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2014年11月17日 (月)

山陽道(大道駅→嘉川駅)

2014年10月29日

大道駅(JR山陽本線)・・・繁枝神社・・大道市地区・・諸光寺・・明顕寺・・元庄屋上田家・・厳島六社大明神・・・国道2号・・・旧道・・・(国道2号)・旧道・・津山神社・・国道2号・・・長沢池・・・(山口市)・・旧道・・・札場踏切(山陽本線)・・・中山池・・・誓安寺・・・住吉第1踏切(山陽本線)・・・丁石地蔵・・国道2号・長沢池・赤川晩翠の詩碑・・・今宿東交差点・旧道・・・尺田橋(尺田川)・・・(四辻駅)・・・(高橋川)・・・(国道2号)・・・周防鋳銭司跡・・・(綾木川)・・・建石・・・東陶交差点(国道2号)・旧道・・・円覚寺・・陶上市地区・・恵比須社・・橋本橋(百谷川)・・陶下市地区・・恵比須社・・艫綱の森・寄舟神社・小郡検問所跡・・・日吉神社・・・県道335号・西陶バス停・・・旧道・・・真菰池・・・(山陽新幹線)・・・大聖院・・・小郡一里塚跡・・・東津橋(椹野川)・・小郡宿・・藩米津出蔵跡・・・新丁地区・・新丁踏切(JR山口線)・・御茶屋・勘場跡・・道標・・唐樋橋交差点・三原屋本陣跡・・・粟島神社・・・国道9号ガード・・・県道335号・・・(山陽新幹線)・・・柏崎交差点・旧道・・・大道付第1踏切・・・(千見折川)・・・荒神峠・・(JR宇部線)・・・嘉川霊場第21番・・・34番大師堂・・上嘉川踏切(山陽本線)・・・嘉川市地区・・恵比須神社・・・(嘉川市交差点)・・・(嘉川福岡交差点)・・・嘉川霊場第34番・中野三仏・道標・・・嘉川駅(JR山陽本線)

  今日は急な坂も高い峠もなく距離も短く、好天の下をのんびりと山口市に入り小郡宿を通り嘉川駅まで進んだ。

  【ル-ト地図】(大道駅(90.4km)→嘉川駅(110.2km)まで)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6567繁枝神社 《地図

祭神に長沢池などの灌漑用の池を築いた小郡宰判の代官・東條九郎右衛門(津山神社の祭神で明治41年ここへ合祀)が名を連ねている。境内に維新の志士大楽源太郎の碑がある。

Img_6568説明板(大楽源太郎)

Img_6574大道(だいどう)地区 《地図

大道(台道)市は馬10疋を備えた半宿だった。

Img_6582元庄屋上田家

大田南畝を始め村田清風、頼山陽など多くの文人、墨客が訪れたという旧家で井戸が残る。

Img_6583厳島六社大明神

上田家が建立した神社。このあたりに一里塚があったのか?

Img_6584六社明神の祠か

この先で国道2号に出る。

Img_6587左に旧道に入る。

Img_6589国道を横切り右に入って行く。

Img_6590柿が成る旧道を進む。

Img_6593津山神社 《地図

祭神は東條九郎右衛門で、今は繁枝神社に合祀されている。

Img_6598長沢池

慶安4年(1651年)頃、代官東条九郎右衛門の在役中に築かれた灌漑用池。天保年間(1830~43)には鋳銭司村、名田島村、台道村の田畑に堤水を供給し、他村が干ばつにみまわれても、長沢堤を利用する村々は干ばつを免れた。
防府市と山口市にまたがる周囲約6Kmの大池で、冬は渡り鳥の楽園になるという。

山口市に入ってすぐのGSの手前から左に旧道に入る。《地図

Img_6601旧道は南に迂回して行く。

長沢池が出来て、それまで真直ぐ西に進んでいた(現国道2号の道筋)山陽道は水中に没してしまい池の南側を廻るようになったという。長沢池はもっと大きかったということか。

札場踏切を渡って行く。高札場があったのだろう。

Img_6605中山池沿いを行く。 《地図

Img_6609誓安寺

古びた鐘楼門がいいね。

住吉第1踏切を渡る。

Img_6616石地蔵の先で国道2号、長沢池に出る。

西方の陶が岳(252m)の山頂にあった観音堂(明治時代に黒山の顕考院(黒山八幡宮の南側)に移された)参道の丁石地蔵で、「岩屋寺八丁 明和四亥十二月日」と刻むらしい。
池畔に赤川晩翠詩碑が立つ。

Img_6618赤川晩翠詩碑(文久2年(1862)) 《地図

晩翠は萩藩士で後に山ロ明倫館の教授となったという。池中の鳥居は西北部にあった弁天社(黒山八幡宮に合祀)の一の鳥居だそうだ。
詩碑のそばに北方にある大村神社大村益次郎の墓鋳銭司(すぜんじ)郷土館への案内板があるが寄らなかった。

