東京散歩(鎌倉街道下の道)
2014年9月8日
沼部駅(東急多摩川線)・・・中原街道・桜坂下・・六郷用水跡(女堀のみち)・・・(東海道新幹線)・・・密蔵院・・・嶺村の庚申塔・・・観蔵院・・・河原坂上・・鵜の木松山公園・鵜の木一丁目横穴墓群6号墓・・・増明院・・・光明寺・・(環八通り)・・ぬめり坂下・・下丸子への分水口跡・・南北引き分け跡・北堀の道・・・久が原7号踏切(東急池上線)・・・千鳥いこい公園・・・(第二京浜国道)・・・題目塔・御嶽神社碑・・・六郷田無道合流地点・道標・・六郷田無道分岐地点(池上本門寺参道)・・・妙見堂道標・・・浄国橋(呑川)・・・子母沢児童公園・・・臼田坂下・田無街道交差地点・旧新井宿出土橋跡碑・・春日神社・・・(都道318号)・・根ヶ原神社・・・池上通り・・・善慶寺・熊野神社・・・闇坂下・・・八景坂・・天祖神社・・(大森駅)・・・大森貝墟碑・・・日枝神社・・円能寺・・・(品川区)・・大森貝塚遺跡庭園・・・鹿嶋神社・・・来迎院・・・光福寺・大井跡・・・滝王子通り・・・滝王子稲荷神社・・・西光寺・・・作守稲荷神社・・・大井三ツ又交差点・・・品川道踏切・・・大井町駅(JR京浜東北線)
中原街道と重なって多摩川を渡った鎌倉街道下の道は沼部の桜坂下から中原街道を進む北回りルートと、桜坂下で右折し六郷用水跡沿いを進み、池上~大森を通る南回りルートが考えられていて大井三ツ又で合流する。むろん鎌倉街道の方が中原街道・六郷用水より古いのはいうまでもないが。
今回は南回りで大井三ツ又先の大井町駅まで歩く。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
中原街道の桜坂下 《地図》
北回りルートは直進して桜坂を上り、中原街道を洗足坂上交差点まで進む。
今回歩く南回りルートは右折して六郷用水跡沿いを行く。
現在地から「女堀のみち」(六郷用水跡)を行き、「南北引き分け」から「北堀のみち」へ進む。
六郷用水跡だが、遊歩道となってきれいな水が流れている。
この先で東海道新幹線・横須賀線をくぐる。
大田区最古の庚申供養塔の場所が分からず、清掃している女性に尋ねたら、住職に聞きに行ってくれた。
庚申塔の初期の形態の地蔵菩薩像を彫ったもの。
「峯の薬師」として信仰を集めた。山門の塀の右端に「峯の薬師道」と彫られた道標が立つ。参詣道沿いから移設されたものだろう。
境内に樹齢300年以上というツゲの巨木( 大田区の天然記念物)があるというがどれか分からず。
「峯之薬師道 左 新田ミち」、
『江戸時代の道』の「鵜ノ木新田道」のこと。
戦災で焼失し昭和35年の再建。
敷地内には広い屋敷林があるようだ。
河原坂上 《地図》
昔は鵜の木2・3丁目付近は多摩川の河川敷で「河原」という地名で呼ばれていた。現在は切通しになって緩やかだが、昔は道幅も狭く急な坂道で、河原の畑を往来する荷車などは大変難儀をしたそうだ。
鵜の木一丁目横穴墓群6号墓
一帯は鵜の木松山公園になっている。(河原坂の北側)
墓道と墓室の間の羨門の仕切り石。
増明院の手前で環八通りを斜めに横切って行くのが本来の道筋だが、増明院と光明寺に寄って藤森稲荷前交差点で環八を渡った。
山門は備前池田家の表門と伝えられる武家屋敷門。
光明寺池は高い金属塀に囲われて全く姿が見えない。地図にはちゃんと載っている。昔はザリガニがウヨウヨといてわざわざ自転車で御嶽山駅(池上線)近くの自宅から「ぬめり坂」を下って遊びに来た記憶があるのだが。豊かな自然を覆い隠してしまうとは仏の慈悲もどこへやらか。
環八通りの藤森稲荷前交差点 《地図》
六郷用水の下丸子方面への分水口跡あたりで、平間道のぬめり坂下でもある。
