川だとか。

Img_9764大覚大僧正道(昭和7年) 《地図

「是より北五丁」で、北の日蓮堂への道標か。大覚は備前法華の祖と仰がれている。

Img_9765 道標(昭和5年) 《地図

「→高梁へ十里 ←岡山へ二里」

Img_9768 備前備中国境碑(左の電柱前)  《地図

「從是東備前国」で、船坂峠の「從是西備前国」からここまでが「備前国」で、ここから西は「備中国」に入る。

ここで国道180号と分かれて直進して行く。

Img_9770 真金一里塚跡

Img_9771 説明板

 ここから持坂までは吉備路で歩いているので今回はカットした。吉備津駅(吉備線)→総社駅(伯備線)→清音駅まで乗り、持坂まで歩いた。

Img_9780藤原為貞宝篋印塔 《地図

嘉暦3年(1328)の銘があるという。藤原為貞については分かっていないそうだ。一説には冷泉家に連なる人物であるともいわれている。

Img_9794 川辺橋から高梁川

橋を渡れば倉敷市だ。

Img_9797 川辺一里塚跡(電柱の前に標柱) 《地図

北塚には柳、南塚には松が植えられていたそうだ。上りの一里塚は山手村西郡、下りは真備町箭田の一里塚になる。

右折して川辺宿へ入って行く。

Img_9804 川辺宿の家並み

Img_9810 本陣跡 《地図

醤油屋の難波家が務めた。

Img_9811 説明板

最後の文面は「下りは広島県神辺」

Img_9812 脇本陣跡

本陣跡のすぐ先の右側。

Img_9814 艮御崎(うしとらおんざき)神社 《地図

門柱は元首相の犬養毅の揮毫。

Img_9816 説明板

Img_9822 二万口交差点 《地図

ここは大曲で、右折して左折して再びこの道に合流する。①山陽道を攻めて来る敵の数を確認するために道を曲げたとか、②条里制の基本線のずれに対応するためともいわれている。

「吉備真備公産湯の井戸」の標識で右折して行って見る。『真備地区ガイドマップ

Img_9828 吉備公館跡碑①

Img_9831吉備真備産湯の井戸① 《地図

Img_9830 説明板

Img_9837吉備寺 《地図

ここには、まきび記念館まきび公園もある。

Img_9845 吉備真備墓(吉備公廟)

Img_9850 まきび公園前の家並み

Img_9851 箭田(やだ)一里塚跡 《地図

Img_9858 熊野神社 《地図

黒宮大塚古墳の上にある。

Img_9859 説明板

Img_9863毘沙門天立像」標識

この磨崖仏がある山塊は、鳥ヶ獄城跡のあった石田山と峰続きで、城の見張り台だったともいわれている。

Img_9867 鳥ヶ獄城跡の石田山だろう。

「呉姉(くれせ)富士」というようだ。

Img_9885琴弾岩(対岸の正面) 《地図

ここも吉備真備のゆかりの地。

Img_9892小田川

川辺で一休みだ。対岸の山は猿掛城跡の猿掛山だろう。

Img_9900 一里塚跡 《地図

矢掛(やがけ)町に入ってすぐ右側に標柱が立つ。

Img_9913 吉備公館跡② 《地図

Img_9904 説明板

Img_9905_2吉備大神宮

受験生の参拝が多いのは天神社と同じで、「苦しい時の神頼み」、「溺れる者藁をもつかむ」か。

Img_9910 産湯の井戸②(星の井)

吉備真備の誕生前夜にこの井戸に星が落ちたとか。

Img_9915 右に旧道に入る。

この先の右上一帯は吉備真備の下道氏の累代の墓域で下道氏公園になっているが、ちょっと荒れて寂れている感じだ。

Img_9926 吉備公之墓標柱 《地図

出土した骨臓器の銘文から被葬者は真備の祖母ということが判明したそうだ。真備もこの墓地内のどこかに眠っているかも。

Img_9937_2 三谷駅(井原鉄道

今日は倉敷に泊まる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月21日 (水)

山陽道(伊部駅→岡山駅)

