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2014年8月31日 (日)

東京散歩(滝坂道①)

2014年8月26日

渋谷駅(JR山手線)・・・道玄坂・・・道玄坂上交番・・・大山街道矢倉沢往還)分岐地点・・渋谷見番跡・・道玄坂地蔵・・円山坂・・弘法湯標石・・・(旧山手通り)・・(目黒区)・・石橋供養塔・・松見坂交差点(山手通り)・・松見坂地蔵・・松見坂・淡島通り・・・〆切地蔵(駒場地蔵)・・(世田谷区)・・・阿川家門・・・北沢八幡神社・・・森厳寺・・・大石橋跡(北沢川緑道)・・・庚申堂・・・三宿の森緑地・・三宿神社・・・円泉ケ丘公園・・・林芙美子旧居・・円泉寺・・・茶沢通り(太子堂銀座)・・御嶽神社・・・代沢十字路・淡島通り・・・(鎌倉通り)・・・太子堂八幡神社・・・淡島通り・・・旧道・・・環七通り・・若林陸橋・・・庚申塔祠・・・鎌倉街道中の道交差地点(梅ヶ丘二丁目交差点)・・・杓子稲荷神社・・・豪徳寺駅(小田急線)

  奈良の町と柳生の里を結ぶ柳生街道が滝坂道なら、渋谷の道玄坂から調布の滝坂に通じているのが東京の滝坂道だ。五街道の甲州街道が整備される以前から江戸と武蔵国府の府中方面を結んでいた中世の「府中道」の一つで、江戸時代には「甲州街道中出道」と呼ばれていた。

  参考:「世田谷の古道」(世田谷区教育委員会)・「世田谷の古道に沿って」(せたがやトラスト協会)・世田谷の地名(世田谷区教育委員会)

  【ル-ト地図】(11kmあたりの豪徳寺駅まで)

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Img_3384道玄坂上交番 《地図

ここで斜め右に入るのが滝坂道。円山町の道玄坂地蔵は、もとはこの大山街道との分岐点にあった追分地蔵だった。

Img_3385渋谷見番跡 

FMの隣に花街円山町の和風三階建ての渋谷見番があった。

花街円山町をぶらつく。『円山町案内フォト・マップ

Img_3387道玄坂地蔵(豊沢地蔵)

もとは道玄坂上交番の分岐地点に立っていた追分地蔵。東電OL殺人事件の被害者の女性が、この前で客を引いているのが目撃されているそうだ。

Img_3388説明板

Img_3390地蔵は口を少し開いて苦悶の表情に見える。円山町で殺された女性の怨念が乗り移っているのかも。唇にルージュが引かれている? 彼女を慰霊・供養するためだろうか。

Img_3393おんな坂

着物姿の芸妓さんが歩きやすように段差が小さく作られた階段。

Img_3394「弘法湯」標石

正面に大師像と「弘法大師 右神泉湯之道」と刻む。神泉町に浴場と料理店を兼ねた「弘法湯」(神泉駅の踏切の脇)があり、その周辺に料理旅館が出来はじめ、隣接する円山町が花街として発展した。
「神泉」の地名の由来は、「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」(「江戸砂子」)とあり、古くから霊泉として知られていた。

さて滝坂道を進もう。

Img_3398旧山手通りを横切る。

渋谷区から目黒区に入るあたりの小高い尾根筋に三田用水が流れていた。

Img_3400石橋供養塔(文化9年(1812))

三田用水に架かっていた石橋に感謝して建立された。

Img_3401説明板

Img_3403松見坂地蔵尊 《地図

駒場の東の入口を守る地蔵

Img_3408説明板

Img_3405遠江橋親柱(明治32年)

松見坂地蔵の祠の隣に保存されている。松見坂下を流れている空川(現在は暗渠)に架かる橋だった。右の親柱には「とほとふみはし」と刻まれている。

道玄坂、松見坂と起伏の多い所から駒場野に出る。江戸時代には将軍家の鷹狩場で、明治時代には軍施設が並んでいた。今は学校が多い。『駒場野』(「江戸名所図会」) 
むろん今は野は広がらず、見晴らしもきかないが、駒場野公園に往時の面影が少しは残っているか。

