« 東京散歩(品川道③) | トップページ | 東京散歩(滝坂道②) »

2014年8月31日 (日)

東京散歩(滝坂道①)

2014年8月26日

渋谷駅(JR山手線)・・・道玄坂・・・道玄坂上交番・・・大山街道矢倉沢往還)分岐地点・・渋谷見番跡・・道玄坂地蔵・・円山坂・・弘法湯標石・・・(旧山手通り)・・(目黒区)・・石橋供養塔・・松見坂交差点(山手通り)・・松見坂地蔵・・松見坂・淡島通り・・・〆切地蔵(駒場地蔵)・・(世田谷区)・・・阿川家門・・・北沢八幡神社・・・森厳寺・・・大石橋跡(北沢川緑道)・・・庚申堂・・・三宿の森緑地・・三宿神社・・・円泉ケ丘公園・・・林芙美子旧居・・円泉寺・・・茶沢通り(太子堂銀座)・・御嶽神社・・・代沢十字路・淡島通り・・・(鎌倉通り)・・・太子堂八幡神社・・・淡島通り・・・旧道・・・環七通り・・若林陸橋・・・庚申塔祠・・・鎌倉街道中の道交差地点(梅ヶ丘二丁目交差点)・・・杓子稲荷神社・・・豪徳寺駅(小田急線)

  奈良の町と柳生の里を結ぶ柳生街道が滝坂道なら、渋谷の道玄坂から調布の滝坂に通じているのが東京の滝坂道だ。五街道の甲州街道が整備される以前から江戸と武蔵国府の府中方面を結んでいた中世の「府中道」の一つで、江戸時代には「甲州街道中出道」と呼ばれていた。

  参考:「世田谷の古道」(世田谷区教育委員会)・「世田谷の古道に沿って」(せたがやトラスト協会)・世田谷の地名(世田谷区教育委員会)

  【ル-ト地図】(11kmあたりの豪徳寺駅まで)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3384道玄坂上交番 《地図

ここで斜め右に入るのが滝坂道。円山町の道玄坂地蔵は、もとはこの大山街道との分岐点にあった追分地蔵だった。

Img_3385渋谷見番跡 

FMの隣に花街円山町の和風三階建ての渋谷見番があった。

花街円山町をぶらつく。『円山町案内フォト・マップ

Img_3387道玄坂地蔵(豊沢地蔵)

もとは道玄坂上交番の分岐地点に立っていた追分地蔵。東電OL殺人事件の被害者の女性が、この前で客を引いているのが目撃されているそうだ。

Img_3388説明板

Img_3390地蔵は口を少し開いて苦悶の表情に見える。円山町で殺された女性の怨念が乗り移っているのかも。唇にルージュが引かれている? 彼女を慰霊・供養するためだろうか。

Img_3393おんな坂

着物姿の芸妓さんが歩きやすように段差が小さく作られた階段。

Img_3394「弘法湯」標石

正面に大師像と「弘法大師 右神泉湯之道」と刻む。神泉町に浴場と料理店を兼ねた「弘法湯」(神泉駅の踏切の脇)があり、その周辺に料理旅館が出来はじめ、隣接する円山町が花街として発展した。
「神泉」の地名の由来は、「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」(「江戸砂子」)とあり、古くから霊泉として知られていた。

さて滝坂道を進もう。

Img_3398旧山手通りを横切る。

渋谷区から目黒区に入るあたりの小高い尾根筋に三田用水が流れていた。

Img_3400石橋供養塔(文化9年(1812))

三田用水に架かっていた石橋に感謝して建立された。

Img_3401説明板

Img_3403松見坂地蔵尊 《地図

駒場の東の入口を守る地蔵

Img_3408説明板

Img_3405遠江橋親柱(明治32年)

松見坂地蔵の祠の隣に保存されている。松見坂下を流れている空川(現在は暗渠)に架かる橋だった。右の親柱には「とほとふみはし」と刻まれている。

道玄坂、松見坂と起伏の多い所から駒場野に出る。江戸時代には将軍家の鷹狩場で、明治時代には軍施設が並んでいた。今は学校が多い。『駒場野』(「江戸名所図会」) 
むろん今は野は広がらず、見晴らしもきかないが、駒場野公園に往時の面影が少しは残っているか。