2014年5月9日

伊部駅(山陽本線)・・・伊部橋(不老川)・・・(山陽新幹線)・・・大ヶ池・・・臥龍の松道標・・・大瀧山道道標・・・東町観音堂・・香登(かがと)地区(間の宿)・・大内神社・香登一里塚跡・・・地蔵堂・・・香登教会・・・石長姫神社・・・最上稲荷・・・熊山道道標・・・大用水・・・(瀬戸内市)・・(山陽新幹線)・・・国道2号・・・おさふねサービスエリア・・・道標・・・明治天皇巡幸記念碑・・・備前大橋(吉井川)・・(岡山市)・・・一日市信号(国道2号)・・旧道・・常夜灯・旧山陽道標柱・・一日市地区(間の宿)・・・御休(みやす)小学校・福岡神社鳥居・・・和田八幡宮常夜灯・・・(秋芳川)・・・(県道37号)・・・(沼川)・・・上道中学校・・・赤坂・・・国道250号・・・沼交差点・旧道・・・青津池・・・小坂一踏切(山陽本線)・・・(山陽新幹線)・・・(上道駅)・・・常夜灯・安国寺経塔・・藤井宿・・総社八幡宮・・東本陣跡西崎家・・西本陣跡安井家・・素戔鳴神社・新往来分岐地点・・・古都村役場跡(古都コミュニティハウス)・・・(山陽新幹線)・・・流田一踏切(山陽本線)・・・道標・・(東岡山駅)・・・追分・・・原尾島橋(百間川)・・・惣門跡・・・勲橋(御成川)・・・牛窓往来合流地点・・・小橋(旭川)・・・京橋(旭川)・迷い子しるべ石・・・岡山宿本陣跡あたり・・・桃太郎通り・・・金刀比羅神社・・・青柳橋(西川)・・・惣門跡あたり・岩田町交差点・・・岡山駅

  【ル-ト地図

 備前焼の町・伊部を後にして、間の宿の香登から刀剣の里の瀬戸内市長船町に入り、すぐに吉井川を備前大橋で渡って岡山市へ入った。宿場風情の家並みの残る藤井宿を過ぎ、岡山城下の惣門跡を通り、吉備団子屋が二軒並び、カラフルな岡電が走る見覚えのある牛窓往来に突き当たり、岡山宿の中心部を通って岡山駅まで進んだ。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9507 伊部橋(不老川) 《地図

親柱は備前焼

Img_9504 地蔵も備前焼

Img_9514 大ヶ池の上を走る山陽新幹線

Img_9518 道標(右端の白塀の前) 《地図

「臥龍松之道」で、この碑の北に「卧龍之松」があったようだ。当時は高さ3間(5.4m)ながらその枝は、東西方向に168尺(51m)、南北方向に94尺(28m)も伸びていたという。 惜しいかな松は昭和21年に松喰い虫の被害にあい枯死したそうだ。北に入った民家の庭に「天然記念物 臥龍松」の石標が立っているようだ。

Img_9520 道標(右下端)

「従是大瀧山道」・左右両面に「本堂まで十八丁」 で、ここから北方約2kmにある古刹、大瀧山福生寺の丁石。
標識の「熊山遺跡」は、熊山にある石積遺構。

Img_9529 大内神社・香登(かがと)一里塚跡(左端の石積み) 《地図

Img_9530 説明板

Img_9535 香登一里塚跡

北塚のみ残る。

Img_9531 説明板

Img_9537 南塚は用心井戸になっている。

Img_9541鷹取醤油

四代目見屋

Img_9547 香登教会

Img_9548 旧家

香登は片上宿と藤井宿の間(あい)の宿だった。吉井川の増水による川止め時は賑わったという。

Img_9550 旧家

Img_9554_2 石長姫神社 《地図

常夜灯は嘉永2年(1849)の建立

Img_9559 道標(元文2年(1737)・右の電柱の前) 《地図

「従是熊山道」・「宮まで四十五丁」で、熊山はここから約5kmほど北の赤磐市にある。備前国第一の山岳信仰の霊地で、山中には熊山石積遺構(前掲)や熊山神社がある。

大用水を渡り、山陽新幹線をくぐり国道2号に出る。

Img_9566 おさふねサービスエリア

ここは備前長船刀剣の発祥地だ。刀剣博物館などもあるが寄らなかった。

Img_9571 道標 《地図

「熊山地蔵・・」・「常夜灯」・「左西大寺・・右く・・・」。この先の土手上に大きな「明治天皇巡幸記念碑」が立つ。
正面の備前大橋を渡って行く。

Img_9578備前福岡城跡(備前大橋から)