Img_3413〆切地蔵(駒場地蔵尊) 《地図

Img_3415西の入口を守る道祖神のような地蔵

Img_3414説明板

淡島通りから離れ、北沢八幡神社、淡島通りの由来の森厳寺に寄る。

Img_3421阿川家の門(『せたがや百景』) 《地図

江戸時代の名主家

Img_3427北沢八幡神社

北沢八幡神社の秋祭り」(『せたがや百景』)

Img_3428森厳寺(しんがんじ)

山門に「淡嶋の灸の森厳寺」の立札。ここも『せたがや百景』

石灯籠の左は、「淡島大明神」の標石で道標になっている。右面に「ほりのうち よツや 道」・左面に「東 あおやま 南 ゆうてんじ めぐろふどう 道」で、堀之内(妙法寺)・四ツ谷・青山・祐天寺・目黒不動だろう。

Img_3437淡島堂

右に針塚

Img_3433説明板

Img_3435閻魔・不動堂

Img_3438閻魔大王と不動明王が仲良く並ぶ。

左には小さな奪衣婆も鎮座している。(写真には写らず)

滝坂道に戻る。

Img_3445大石橋跡 《地図

今は北沢川緑道になっている。

Img_3456庚申塔と厄除地蔵の祠(大石橋のすぐ先)

三宿の森緑地と三宿神社に寄る。北沢川と烏山川に三方を囲まれた多聞小学校のあたりが吉良氏の世田谷城の支城の三宿城跡(多聞寺砦)で、多聞寺も創建されたようだ。

Img_3459三宿神社 《地図

廃寺となった多聞寺の毘沙門堂を本殿に転用し、祭神を毘沙門天とし創建された。現在は倉稲魂命を祭神とする。

滝坂道に戻り、再び南に入り、円泉ケ丘公園を通って太子堂の地名の由来の円泉寺に向かう。

Img_3466林芙美子旧居 《地図

奥の二軒長屋で右は円泉寺の墓地。
『放浪記』に「・・・泥沼に浮いた船のように、何と淋しい私たちの長屋だろう。兵営の屍室と墓地病院と安カフェーに囲まれたこの太子堂の暗い家もあきあきしてしまった。・・・・」とあるそうだ。大正12年に渋谷の道玄坂からここへ引っ越して来た。(病院は陸軍第二衛戌(えいじゅ)病院)

唐津街道の若松宿にも4才から6才頃に暮らした住居跡があり、小学~高校時代を過ごした広島県の尾道市には「文学記念室」、尾道駅近くには林芙美子像がある。『尾道市の坂①』 
終の棲家は新宿区落合(中井)で、「四の坂」沿いに林芙美子記念館として公開されている。

Img_3464説明板

Img_3469太子堂(円泉寺)

Img_3475説明板

Img_3474円泉寺前のケヤキ並木『せたがや百景』

屋敷林の名残りという。

Img_3473ケヤキの根元の空洞に庚申塔が2基

茶沢通りの太子堂銀座を進み、代沢十字路で滝坂道に出て、西に進むとすぐに鎌倉通りと交差する。北には北沢川跡の鎌倉橋がある。南に向かう。

Img_3486太子堂八幡神社地図

Img_3485説明板

「鎌倉道」・「滝坂道」の記載がある。

代田中筋バス停付近で滝坂道は淡島通りから右に入る。《地図

Img_3489滝坂道は環七通りの向うに続いている。

若林陸橋で迂回して環七通りを越える。

Img_3494庚申塔祠(電柱の左脇) 《地図

若林小学校の先で滝坂道に出る。この道も鎌倉道だそうだ。

Img_3495鎌倉街道中の道を横切る。《地図

中の道の西回りルートとの交差地点

Img_3498右のフェンス内に石塔がある。《地図

風化していて何か分からないが、花と水が供えられている。

ここを右折して杓子稲荷神社へ寄る。

Img_3500杓子稲荷神社

Img_3503説明板

Img_3504ここを左折して行くのだが今日はここまでとし、直進して豪徳寺駅に向かった。《地図

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2014年8月28日 (木)

東京散歩(品川道③)