六郷用水の南北引き分け跡(右に説明板) 《地図》
北堀跡沿いの崖下の道 《地図》
左側は千鳥いこい公園
この先で第二京浜国道を横切る。
池上警察署の脇の道へと続く。《地図》
ここも六郷用水跡沿いだ。
明治から大正にかけて池上駅~大森駅間を走っていたそうだ。
ここは枡形になっている。右が相模屋ですぐ先の左角の萬屋酒店で六郷田無道は左折し池上本門寺へと進む。
創業は享保年間(1716~35)という老舗。
右端に題目塔道標(元禄9年(1696))で、右面に「是よりひたり かわさきみち 古川道」、裏面に「是よりみき こすきみち 新田道」で、古川薬師(安養寺)から六郷の渡しで川崎に続く六郷田無道と、新田神社から矢口の渡しへ続く道、丸子の渡しから中原街道の小杉へ通ずる今歩いて来た鎌倉街道下の道のこと。
明治8年(1875)の建築。当初は茶店で、店先に荷車などを止めることができるように工夫され、井戸もある。
池上本門寺参道を横切る。
この道は総門から表参道の石段の此経難持坂(シキョウナンジザカ)、仁王門へと通じている。
中村精米店 《地図》
少し手前の四つ角に妙見堂への道標がある。
昔は大雨が降るとすぐに氾濫し、周辺の家が床下・床上浸水した川だ。
子母沢児童公園 《地図》
右端の「いにしえの東海道」碑には、「この道は時代によって奥州街道、相州鎌倉街道、平間街道、池上往還などと呼ばれていた古道です。」とある。
子母澤寛がこのあたりに住んでいたことによる公園名と思ったら逆で、ここはかつては大森区新井宿子母沢(現在は大田区中央4丁目で味も素っ気もない地名だ)で、それをペンネームにしたそうだ。
田無街道交差地点 《地図》
田無街道は左へ臼田坂を上って行く。交差点の向いの左側に「いにしえの東海道」碑と「旧新井宿出土橋跡碑」が立つ。江戸時代この付近は荏原郡新井宿村で川が流れ、出土橋(でどばし)が架かっていたそうだ。
このあたりが新井宿の中心だったようだ。
都道318号を横切る。
もとは第六天社と呼ばれていて、「代六天 根ヶ原神社」の標石が立つ。
この先で池上通りに出る。
境内の背後が熊野神社
村人が父母の墓という名目で建てた墓石で、六人の名前が刻まれた裏面がこちらを向いている。
八景坂を上る。《地図》
今でも長い坂だが傾斜は緩い。昔はもっと急坂で江戸湾の眺めもよかったようだ。
この先で品川区となる。
大森貝塚遺跡庭園(品川区)
現代よりずっと楽しそうで縄文時代に戻りたくなる。
大井囃子が節分祭・7月の中祭・10月の大祭などの際に、神楽殿で演奏されている。
鎌倉街道は鹿嶋神社の東側を通り、昔は入口も社殿も東向きだったという。
将軍家光の頃の鷹狩の休息所だったという。
もとは来迎院の境内で、車道を挟んだ向かい側にある。
左は沖合の漁師たちの目印になったという大イチョウで、麻布の善福寺の「逆さイチョウ」と兄弟という。
今でも少し水が湧いているようだ。そばに「開基了海上人産湯井」碑があるというが、気づかなかった。昔、この寺に身を寄せていた了海上人の父が子授けを祈願したところ男の子を授かり、そのとき寺の境内から忽然と泉が湧き出したので、この水で産湯をつかわせたと伝える。
ここあたりに古代の大井駅があったともいう。
タブノキと大イチョウの間の社殿は小さい。
左は稚児桜
最前列左の延命地蔵菩薩像(明暦元年(1655)
右端の阿弥陀如来像(寛文9年(1669))
その左の阿弥陀如来庚申供養塔(寛文13(1673))
作守稲荷神社 《地図》
もとは薩摩藩のお抱え屋敷にあったとか。
鎌倉街道下の道(北回りルート・品川道)と合流して大井町駅へと向かった。
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