« 東京散歩(奥戸街道) | トップページ | 東京散歩(六阿弥陀道②) »

2014年7月31日 (木)

東京散歩(六阿弥陀道①)

2014年7月28日

王子駅(JR京浜東北線)・・・庚申塔祠・・・1番西福寺・・・善光寺・・・清光寺・・・弥陀の渡し跡あたり・・・豊島橋(隅田川)・・・江北橋(荒川)・・・2番恵明寺・・・性翁寺(木余り寺)・・・江北橋(荒川)・・・氷川神社・宮城氏居館跡・・・小台橋(隅田川)・小台の渡し跡・・・寶蔵院・・馬場子育稲荷・・・小台駅(都電荒川線)・・小台本銀座通り・・・道標・・・JR宇都宮線ガード・第三下田端踏切・・・道標・・・車坂跨線橋(JR京浜東北線)・・・蝉坂下・上中里駅(JR京浜東北線)

 行基が一本の木から彫り上げたという六体の阿弥陀仏を安置する六ヶ寺を巡る六阿弥陀道を歩く。行基が六阿弥陀を彫ったいきさつは、ある長者の他家へ嫁いだ娘が荒川に身を投げ、侍女たちも娘の後を追って殉じたのを供養するために、長者が行基に依頼したというものだが、各寺の縁起や伝説には人物設定などで相違がある。太田蜀山人も『ひともと草』の中で、「・・・六の寺の縁起、いづれもその事同くして、その名の異なるこそあやしくおぼろしけれ。まづ一番にては・・・・・」と書いている。(後掲の『六阿弥陀の縁起・伝説』にまとめた)

 江戸市中からの巡拝ルートは、川柳の「五番目は一か六かに廻すなり」で上野(台東区)の五番の常楽院(調布市に移転)から始め、四番(与楽寺・北区)→三番(無量寺・北区)→二番(延命寺(現在は恵明寺)・足立区)→一番(西福寺・北区)→六番(常光寺・江東区亀戸)が多かったようだ。江戸市中の住人でもなく、あれこれルートを考えるのも面倒なので一番から順に巡ることにする。阿弥陀信仰などはなく、調布に移転した常楽院までは行かず、上野の五番の旧地近くにある小祠で間に合わす。(滝坂道を歩いた時に訪れた)

 「六阿弥陀詣」は、春秋の彼岸に盛んに行われた。「六つに出て六つに帰るは六あみだ」で昼と夜の時間が同じの彼岸の日に、明け六つから暮れ六つまでの丸一日がかりで巡拝したようだ。(お江戸の科学『江戸の時刻制度』”不定時法”)
 昼間は長いが真夏の暑さの中ではとても一日では無理というもの。木余り寺、木残り寺(末木観音)などにも寄りながら3日くらいかけて行くとしよう。

  参考:『古い道とみちしるべ』・『北区の札所』(いずれも北区教育委員会)

  翌年の秋の彼岸には、『新六阿弥陀』(越谷市)を巡った。

  【ル-ト地図】(12km地点の上中里駅まで)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2863一番西福寺地図

「新編武蔵風土記稿」の西福寺の縁起に記すように、娘の父の豊島左衛門尉清光と六阿弥陀を彫ったという行基とは時代が違う。

参照:『六阿弥陀の縁起・伝説

門を入った左に♪「よさこい節」のヒロイン「お馬さん」の塚(墓)がある。

Img_2865お馬塚

お馬さんの故郷は『四国遍路道(高知県⑧」』、
「はりまや橋」は『四国遍路道(高知県⑭)』、
「かんざし騒動」の後で奉公していた旅籠「坂本屋」とその後の消息については『四国遍路道(高知県⑤)』、
大工と所帯を持って4人の子どもをもうけて暮らした須﨑市にある「お馬堂(神社)」は、『四国遍路道(高知県⑩)』に記載。

その後お馬さん夫婦は明治18年に東京に引越し、明治36年にこの豊島の地で没した。

Img_2868お馬塚由来記

Img_3178道標地蔵(明和7年(1770)・福性寺参道前) 《地図

後背の左に「六あミだ左一番目道」と刻まれている。「2017年1月4日撮影

Img_2871清光寺地図

豊島清光の開基という。『木造豊島清光坐像

Img_2886弥陀の渡し跡あたり(豊島橋(隅田川)から)