正面の長船CCゴルフ場の木がこんもりしている所と、右端の吉井川の対岸の所が候補地らしい。福岡の地は黒田官兵衛(孝高)の曽祖父の高政が近江から移り住んだ地という。黒田氏にとって福岡は重要な地で、慶長6年(1601)、孝高の子の長政が筑前一国を与えられ、博多に隣接して新たに城を築いた際、高政の故地・福岡の名を取って福岡城と名づけた。

備前大橋を渡ってしばらくは国道2号を進むのだが、歩道がついてなく交通量が多いので土手下に下りる。

Img_9583 土手下の静かな道を行く。

Img_9587 常夜灯 《地図

国道の一日市交差点から下ってここに入るのが本来の道筋だろう。正面左に常夜灯(文政4年(1821)と「旧山陽道」の標柱が立つ。このあたりに一里塚があったようだ。間の宿だった一日市(ひといち)地区へと入る。

Img_9591 一日市の家並み

片上宿と藤井宿の間の宿で、本陣や旅籠もあり吉井川の川止めの際にはかなりの賑わいを見せたという。

福岡神社鳥居や和田八幡宮常夜灯を見ながら進み、沼川を渡って丸山の南を回って北西方向に進む。

Img_9611 赤坂を上る。 《地図

傾斜は緩い。

Img_9623 青津池沿いを走る山陽本線 《地図

山陽本線を渡り、山陽新幹線をくぐり上道(じょうとう)駅を過ぎて、鉄(くろがね)地区に入る。

Img_9637 安国寺経塔(左端) 《地図

安国寺跡はこの先の古都村役場跡(古都コミュニティハウス)の案内図に載っている。
江戸時代の初め頃、眠室宗安禅師が寺の再建を記念して経塔を建立したという。

Img_9636 説明板

すぐに藤井宿に入る。

Img_9645 説明板(藤井宿)

Img_9649 東本陣角屋跡西崎家

Img_9651_2 西本陣跡安井家

Img_9660 新往来分岐地点(素戔鳴(すさのお)神社前) 《地図

右折して行くのが新往来。諸藩の志士の往来が激しくなった幕末に、これらの通行人が岡山城下を通行することを回避するために作られた迂回ルート。

Img_9659 説明板

Img_9666 案内図(古都村役場跡(古都コミュニティハウス)に設置) 《地図

宇喜多秀家以前の宿場(宿村)で、今も古都宿という地名が残る。山陽道は北西の四御神(しのごぜ)に向っていたようだ。右上に安国寺跡がある。

山陽新幹線をくぐり、山陽本線を渡って東岡山駅方向に進む。

Img_9677 道標(明治38年・長岡郵便局前) 《地図

正面に、「→西大寺観音 ←長岡駅 道」で、当時は東岡山駅は長岡駅だった。今もバス停は「長岡・駅前」のようだ。

左側面に、「 →岡山 玉島 ←神戸 大坂 京 道」 で、山陽道を示している。

Img_9679 追分

茶屋があったようだ。ここを右にカーブして西進する。

Img_9683百間川にぶつかり原尾島橋(正面)で渡る。《地図

ここの対岸へ山陽道は続いていた。渡し船で渡ったのだろうか?

