奥州街道(三厩駅→竜飛崎)
2014年6月4日
三厩駅(JR津軽線)・・・増川橋(増川川)・・・三厩地区・・三厩橋(三厩川)・・(脇本陣跡)・・本陣跡・・三厩港・・義経寺・・厩石・松前街道終点之碑・国道339号・・・義経海浜公園・・・算用師橋(算用師川)・(みちのく松陰道入口)・・・藤島橋(藤島川)・・・四枚橋地区・・稲荷神社・・・釜の沢橋・・・宇鉄地区・・元宇鉄橋(元宇鉄川)・・・鐇泊橋(鐇泊川)・・鐇泊トンネル・・・洞門・・洞門・・・尻神地区・・・鳴神橋(鳴神川)・・・トンネル・・・旧道・・梹榔地区・・梹榔橋(梹榔沢)・・・国道339号・・・トンネル・・・洞門・・・龍飛漁港・・太宰治文学碑・・龍飛館(旧奥谷旅館)・・階段国道339号・・・龍飛崎灯台・・龍飛砲台跡・・吉田松陰詩碑・・・津軽海峡冬景色歌謡碑・・階段国道・・・龍飛漁港前バス停(外ヶ浜町営バス)→三厩駅
【ル-ト地図】(3日目出発地点から竜飛崎まで)
写真をクリックすると拡大します。
三厩(みんまや)地区 《地図》
山田商店の所が本陣跡で、手前に脇本陣があったようだ。
義経寺(ぎけいじ)
ここが陸路の奥州街道(松前街道)の終点で、ここから北海道の松前には船で渡った松前海道となる。松前も『松前町の坂』で少し歩いている。
後ろが厩石
三厩の地名の由来ともなった、義経渡海伝説の三つの岩穴だが、左の岩穴は崩れて今は二つだけ。この前に「源義経龍神塔」と「静御前龍神塔」が立つ。
甲岩(義経海浜公園から)
源義経が無事北海道に渡れるようにと、大切にしていた甲(かぶと)を海神にささげた場所にある岩だとか。確かに甲(兜)に似ている。
算用師橋から算用師川 《地図》
「みちのく松陰道入口」の標柱が立つ。嘉永5年(1852)、津軽海峡の防衛検分のために歩いたとされる道。小泊から海岸沿いに北上し、途中から山道に入り、算用師峠を越えて、ここへ出て海岸沿いを南下し「いんくぐり」(昨日に記載)をくぐったのだろう。平舘からは舟で青森に向かったそうだ。竜飛崎へは行っていないようだ。
四枚橋地区 《地図》
かつては海辺の断崖の岩から岩へ、4つの橋が渡されていたという。
立派な保育園があるが園児は3,4人しかいないようだ。《地図》
左は鐇泊(さかどまり)トンネル 《地図》
宇鉄漁業組合長の牧野逸蔵がアワビ採取事業で得た莫大な益金で大正12年に開削に着手した「アワビ道路」。(説明板より)
右遠方は鎧島で、義経が島の神に鎧を捧げて風が吹かないように祈願したという、義経渡海伝説の地の一つ。
左に梹榔(ひょうろう)地区に入る。《地図》
後方は竜飛ウインドパークだが、風が弱くてプロペラの回りはのろく、力が弱い。今でも電力を供給しているのだろうか?
この先で再び国道339号に出る。
旧奥谷旅館(龍飛岬観光案内所の龍飛館)
太宰治と友人のN君が泊まった部屋で記念写真を撮ってもらった。
太宰が「・・・鶏小屋に似た不思議な世界・・・」と書いている階段国道339号へと進もう。
すぐに右折して行く。
龍飛崎灯台へと上って行く階段国道339号。
今ではすっかり観光名所になっている。
三厩村は合併して外ヶ浜町になっているから正確には「町道」だ。
この龍見橋(太宰の道)を渡って行くと、津軽要塞重砲兵連隊龍飛砲台跡・吉田松陰詩碑・大町桂月文学碑・佐藤佐太郎歌碑・川上三太郎句碑などがある。
帯島は義経が蝦夷へ渡る時に帯を締め直した所という。ここで義経はアイヌの酋長から巻物をもらい、それに記されていることをもとに蝦夷に渡ったとか。渡海伝説は果てしなく、際限なく続くのだ。
自衛隊の監視施設が邪魔くさい。
♪「津軽海峡冬景色」♪歌謡碑
前のボタンを押して石川さゆりの歌を聞きながら、売店で買った大きないか焼きを食べて、東日本大震災で中断して足掛け6年かかった奥州街道歩きの旅を終えた。
龍飛から三厩駅まで30分ほどかかるが100円とは安いね。一日6便しかないが。
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