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2014年10月10日 (金)

山陽道(西条駅→海田市駅)

2014年9月25日

西条駅(JR山陽本線)・・・西条四日市宿脇本陣跡あたり・・(半尾川)・・賀茂郡役所跡・・真光寺・・・国道486号・・・友待橋交差点・旧道・・・時友一里塚跡・・・時友橋(黒瀬川)・・・飢坂・・・中の垰池・・・八本松材修場跡碑・・・シャープ工場迂回・・・須久茂池移転碑・・・清水川神社・・・妙福寺・・・八本松八十八石仏・・・八本松駅(山陽本線)・・・沓掛第3踏切・・・溝迫交差点・国道2号・・・長尾一里塚跡・・・県道83号ガード・・・大山駅跡・・・大山峠・・代官おろし・・・大山清水跡・・・大山刀鍛冶の墓・・・賀茂・安芸郡境碑・(広島市安芸区)・・・大山の滝標識・・・代官おろし跡標柱・・瀬野馬子唄発祥の地説明板・・・山陽本線ガード・・・国道2号・・瀬野川沿いの道・・・久井原橋(瀬野川)・・(山陽本線)・・・三本松・吉田松陰詩詠の地・・・凉木の一里塚跡・・・清水第5踏切(山陽本線)・・・大山刀鍛冶市左衛門之碑・・・清水第7踏切・・・国道2号・・旧道・・・一貫田(間の宿)・・道標・・・下一貫田交差点(国道2号)・・・中原第1踏切(山陽本線)・・・辰の口第1踏切(山陽本線)・・・国道2号・・・旧道・・・道標・・・(榎山川)・・落合の一里塚跡・道標・・・瀬野大橋東詰交差点(国道2号)・・・山陽本線ガード・・・安芸山陽道・・・中野東駅(山陽本線)・・・鳥上一里塚跡・・矢口神社参道・・・安芸中野駅(山陽本線)・・・京田第三踏切・・・出迎えの松・・・(海田町)・・砂走橋(畑賀橋)・・・(山陽新幹線)・・・大力第一踏切(山陽本線)・・・春日神社・・・海田町ふるさと館・海田観音免の大楠・・・名残りの一本松跡・・海田市宿・・熊野神社・・御茶屋本陣跡・・恵比須神社・・脇本陣跡・・明顕寺・・千葉家住宅・・・胡子神社・・・海田市駅(山陽本線)

  台風16号の雨も上がって晴れ間が広がってきたが、気温が上がり始めた。今日は28度くらいだが、日曜には30度を超すようだ。瓦坂峠で痛めた右足首もだんだんとむくんできたが歩けない状態ではない。今日の飢坂、大山峠越えも大したことはあるまい。急ぐ旅でもなし、ゆっくらのんびりと行こう。  

  【ル-ト地図】(西条駅(50.5km地点)から海田市駅(78km地点)まで)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_4650西条四日市脇本陣跡 《地図

「ふじたストアー」あたり

Img_4651太田家(右)

この先の少し高くなっている所で半尾川を渡る。

Img_4652小倉屋ビル

ここは石井家住宅(西条町下見に移築)の跡地で、屋根は同じ兜造りにしている。

Img_4654賀茂郡役所跡(真光寺の手前右側・右のブロック塀の脇に標柱)

広島藩の代官所で、代官不在時は御役所と呼ばれた。

Img_4656真光寺・賀茂輝酒造(左)

国道486号に出る。左側に2か所旧道が残る。

Img_4660友待坂交差点で左に入って行く。《地図

Img_4662時友一里塚跡

ごみ置き場の右に説明板がある。

Img_4663説明板

時友橋(黒瀬川)を渡り、住宅地を抜けて行く。

Img_4671飢坂(かつえざか)の上りとなる。《地図

Img_4676由来

2つの由来話が書かれている。①は昨日の牛万長者によるものだ。

Img_4678中の垰(たお)池の間を通って行く。

金網フェンスで池の姿が見えにくい。

Img_4679中の垰池

サイジョウコウホネ(絶滅危惧種)の群生地。6~9月に水面上に花径を伸ばして径3~6cmの花を咲かせる。ハスのように池面に浮かんでいるのがそれだろうか? 黄色の花も見える?

