山陽道(有年駅→有年峠→船坂峠→大西峠→葛坂峠→伊部駅)
2014年5月8日
有年駅(山陽本線)・・・有年村道路元標・・・国道2号・道標・・・池魚塚・・・矢野川橋(矢野川)・・・有年橋(千種川)・・・旧道・有年宿・・有年村役場跡・・本陣跡・・番所跡・・・東有年沖田遺跡・・・東有年交差点・旧道・・八幡神社・高瀬舟灯台・・有年家長屋門・・・光明寺・・・淳泰寺・・・中野橋(長谷川)・・・西有年宮東遺蹟標柱・・・大避神社・・・(国道2号)・・・西有年向山の五輪塔・・・西有年宝篋印塔・・・一里塚跡標柱・・・上組橋(長谷川)・・・立場跡・・・ゲート①・・坂折池・・・有年峠・上郡町・・ゲート②・・・(国道2号)・・・梨ケ原地区(間の宿)・・梨ケ原遺蹟説明板・・応神前橋(梨ケ原川)・・・船坂神社・・・梨ケ原一里塚跡・・・不動堂・・・国道2号・・・梨ケ原国道踏切(山陽本線)・・・縣界碑(兵庫県・岡山県)・・・雲水の井戸・船坂山義挙碑・舟坂山いこいの広場・・・船坂山義挙之趾碑・・・船坂峠・播備国境標石・・・国道2号・・・第一船坂踏切(山陽本線)・・・三石一里塚跡標識①・・・深谷瀧道道標・・・亀甲橋(船坂川)・・・三石駅(山陽本線)・・三石一里塚跡標柱②・・三石宿・脇本陣跡?・・三石神社・・本陣跡・・三石城址登山口・・・大橋(金剛川)・・・光明寺・・山陽本線ガード・・・国道2号・・弟坂・・大西峠・・兄坂・・・(山陽自動車道)・・明治天皇八木山御小休所趾碑・八木山一里塚跡・・・二軒屋歩道橋・・・旧道・・・往還橋(持手川)・・・広高下地区・・・伊里川・・・閑谷神社道標・・・観音山登山口・・・西池・・・藤ケ棚茶屋跡・・・国道2号・・・(片上一里塚跡)・・・大池・・・旧道・・・(山陽新幹線)・・・天神宮・・(国道2号)・・・塩谷踏切(山陽本線)・・片上宿・・玉泉酒造・・法鏡寺・藤原審爾住居跡・・宇佐八幡宮・・清水紫琴生誕地碑・・津山街道標柱・・刀工備州祐高造之宅跡・・宝永橋(流川)・前海屋跡・・片上駅三の陣跡・・万代常閑翁跡・・恵美須屋跡・・片上宿脇本陣跡・・道標・・本陣跡・・道標・・・葛坂・・お夏の墓・・・葛坂峠・お夏茶屋跡・・・国道2号・・旧道・・・(伊部一里塚跡)・・・備前焼の伊部地区・・天津神社・・・伊部(いんべ)駅(JR赤穂線)
五月晴れの初夏の陽気の中、以前は難所だった有年峠を越え、播磨・備前の国境、兵庫と岡山の県境の船坂峠を越えて三石宿に入り、弟坂を上って大西峠から兄坂を下り、片上宿を通ってお夏伝説の葛坂峠へ上り、備前焼の伊部の町へ下って行った。
有年駅から伊部駅まで9時間以上かかった。起伏のある道をよく歩いた。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
道標(昭和3年) 《地図》
「左岡山 廣嶋道」・「右上郡 鳥取道」で、左の国道2号を岡山方向へ進む。
道路改修資金のために売られた池の魚への感謝と供養の塚。
昔は渡し船で渡った。
寛永年間(1624~43)頃に西有年からここ東有年に宿場町が移された。
旅籠が数十軒、木賃宿、商人宿、牛馬宿、茶屋などで賑わっていたという。
有年宿本陣跡(旧柳原家宅跡) 《地図》
民家の間を左折した裏にある。
柳原家は有年家と並び代々庄屋を務めた。今は、「明治天皇駐輦記念碑」が立つのみ。東隣には会所があった。脇本陣跡(儀兵衛宅)の場所は不明という。
番所跡(旧松下家跡)(右) 《地図》
左も松下家
赤穂藩役人は出張の際はここに宿泊し、前庭を白洲にし番所として利用した。
2号住居(右)・5号住居(左)
この山は中世の赤松家の被官・富田右京が築城したという八幡山城(有年山城)で、赤穂市内で最大の山城だそうだ。
八幡神社 《地図》
鳥居は延享元年(1744)の建立。
千種川を上下する高瀬舟の標識で、3km以上南の真殿(まとの)からも見えたという。
赤穂市に残存する江戸時代の長屋門は、赤穂城内の大石良雄宅、近藤源八宅とここの三軒しかないそうだ。
淳泰寺 《地図》
浄土真宗本願寺派の寺
中野橋で長谷川を渡る。
平安時代末から鎌倉時代の掘立柱建物跡が多数見つかり、一緒に壷、皿、土器などが出土。
大避(おおざけ)神社 《地図》
備前焼の狛犬にはこの先の神社で何匹も出会う。
国道2号を横切って行く。
鎌倉時代末~南北朝時代の建立という、花崗岩製で高さ1.7m。西国街道(筑紫大道)を往来する旅人の安全をも願って建てられたものか。
「東有年横尾からここまでが一里で、現在ではこの塚跡を塚の元と呼ぶ」と書かれている。東有年横尾の一里塚は有年村道路元標のあたりか?