2014年8月25日

尾山台駅(東急大井町線)・・・(環八通り)・・・傳乗寺・寮の坂・・宇佐神社・・・玉川浄水場迂回・・・田園調布橋(東急東横線)・・・東玉川神社・庚申供養塔道標(品川道)・・・(大田区)・・・柳橋(呑川)・・・石川台交差点・石橋供養塔・中原街道合流地点・・・道標(九品仏道)・・・洗足池・・・洗足坂上交差点・中原街道分岐地点・・・長原商店街・・相生坂上・・(長原駅・東急池上線)・・・(環七通り)・・北馬込本通り・・・夫婦坂上・・・荏原町駅入口交差点(中通り交差地点)・道標(品川道)・・・平間道分岐地点・庚申堂・道標・・・国道1号(第二京浜国道)・・・(品川区)・・・伊藤博文墓所・・・原踏切(JR横須賀線)・(東海道新幹線)・・光学通り・・・大井三ツ又・三ツ又地蔵・三つ又通り・・・品川道踏切(JR京浜東北線)・・・池上通り・・・旧仙台坂上・・仙台坂・・・(第一京浜国道)・・(京浜急行線)・・・東海道南品川交差点・東海道品川宿・・・鎮守橋(目黒川)・・荏原神社・・・新馬場駅(京浜急行線)

  【ル-ト地図】(22kmあたりの尾山台駅から)

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Img_3292品川道から傳乗寺の西側に下る坂。《地図

坂下には六郷用水の下流部分が整備された丸子川が流れている。

Img_3293傳乗寺

品川道沿いの尾山台2-25先にあった馬頭観音道標(慶応2年(1866))が移設されているというが見当たらず。
道標には、正面に「東 品川 六郷 道」・右面に「左 たき のけ渡 道」・左面に「右 世田ヶや ふちう 道」と刻まれているというが。

Img_3298寮の坂を上って品川道に戻る。《地図

坂上の品川道との交差地に馬頭観音道標はあったのだろう。
このあたりは『世田谷区の坂①』で歩いている。

玉川浄水場に突き当たり迂回し、田園調布橋で東急東横線を越えて行く。

Img_3304品川道と環八通りの分岐地点 《地図

分岐点に下の庚申供養塔道標が立っていたのだろう。今は東玉川神社に移設。

歩道橋を渡って左の品川道を進む。

Img_3305庚申供養塔道標(天明5年(1785))

左面に「左 品川道」・右面に「右 新田道」。新田道は矢口の渡し近くの新田(にった)神社で、六郷道、いかだ(筏)道の道筋だ。

Img_3307東玉川神社 《地図

Img_3309火焔龍神像(向拝殿の天井板)

Img_3308説明板

大田区に入り柳橋(呑川)を渡り、石川台交差点で中原街道(逆方向に歩いている)に合流して北上する。鎌倉街道下の道の道筋でもある。

Img_3326_2洗足坂上交差点 《地図

ここで中原街道と分かれ東進する。右は東京都が設置した洗足坂の説明碑。

長原商店街を抜け、環七通りを渡り、品川区との境の北馬込本通り商店街を通って行く。

Img_3333道標(天保2年(1831)) 《地図

正面に「東 品川道」・右面に「北 めくろみち」・左面に「南 いけかみミち」・裏面に「西 せんそく おくさハ 道」。

Img_3335説明板

道標に刻まれている肝心な道筋が書かれていないお粗末な代物。

ここを左に中通りを進んだ所の平間道との分岐地点にも道標がある。

Img_3340庚申塔祠の左に道標(天明3年(1783)) 《地図

「右 うの木光明寺道 左 池かミ道」で、右へ行くのが平間道で鵜の木の光明寺から平間の渡し(多摩川のガス橋あたり)への道筋。

Img_3337説明板

品川道に戻り、国道1号(第二京浜国道)を渡り品川区に入る。

Img_3346伊藤博文公墓所(非公開) 《地図

原踏切(JR横須賀線)を渡り、東海道新幹線をくぐり、光学通りを進む。

Img_3352大井三ツ又交差点

左へ三ツ又通りに入る。

Img_3358三ツ又地蔵堂 《地図

昔は十一面観音を祀った堂があったという。

Img_3360延命地蔵が祀られている。

Img_3363品川道踏切を渡る。

Img_3367仙台坂を下る。《地図

第一京浜国道を渡り、京浜急行線をくぐる。

Img_3368東海道南品川交差点 《地図

左に旧東海道品川宿を進んだ。

Img_3378目黒川・鎮守橋・荏原神社 《地図

府中の大國魂神社の「くらやみ祭り」は「お浜降り」行事(品川海上禊祓式 (みそぎはらえしき))に始まる。神職および役所が荏原神社脇の目黒川から注連縄 (しめなわ)を張った船を漕ぎ出し、お台場を過ぎたあたりで禊をしたあと、長柄の柄杓で汐水を汲み上げ、樽に入れて持ち帰り、この汐水で大祭中、禊ぎをする。『江戸時代の道』(品川区)より

