山陽道(三谷駅→神辺駅)
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宿場風情が色濃く残る矢掛宿から七日市宿、高屋宿へと進み、県境碑から広島県福山市神辺町に入った。備後国分寺跡に寄り神辺宿まで行った。相生駅から歩き始めて今日で5日目、ずっと晴れの日が続いたが明日は雨になるようだ。
【ル-ト地図】
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道標(安政5年(1858)) 《地図》
「左大坂道」で歩いて来た山陽道、「右 玉しま道」で小田川沿いに倉敷市玉島方向への道。
小田川土手下の常夜灯(安政6年)・山上講供養碑(安政5年)・地蔵と大師の小祠
綺麗な花を飾られて幸せそうな地蔵だ。地元の人たちから大切にされているのだろう。
矢掛神社 《地図》
備中一宮、吉備津神社の末社。天正10年(1582)毛利元清が茶臼山入城にあたり城下鎮守のため、鳥居を寄進したという。(今の鳥居は元禄13年(1700)に庭瀬藩主板倉氏の寄進という)
茶臼山城一帯は神社の南側に、「ヘルシーロード茶臼山文化の丘」として整備されている。
矢掛(やかげ)宿へ入って行く。
両塚とも黒松が植えられていた。
カラフルでユニークな造りの鐘楼。
将軍家定に嫁ぐため江戸に向かう天璋院篤姫が泊まった。
ここは徒歩渡しで、橋を渡った右側に「高通川徒渡し跡碑」が立っている。
大曲 《地図》
民家の左前に「旧山陽道 大曲」の立札が裏返って立っている。左折して国道486号に出る。
参勤交代の際など、村人が下座して迎えた場所という。この先にも下座所跡の標柱がいくつもある。わざわざ(土)下座した場所を残すのには、こちらの頭が下がる。
道標 《地図》
「貴布袮宮道」・「是より南十丁」で、南に轟橋(小田川)を渡って行くと貴船神社がある。
光明真言供養塔(毎戸池) 《地図》
左が弘化4年(1847)、右が天保5年(1834)
毎戸一里塚跡標柱(左) 《地図》
間の宿堀越地区に入る。《地図》
矢掛宿と七日市宿の間の宿だった。
小田西交差点で国道486号に出て進むと井原市に入る。
旧道は一部区間、井原線の北側沿いとなる。《地図》
再び井原線をくぐり国道に出る。
道標 《地図》(写真は高越城跡方向)
「高越城址 寶蔵院」で、北の宝蔵院と高越山の北条早雲が生まれた城という高越城跡への道標。早雲の出自については備中荏原荘(井原市)が通説となっているようだ。この先の井原鉄道の駅名もずばりと「早雲の里荏原駅」だ。
「道祖渓名物」とある。道祖渓はかなり北方にあるが、この店はもう営業していないようだが?《地図》
日本綿布の木造の事務所の先に、一里塚跡の標柱が立つようだが見逃した。
今市駅本陣跡 《地図》
難波家が務めた。矢掛宿と七日市宿の間の宿で、小田川を挟み七日市宿の対岸になり、川止などの時は賑わったという。
甲山八幡宮へ曲がる所に、中堀城跡の標柱が立っている。那須与一の兄の光隆の築城という。
石灯籠は慶長9年(1604)の建立。ここも那須氏ゆかりの神社。
平櫛田中のこと。生家が田中で、養子先が平櫛で2つの姓を合せて号としたそうだ。
東京の小平市の玉川上水沿いに「平櫛田中彫刻美術館」がある。
枡形跡 《地図》
この先左側に「相田嘉三郎邸旧宅」標柱が立つ。
「地酒山陽街道」、「山陽道」でないのが惜しい?
小田川に突き当たり、日芳橋を渡り七日市宿へと入る。
徒歩渡りでここへ上った。
川越し上り場跡碑 《地図》
「七日市停車場」・「大正二年十一月開通」で、井原と笠岡を結ぶ井笠鉄道の七日市駅への案内道標。昭和46年まで走っていたのだ。「井笠鉄道記念館」
七日市宿本陣跡碑 《地図》
本陣1軒(佐藤家)、脇本陣が3軒というかなり大きな宿場だったが、安政3年(1856)の大火でほぼ全焼し、その後建てられた家が多いそうだ。
鳥居の左側の支柱に本陣家の「佐藤正左衛門」の名が刻まれている。
岩山神社鳥居 《地図》
井原鉄道の向うに急な石段が見える。ここから遥拝で済ます。
一里塚跡碑(右) 《地図》
「距岡山元標十三・・・」
大曲跡で右折して行く。《地図》
分岐に説明板・水準点標柱・道標・薬師堂がある。
おかげで少しは元気が出たか。
渡った左に法泉院。
本陣家だった上野家が声楽家の上野耐之の生誕地で、今は「子守唄の里高屋」と呼んでいる。♪『中国地方の子守唄』
県境碑 《地図》
岡山県と広島県、備中国と備後国との境。通り一つ挟んで他県人とは。
福山市神辺町に入る。
このあたりは一里塚という地名で、一里塚バス停もある。
旅人の休憩所、宿泊所として利用された。
一里塚跡碑・菅茶山先生詩碑
すぐ先の右が明正寺
このあたりに高札場があったのか?
御領八丈岩登山口
伝説:「御領山には栗がいっぱい繁り、 高屋川を挟んで向かいの権現山は岩だらけだった。二つの山に棲んでいた鬼が山の高さを競って喧嘩になり、栗と岩を投げ合った。そして御領山(234m)は岩山に、権現山(231m)は栗山になった。それで御領山は岩の分だけ高くなったとさ」
ここも遥拝のみだ。
備後国分寺跡 《地図》
ここは南門跡で・・・金堂・塔跡・・講堂跡と続く。
湯野口交差点で国道313号に出て井原鉄道をくぐり、右に旧道入る。
前方の橋本橋を渡って神辺(かんなべ)宿へ入る。
一里塚跡標柱(右の荒神社境内) 《地図》
廉塾並びに菅茶山旧宅跡(右)
すぐ先の左側に「旧山陽道 神邊駅跡 「太閤屋敷あと」」の標柱が立つ。太閤秀吉が朝鮮役からの帰途、立ち寄った屋敷の跡で、明治以降は川北村役場が置かれていたとある。
西本陣尾道屋菅波家跡 《地図》
七日市地区にあった東本陣跡はどこか見落とした。建物は残っていないようだが。
菅波歯科医院 《地図》
本陣家の家柄だろう。
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