東京散歩(江戸川区①)
2014年7月8日
新小岩駅(JR総武線)・・・於玉稲荷神社・・・鹿骨街道・・・光照寺・・・北野神社・道標・・・菅原橋交差点・・・松本弁天(寿昌寺)・臥龍の松・・・(環七通り)・・・鹿本橋(新中川)・・・密蔵院・・・本城寺・庚申塔道標・・・鹿見塚神社・・・(柴又街道)・・・弥陀堂跡・・・篠崎街道・・・本郷用水親水緑道・・・(京葉道路)・・・篠崎ポニーランド・庚申塔道標・・旧江戸川土手・・・江戸川水門・・・篠崎街道・・・篠田堀親水緑道・庚申塔・・・西光寺・・・天祖神社・・・庚申塔道標・・・成田不動道標・・・豊田神社・下鎌田の富士塚・・・瑞江駅(都営地下鉄新宿線)
江戸川区内の①鹿骨(ししぼね)街道・②篠崎街道・③今井街道・④船堀街道・⑤千葉街道を歩く。街道と言っても通称道路名で、①は行徳の河原村への道で「河原道」、②は市川道、③は行徳道、⑤は佐倉街道(成田街道)の旧道で「元佐倉道」と呼ばれていた。
今日は梅雨の晴れ間の蒸し暑い日で、今井街道に入って一之江駅までの予定だったがバテ気味で篠崎街道の途中で切り上げた。
【ル-ト地図】(新小岩駅から瑞江駅まで)
写真をクリックすると拡大します。
神田お玉が池にあった本社を、この地にあった分社に遷座した。
鹿骨街道(河原道)に入る。《地図》
戦国時代の話としているが、奈良時代の藤原氏が春日大社へ鹿島大神の分霊を迎える時のこととする話もある。藤原氏の始祖の中臣(藤原)鎌足は父の中臣御食子が鹿島神宮の祭祀者として大和から派遣された時に大伴夫人との間にできた子という説からだろう。
説明板には、右面に市川道とあるが左面の間違いだ。もとはすぐ北の本一色郵便局の角に立っていたという。
「右新宿道」は、水戸街道と成田街道(佐倉街道)が分岐する葛飾の新宿(にいじゅく)への道のこと。
鹿骨街道・千葉街道・同潤会通り・中井堀通りの交差地。菅原は菅原神社(北野神社)による名だろう。
外装は立派で華やかだが。
環七通りを横切って行く。
鹿本(しかもと)橋(新中川)
正面に「西 江戸道」、左面に「北浅間道」、右面に「南かわら道」で、河原道(鹿骨街道)のこと。もとは鹿骨3丁目の浅間道にあり、河原道に移され、ここに移されたそうだ。「浅間道」は上篠崎の浅間神社のことか? 鹿骨3丁目からは北方向ではないが。
右に鹿骨発祥の地「鹿見塚」碑。説明板は前掲。
鹿骨は鹿骨卜占に使われた骨という説もある。
柴又街道を渡った篠崎公園内。
右は(伝)弥陀堂の和尚(安心法印)の墓(延享2年(1745))
左は地蔵庚申塔(寛文5年(1665)) 《地図》(共同墓地内にある)
民謡「弥陀堂の和尚」の歌詞の一部:「かかる所に 葛西領なる篠崎村の弥陀堂の坊さまは、雨降りあげくに修業と出かけ 右に数珠を持ち 左の肩には大きな木魚おや横たにかかえて・・・・(略)・・・・なんのかんのと修業はよけれど はるか向こうから十六、七なるあねさんなんぞを ちょっとまた見そめた・・・・・アヨイヨイヨイ ヨットコナ よっぽど女にゃ のら和尚」(『江戸川区史跡散歩』より)
鹿骨街道から篠崎街道に入り南下する。北に向かえば小岩一里塚跡あたりで千葉街道(元佐倉道)に合流し、佐倉街道(成田街道)と岩槻街道(岩槻慈恩寺道)へ続いて行く。《地図》
水を見ると少しは涼しさを感じる。江戸川区では総延長18km近くの18本の親水緑道を整備している。
京葉道路をくぐって行く。
河原渡場道の庚申塔道標(文政8年(1825)) 《地図》
正面下部に「此方 江戸道」、(右面)「此みち かわら渡シ場道」のようだ。
ポニーランド・江戸川
江戸川土手を少し進む。
江戸川水門 《地図》
右面に「右 ぎやうとくミち」
成田不動道標 《地図》
台石正面に「右 行徳 左 市川」、右面に「是より左 江戸道」
伊勢屋村(江戸川水門のあたり)から「河原の渡し」で江戸川を渡るか、すぐ江戸川方向に曲がり「前野の渡し」(篠崎ポンプ所あたり)で江戸川を渡り、木下(きおろし)街道を進み、成田街道(佐倉街道)と合流し、鬼越2丁目交差点で木下街道と分かれ、成田山へ向ったと思われる。
神木の大ケヤキがそびえる。奥に下鎌田の富士塚がある。
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