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2014年8月20日 (水)

東京散歩(品川道②)

2014年8月14日

狛江駅(小田急線)・・・猿田彦大神塔道標・・・狛江三叉路・世田谷通り・・・一の橋交差点・石橋供養塔道標・・・二の橋交差点・旧道・・・(世田谷区)・・・念仏車・庚申塔祠・・・知行院・登戸道交差地点・・・多摩堤通り・・・新井橋(野川)・・(東名高速)・・・いかだ道分岐・・・永安寺・・新坂・・・(東名高速)・・清水橋(仙川)・・座頭ころがし・・庚申塔祠・・・グランド橋(東名高速)・・・一之橋(谷戸川)・・・地蔵祠・・・環八通り・・・(大山街道交差地点)・・・瀬田交差点・・・多摩美大・・旧道・・・等々力通り・・・等々力1号踏切(東急大井町線)・・・逆川跡・・・(目黒通り)・・・(環八通り)・・・尾山台駅(東急大井町線)

  【ル-ト地図】(12km地点狛江駅から)

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Img_3210猿田彦大神塔・庚申塔・地蔵(分岐点の木の下) 《地図

『狛江の古い道』によれば、左端の猿田彦大神塔には、「西ふちう ・・・・」・「南のぼりと・・・・道」・「北左六ごう・・・青山道」と刻むようだが確認できず。

北(左)に進み狛江通りに出て、すぐに狛江三叉路で世田谷通りに入る。

Img_3220石橋供養塔道標(文政6年(1823)・一の橋交差点) 《地図

正面右下に「西 登戸 府中 道」、右面に「南 家村道」、左面に「北 ほりの内 高井戸 道」、左面に「東 六郷 江戸 道」。「家村道」とは何か?

Img_3223二の橋交差点から右に入る。《地図

一の橋、二の橋も六郷用水に架かっていた橋。生活情報誌『わっこ』に往時の橋の写真が載っている。

 狛江市から世田谷区に入る。

Img_3227庚申塔と地蔵の祠 《地図

ここは「いかだ通」と「中通」の交差地と説明板にある。

Img_3231念仏車(文政4年(1821)・祠の横)

Img_3230説明板

Img_3240知行院地図

Img_3239説明板

Img_3241知行院前の登戸道との交差点の標識

氷川神社・慶元寺・須賀神社・稲荷塚古墳は『世田谷区の坂③』に記載。

多摩堤通りに出て、新井橋で野川を渡り、東名高速をくぐって行く。

Img_3245永安寺バス停の交差点を左折する。

直進するのも「いかだ道」の一つの道筋。

Img_3246永安寺

Img_3248新坂を上る。《地図

東名高速をくぐり、清水橋(仙川)を渡り、座頭ころがしを上る。

Img_3250座頭ころがし 《地図

昔は、人里離れたさびしい所で、あたり一面雑木林で通る人はこわくて山から里へ転げ落ちるようにして通ったので「里ころがし」「ざとうころがし」と呼ばれるようになった。座頭がこの坂からころげおちたので「座頭ころがし」とも言い伝えられている。『世田谷の地名-砧の昔話より』

Img_3253突き当たって右に上って行く。

正面に小祠

Img_3254庚申塔(中)・大黒天?(左)・供養塔?(右)

グランド橋で東名高速を渡って行く。一之橋(谷戸川)を渡って右に入った先で道を間違え急坂の宝庫の岡本地区をまごついて、汗びっしょりになった。

Img_3275地蔵祠(左) 《地図

地蔵は道標になっていて、左面に「是より左 府中道」(歩いて来た道)、右面に「是より右 高井戸道」(自動車の進行方向)とあるようだ。

ここを右に進み環八通りに出る。

Img_3281大山街道との交差地点 《地図

大山道もいくつもあるが、江戸からのメインルートの道だ。

環八通りを進み、瀬田交差点を渡り、多摩美大の先で旧道に入る。上野毛駅を過ぎ、等々力駅の踏切を渡る。等々力渓谷、野毛大塚古墳などは『世田谷区の坂①』で訪れた。

Img_3287逆川の標柱 《地図》?