Img_4680山道となる。

Img_4681飢坂標柱

ここから下りとなってシャープ工場に突き当たり迂回して行く。下った所に八本松材修場跡碑が立っている。

Img_4684八本松材修場跡碑

戦時中、陸軍八本松兵器補給廠の跡に材修場開設。日本で初めてのロングレールを溶接したそうだ。

Img_4685須久茂池移転碑(右) 《地図

右は今も池だが地図では錦鯉飼育池となっている。

この先で山陽道の続きの出る。街道は須久茂池の堤上を通っていたようだ。

Img_4689清水川神社 《地図

文明18年(1486)創建。神殿が北向きで西国街道に面していたため、この前を馬で通るとどんな偉い人でも必ず落馬したので、西向きに変えたという。

Img_4691妙福寺 《地図

大イチョウがそびえる。

Img_4692説明板

Img_4697八本松八十八石仏の56番地蔵菩薩

四国八十八札所になぞられた88体の舟形光背の石仏の一つ。四国札所の56番泰山寺の本尊は地蔵菩薩。

八本松駅の北側に出て、沓掛第3踏切で山陽本線を渡り返し、溝迫交差点(国道2号)に出た。沓掛は大山峠へ向かう旅人が草鞋(わらじ)を履き替えたことによる地名という。

Img_4703長尾一里塚跡(ミスター・マックスの敷地内) 《地図

道路の向い側から旧道に入る。

Img_4704旧道(左)

Img_4709県道83号をくぐる。《地図

向いの壁に「西国街道(旧山陽道)」の道標がついている。

Img_4711大山峠への道標(左)

Img_4715大山駅跡の立札(正面)

古代山陽道の駅跡で、ここを右に行く。

Img_4717分岐を右に進む。

ここも大山峠の道標が立つ。

Img_4721蜘蛛の巣・やぶ蚊道だが、瓦坂峠、松子山峠の難路に比べれば道筋もはっきりしていてなんてことはない。

Img_4722大山峠へ着いた。

県道83号をくぐってから15分もかからなかった。

Img_4723説明板

峠からは代官おろしで下って行く。今は急坂の難所ではない。

Img_4726大山清水跡

旅人の喉を潤した名水も今は昔だ。

Img_4728倒木やぬかるんでいる所もあるが、普通の山道だろう。

Img_4732大山刀鍛冶の墓標柱

ここを入って行って見る。

Img_4733正面の小さな石積み(五輪塔)が墓か?

説明板には、「この付近に刀鍛冶の屋敷跡があってたたらなどが出土していた・・・」とある、参勤交代の大名行列も通った西国街道大山峠も当時はもっと開けていた所だったのだろう。今は往時を偲ぶよすがもないが。

Img_4731説明板

「大山宗重」作の刀が『渓流詩人の徒然日記』に載っている。

Img_4736賀茂・安芸郡境碑

ここから東広島市から広島市安芸区に入る。

Img_4741代官おろし跡碑から振り返る。

Img_4743説明板(瀬野馬子唄)

Img_4744由来

Img_4747下って山陽本線をくぐる。《地図

その先で道を間違えたようだ。本来の道筋は瀬野川と山陽本線の間の道のようだ。地図にも山陽道の記載がある。《地図

Img_4754国道2号と山陽本線の間の瀬野川沿いを進んでしまった。《地図

前方は民家の敷地みたいで、その先は行き止まりのような感じで、通っていいのか通れるのか近くにいたおじさんに聞くとOKで久井原橋まで行けるというので突き進んだ。でもやはりここは道ではないのだろう。
【ル-ト地図】には正しい(と思う)道筋を記載した。違っているかも。

Img_4757久井原橋をくぐって渡って、再び川沿いを進んだ。《地図

Img_4765三本松(二代目)

ここは安政6年(1859)5月29日、江戸に護送される吉田松陰が胸中を詠んだ地でもある。

Img_4767吉田松陰の詩

Img_4768評釈

Img_4771凉木(すずむぎ?)一里塚跡(右の石垣前に標柱)