有年峠を上り下りした旅人の休憩所。駕籠が縦に並ぶように、軒下を深く縁側を細くしている。
有年峠への上りとなる。
ゲート① 《地図》このあたり
開いていた。まだ舗装されていて車も通れる。
どこが有年峠の頂上《地図》だったか気づかないうちに下りとなった。
ここまでゲート①から1回の小休止を入れてちょうど40分だった。左側の止め金はずして抜ける。
右はゴルフ場の敷地だろう。
左に山陽道の説明板。
直進して国道2号を横切る。《地図》
この手前で道端の清掃をしていた近所の女性から、以前は荒れていた有年峠の道を整備したことなどを伺った。歩き人にはまことにありがたい、感謝、感謝だ。
左折して梨ケ原地区~船坂峠~三石宿へと向かう。
有年宿と三石宿の間(あい)の宿で宿屋、茶屋が並んでいたようだ。
中世には梨原宿とある。
船坂神社(奥) 《地図》
ここも備前焼の狛犬、天井絵馬だ。
縣界碑(兵庫県・岡山県) 《地図》
この右上方船坂峠(180m)に「播備国境標石」がある。この先の「舟坂山いこいの広場標柱」から上り返して行かれる。
三軒屋という茶屋があり、旅人の喉を潤した水だったのだろう。近くに「船坂山義挙の碑」がある。
後醍醐天皇のどじな迷忠臣児島高徳の軽挙碑。
高徳は出雲街道の杉坂峠や院庄にも出没する。
備前市教育委員会設置のもの。
備前市10景の一つ深谷(みたに)の滝 《地図》
「是ヨリ六町」 とあるが、1.5kmくらいか?
地元か個人で設置したものか、こっちの方が新しい。①からは1km近く離れているか。
三石耐火煉瓦工場
三石はレンガの町で、耐火煉瓦の国内シェアーは3割とか。《地図》
ここが三石宿脇本陣跡だろうか?
神功皇后ゆかりの子宝・子授けの孕(はら)み岩。
本陣跡(かどや旅館跡) 《地図》
総畳数130畳の規模だったという。電柱には今もかどやの看板が掛かっている。
三石城址登山口
光明寺 《地図》
右に明治天皇三石行在所碑。瀬戸内三十三観音の第9番。
やっぱりレンガの町のことはある。上を山陽本線が通っている。
弟坂を大西峠へ上る。《地図》
こちらの方がはるかに長い。
明治天皇八木山御小休所趾碑(左端)・八木山一里塚跡標柱 《地図》
本来は四軒屋バス停の先で右に入るようだが。
小さな往還橋で持手川を渡って行く。
広高下地区を行く。《地図》
旧閑谷学校(閑谷神社)への道標(明治10年)で、「従是丗壱丁十四間」と書かれているようだ。ここから北へ4kmほどあるか。《地図》
右に観音寺山登山口標識。和気町との境の385mの山。
藤ケ棚茶屋跡(左の備前焼桂花園の石塀前に標柱) 《地図》
備前藩主の休憩所で、湯屋もあったそうだ。
この先で国道2号に出る。片上一里塚跡があるはずだが見逃した。大池を過ぎて右に旧道に入る。《地図》
山陽新幹線をくぐって進む。
天神宮(右) 《地図》
この先で国道2号を横切り、塩谷踏切(山陽本線)を渡り、片上宿へ入る。
玉泉酒造 《地図》
藤原審爾住居跡・法鏡寺
鳥居は最上位稲荷宮
前に「旧山陽道 片上宿(方上津)」・「藤井宿四里半(約十八K)」・「三石宿二里半(約十K)」の標柱が立つ。
片上は元は「方上津」と呼ばれた天然の良港で、瀬戸内海の海上交通の要衝だった。山陽道が三石から南路の片上を経由するようになってから宿場町として発展し、江戸時代には三石宿と西の藤井宿との間の宿駅として栄えた。備前藩の蔵屋敷が置かれ、問屋や商屋も立ち並び大いに繁盛したという。
清水紫琴生誕地碑(左)
片上から津山を経由して山陰への道。
前海屋跡 《地図》
宝永橋が落ちても、前海屋は倒れぬといわれた富豪。郵便局あたりまで海を埋め立てたそうだ。明治24年遊郭遊女十二名と書かれている。
石田光成の子孫ともいう石井家が務めた。
(薬祖)万代常閑(もずじょうかん)翁跡
「日本売薬・備中売薬の祖、岡山城下に住み、二代池田綱政公から「延寿返魂丹」の金看板を拝受した。富山に返魂丹(反魂丹)を伝授した」とある。
落語の『反魂香』
恵美須屋跡・片上宿脇本陣跡 《地図》
アルファビゼンの所だが営業していない。脇本陣は京屋中村氏が務めた。
街道は右折して行く。
「左渡海場 施主小浦 釣舩中」・「右ゑびす道」は西の恵美須神社のこと。
本陣小国氏邸跡 《地図》
「左 大坂」は歩いて来た山陽道(西国街道)で、「右 恵美須 道」は恵美須神社への道。
葛坂(くずざか) 《地図》
右にお夏の墓
『お夏清十郎』のモデルとか。お夏は尼僧となって清十郎の菩提を弔ったとも。二人の墓(比翼塚)は姫路市野里の慶雲寺にもあるようだ。
お夏茶屋跡 《地図》
井戸跡がある。
葛坂峠から下って行く。
国道2号へ下り、右に入り備前焼の町、伊部(いんべ)地区に入る。右下は片上隧道の出口。
伊部一里塚跡を見落とした。
備前焼一色の伊部の家並み 《地図》
参道は備前焼
この先で左折し伊部駅に向かった。
備前焼伝統産業会館の建物で、2階が備前焼の展示室になっている。
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