東京散歩(元佐倉道)
2014年7月14日
東大島駅(都営新宿線)・・・逆井の渡し跡・逆井橋(旧中川)・・・小松川神社・・・京葉道路(国道14号)・・・小松川橋(荒川・中川)・・(四股跡あたり)・・・元佐倉道・五分一通り・・光福寺(銀杏寺)・・・五分一橋跡・・・八蔵橋・・八蔵橋交差点・千葉街道(国道14号)・・香取神社・・・菅原橋交差点・・・(環七通り)・・・小岩大橋(新中川)・・・二枚橋跡・・・(柴又街道)・・・大鷲神社・稲荷神社・・・一里塚交差点・小岩一里塚跡あたり・・(JR総武線)・・江戸川交差点・・・佐倉道(成田街道)合流地点・岩槻慈恩寺道道標・御番所町跡説明板・・・小岩市川関所跡・小岩市川渡し場跡・・・江戸川駅(京成線)
元佐倉道は両国で隅田川を渡り、竪川北岸を通り、逆井の渡しで旧中川を渡り、北東に進んで小岩一里塚の先で佐倉道(成田街道)と合流し、小岩市川関所から小岩市川の渡しで江戸川を渡って成田方面へ続いていた。
逆井の渡し跡から小岩市川の渡し跡までの江戸川区内の元佐倉道を歩く。八蔵橋交差点から江戸川交差点までは千葉街道(国道14号)と重なって行く。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
逆井橋のすぐ上流に渡し場があった。
隣に「逆井の渡し跡碑」が立つ。
樹木がないと殺風景で、威厳がない感じだ。
京葉道路(国道14号)に出て小松川橋(荒川・中川)を渡る。
四股跡あたり 《地図》
四股は、元佐倉道と元行徳道の交差点で、江戸・浅草・行徳・市川へ分かれる交通の要衝だったが荒川と中川(放水路)の開さくで消滅した。四股の道標は天祖神社に移設された。
四面の下部に市川道・浅草道・行徳道・両国道と刻む。市川道と両国道が元佐倉道のこと。
小松川橋を渡って四股跡から続く元佐倉道の「五分一通り」に入る。
光福寺(銀杏寺)の大イチョウ
不動堂に「五分一不動」と称される不動明王と、住職一代に一度しか開帳できず、その度に衣の色が変わっているという「衣替観音」と呼ばれる正観世音菩薩像を祀る。里見家の落武者が護持していたものとか。
大イチョウは樹齢300年以上で、明治大正の頃までは浅草観音あたりからでもよく見えたほどそびえていたという。
五分一橋跡 《地図》
五分一川とか舟入川とか呼ばれていた川が流れていた。
「五分一」の由来については、①漁獲の五分の一を徴収されていた。②運河の通行料、など諸説あるようだ。
八蔵橋 《地図》
以前は下を小松川が流れていた。今は小松川境川親水公園になっている。『八蔵橋の由来話』
八蔵橋交差点から千葉街道(国道14号)となる。
旧東小松川の鎮守。境内に大イチョウが2本、「葛西囃子之碑」がある。
神社の裏側は貝殻、土師器片、須恵器片、土錐などが出土した東小松川香取神社遺跡。
菅原橋交差点 《地図》
鹿骨街道・千葉街道・同潤会通り・中井堀通りの交差地。
橋も川もないが、二枚橋交差点・二枚橋バス停にその名を残す。
一里塚交差点 《地図》
小岩一里塚跡は総武線のガードの南側にあったようだ。塚上に榎が生え、須賀神社の小祠(北野神社に合祀)があったそうだ。説明板や一里塚跡碑を探すが見当たらず。一里塚バス停そばの小岩保健所前ポケットパークの碑に「・・・・昔、この先の千葉街道沿いに一里塚がありました。・・・」と記されていたのみ。
JR総武線をくぐると千葉街道は江戸川交差点で右折して市川橋を渡って行くが、元佐倉道は交差点を横切って直進する。
左のブロック塀の前に(岩槻)慈恩寺道道標が立つ。ここを右折すれば小岩市川関所跡・小岩市川の渡し跡だ。斜め向かいの角屋旅館(跡)?前には「御番所町跡」の説明板がある。
小岩市川の渡し跡・小岩市川関所跡へ 《地図》
正面の江戸川土手に説明板が立つ。
今は元佐倉道と合流した佐倉道(成田街道)は、市川橋を渡って行く。
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