Img_3288逆川跡だろう。

九品仏川の名残りのようだ。

この後、ぽつりぽつりと降り出した雨が土砂降りとなった。石川台駅まで行きたかったが尾山台駅までとした。東急大井町線の「急行」に初めて乗った

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2014年8月19日 (火)

東京散歩(品川道①)

2014年8月13日

府中本町駅(JR武蔵野線)・・・大國魂神社・・府中町道路元標・甲州街道・・・八幡宿・国府八幡宮参道・・・東府中2号踏切(京王線)・東府中駅・品川街道(品川道)・・・常久一里塚跡・・・道標・・しながわみち標柱・・庚申塔道標・・西武多摩川線踏切・・・(調布市)・・・飛田給駅・京王線踏切・・・道生神社・・・(中央自動車道)・・・太田塚交差点・品川通り・・・(鶴川街道)・・・(京王相模原線)・・・旧道・・・布田3交差点・品川通り・・・椿地蔵・椿地蔵交差点・・・旧しながわ道(いかだ道)標柱・旧道・・・(狛江市)・・・やなぎ久保稲荷神社・・・山谷庚申塔・・・庚申塔道標・新旧道分岐地点・・伊豆美神社・・・兜塚古墳・・・馬頭観音道標・・・新旧道合流地点・・・駄倉橋跡・・・弁財天池・泉龍寺・・・狛江駅(小田急線)

 品川道(品川街道)は甲州街道が整備される江戸時代以前から武蔵の国府の府中と江戸の品川を結んでいて、大國魂神社の大祭に用いる清め水を品川沖から汲む禊祓式(みそぎはらえしき)に向かう神主たちや、奥多摩の材木を筏(いかだ)に組んで多摩川を下って河口の六郷・羽田方面へ運んだ筏師たちが蓑笠(みのがさ)姿で家路を急ぐ、いくつもある筏道の一つでもあった。

  参考:「府中市内旧名調査報告書」(府中市立郷土館)・「調布の古道・坂道・水路・橋」(調布市教育委員会)・「狛江の古い道」(狛江市教育委員会)・「世田谷の古道」(世田谷区教育委員会)・「世田谷の古道に沿って」(せたがやトラスト協会)・世田谷の地名(世田谷区教育委員会)

  【ル-ト地図】(12km地点狛江駅まで)

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Img_3090大國魂神社

武蔵国の総社

神社前から甲州街道を東に進む。八幡宿の国府八幡宮参道前を通り、京王線の踏切を渡り、東府中駅前から右に品川道に入る。

Img_3105「品川街道」の標識(府中市) 《地図

Img_3106常久一里塚跡 《地図

江戸初期の甲州街道はこのあたりでは品川道を通っていた。日本橋から7番目の一里塚跡。

Img_3107説明板

Img_3114道標(府中第4小学校向い側)

右が古い道標か? 摩耗していて判読できない。道を挟んで新しい道標がある。

Img_3112道標(寿司屋が立てたものか)