Img_9688 惣門跡 《地図

岡山城の東の惣門。宇喜多直家はNHKTVの「軍師官兵衛」で陣内孝則が演じている。これがなかなかいい。

Img_9689 説明板

Img_9696 牛窓往来合流地点 《地図

この先、岡山宿~西惣門までと、岡山城などは『牛窓往来①』に記載。

Img_9721 (西)惣門跡あたり(岩田町交差点) 《地図

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月17日 (土)

山陽道(有年駅→有年峠→船坂峠→大西峠→葛坂峠→伊部駅)

2014年5月8日

有年駅(山陽本線)・・・有年村道路元標・・・国道2号・道標・・・池魚塚・・・矢野川橋(矢野川)・・・有年橋(千種川)・・・旧道・有年宿・・有年村役場跡・・本陣跡・・番所跡・・・東有年沖田遺跡・・・東有年交差点・旧道・・八幡神社・高瀬舟灯台・・有年家長屋門・・・光明寺・・・淳泰寺・・・中野橋(長谷川)・・・西有年宮東遺蹟標柱・・・大避神社・・・(国道2号)・・・西有年向山の五輪塔・・・西有年宝篋印塔・・・一里塚跡標柱・・・上組橋(長谷川)・・・立場跡・・・ゲート①・・坂折池・・・有年峠・上郡町・・ゲート②・・・(国道2号)・・・梨ケ原地区(間の宿)・・梨ケ原遺蹟説明板・・応神前橋(梨ケ原川)・・・船坂神社・・・梨ケ原一里塚跡・・・不動堂・・・国道2号・・・梨ケ原国道踏切(山陽本線)・・・縣界碑(兵庫県・岡山県)・・・雲水の井戸・船坂山義挙碑・舟坂山いこいの広場・・・船坂山義挙之趾碑・・・船坂峠・播備国境標石・・・国道2号・・・第一船坂踏切(山陽本線)・・・三石一里塚跡標識①・・・深谷瀧道道標・・・亀甲橋(船坂川)・・・三石駅(山陽本線)・・三石一里塚跡標柱②・・三石宿・脇本陣跡?・・三石神社・・本陣跡・・三石城址登山口・・・大橋(金剛川)・・・光明寺・・山陽本線ガード・・・国道2号・・弟坂・・大西峠・・兄坂・・・(山陽自動車道)・・明治天皇八木山御小休所趾碑・八木山一里塚跡・・・二軒屋歩道橋・・・旧道・・・往還橋(持手川)・・・広高下地区・・・伊里川・・・閑谷神社道標・・・観音山登山口・・・西池・・・藤ケ棚茶屋跡・・・国道2号・・・(片上一里塚跡)・・・大池・・・旧道・・・(山陽新幹線)・・・天神宮・・(国道2号)・・・塩谷踏切(山陽本線)・・片上宿・・玉泉酒造・・法鏡寺・藤原審爾住居跡・・宇佐八幡宮・・清水紫琴生誕地碑・・津山街道標柱・・刀工備州祐高造之宅跡・・宝永橋(流川)・前海屋跡・・片上駅三の陣跡・・万代常閑翁跡・・恵美須屋跡・・片上宿脇本陣跡・・道標・・本陣跡・・道標・・・葛坂・・お夏の墓・・・葛坂峠・お夏茶屋跡・・・国道2号・・旧道・・・(伊部一里塚跡)・・・備前焼の伊部地区・・天津神社・・・伊部(いんべ)駅(JR赤穂線)

 五月晴れの初夏の陽気の中、以前は難所だった有年峠を越え、播磨・備前の国境、兵庫と岡山の県境の船坂峠を越えて三石宿に入り、弟坂を上って大西峠から兄坂を下り、片上宿を通ってお夏伝説の葛坂峠へ上り、備前焼の伊部の町へ下って行った。
 有年駅から伊部駅まで9時間以上かかった。起伏のある道をよく歩いた。

  【ル-ト地図

 写真をクリックすると拡大します。

Img_9101道標(昭和3年) 《地図

「左岡山 廣嶋道」・「右上郡 鳥取道」で、左の国道2号を岡山方向へ進む。

Img_9104池魚塚(天保7年(1836))

道路改修資金のために売られた池の魚への感謝と供養の塚。

Img_9108 有年橋から蛇行する千種川 《地図

昔は渡し船で渡った。

Img_9111 有年(うね)宿に入る。

寛永年間(1624~43)頃に西有年からここ東有年に宿場町が移された。
旅籠が数十軒、木賃宿、商人宿、牛馬宿、茶屋などで賑わっていたという。

Img_9126_2 説明板

Img_9127 有年宿本陣跡(旧柳原家宅跡) 《地図

民家の間を左折した裏にある。
柳原家は有年家と並び代々庄屋を務めた。今は、「明治天皇駐輦記念碑」が立つのみ。東隣には会所があった。脇本陣跡(儀兵衛宅)の場所は不明という。

