東京散歩(江戸川区②)
2014年7月9日
瑞江駅(都営新宿線)・・・篠崎街道・・・宿川親水緑道・・・地蔵堂・・・道六神祠・・・明福寺・・・山王神社・・・安養寺(こんにゃく閻魔)・・・鎌田川親水緑道・・・八雲神社・・・金蔵寺・・・浄興寺・・・円照寺(赤門寺)・・・地蔵祠・・・香取神社・今井の富士塚・・・誠心寺・・・今井橋(旧江戸川)・今井の渡し跡・・ねね塚の旧跡・・今井橋・・・瑞穂大橋(新中川)・・・熊野神社・・・古川親水公園・・蓮華寺(虫除不動)・・妙勝寺(黒門寺)・・二之江神社・・・西光寺・・・真福寺・・・瑞江大橋(新中川)・今井街道(行徳道)・・・一之江駅・・・白髭神社①・・・感応寺・・・申孝園(国柱会)・・・長勝寺・・・妙覚寺・・一之江境川親水公園・・・(船堀街道)・・・西蓮寺・・・小松川境川親水公園・・仲台院・・・水神宮・・・仲之庭地蔵堂・・源法寺(堀まき寺)・・・寿光院・・・永福寺・・・宝積院・・・天祖神社・・・善照寺(相撲寺)・・・白髭神社②・・・小松川南公園・・・船堀街道・・・船堀駅(都営新宿線)
今日は梅雨空に戻って雨模様だが、気温が低めで歩き安かった。
【ル-ト地図】(瑞江駅→船堀駅)
写真をクリックすると拡大します。
地蔵堂 《地図》
34体の観音像の下に三猿と脇侍の二童子が向き合って彫られている珍しい物。
親鸞上人が常陸国の笠間から京都に向かう途中、旱天に苦しむこの地で雨乞いをする時に、自らの姿を映した池という。今は鏡にはほど遠い。
二代目の松というが、枯れてきていて元気がない。
「こんにゃく閻魔」といえば文京区の源覚寺が有名だが。
「笹団子行事」の旗が立つ。今年は5年に一度の本祭か。満月が見えればよいが。
北条氏康が「武蔵野紀行」で、「夜に入り風ひややかに吹きたり。松風入琴といふことをおもひ出て、”松風の 吹くこえきけば よもすがら しらべことなる 音こそかはらね”」と詠んだ、「琴弾松」(江戸名所図会)の何代目か?
永禄7年(1564)の国府台の合戦の時には、北条氏の兵がこの松に上って里見軍の様子を探ったので「物見の松」とも呼ばれた。
円照寺(今井の赤門寺)
香取神社の別当寺だった。
本地仏として十一面観音を奉安する。右後方が「今井の富士塚」
篠崎街道から今井街道(行徳道)に入る。
今井の渡し跡あたり 《地図》
ここから上流に行けば説明板の(行徳新河岸)常夜灯が立ち、木下(きおろし)街道から成田街道(佐倉街道)、東金御成街道へと続いている。徳川家康も東金へ鷹狩に行く時に、ここを渡った。
今井側(江戸側)に渡ろうとして捕まり、ここで磔(はりつけ)の刑に処せられた「ねね」の墓跡というが、塚も石地蔵も今はない。
今井橋を渡り返し、近辺を寄り道する。
新中川が旧江戸川(左)に合流する所(瑞穂大橋から) 《地図》
熊野神社 《地図》
「おくまんさま」と呼ばれた旧下今井村の鎮守。
「茶水汲むおくまんだしや松の花」
「だし」は旧江戸川の水流を和らげる「だし杭」で、このあたりの水はこなれて、きれいで、茶の湯や醤油の製造などに使われたそうだ。
取り壊されて新しくなったようだ。宇田川家の先祖は宇田川喜兵衛定氏で、宇喜新田三千石の開拓者。同家は代々、当地(二之江村)の村役人を務めていた。宇喜田町にその名が残る。
元々は、江戸時代(二之江神社の説明板ではそれ以前の天正年間(1573~91))に行徳塩田から江戸へ塩を運ぶために掘られた船堀川で、後に水運ルートが南側へと変更となった際、新しい運河を新川と呼ぶのに対して、旧船堀川を古川と呼び残された。
道標は突留橋(古川)の東のたもと→宇田川家長屋門前→ここに移された。突留橋はこの古川に架かっていた橋で、宇田川家長屋門のすぐ西側にあったようだ。正面に「是ヨリ左リ 行徳道」で、古くはこの古川(船堀川)から新川沿いの新川河岸道が(元)行徳道だった。
鴨たちは人馴れしているのか、かなり近づいても逃げない。
蓮華寺(虫除不動)
妙勝寺(黒門寺)
「江戸名所図会」の「妙勝寺」
古川はこの先で新川に合流していた。
今井街道に戻る。
四股にあった道標は、天祖神社に移されている。(後掲)
「元佐倉道」も歩く。
感応寺梵鐘(元禄11年(1698))
戦時中の供出を免れた名鐘という。
宮澤賢治も会員だった。大霊廟の前に「辞世の歌碑」もあるようだ。
ハナミズキ通り(今井街道)
電線がない。歩いている時は気づかなかったが。
船堀街道との交差地点 《地図》
左折して行くのが船堀街道だが、横切って寄り道しながら南下する。
八代将軍徳川吉宗の代より将軍の鷹狩の御膳所となっていた寺。
仲之庭地蔵堂 《地図》
防火用に堀を巡らしたので「堀まき寺」。
宇喜新田三千石の開拓者の宇田川喜兵衛定氏の菩提寺。
青面金剛像(合掌)は江戸川区内で最古だそうだ。
元は行徳道(今井街道)と元佐倉道の交差する四股にあったもの。《地図》あたり
「行徳道」と「浅草道」が今井街道、「市川道」と「両国道」が元佐倉道(千葉街道)
通称は「相撲寺」で、初代横綱明石志賀之助が元禄12年(1699)に境内で引退相撲を行ったのをきっかけに、毎年不動尊の縁日には草相撲が行われていたことによる。草相撲は昭和29年に一時復活したが、それ以後は廃止されてしまった。
小松川南公園 《地図》
涼しげなシャワーカーテン。子どもはここで水遊びができるようだ。
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