府中と甲州街道の布田五宿で、右側面には「以奈記」?で、南の多摩川を渡った川崎市の稲城のことだろう。

Img_3122庚申塔道標(嘉永6年(1853)) 《地図

右側面に「嘉永六丑年四月吉日 昭和三年三月改造」。左の電柱の向う側に「しながわみち」の説明標柱が立つ。

Img_3121左側面:「東 品川道 西 府中道 上車返村」

この先は西武多摩川線の踏切で行止りとなり、右に迂回して踏切を渡って行く。

調布市との境で右に入って行く。

Img_3128「旧品川みち」の標識(調布市) 《地図

このあたりは住宅街で寺社も遺跡もなく、味気ない通りだ。

飛田給駅の踏切を渡って京王線の南側の道となる。

Img_3131道生(みちおい)神社 《地図

調布飛行場の地が旧社地。境内で一休みだが、風もなく蒸し暑くてすぐ切り上げた。

太田塚交差点で「品川通り」に出る。

Img_3135太田塚と呼ばれる墓地のようだ。《地図

鶴川街道を横切り、京王相模原線を越えて行く。

Img_3137小島三丁目交差点の手前で右に入る。

ここから品川通りの裏側(南側)を枡形のように通って行く。

Img_3141品川通りの裏通りが「旧品川みち」なのだ。《地図

再び品川通りに出る。

Img_3145椿地蔵(享保20年(1735)) 《地図

後ろの椿(シロハナヤブツバキ)に由来する地蔵。樹齢700~800年で根元から5幹に分かれ、高さ5m、東西7m、南北8mにわたって茂っていたそうだ。地蔵よりはるか昔から生きている椿だ。ここは椿地蔵前交差点で地蔵前バス停もある。

Img_3146説明板

Img_3149右に旧道に入る。《地図

わずかに屋敷林が残るか。正面の植込みの所に「旧品川道(いかだ道)」の説明標柱が立つ。

調布市から狛江市に入る。

Img_3160山谷庚申塔 《地図

Img_3156説明板

Img_3159右の青面金剛庚申塔(宝永元年(1704))

手に策(縄)、斧を持つ珍しいもの。

Img_3165新旧道分岐 《地図

分岐に庚申塔道標(安政5年(1858))・自動車の後ろ)

左側面に「左江戸青山道」・右側面に「右地蔵尊道」で、地蔵尊は泉龍寺の子安地蔵のこと。

右の旧道を行く。新道沿いの中泉一丁目のグリーンハイムのある辻には地酒「鮎正宗」の醸造元の大隅屋、通称角店(かくみせ)があり、筏乗りたちは豆腐を肴に一杯やったという。

Img_3174伊豆美(いずみ)神社

慶安4年(1651)に寄進されたという関東三大鳥居の一つ。(あとは日光東照宮、鎌倉鶴岡八幡宮)

Img_3182兜塚古墳 《地図

Img_3178説明板

Img_3183馬頭観音道標(文政10年(1827))・新しい石造道標 《地図

「右当村地蔵尊 玉川渡し場 道」・「左江戸青山六ごう道 西府中道」というが、磨滅していて読み取れない。地蔵尊は泉龍寺の子安地蔵で、玉川渡し場は「登戸の渡し」

ここは左に行き新道と合流する。

Img_3194駄倉橋跡 《地図

ここを流れていた六郷用水の「めがね橋」の名残りの親柱。

Img_3193説明板

道標に出てくる地蔵尊に寄る。

Img_3201弁財天池 《地図

弁財天堂(右)はもとは池の中島にあった。

Img_3198説明板

Img_3203泉龍寺山門から鐘楼・本堂

江戸時代の中頃から子育て地蔵の寺として知られていた。本堂に安置の子安地蔵尊(写真あり)は江戸や近郷の講中の家を一夜ごとに巡行していたので、「まわり地蔵」・「一夜地蔵」などと呼ばれていた。
泉龍寺」(『江戸名所図会』)

Img_3205説明板

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2014年8月16日 (土)

東京散歩(六阿弥陀道②)

2014年8月12日

上中里駅(JR京浜東北線)・・蝉坂・・平塚神社・・城官寺・・・本郷通り(日光御成道)・・・3番無量寺・・・昌林禅寺(末木の観音)・・・霜降橋交差点(本郷通り)・・・(JR山手線)・・・(田端銀座)・・・谷田川通り・・・田端不動尊・・・水神稲荷・・・谷田橋交差点・・・与楽寺坂下・4番与楽寺・・幽霊坂下・・・向陵稲荷坂下・・・道灌山通り・・西日暮里4交差点・六阿弥陀通り・・青雲寺・・修性院・・富士見坂下・・南泉寺・道標(ろくあみだみち)・・夕焼けだんだん下・(谷中銀座)・・七面坂下・・宗林寺・・・岡倉天心記念公園・・・(三崎坂)・・・真島坂上・・・赤字坂上・・・大名時計博物館(勝山藩下屋敷跡)・・三浦坂・・・臨江寺・・・(言問通り・善光寺坂)・・・不忍池・・・(横山大観記念館)・・・東天紅ビル・・・無縁坂下・・称迎院・・5番常楽院旧地の小祠・・・不忍通り・・・常楽院旧地あたり・・・(上野駅)・・・(昭和通り)・・・(清洲橋通り)・・・長遠寺・・・柄井川柳碑(菊屋橋公園)・・・不動院・・・(国際通り)・・・宗吾殿・・・黒船神社・・・江戸通り(日光街道)・(駒形どぜう店)・・・駒形堂・・駒形橋(隅田川)・・・清澄通り・・・浅草通り・・・北十間川沿い・・(東京スカイツリー)・・・(横十間川)・・・福神橋(北十間川)・・・6番常光寺・・・亀戸駅(JR総武線)