Img_9119番所跡(旧松下家跡)(右) 《地図

左も松下家

Img_9123番所跡

赤穂藩役人は出張の際はここに宿泊し、前庭を白洲にし番所として利用した。

Img_9135街道を離れ、東有年・沖田遺跡へ向かう。《地図

Img_9137 説明板

Img_9138 弥生時代住居跡

2号住居(右)・5号住居(左)

Img_9142 説明板

Img_9148 古墳時代住居・高床倉庫

Img_9150 説明板①

Img_9151説明板②

Img_9155 八幡神社(正面)の上方に高瀬舟灯台の先端部分が見える。

この山は中世の赤松家の被官・富田右京が築城したという八幡山城(有年山城)で、赤穂市内で最大の山城だそうだ。

Img_9156 八幡神社 《地図

鳥居は延享元年(1744)の建立。

Img_9159 高瀬舟灯台

千種川を上下する高瀬舟の標識で、3km以上南の真殿(まとの)からも見えたという。

Img_9161 千種川方向

Img_9167 有年(ありとし)家長屋門

赤穂市に残存する江戸時代の長屋門は、赤穂城内の大石良雄宅近藤源八宅とここの三軒しかないそうだ。

Img_9168 説明板

Img_9177 淳泰寺 《地図

浄土真宗本願寺派の寺

中野橋で長谷川を渡る。

Img_9181 西有年宮東遺蹟(自動車の前に標柱)

平安時代末から鎌倉時代の掘立柱建物跡が多数見つかり、一緒に壷、皿、土器などが出土。

Img_9189 大避(おおざけ)神社 《地図

備前焼の狛犬にはこの先の神社で何匹も出会う。

国道2号を横切って行く。

Img_9199 西有年向山の五輪塔(街道左側のフェンス内)

鎌倉時代末~南北朝時代の建立という、花崗岩製で高さ1.7m。西国街道(筑紫大道)を往来する旅人の安全をも願って建てられたものか。

Img_9204 西有年宝篋印塔

Img_9202 説明板

Img_9206 一里塚跡(左に標柱)

東有年横尾からここまでが一里で、現在ではこの塚跡を塚の元と呼ぶ」と書かれている。東有年横尾の一里塚は有年村道路元標のあたりか?

Img_9211 立場跡(三村家)

有年峠を上り下りした旅人の休憩所。駕籠が縦に並ぶように、軒下を深く縁側を細くしている。

Img_9212 説明板

有年峠への上りとなる。

Img_9215 ゲート① 《地図》このあたり

開いていた。まだ舗装されていて車も通れる。

Img_9217 坂折池

Img_9219 西国街道説明板

Img_9221 気分のいい道を行く。

Img_9223 急な上り道ではない。

Img_9224 ここは直進した(と思う)

Img_9227 今は迷う道ではないだろう。

Img_9231 木橋が架けられている。

どこが有年峠の頂上《地図》だったか気づかないうちに下りとなった。

Img_9233 以前は荒れていたようだが、地元の方々が整備してくれたのだ。

Img_9236 ゲート②

ここまでゲート①から1回の小休止を入れてちょうど40分だった。左側の止め金はずして抜ける。

Img_9239 金網フェンス沿いを進む。

右はゴルフ場の敷地だろう。

Img_9244 来た道を振り返る。

左に山陽道の説明板。

Img_9243 説明板

Img_9245 直進して国道2号を横切る。《地図

Img_9247 ミラーに西国街道標識(三石←↓有年)

この手前で道端の清掃をしていた近所の女性から、以前は荒れていた有年峠の道を整備したことなどを伺った。歩き人にはまことにありがたい、感謝、感謝だ。

左折して梨ケ原地区~船坂峠~三石宿へと向かう。

Img_9249 梨ケ原地区

有年宿と三石宿の間(あい)の宿で宿屋、茶屋が並んでいたようだ。

Img_9250 梨ケ原遺蹟(左に説明板)

