東京散歩(滝坂道②)
2014年8月27日
豪徳寺駅(小田急線)・・・地蔵祠・・・旧尾崎行雄邸・・・宮の坂3号踏切(東急世田谷線)・・・常徳院・・・村道・本道分岐地点・地蔵と庚申塔祠・・・庚申塔道標・農大通り・・・経堂本村稲荷・・・経堂駅・・・福昌寺・・・馬頭観音道標・・小田急線ガード・・・子育地蔵堂・・・稲荷社・・・本道合流地点・・・道標・・・古府中道分岐地点・・・道標?(荒玉水道道路交差点)・・・八幡社・・・明大八幡山グラウンド・・・(烏山川)・・千歳台交差点(環八通り)・・・千歳台小学校・・・東覚院・・・廻沢稲荷神社・・・東京中央農協交差点・・・榎交差点・六郷田無道交差地点・・・安穏寺坂・・安穏寺・・・地蔵堂・・・類さん川跡・・・宮下橋(仙川)・・神明社・・・庚申塔祠・・・(調布市)・・・大正橋(京王線)・・売地の坂上・・・仙川2丁目交差点(国道20号・甲州街道)・・馬宿川口屋跡・滝坂(旧甲州街道)・・・国道20号・・・つつじヶ丘1号踏切(京王線)・・・金子稲荷・・・常楽院・・・つつじヶ丘駅(京王線)
今日は小ぬか雨が降り続き、肌寒いような天気だった。滝坂まで行き江戸六阿弥陀の五番で上野不忍池のほとりから調布に移転した常楽院を訪れ、滝坂道歩きを終えた。
【ル-ト地図】(豪徳寺駅(11km地点あたり)から)
写真をクリックすると拡大します。
滝坂道は梅ヶ丘2丁目と豪徳寺1丁目の境で左折し南下し、枡形の名残りのように右から左にカーブして、豪徳寺1-1で直角に右折して行く。世田谷城の防衛上のためだろうか? 《地図》
この付近は松原宿といって松原村の飛地だった。宿といっても宿場とは限らず人家が二、三軒それに飴菓子でも売っておれば宿と名づけた。『武蔵野歴史地理』(昭和4年)
世田谷城址・豪徳寺・世田谷代官屋敷・世田谷八幡宮などは、『大山街道』・『鎌倉街道中の道』・『世田谷区の坂②』で訪れているので割愛した。
ここを右折 《地図》
右は地蔵(宝暦6年(1756))の祠
尾崎行雄旧邸(豪徳寺2-30)
今は個人の現住住宅。
宮の坂3号踏切(東急世田谷線)を渡る。
世田谷城の守護寺。山門の左側に「敷石供養塔」(天保2年(1831))
本道(滝坂道)・村道分岐地点 《地図》
分岐点の祠に地蔵(宝暦11年(1761))と庚申塔(正徳元年(1711))
昔の面影が残るという村道(左)を進む。
庚申塔祠(右) 《地図》
下部は道標で、正面に「南 二子道」・右面に「東 青山道」で滝坂道のこと。「西 ふちうミち」で、滝坂から府中への道筋。
右折して農大通りを本道の方へ行って見る。
経堂本村稲荷 《地図》
本道は経堂駅北口からすずらん(通り)商店街へと入って行く。《地図》
左側の島田履物店は、昭和2年に小田急線が開通した時に開店したそうだ。
「経堂は小田急が通じたばかりのときで、商店も数えるほどしかなく、町の両側の裏は農家と田圃で、手前の小川では魚を取って遊ぶ子どもたちの姿も見られた」(高群逸枝の「日常生活」の一節) 小川は村道の経堂駅の北側あたりを流れて烏山川へ通じていた川のことか? 高群逸枝は四国遍路をして、「娘巡礼記」を書いた。
村道へ戻る。
経堂の地名の由来の一つの説がある寺。
馬頭観音(右) 《地図》
正面は「西ふちう道」・右面に「南ふたこ道」・左面に「北たかいど道」
子育地蔵堂(正徳5年(1715)) 《地図》
ここは右に進む。
稲荷社 《地図》
この先で本道と合流する。
本道との合流地点 《地図》
交差点を渡った左側に小さな道標がある。《地図》
探すのに苦労した。「向右千歳役場・左宮坂停留場」と刻まれているという。千歳(村)役場はこの先の滝坂道沿いの、現在の東京中央農協千歳支店の所にあり、宮坂停留所は滝坂道が世田谷線を渡る(現在の宮の坂3号踏切)近くにあった宮の坂駅だそうだ。
滝坂道(左)・古府中道(右)分岐地点 《地図》
古府中道(仮称)は、大化の改新の頃には既にあったと考えられる古い道で、武蔵国の府中に通じる重要道路だった。現在の「赤堤通り」
電柱の右に住所表示のプレートを縛られた石柱がある。これも道標のようだが?
区画整理前には滝坂道は鳥居前に直接つながり、小さな茶店があったという。
北側の八幡山小学校の南斜面に八幡山遺跡がある。縄文中期の竪穴式住居跡や石器・土器が発掘された。またこの付近は中世には鍛冶山村と呼ばれていて、江戸期以前から炭焼きが行われていて、炭焼きの窯跡も見つかっているそうだ。
明大八幡山グラウンドに沿って下り、烏山川(暗渠)を渡り、千歳台交差点(環八通り)を横切る。
壁画「芽生え」(千歳台小学校) 《地図》
廻沢北遺跡(2頁)をイメージしたもので、世田谷区に在住していた画家谷内六郎が原画を描いた。右側には「芽生え碑」もある。
廻沢のガスタンク『せたがや百景』
ガスタンクというより助平親爺にはミルクタンクに見える。
北側に蘆花恒春園がある。
滝坂道に戻る。
向い側の東京中央農協千歳支店が先ほどの道標に記された千歳村役場跡という。
榎交差点 《地図》
六郷田無道と交差する。この道もいずれ歩くだろう。
安穏寺坂 《地図》
歩道が無く車の往来が激しく、今はとても安穏には歩けない坂道だ。右が安穏寺。
「虫の音の他に一番嬉しいのは安穏寺の鐘」と徳富蘆花が愛した寺。
「武家屋敷風の安穏寺」(せたがや百景)
類さん川跡 《地図》
「類さん」は村人の名前
宮下橋から仙川
神明造りの土蔵のような社殿。ここも『せたがや百景』
庚申塔の祠 《地図》
この先で調布市若葉町に入り、大正橋で京王線を越える。
売地の坂上 《地図》
旧京王線の線路跡の坂。線路跡が売りに出されたことがあったことによる坂名。『調布市の坂⑤』
ここで滝坂道は終わるが旧滝坂を下り、つつじヶ丘駅の南側の江戸六阿弥陀の五番だった常楽院に寄る。
江戸六阿弥陀の一つだったことを表示するものは何もない。あてがはずれ拍子抜けの締めくくりとなった。
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