右上は山陽本線の線路。

Img_4775国道2号に出るがすぐ右に分かれて行く。《地図

ここは中大山バス停のそば。

清水第5踏切(山陽本線)を渡って行く。

Img_4780「先祖 大山鍛冶市左衛門之碑」

清水第7踏切で再び山陽本線を渡る。

Img_4785長屋門、赤瓦の旧家の前を下って国道2号を横切って行く。《地図

Img_4790一貫田(間の宿)に入る。

左に道標(大正甲子(13年))「右ハ 海田市 廣島 左ハ熊野跡村 呉 方面」・「右ハ熊野跡村 呉 左ハ八本松西條 方面」

Img_4794一貫田の家並み

Img_4795山頭火の句

昭和8年一貫田に一泊した時の句。この左側に句碑があるようだ。気がつかなかった。

下一貫田交差点で国道2号を横切り、中原第1踏切で山陽本線を渡り、再び辰の口第1踏切で渡る。《地図

Img_4808道標(明治24年・右)

「右ハ 國道 左ハ 縣道」

この先で小さな榎山川を渡ると平山歯科医院に突き当たる。

Img_4809落合一里塚跡・道標 《地図

突き当たった右側にある。山陽道は左へ進む。

Img_4812道標・落合一里塚跡標柱(ゴミ箱の向う側)

道標には、「右ハ四日市 左ハ志わ みち」

瀬野大橋東詰交差点(国道2号)を横切り、山陽本線のガードをくぐって行く。《地図

Img_4820「安芸山陽道」(標識)となる。

Img_4822山陽本線沿いの道を進む。

中野東駅を過ぎて行く。

Img_4825鳥上の一里塚跡標柱(ブロック塀の脇) 《地図

すぐ先の左側のミラー標識に「矢口神社参道→」の標識が架かっている。

安芸中野駅を過ぎて京田第三踏切を渡る。貫道橋を渡らず瀬野川沿いを進む。《地図

Img_4836出迎えの松

Img_4832説明板

海田(かいた)町に入る。

Img_4838砂走橋(畑賀橋)を渡る。《地図

橋の手前右に「旧山陽道蓮華寺登口跡」碑と旧砂走橋の親柱(一部しか写らず)がある。

山陽新幹線をくぐり大力第一踏切を渡る。

Img_4866海田観音免の大楠 《地図

樹齢400年以上の巨木。右下が観音堂? ここは「海田町ふるさと館」の裏手で、畝観音免古墳や復元住居の古墳公園になっている。

Img_4857説明板

Img_4873名残りの一本松跡あたり

どこもかしこも街道の松は松くい虫にやられてしまっている。

Img_4869説明板

Img_4874海田市宿に入る。

家々が斜交いに建っているのは多くの宿場町などで見られる光景。その理由も所によりまちまちで、いくつかの説がある。

Img_4878説明板

Img_4875旧家

Img_4879熊野神社 《地図

承応3年(1654)に庄屋の猫屋次郎兵衛が願主となって拝殿が再建された時の棟札が残るという。現在の拝殿は文政8年(1825)の建立。同時期に奉納された「三十六歌仙絵馬

Img_4880御茶屋跡(本陣)標識

Img_4883ここが敷地770坪もの御茶屋跡(本陣)

遺構は何も残らずか。

Img_4881説明板

Img_4889脇本陣跡あたり 《地図

海田公民館あたりで、広島の猫屋町からやって来た「加藤(猫屋)新太郎宅」

Img_4888説明板

Img_4910
明顕寺梵鐘 《地図

Img_4909説明板

Img_4906千葉家住宅

先祖は平忠常という旧家。栃木→長野→広島へと移ってきたのだ。
ここには御茶屋(本陣)や脇本陣の代わりとして上級役人などが休泊することもあったという。見事な庭園(広島県名勝)もある。

Img_4892説明板

Img_4905胡子神社 《地図

文政年間(1818~19)以前の勧請という。

海田市駅から広島駅に出た。

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