Img_9251 説明板

中世には梨原宿とある。

Img_9257 船坂神社(奥) 《地図

ここも備前焼の狛犬、天井絵馬だ。

Img_9263 梨ケ原一里塚跡(右に標柱)

Img_9277 縣界碑(兵庫県・岡山県) 《地図

この右上方船坂峠(180m)に「播備国境標石」がある。この先の「舟坂山いこいの広場標柱」から上り返して行かれる。

Img_9284 雲水の井戸

三軒屋という茶屋があり、旅人の喉を潤した水だったのだろう。近くに「船坂山義挙の碑」がある。

Img_9286 ここから播備国境標石へ行く。

Img_9287船坂山義挙之趾碑(途中の左側)

後醍醐天皇のどじな迷忠臣児島高徳の軽挙碑。
高徳は出雲街道の杉坂峠や院庄にも出没する。

Img_9291 播備国境標石

Img_9298 三石一里塚跡標識①

備前市教育委員会設置のもの。

Img_9300深谷瀧道道標(右) 

備前市10景の一つ深谷の滝地図
「是ヨリ六町」 とあるが、1.5kmくらいか?

Img_9307 三石駅(山陽本線)

Img_9308 三石一里塚跡標柱②(正面右)

地元か個人で設置したものか、こっちの方が新しい。①からは1km近く離れているか。

Img_9310三石耐火煉瓦工場

三石はレンガの町で、耐火煉瓦の国内シェアーは3割とか。《地図

ここが三石宿脇本陣跡だろうか?

Img_9317三石神社

神功皇后ゆかりの子宝・子授けの孕(はら)み岩。

Img_9315 説明板

Img_9321 本陣跡(かどや旅館跡) 《地図

総畳数130畳の規模だったという。電柱には今もかどやの看板が掛かっている。

Img_9323三石城址登山口

Img_9325 旧家

Img_9329 光明寺 《地図

右に明治天皇三石行在所碑。瀬戸内三十三観音の第9番。

Img_9328 山陽本線の煉瓦のトンネルを抜ける。(光明寺脇)

やっぱりレンガの町のことはある。上を山陽本線が通っている。

Img_9334弟坂を大西峠へ上る。《地図

Img_9339 兄坂を下る。

こちらの方がはるかに長い。

Img_9349 明治天皇八木山御小休所趾碑(左端)・八木山一里塚跡標柱 《地図

Img_9355 国道の右下の道を行く。

本来は四軒屋バス停の先で右に入るようだが。

小さな往還橋で持手川を渡って行く。

Img_9359 広高下地区を行く。《地図

Img_9361閑谷(しずたに)神社道標(伊里川を渡った先の小祠前)

旧閑谷学校(閑谷神社)への道標(明治10年)で、「従是丗壱丁十四間」と書かれているようだ。ここから北へ4kmほどあるか。《地図

Img_9364 伊里中地区

右に観音寺山登山口標識。和気町との境の385mの山。

Img_9366 藤ケ棚茶屋跡(左の備前焼桂花園の石塀前に標柱) 《地図

備前藩主の休憩所で、湯屋もあったそうだ。

この先で国道2号に出る。片上一里塚跡があるはずだが見逃した。大池を過ぎて右に旧道に入る。《地図》 

山陽新幹線をくぐって進む。

Img_9374 天神宮(右) 《地図

この先で国道2号を横切り、塩谷踏切(山陽本線)を渡り、片上宿へ入る。

Img_9381玉泉酒造 《地図

Img_9382藤原審爾住居跡・法鏡寺

鳥居は最上位稲荷宮

Img_9385宇佐八幡宮

前に「旧山陽道 片上宿(方上津)」・「藤井宿四里半(約十八K)」・「三石宿二里半(約十K)」の標柱が立つ。

片上は元は「方上津」と呼ばれた天然の良港で、瀬戸内海の海上交通の要衝だった。山陽道が三石から南路の片上を経由するようになってから宿場町として発展し、江戸時代には三石宿と西の藤井宿との間の宿駅として栄えた。備前藩の蔵屋敷が置かれ、問屋や商屋も立ち並び大いに繁盛したという。

