山陽道(本郷駅→瓦坂峠→松子山峠→西条駅)
2014年9月23日
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今日は難所の瓦坂峠と松子山峠を越えて西条駅までの30kmほどある行程なので、道を迷ったり間違えたりすることも考慮して、本郷駅を6時半頃には出発した。難所といっても標高が高いわけでも、傾斜がきついわけでもなく、道が荒れて分かりにくく、歩きづらいだけなのだが。
【ル-ト地図】(本郷駅(19km地点)→西条駅(51.5km地点))
写真をクリックすると拡大します。
大渡大師堂(奥) 《地図》
沼田川の渡し(大渡)の安全の守りだったか。
沼田小早川氏と沼田と竹原小早川氏を統合した小早川隆景の居城跡
甑(こしき)天満宮 《地図》
菅原道真が大宰府に赴く途中、日照り続きの水不足で困っていた村人たちのために自ら井戸を掘った。村人はその水で道真の甑で飯を蒸して差し出した。その後、恩を受けた村人たちが道真の残した甑を祀ったという。
街道の旅人の咽喉を潤わせたという、「菅公手掘り井戸」があるはずだが、見逃したようだ。
社殿は期待外れだった。
昔この一帯は茅の原野があり、「茅原」と呼ばれていたが、屋根葺用の茅草を売買する人々が集まり、 市が立つようになり、「芽の市」と呼ばれるようになった。
白壁と穴太積み?の石垣が少しだけ見える。
重なっていて判読困難だが、小さな道標には三面に、「東 本郷 三原」・「西 竹原 呉 西条 広島」・「南 小泉 忠海」と刻まれているようだ。小泉、忠海に通じる道は三次浅野氏が飛地の忠海に港を設け、藩の役人たちがここ茅の市を通っていたことから「三次往還」の名がついたという。
大きな道標は、「これより・・・・」?
「よこみ寺址 右は高木山城址」とある。
横見廃寺跡 《地図》
梨羽城跡標識
かなり距離がある。
ふたばや橋を渡った先あたりに(尾原)一里塚跡があったというが、何の標示もなかった。
村役場・農業会・農協跡
花こう岩製のくり抜式家形石棺が納められている。
大日堂境内から 《地図》
大日如来像ではなく、かやの木の阿弥陀如来像が安置されている。
貞丸古墳横穴石室(大日堂隣)
蓋石はない。
台石は貞丸古墳の上方にあった貞丸2号墳の蓋石が使われている。右の石は石棺の一部のようだ。
宗長神社(南方神社)・二本松古墳 《地図》
この道はサテライト山陽まで続いているはずだが、途中で国道2号に出てしまった。地図にも記載されているのだが。
サテライト山陽(左上)
旧道はこの前に続いているのだが。《地図》
この先の日名内上交差点で標識の県道49号に入る。日名内一里塚跡もそのあたりだろう。
県道49号をしばらく進み右に旧道に入る。《地図》
県道49号をくぐる。《地図》
ここから難路が始まる。地図には道筋が記載されているが道とは呼べない有様だ。
回りは全然見えず、標識も案内板も何もない。進むのも引き返すのも不安だが、ここは突き進むしかないと腹をくくる。
ぬかるんでいる所もあり、右足首をひねったようだが、痛さを感じている余裕はなかった。
何の標示もない。県道49号をくぐってから20分くらい悪戦苦闘の行進だった。ここが瓦坂峠なら三原市から竹原市に入ることになる。《地図》
急坂のために雨の後には、峠道が河原となるため「河原坂峠」、広島城下から13番目の峠で「十三峠」、地形から「チョンマゲ峠」、明治時代に当地の赤土で瓦を焼いた跡があり「瓦坂峠」で、峠の西斜面には駕籠場が、明治20年頃までは峠の茶屋があったという。
人家が見える所へ出て来たが、ここが山陽道の道筋の所かまだ分からない。
これが「横大道古墳群」《地図》の標識であればOKだ。当たり!でほっと一息だが、まだ2つめの松子山峠の難所が待っている。
雨乞い地蔵(寛政7年(1795))の祠 《地図》
斜め向いに道標(明治32年)「東大阪 西廣島 道」・「南竹原 北三次 道」
すぐ先で国道432号を横切る。
左の祠の地蔵の台座は道標で、「右竹原道 左上方道」と刻むというが、はっきりとは読めず。地蔵は山陽道に背を向けて座っている。逆向きに移されてしまったのだろう。
このあたりは見事な石垣が多い。
国道2号を横切り、大橋を渡り田万里川沿いの道となる。
山頂が中世の城址らしいが詳しくは分からず。
水はきれいだが飲めないだろう。
田万里市は本郷と西条四日市宿の間の宿だった。
左に入って見る。期待はしていないが。
右の畑の中に「オオバンサン」の小祠がある。昔はこのあたりに大きな松があったそうだ。
藤ヶ平古城跡は郭・竪堀・堀切・石垣が残る中世の城跡のようだ。地蔵さんはどこか?
