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2014年7月 4日 (金)

下妻街道④(中妻駅→下妻駅)

2014年6月30日

中妻駅(関東鉄道常総線)・・・県道357号・大師堂・鬼怒川土手・・・醫王閣・県道357号・・旧道・・・浅間神社・・・道標・・・観音堂?・・・(中妻神社)・・・三嶋神社・・・(中妻バイパス)・・・十家公民館・道標(十家渡船場入口)・・・三妻小学校・鬼怒中学校・・県道123号・・・生駒神塔・・・県道357号・・・豊受神社・・・鬼怒川土手・・・(三坂神社)・・・常総鬼怒大橋(アグリロード)・・県道357号・・・不動堂・・・大房八幡神社・・・東弘寺・・・地蔵堂・・・石毛稲荷神社・・山中酒造・・・原宿天満宮・・・(下妻市)・・・県道357号・・・江連用水神社・・・宗道十字路・・・宗道神社・・・薬王寺・・・宗任神社・江連用水旧溝・・・島屋百貨店・・・田下稲荷神社・道標(二本紀渡船場)・・・稲荷社・・・愛国橋(江連用水)・・・(国道125号)・・・枡形・・・下妻第一高校・・城山稲荷神社・下妻陣屋土塁跡・・・(下妻駅)・・・多賀谷城跡公園・本丸跡・・下妻駅(関東鉄道常総線)

  【ル-ト地図】(4日目出発地点から91.6km地点まで)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1970大師堂の小祠 《地図

後ろに庚申塔(宝永3年(1706))・馬頭観音(正徳6年(1716)などが並ぶ。

ここで鬼怒川の土手に上って少し進む。

Img_1978鬼怒川

Img_1982醫王閣 《地図

すぐ先で左に旧道に入る。

Img_1983土手と県道の間の旧道

Img_1986道標(左)

昭和3年の御大典記念に地元の青年会が設置したので、「南 水海道 中妻停車場 北 石下町 本村役場」などと刻むようだ。

Img_1993県道を横切って行く。《地図

Img_1995三嶋神社 《地図

Img_2004十家(とうけ?)公民館 《地図

右に道標(昭和3年御大典記念・三妻村青年会)

左は大輪町の安楽寺元三大師堂への道標で、正面の建物は大師堂ではないのだろう?

Img_2005右の道標の正面

指差し道標になっている。

Img_2006左側面

「← 十家渡船場入口 対岸大花羽村大輪」で、ここを入った鬼怒川の岸に十家渡船場があったのだろう。今でも対岸は大輪町だ。

Img_2001「安楽寺元三大師」?

十家渡船場で鬼怒川を渡って行ったということか。

Img_2011イチョウ(三妻小学校の所)

根元までびっしり葉がついている。糸杉みたいに見える?

Img_2015生駒神塔

馬の守り神か? 生駒神塔は始めて見るような気がする。

Img_2017旧家

この先で県道357号に出る。

Img_2022豊受神社 《地図

車の通行が多く、歩道ついていない県道を避けて鬼怒川の土手を行く。

Img_2034常総きぬ大橋(アグリロード) 《地図

アグリロードとは「下総広域農道」のことらしい。

Img_2047東弘寺地図

親鸞聖人二十四輩第9番

Img_2055石毛稲荷神社 《地図

この地は砂丘で、神社一帯は陣屋敷という地名で陣屋があったという。(説明板より)
石下地区は、はじめ「イシケ」と呼ばれ、「イシ」は砂河原、「ケ」は作物・食物の意味があり、農耕に適した土地であったと考えられます。5世紀頃から「伊師毛」と記され、和銅6年(713)に「石毛」に変わり、江戸時代の寛永7年(1630)の検地により「石下」と改められました。(常総市のHPより)

Img_2056説明板

Img_2061山中酒造地図

清酒「一人娘」の煙突。

石下駅の先で左折し県道357号に出るのが下妻街道の道筋のようだが、直進してしまってそのまま進んだ。

Img_2063原宿天満宮 《地図

建治2年(1276)、京都の北野天満宮の神霊を遷祀した。明治42年に八坂神社を合併。 社殿は平成18年再建。境内にある八坂神社の社殿内には神輿がある。

Img_2069常総線・筑波山

晴れて蒸し暑いがいい眺めだ。

この先で突き当たった所を左折して、県道357号に出た。

Img_2074江連(えづれ)用水神社 《地図

江連用水を完成させた三義人ほかを祀る。

Img_2076記念碑

Img_2092宗道神社 《地図

Img_2094宗道河岸跡説明板(宗道神社の裏)

Img_2088薬王寺

Img_2087説明板

Img_2097宗任(むねとう)神社

前九年の役(1051~62年)で源頼義の軍勢に敗れた安倍宗任を祀った神社。
宗任の霊が、「天の道、人の道を行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば、人はすこやかに、地は栄えるようになるであろう」と告げ、以来この地は宗道(そうどう)となったという。

Img_2105江連用水旧溝(「宮裏両樋」・宗任神社裏) 《地図

明治31年(1898)建造の旧江連用水のレンガ堰。レンガは当市の鯨で製造。界隈で残存する唯一のレンガ樋門。

Img_2098説明板

Img_2111島屋百貨店 《地図

宗道河岸に面していた。まだ営業しているのだろうか?
宗道神社からここへ出るのが本来の道筋か。

Img_2112田下稲荷神社

Img_2113説明板

Img_2118左端に道標(大正7年) 《地図

Img_2121右側面に、「←下栗ヲ経テ二本紀渡船場ニ至ル約廿町」か?

ここから西に向かえば下栗地区で、その先の二本紀地区で鬼怒川を渡ったのだろう。ここから直線距離で1.6km位か。(廿町は約2.2km)

道標の正面には指差しで、「→石下町ヲ経テ水海道町ニ至ル 約五里 ←下妻町ヲ経テ下館町ニ至ル 約五里」のようだ。

Img_2123内田肥料店

Img_2129江連用水(愛国橋から) 《地図

このすぐ先にも田んぼのそばを流れている。

Img_2134見世蔵の商家

Img_2141飼料店

この先で常陽銀行に突き当たり、枡形を左折してすぐに右折して行くのだが、ここまでとし下妻駅に向かう。

Img_2150栗山公民館 《地図

レトロな建物だが取り壊されるのか?

Img_2160下妻陣屋土塁跡(城山稲荷神社境内) 《地図

隣接の下妻第一高校が下妻藩の陣屋跡

Img_2157多賀谷城(下妻城)本丸跡 《地図

多賀谷氏は石下の平将門につながる豊田氏の城を攻め陥した。豊田氏の遺族は柿木(草加市の中川沿い)に落ち延びた。(下妻街道①の女体神社の所に記載)

Img_2156説明板

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