Img_9392清水紫琴生誕地碑(左)

Img_9395 津山街道(かたかみ往来)標柱(右)

片上から津山を経由して山陰への道。

Img_9399 刀工備州祐高造之宅跡(左)

Img_9402 前海屋跡 《地図

宝永橋が落ちても、前海屋は倒れぬといわれた富豪。郵便局あたりまで海を埋め立てたそうだ。明治24年遊郭遊女十二名と書かれている。

Img_9407 片上駅三の陣跡(右)

石田光成の子孫ともいう石井家が務めた。

Img_9410 (薬祖)万代常閑翁跡

「日本売薬・備中売薬の祖、岡山城下に住み、二代池田綱政公から「延寿返魂丹」の金看板を拝受した。富山に返魂丹(反魂丹)を伝授した」とある。
落語の『反魂香

Img_9414 恵美須屋跡・片上宿脇本陣跡 《地図

アルファビゼンの所だが営業していない。脇本陣は京屋中村氏が務めた。

Img_9421 この先で左折して本陣跡へ

街道は右折して行く。

Img_9422 道標(天保6年(1835)・左折した左側)

「左渡海場 施主小浦 釣舩中」・「右ゑびす道」は西の恵美須神社のこと。

Img_9424 本陣小国氏邸跡 《地図

Img_9426 説明板

Img_9429 道標

「左 大坂」は歩いて来た山陽道(西国街道)で、「右 恵美須 道」は恵美須神社への道。

Img_9431 左折して『お夏伝説』の葛坂へ。

Img_9435 葛坂(くずざか) 《地図

右にお夏の墓

Img_9436 お夏の墓

お夏清十郎』のモデルとか。お夏は尼僧となって清十郎の菩提を弔ったとも。二人の墓(比翼塚)は姫路市野里の慶雲寺にもあるようだ。

Img_9440 説明板(葛坂)

Img_9443 お夏茶屋跡 《地図

井戸跡がある。

葛坂峠から下って行く。

Img_9456 国道2号へ下り、右に入り備前焼の町、伊部(いんべ)地区に入る。右下は片上隧道の出口。

Img_9459 右に旧道に入る。

伊部一里塚跡を見落とした。

Img_9464 備前焼一色の伊部の家並み 《地図

Img_9484 天津神社

参道は備前焼

Img_9483 神門も備前焼

Img_9472 社殿の床も

Img_9490 備前焼の興楽

この先で左折し伊部駅に向かった。

Img_9491 伊部駅(JR赤穂線)

備前焼伝統産業会館の建物で、2階が備前焼の展示室になっている。

Img_9495 天井につばめの巣が2つ。親つばめがひっきりなしに餌を運んでいた。ご苦労さん。

Img_9496 JR赤穂線

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月15日 (木)

山陽道(相生駅→有年駅)

2014年5月7日

相生駅(JR山陽本線)・・・追分道標(西国道・赤穂城下道)・・陸天神社御旅所・・狐塚古墳跡碑・・・(JR赤穂線・・山陽本線・・山陽新幹線)・・・国道2号・・菅原台交差点・旧道・・・国道2号・・・(山陽自動車道)・・・竜泉交差点・・旧道・・荢谷川・・金刀比羅神社・・鶴亀地区(間の宿)・・・上松歩道橋(国道2号)・・・円立寺・・・(国道2号)・・・若狭野天満神社・・・国道2号・・・有年跨線橋(山陽本線)・赤穂市・・・旧道・・・(国道2号)・・・旧道・・・有年村道路元標・・・有年駅(山陽本線)

 山陽道の続きを兵庫県相生市から広島県三原市まで、播磨、備前、備後国へと7日かけて歩く。今日は強い陽射しの中を13時頃に相生駅を出発し、有年(うね)駅までの短い区間で足慣らしだが、見所は少なく大型車の行き交う国道2号歩きは気分的に疲れた。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9026狐塚古墳跡 《地図

5世紀末から6世紀初めの築造で、玉類・鏡・武具・馬具・金銅製杏葉・銅鈴・きぬがさ形埴輪などが出土したが、昭和30年に遺構は消滅して碑のみが建つ。墳形は何だったのか?