  坂は『東京23区』(坂道散歩)の北区・荒川区・台東区・文京区で。

  【ル-ト地図】(12km地点の上中里駅から)

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Img_2940蝉坂を上る。《地図

今日はどんよりした曇り空で、平塚神社(右一帯)の蝉しぐれも弱々しく聞こえる。平塚城伝承地で本殿裏手に平塚の地名の由来となった甲冑(かっちゅう)塚(鎧塚)がある。

Img_2943城官寺

春秋の彼岸の六阿弥陀詣りの時には、湯茶を接待したという。

平塚神社の前で本郷通り(日光御成道)を横切る。

Img_2944六阿弥陀三番無量寺標石(安永9年(1780)) 《地図

ここは裏門跡あたりで、秋には駒込名産のナスを焼いて鰹節をかけて売る「しがらき茶屋」が出たという。

Img_29513番無量寺

説明板の右に六阿弥陀三番標石、左に末木観音昌林寺への道標。ここには春には田楽の店が出たそうだ。

Img_2953道標(享保11年(1726))

「六阿弥陀すゑ木くわんをん江 是より左江一町 補陀落山昌林寺」で、六阿弥陀詣りの賽銭に目をつけた昌林寺の住職が六阿弥陀の末木(残りの木)で彫られた観音を安置するということにして、参拝者を当寺へ引き込もうとした計画だ。一町はまっかな嘘で三町以上はある。いつの世にも知恵者、抜け目のないちゃっかり者はいるということか。

Img_2950説明板

阿弥陀像は平安時代後期の作というから、行基の作の伝説の六阿弥陀とは時代が合わず。

Img_2957右に六阿弥陀標石(正徳4年(1714))

年号を記す標石では北区内で最も古い物という。

Img_2960本堂前

樹木が多く涼しく感じる。

Img_2963昌林寺地図

百寿観音像の右に「南無末木観世音菩薩」の標石が立つ。

霜降橋交差点(本郷通り)を渡り、JR山手線のガードをくぐり、田端銀座商店街を横切って行く。

Img_2972田端不動尊(北区田端3-14) 《地図

不動坂(田端駅前)の由来の不動明王で、ここへ移された。小柄だが精悍な顔立ち。「山椒は小粒でも・・・・」だ。

Img_2976水神稲荷(田端2-5)

水神と稲荷の取り合わせは珍しいか? 前が谷田川通り谷田川が流れていた。

谷田橋交差点を横切り、与楽寺坂下に出る。

Img_29844番与楽寺地図

右に六阿弥陀四番標石。阿弥陀如来像は境内阿弥陀堂に安置。

Img_2979説明板

Img_2981巡拝塔道標(明和4年(1767)・与楽寺門前)

左側面に「右ハ六阿弥陀三番目道 左ハ六阿弥陀一番目道」で、近くの分岐点から移されたのだろう。

道灌山通りに出て西日暮里4交差点から六阿弥陀通りに入る。《地図

Img_2994青雲寺(花見寺)

この先の富士見坂下の修性院も「花見寺」。

Img_2993説明板

Img_3002道標(南泉寺前) 《地図

正面に「ろくあみだみち」、左側面に「左 たばた」、右側面に「右 やなか」。

Img_3005夕焼けだんだん・谷中銀座地図

夏休み中でもあり賑わっている。

Img_3015勝山藩下屋敷跡 《地図

大名時計博物館」なのだが門は閉まっている。7月1日~9月30日は休館のようだ。なぜ学校が夏休みの間を休館にするのか、腑に落ちない。

Img_3017三浦坂を下る。

右が勝山藩(真島藩)三浦家下屋敷。この手前の谷中小学校の南側沿いに真島坂がある。岡山県の出雲街道沿いの勝山宿にも三浦坂がある。

Img_3024蒲生君平の墓(臨江寺) 《地図

Img_3021説明板

「蒲生君平勅旌碑」は日光街道の宇都宮宿の手前にもある。

Img_3026大黒屋 《地図

外人親子が「昔せんべい」を買っていた。

Img_3034不忍池

弁財天堂の屋根上から突き出た相輪のように見える?