豊島村(北区)から沼田村(足立区)への渡船場があった。豊島の渡し・六阿弥陀の渡し・阿弥陀の渡し・中の渡し・原の渡しとも呼ばれていた。旧荒川(現隅田川)の流路は、現在の荒川まで大きく湾曲していて、この地形を「天狗の鼻」と呼んでいた。渡船場は湾曲の頂点よ り少し下流に位置していた。 文化11年(1814)頃に 当地を訪れた十方庵敬順(じゅっぽうあんけいじゅん)は、この渡船場付近の川端の様子を、 「荒川の長流にそひて、左右の渚の景望はいふもさらに、弓手は渺茫たる耕地を見わたし、心眼ともに打はれて、実に賞すべきの景地たり」と記し、こうした土地に住んで、花鳥風月になぐさめられて暮らしたならば、寿命も延びるであろうと賞賛している。明治44年から荒川の河川改修工事が始まり、この付帯事業として大正12年に荒川放水路 (現荒川)に江北橋が、同14年に荒川(現隅田川)に豊島橋が架橋され、この渡船場も姿を消した。 『北区の歴史と文化財』より

Img_2903江北橋から荒川

江戸時代の六阿弥陀詣りの頃にはこの川はなかった。正面奥は東京スカイツリー。

Img_2894二番恵明寺(えみょうじ) 《地図

明治維新後に六阿弥陀の二番延命寺を合寺し、阿弥陀堂を移設した。

Img_2896説明板

「阿弥陀如来像は等身大の寄木造り」とある。行基が一本の木から彫り上げたという六体の阿弥陀仏とは違うようだ。まあ伝説だから。

Img_4715道標「右 六阿弥陀道」・「弘法大師道」(胡録神社境内)                        

恵明寺、性翁寺への道と西新井大師道の分岐地点にあったものだろう。『西新井大師道・十条板橋道』に記載。

Img_5655「六阿弥陀伝説熊ノ木圦跡」碑 

地図》(神領堀緑道の熊之木橋そば)

六阿弥陀伝説熊野から霊が流れ着いた所。
(2017年2月15日撮影 『東京散歩(足立区③)』)

Img_5641熊之木圦

Img_2902性翁寺(しょうおうじ)(木余り寺) 《地図

六阿弥陀の余りの木で作られたという阿弥陀像を安置。伝説の「足立姫の墓」を探したが、警備が厳重な寺で途中で嫌気がさして止めた。

Img_5674足立姫の墓 (2017年2月15日撮影) 

足立姫伝説の縁起絵

再び江北橋を渡って行く。

Img_2905氷川神社地図

右隣は宮城公園

Img_2904宮城氏居館之址碑(氷川神社境内)

Img_2909小台橋から隅田川 《地図

六阿弥陀の参詣人たちも利用した「小台の渡し」があった。
正面に「あらかわ遊園」の観覧車が見える。隅田川沿いでも元は荒川なのだ。
あらかわ遊園の左(西)隣の船方神社に、荒川に身を投げた娘を追って身を沈めたという12人の侍女を供養する十二天塚がある。

Img_3194十二天塚

2017年1月4日撮影

Img_3189説明板

Img_2911寶蔵院地図

そばに馬場子育稲荷がある。

Img_2910説明板

Img_2916都電荒川線

唯一現存する都電の路線

Img_2917右に小台本銀座通りに入る。《地図

あまり活気のある商店街通りではないのは、何処も同じか。

Img_2921道標(昭和48年) 《地図

Img_2923「右 西新井大師道」で、今歩いて来た道。
「左 王子稲荷道」で、明治通りを王子稲荷神社へ向かう新しい道。

JR宇都宮線ガードをくぐり、第三下田端踏切を渡って行く。

Img_2926道標(文政11年(1828)) 《地図

Img_2931「右 六阿弥陀 西新井弘法大師道 ■先船わたし場十一丁」・「左 王子道」

これが本来の道筋で、今はJR京浜東北線の線路で遮断されるが、そこを横切り蝉坂を上り、日光御成道に出て、王子稲荷へと続いて行く。

Img_2933線路沿いを進んで、車坂跨線橋(JR京浜東北線)を渡って蝉坂下の上中里駅まで行った。

|

« 東京散歩(奥戸街道) | トップページ | 東京散歩(六阿弥陀道②) »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161343/60071927

この記事へのトラックバック一覧です: 東京散歩(六阿弥陀道①):

« 東京散歩(奥戸街道) | トップページ | 東京散歩(六阿弥陀道②) »