Img_9030JR赤穂線・山陽本線・山陽新幹線をくぐって国道2号の菅原台交差点を横切って旧道に入る。 《地図

すぐに国道2号に合流し、山陽自動車道をくぐり、竜泉交差点の先で右に旧道に入る。

Img_9065案内図(相生市立若狭野多目的研修センター前に設置)

鶴亀地区は間(あい)の宿とある。

Img_9039鶴亀金刀比羅神社 《地図

創建年代不詳で祭神は金山彦神

Img_9043鶴亀地区

東の片島宿(たつの市)と西の有年宿(赤穂市)の間の宿で、旅宿の鶴屋、酒屋の亀屋があった。店の主人も鶴屋千歳(浜崎)、亀屋万歳(高田)と名乗っていた。入鹿渕(鶴亀池)から出たという鶴と亀の形の蓬莱石を店先に飾っていたそうだ。
鶴亀池はこの辺り一帯が蘇我入鹿の領地であったことから入鹿渕と呼ばれている。

Img_9047上松歩道橋(国道2号)を渡って、左に旧道は続く。 《地図

Img_9048円立寺

集落の間を進み、再び国道2号を横切って行く。

Img_9051旧道(右) 《地図

Img_9052若狭野天満神社参道

Img_9064若狭野天満神社 《地図

創建年代不詳。住古山城国北野天満宮の分霊を勧請、慶応4年(1868)本殿を再建。あじさい神社としても知られ、毎年、6月の最終日曜日に「あじさいまつり」が行われる。
天神さんゆかりの牛ではなく大きな縫いぐるみみたいな馬が奉納されている。毎年、干支の動物が奉納されるようだ。今年は午(うま)年で馬。

Img_9060天井絵馬

湊川合戦の楠正成、後三年の役の源義家などの絵馬が天井を埋めつくしている。

Img_9069案内図

山陽本線の南側に「和泉市式部の碑」があるようだが行かなかった。
「和泉式部の伝説」(『相生・伝承文化を発信する会』より):夫の橘道貞との間に生まれたが故あって寺院の前に捨子した小式部が、播磨の国の人に拾われ育てられていると聞いた和泉式部は、上東門院書写山参詣の際、一行と別れ播磨の野を西へ急いだ。冷たく激しい雨に遭った式部は道端の栗の木に身を寄せると不思議にも枝がしだれ、式部を雨からかばってくれたという。やがてこの地で我が子の行く末を聞き、道を急ぐ途中で綿を摘む少女を見て声をかけた式部は、五郎太夫の家に案内された。その夜は都の話や横に座った娘の話を聞き、守本尊を所持していたことから我が子と分かり涙にくれた。五郎太夫は心よく小式部を手渡し、身代わりとして小式部は守本尊を残した。和泉式部に関係するものとして、薬師井・梅の木・薬師堂・斉垣・しだれ栗の木などがある。

Img_9078歩道がなく大型車の通行の多い国道2号を避け、国道と山陽本線の間の道を西進する。《地図

Img_9084有年跨線橋(JR山陽本線) 《地図

ここは国道を行くしかない。大型車の爆風を受けながら渡って、相生市から赤穂市に入る。

Img_9087右に旧道に入りほっとする。《地図

Img_9088赤穂市といえば赤穂浪士・忠臣蔵で、市内循環バスも「ゆらのすけ」だ。

仮名手本忠臣蔵の「大星由良之助」の名称と、ゆっくりとバスに揺られているイメージとを掛け合わせた公募により選ばれた愛称。

Img_9089地蔵(文政11年(1828))

Img_9093国道2号を横切って左に旧道は続く。《地図

Img_9096有年(うね)村道路元標《地図

ここを右折し有年駅に向かった。

Img_9097有年駅

明日は有年宿から有年峠を越え、船坂峠~大西峠~葛坂峠と起伏のある道で楽しみだ。天気が良過ぎて暑いのと、強い紫外線を浴びるのが気がかりだが、贅沢な言い草というものだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年12月 | トップページ | 2014年6月 »