Img_3035横山大観記念館地図

ここで暮らし、制作活動をしていた家。

Img_3036東天紅ビル

この裏に調布市に移転した5番の常楽院の小祠がある。

Img_3037無縁坂下

左は岩崎邸庭園

Img_30415番常楽院跡の小祠 《地図

「五番目は同じ作でも江戸生まれ」(同じ作=行基の作)
「六あみだ五番ばかりが米の飯」
「五番目の弥陀は麦めしきらひ也」
「五番目の外は糞寺ばかり也」
「一体は地ものぎらひの弥陀もあり」など、数多くの川柳に詠まれた五番は江戸っ子の自慢で、他の阿弥陀は田舎者扱いで小馬鹿にしていた。ところが皮肉なもので時は流れて、五番常楽院は調布の田舎に引っ越してしまった。負けず嫌いの江戸っ子は何と詠むだろうか?

Img_3040阿弥陀如来像

今では阿弥陀像が拝めるのはここだけだろう。貴重な存在だ。

隣の敷地に移転したそうです。(下記の苅谷様からのコメント)

Img_30435番常楽院の旧地という。《地図

「南無AB陀仏」と手を合わせよう。

5番から6番常光寺まではかなり距離があるのは何故だろうか?
ここからは東へ昭和通り、清洲橋通り、国際通りを横切り、駒形橋で隅田川を渡る道筋を進んだ。
常光寺への行き来には竪川の水路や北岸の元佐倉道も利用されたようだ。

Img_3048柄井川柳碑(菊屋橋公園) 《地図

六阿弥陀詣りの主役は女の年寄連中で、川柳にも多く詠まれている。
「六あみだみんな廻るは鬼ばばあ」
「あしたに道を聞く六あみだ婆あ連」
「木あまりを入れて婆あは七あみだ」
「六あみだ嫁の噂のいいはじめ」etc、切りがない。

Img_3049説明板

Img_3054宗吾殿地図

義民佐倉惣五郎を祀る。江戸末期以降、惣五郎は芝居や講談の題材となった。横の門柱には「歌舞伎座」、縦の門柱には「明治座」とある。寄進されたものだろう。

Img_3057説明板

Img_3062黒船(稲荷)神社

江戸通り(日光街道)に突き当たる。

Img_3063駒形どぜう店地図

一昔前に入ったきりだ。

Img_3065駒形橋(隅田川)から

江戸時代の六阿弥陀詣りの婆あ連が見たらびっくりする景観だろう。

Img_3071東京スカイツリーの根元の北十間川沿いの遊歩道を進む。《地図

Img_3073横十間川が南に分流する。《地図

Photo中央の川が北十間川、絵の下の川が横十間川、左上に筑波山。『名所江戸百景』(広重)

Img_3079福神橋から 《地図

亀戸七福神に由来する橋名か?

Img_30846番常光寺地図

左に道標(延宝7年(1679))で六阿弥陀の道標では最古、江東区内の道標でも最古という。「自是右六阿弥陀道」で参詣道沿いから境内に移されたもの。亀戸七福神の寿老人でもある。

Img_3081説明板

Img_3083六阿弥陀で賑わう常光寺「江戸名所図会」

婆さんの姿は見えるが婆あ連は描かれていないようだ。絵のモデルにはふさわしくないからか。

以上で六阿弥陀詣りを終える。調布に引っ越した5番の常楽院に行くつもりはなかったが、滝坂道(大山街道の道玄坂上→甲州街道の滝坂)を歩く時に参るとしよう。信心深いねえ、俺も?
(調布市の常楽院へは『滝坂道②』で訪れた)

江戸六阿弥陀
新六阿弥陀(越谷市)
中川両岸新六阿弥陀(右岸)
中川両岸新六阿弥陀(左岸)
 
 
 
 

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