「高屋溝口への間道」とある。田万里町堀坂から高屋溝口《地図》へ通ずる道だろう。
死んでいると思って近づくと、鎌首をもたげ舌をチョロチョロと出し始めた。青い透き通ったきれいな蛇だ。今日は4,5匹の蛇に出くわした。山道などでは足元にその何倍かいたのだろう。「知らぬが仏」、「○蛇におじず」とはよく言ったものだ。
石立神社 《地図》
落石の縁起伝説:「寛永4年(1627)3月頃から、石立山一帯に昼夜、地鳴りが響き渡った。調べると山腹の巨岩が縦に裂けかけていた。昔はここに石立権現があったが何時の頃か西に移されてしまっていた。神託によると巨岩は割れて落ちると宣せられた。麓は山陽道と田万里川に挟まれ、巨岩が落ちれば道は塞がり川はあふれてしまう。他所に道を付け替えようと工事を始めたが一向に進まない。ある風雨の激しい夜、地響きとともについに巨岩は崩れ落ちた。だがよく見ると巨岩は小さく割れ山腹や道傍に散り、街道や川の流れの妨げとはならなかった。住民は神徳を感じ新たに祠堂を建てて祀った」
石刀・石鏃が出土した遺跡
「文政年間 西条赤瓦のルーツ」とある。前の写真の民家の屋根は赤瓦だ。
標柱に「音に聞こえし 茗荷の清水 三原御前 酒におとるまい」とあるが、遠い昔の話よ。このあたりの山林が賀茂泉酒造の所有であったことから、酒銘を賀茂泉と名づけたそうだ。
その先で国道2号をくぐる。
三永(みなが)の石門(せきもん) 《地図》
大明神社 《地図》
一休みして難所の松子山峠へいざ出発だ。
大多池?沿いを進む。《地図》
ここでも道を間違え北方向へ少し進んでしまった。
くぐったすぐ先の左側に日向一里塚跡が復元されている。
山陽道はこの間を通って松子山峠に向かっていた。
すぐに草深い道になる。《地図》
それほど暑くないのが救いだ。
靴を包むビニールのレジ袋を持ってきたが、着けるのも面倒で、(余裕がなくか)突き進む。靴もズボンの裾も泥んこになったが。
ここは下調べ済みで、よじ上れば道は続いている。
日向一里塚跡から30分近くかかった。西国街道(山陽道)の中でも特に険しく、西の小箱根の異名があるほどの峠越えだったという。それほどでもないだろうが、箱根越えの方が道は整備されている。『箱根(旧東海道)の坂①』・『箱根(旧東海道)の坂②』
寛政12年(1800)9月、脱藩を決意した頼山陽は乞食姿に変装し、この峠を越えて京に向かったという。
上りなら嫌になる道だ。
ここから10分ほどで舗装道に出た。
ここに高さ40m、幹回り6mの大きな松があり西国の大名たちが駕籠を止めて木陰で休憩した。この松は昭和18年頃枯れてしまった。枯れたかご松は、賀茂泉酒造の門の扉になっているそうだ。
松子山浄水場 《地図》
今宮神社 《地図》
牛万長者の伝説:「昔、焙烙(ほうろく)を商う男が松子山峠越えの折、ここにいた弱った牛を介抱したが、牛はその甲斐もなく死んでしまった。男は哀れに思って牛の腹をなでると、牛は金に変った。牛万長者と呼ばれるようになった男が建てたのがこの神社で牛宮神社とも呼ばれている」
坂といっても傾斜はほとんどない。牛万長者が朝早く、ここから田植唄を歌いながら田植えをし、夕方ようやく西の方の飢坂(かつえ)坂にたどり着いたという。その出発地点を、田植唄にちなんで「歌謡坂」と呼ぶようになったとか。
吉土実交差点・土与丸交差点(国道375号)を渡って西条四日市宿に入る。
昭和初期に賑わった芝居小屋「朝日座」への入口だった。現在は観光案内所。
御茶屋本陣跡 《地図》
安芸国分寺仁王門 《地図》
かなり疲れてきて、ひねった右足首が痛くなってきたが、まだ時間に余裕があるので、西条駅南方の三ツ城古墳へ足を延ばした。
全長92mの広島県最大の前方後円墳
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