下妻街道②(吉川駅→小山の渡し跡)
2014年6月10日
吉川駅(JR武蔵野線)・・・鷲神社・・・智勝院・・・延命寺・・・さくら通り(二郷半領用水)・・・前新田橋(二郷半領用水)・県道326号・・・鍋小路交差点・・・玉葉橋(江戸川)・すさきの渡し跡・・・(千葉県野田市)・・・庚申塔・旧道・・・山崎交差点・日光東往還合流地点①・・山崎宿・・日光東往還分岐地点①・・・神明神社・・庚申塔・・・長命寺・・・須賀神社・・・キッコーマン野田本社・・・愛宕神社・・・清水橋(座生川)・・・(東武野田線)・・・香取大神社・・・日光東往還合流地点②・・・日光東往還分岐地点②・・・船形南交差点(春日部野田バイパス)・・・庚申塔道標・・・小船橋(関宿落)・小船橋水辺公園・・・野田小山橋(長堀)・・・小山の渡し跡あたり(利根川)
吉川市を横切り、玉葉橋で江戸川を渡って千葉県野田市に入り、日光東往還の山崎宿へと進み、北上して利根川に突き当たった。近くに橋はなく次回は芽吹大橋を渡った所から歩き始め、利根川土手を遡り対岸地点へ向かうことにする。
【ル-ト地図】(2日目出発地点から45.3km地点まで)
写真をクリックすると拡大します。
創業から400年の老舗料亭。近藤勇、勝海舟、板垣退助らも「なまず料理」を食べたようだ。
吉川交番交差点で右折する。延命寺には「左こしがや 江戸道」と刻まれた庚申塔道標がある。『赤山街道(越谷道①)』に記載。吉川橋(架け替え工事中)を渡って来るのが本来の下妻街道の道筋。明治8年に平沼の徳江忠次郎が有料の徳江橋を架けるまでは「かご場の渡し」で渡っていた。
ここの「桜通り」の桜並木も見事だ。
前新田橋交差点で右折して行く。
玉葉橋(江戸川) 《地図》
埼玉県と千葉県の境。読みは「ぎょくよう」橋。本来の流れは右側だが、降り続いた雨でこちら(県営吉川公園)にも水が来ている。
下妻街道は吉川の中央部を東西に横断し八子新田に出て「すさきの渡し」(野田側では「ながれ(今上)の渡し」)で江戸川を渡った。
ここの渡しは寛永9年(1632)の関東郡代伊奈半十郎の書付には「江戸川作場渡し」とある渡し場で、昭和初期にはエンジン付きの船となって昭和40年頃まで続けられた。
左に旧道が残り、庚申塔・甲子待塔などが立つ。《地図》
バス停は「とんとんみずき橋」
下に「甲子講中」と刻む。甲子の夜、大黒天を祀り、講中で甲子待の供養行事のために造立したのだろう。大きな袋を背負い、打出の小槌を持っている。
野田市山崎交差点で日光東往還合流地点①に合流する。山崎宿は「山崎宿バス停」とその先の常夜灯に名残りがあるくらいか。『日光東往還①』に記載。
日光東往還分岐地点① 《地図》
日光東往還は右斜めに進んで行く。下妻街道は流山街道を進む。
『太子堂句額』
約2mの丸彫の立像で、台座内に三猿の透かし彫りがある。いかめしくなく、にこやか顔なのがいいね。
キッコーマン野田本社の周囲を巡る。
醤油関係の旧家か? 《地図》
下妻街道に戻る。
愛宕神社鳥居(元禄7年(1694)) 《地図》
野田市で2番目に古い鳥居。
江戸の商人衆、43人の講中の造立。
「百年の気しきを庭の落ち葉かな」、野田市で3番目に古い句碑。
惜しいかなかなり傷んでいる。
香取大神社 《地図》
日光東往還合流地点② 《地図》
この先で右から来る日光東往還と合流し、600mほどで分かれ右折して行く。
どんな地名の由来なのか?
この先で船形南交差点(春日部野田バイパス)を横切る。
道標(天明2年(1782)) 《地図》(このあたり)
道路と反対の面に「青面金剛」・右側面に「右 むしろうち つくば道」・左側面に「左 きまがせ道」
莚打(むしろうち)は利根川を渡った坂東市。《地図》
「きまがせ」は北方向の木間ケ瀬のことだから、青面金剛庚申塔は後ろ向きにされてしまったのだろう。元の場所もここではないのでは。
猿田彦神塔(嘉永7年(1854))・上部の欠けた二十三夜塔?(船形駐在所バス停そば)
小船橋水辺公園 《地図》
ここは「海から107.0km」地点、河川敷が広がり利根川の流れはこちらからは見えない。
芽吹大橋で迂回して対岸の107km地点あたりまで行くことになる。
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