山陽道(伊部駅→岡山駅)
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【ル-ト地図】
備前焼の町・伊部を後にして、間の宿の香登から刀剣の里の瀬戸内市長船町に入り、すぐに吉井川を備前大橋で渡って岡山市へ入った。宿場風情の家並みの残る藤井宿を過ぎ、岡山城下の惣門跡を通り、吉備団子屋が二軒並び、カラフルな岡電が走る見覚えのある牛窓往来に突き当たり、岡山宿の中心部を通って岡山駅まで進んだ。
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伊部橋(不老川) 《地図》
親柱は備前焼
道標(右端の白塀の前) 《地図》
「臥龍松之道」で、この碑の北に「卧龍之松」があったようだ。当時は高さ3間(5.4m)ながらその枝は、東西方向に168尺(51m)、南北方向に94尺(28m)も伸びていたという。 惜しいかな松は昭和21年に松喰い虫の被害にあい枯死したそうだ。北に入った民家の庭に「天然記念物 臥龍松」の石標が立っているようだ。
「従是大瀧山道」・左右両面に「本堂まで十八丁」 で、ここから北方約2kmにある古刹、大瀧山福生寺の丁石。
標識の「熊山遺跡」は、熊山にある石積遺構。
大内神社・香登(かがと)一里塚跡(左端の石積み) 《地図》
北塚のみ残る。
四代目伏見屋市平
香登は片上宿と藤井宿の間(あい)の宿だった。吉井川の増水による川止め時は賑わったという。
石長姫神社 《地図》
常夜灯は嘉永2年(1849)の建立
道標(元文2年(1737)・右の電柱の前) 《地図》
「従是熊山道」・「宮まで四十五丁」で、熊山はここから約5kmほど北の赤磐市にある。備前国第一の山岳信仰の霊地で、山中には熊山石積遺構(前掲)や熊山神社がある。
大用水を渡り、山陽新幹線をくぐり国道2号に出る。
ここは備前長船刀剣の発祥地だ。刀剣博物館などもあるが寄らなかった。
道標 《地図》
「熊山地蔵・・」・「常夜灯」・「左西大寺・・右く・・・」。この先の土手上に大きな「明治天皇巡幸記念碑」が立つ。
正面の備前大橋を渡って行く。
備前福岡城跡(備前大橋から)
正面の長船CCゴルフ場の木がこんもりしている所と、右端の吉井川の対岸の所が候補地らしい。福岡の地は黒田官兵衛(孝高)の曽祖父の高政が近江から移り住んだ地という。黒田氏にとって福岡は重要な地で、慶長6年(1601)、孝高の子の長政が筑前一国を与えられ、博多に隣接して新たに城を築いた際、高政の故地・福岡の名を取って福岡城と名づけた。
備前大橋を渡ってしばらくは国道2号を進むのだが、歩道がついてなく交通量が多いので土手下に下りる。
常夜灯 《地図》
国道の一日市交差点から下ってここに入るのが本来の道筋だろう。正面左に常夜灯(文政4年(1821)と「旧山陽道」の標柱が立つ。このあたりに一里塚があったようだ。間の宿だった一日市(ひといち)地区へと入る。
片上宿と藤井宿の間の宿で、本陣や旅籠もあり吉井川の川止めの際にはかなりの賑わいを見せたという。
福岡神社鳥居や和田八幡宮常夜灯を見ながら進み、沼川を渡って丸山の南を回って北西方向に進む。
赤坂を上る。 《地図》
傾斜は緩い。
青津池沿いを走る山陽本線 《地図》
山陽本線を渡り、山陽新幹線をくぐり上道(じょうとう)駅を過ぎて、鉄(くろがね)地区に入る。
安国寺経塔(左端) 《地図》
安国寺跡はこの先の古都村役場跡(古都コミュニティハウス)の案内図に載っている。
江戸時代の初め頃、眠室宗安禅師が寺の再建を記念して経塔を建立したという。
すぐに藤井宿に入る。
新往来分岐地点(素戔鳴(すさのお)神社前) 《地図》
右折して行くのが新往来。諸藩の志士の往来が激しくなった幕末に、これらの通行人が岡山城下を通行することを回避するために作られた迂回ルート。
案内図(古都村役場跡(古都コミュニティハウス)に設置) 《地図》
宇喜多秀家以前の宿場(宿村)で、今も古都宿という地名が残る。山陽道は北西の四御神(しのごぜ)に向っていたようだ。右上に安国寺跡がある。
山陽新幹線をくぐり、山陽本線を渡って東岡山駅方向に進む。
道標(明治38年・長岡郵便局前) 《地図》
正面に、「→西大寺観音 ←長岡駅 道」で、当時は東岡山駅は長岡駅だった。今もバス停は「長岡・駅前」のようだ。
左側面に、「 →岡山 玉島 ←神戸 大坂 京 道」 で、山陽道を示している。
茶屋があったようだ。ここを右にカーブして西進する。
ここの対岸へ山陽道は続いていた。渡し船で渡ったのだろうか?
惣門跡 《地図》
岡山城の東の惣門。宇喜多直家はNHKTVの「軍師官兵衛」で陣内孝則が演じている。これがなかなかいい。
牛窓往来合流地点 《地図》
この先、岡山宿~西惣門までと、岡山城などは『牛窓往来①』に記載。
(西)惣門跡あたり(岩田町交差点) 《地図》
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