Img_3413〆切地蔵(駒場地蔵尊) 《地図

Img_3415西の入口を守る道祖神のような地蔵

Img_3414説明板

淡島通りから離れ、北沢八幡神社、淡島通りの由来の森厳寺に寄る。

Img_3421阿川家の門(『せたがや百景』) 《地図

江戸時代の名主家

Img_3427北沢八幡神社

北沢八幡神社の秋祭り」(『せたがや百景』)

Img_3428森厳寺(しんがんじ)

山門に「淡嶋の灸の森厳寺」の立札。ここも『せたがや百景』

石灯籠の左は、「淡島大明神」の標石で道標になっている。右面に「ほりのうち よツや 道」・左面に「東 あおやま 南 ゆうてんじ めぐろふどう 道」で、堀之内(妙法寺)・四ツ谷・青山・祐天寺・目黒不動だろう。

Img_3437淡島堂

右に針塚

Img_3433説明板

Img_3435閻魔・不動堂

Img_3438閻魔大王と不動明王が仲良く並ぶ。

左には小さな奪衣婆も鎮座している。(写真には写らず)

滝坂道に戻る。

Img_3445大石橋跡 《地図

今は北沢川緑道になっている。

Img_3456庚申塔と厄除地蔵の祠(大石橋のすぐ先)

三宿の森緑地と三宿神社に寄る。北沢川と烏山川に三方を囲まれた多聞小学校のあたりが吉良氏の世田谷城の支城の三宿城跡(多聞寺砦)で、多聞寺も創建されたようだ。

Img_3459三宿神社 《地図

廃寺となった多聞寺の毘沙門堂を本殿に転用し、祭神を毘沙門天とし創建された。現在は倉稲魂命を祭神とする。

滝坂道に戻り、再び南に入り、円泉ケ丘公園を通って太子堂の地名の由来の円泉寺に向かう。

Img_3466林芙美子旧居 《地図

奥の二軒長屋で右は円泉寺の墓地。
『放浪記』に「・・・泥沼に浮いた船のように、何と淋しい私たちの長屋だろう。兵営の屍室と墓地病院と安カフェーに囲まれたこの太子堂の暗い家もあきあきしてしまった。・・・・」とあるそうだ。大正12年に渋谷の道玄坂からここへ引っ越して来た。(病院は陸軍第二衛戌(えいじゅ)病院)

唐津街道の若松宿にも4才から6才頃に暮らした住居跡があり、小学~高校時代を過ごした広島県の尾道市には「文学記念室」、尾道駅近くには林芙美子像がある。『尾道市の坂①』 
終の棲家は新宿区落合(中井)で、「四の坂」沿いに林芙美子記念館として公開されている。

Img_3464説明板

Img_3469太子堂(円泉寺)

Img_3475説明板

Img_3474円泉寺前のケヤキ並木『せたがや百景』

屋敷林の名残りという。

Img_3473ケヤキの根元の空洞に庚申塔が2基

茶沢通りの太子堂銀座を進み、代沢十字路で滝坂道に出て、西に進むとすぐに鎌倉通りと交差する。北には北沢川跡の鎌倉橋がある。南に向かう。

Img_3486太子堂八幡神社地図

Img_3485説明板

「鎌倉道」・「滝坂道」の記載がある。

代田中筋バス停付近で滝坂道は淡島通りから右に入る。《地図

Img_3489滝坂道は環七通りの向うに続いている。

若林陸橋で迂回して環七通りを越える。

Img_3494庚申塔祠(電柱の左脇) 《地図

若林小学校の先で滝坂道に出る。この道も鎌倉道だそうだ。

Img_3495鎌倉街道中の道を横切る。《地図

中の道の西回りルートとの交差地点

Img_3498右のフェンス内に石塔がある。《地図

風化していて何か分からないが、花と水が供えられている。

ここを右折して杓子稲荷神社へ寄る。

Img_3500杓子稲荷神社

Img_3503説明板

Img_3504ここを左折して行くのだが今日はここまでとし、直進して豪徳寺駅に向かった。《地図

|

« 東京散歩(品川道③) | トップページ | 東京散歩(滝坂道②) »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161343/60236710

この記事へのトラックバック一覧です: 東京散歩(滝坂道①):

« 東京散歩(品川道③) | トップページ | 東京散歩(滝坂道②) »