今宿東交差点で左に旧道に入る。四辻駅の北側で地元のおばさんから木造の駅舎は写真スポットだと教えられ行ってみた。

Img_6629四辻駅

それほどのことはないように思うが。駅の西南に大村益次郎の生家跡がある。

高橋川を渡る所あたりに古代山陽道の八千の駅家があったという。ここから街道から離れ二股を右に行き、四辻交差点を横切り周防鋳銭司跡に向かう。

Img_6637周防鋳銭司(じゅぜんじ)跡地図

このあたりの地名は鋳銭司「すぜんじ」

Img_6638説明板

街道に戻る。綾木川を渡るあたりに陶(立石)一里塚があったようだ。

Img_6642建石(立石交差点の南側) 《地図

このあたりの地名は立石で、鳥居は春日神社への参道。東京葛飾区立石の古代東海道の立石を思い出した。『東京散歩(奥戸街道)』に記載。

Img_6641説明板

東陶交差点で国道2号を横切って行く。

Img_6647円覚寺 《地図

この先で右から左に枡形に曲がって行く。「陶(すえ)上市」で御用物などの継場だった。

Img_6657陶地区案内図

Img_6648恵比須社(左・陶の市えびす)

Img_6649説明板

Img_6651陶上市の家並み 《地図

橋本橋(百谷川)を渡ると「陶下市」となる。

Img_6656恵比須社(左・陶下市えびす)

Img_6662寄舟神社(艫綱(ともづな)の森)

大内氏の祖という百済からの琳聖太子の着岸地という。「琳聖太子旧蹟碑」が立つ。以前は200m南の国道の傍らにあったが、国道工事のため、この地に移設された。
太子は焼物の作り方を伝え、以来この地で焼物が盛んに作られるようになったといい、「陶」の地名ともなっている。中世にこの地を領した大内氏の一族の右田弘賢は陶氏を称し、陶晴賢は下剋上で大内氏を倒した。

Img_6661説明板

案内図によれば向い側が小郡検問所跡

Img_6667日吉神社鳥居 《地図

少し離れているが時間に余裕があるので行って見る。

Img_6668畑の間の参道

Img_6672日吉神社

Img_6670説明板

さらに北方に「陶陶窯跡」(すえのすえのかまあと)がある。《地図

街道に戻る。

Img_6674茅葺きの家

廃屋のようで正面は荒れていた。

西陶バス停で県道335号と合流し、しばらく進んでから右に入って行く。

Img_6680真菰(まこも)池沿いを行く。《地図

池面に生えているのは真菰ではないようだ。

Img_6683ホテイアオイの花だろう。

山陽新幹線の高架の下をくぐり、大聖院にも寄った。

Img_6688小郡一里塚跡

「従安芸境小瀬川二十二里 従赤間関十四里」、山陽道の終点は近くなりけりだ。

Img_6691東津橋(椹野(ふしの)川)を渡って小郡宿に入る。

明治5年に東津橋が完成するまではここに渡し場があった。前方は山陽新幹線

Img_6693藩米津出蔵跡 《地図

並んで川口番所があった。

Img_6694説明板

Img_6695概念図(明治前半期)

「米及び雑貨輸出所」と名前が変わっている。

新丁踏切(JR山口線)を渡る。

Img_6696新丁地区

Img_6702御茶屋、勘場跡(新丁公民館) 《地図

Img_6700説明板

Img_6701配置図

Img_6703藤本金物店

Img_6704道標(右の植込みの中) 《地図

ここは山陽道と山口道との追分で、道標には「右 京江戸」・「左 萩山口石見」・「牛馬繋事無用」
小郡宿は山陽道と山口や萩、石見国へ通じる街道が交わる交通の要衝地で栄えた。

Img_6706説明板

Img_6709津市通りを南下して行く。

ちょうど昼頃だが、人も車も見当たらないこの静かさは何だ。小郡駅も新山口駅になってしまった。

Img_6708虫籠窓の旧商店

Img_6714三原屋本陣跡(左の駐車場) 《地図

長州藩の下関で外国船砲撃事件(下関事件)を詰問するための幕府の使者中根市之丞ら一行が、長州の諸隊によって襲撃され従者3名が殺害された三原屋襲撃事件があった所。中根らも藩が手配した船で江戸へ戻ろうとしたが、中関沖で暗殺された。

Img_6715粟島神社

この先で国道9号ガードをくぐり県道335号に出て、山陽新幹線をくぐって柏崎交差点で左に旧道に入る。

Img_6724しばらく山陽本線・宇部線(左)沿いの道を行く。《地図

大道付第1踏切を渡る。

Img_6729雨乞山(正面・標高160m)

狼煙場があったという。

Img_6731千見折川を渡ると緩やかな荒神峠への上りとなる。

宇部線を高架で越えて、宇部線と山陽本線の間の嘉川地区を行く。このあたりに嘉川一里塚があったようだ。

Img_6734嘉川八十八ヶ所霊場第21番大師堂(右)

県道335沿いの浄福寺が第1番

Img_6739上嘉川駅

ここで一休み。無人駅で屋根もないと思ったら右の方のベンチの上に小さな屋根があった。

上嘉川踏切(山陽本線)を渡る。

Img_6740嘉川市の家並み 《地図

嘉川市は半宿で、古代には山陽道の「賀宝(かがほ)駅家」が置かれた。

Img_6744恵比須社

Img_6748レトロ建物は何か?

嘉川市交差点で県道335号を横切り右に入り、嘉川福岡交差点で再び県道を横切り左に入る。《地図

Img_6759嘉川霊場第34番(左)・中野三仏(中)・道標(電柱の右後ろ)

中野三仏は、右から正徳3年(1713)、寛政8年(1796)、天明9年(1789)の建立という。

Img_6761道標(明治40年)

「左吉敷郡 阿知須床波 右厚狭郡山中舩木」で、右の山中宿、船(舩)木宿がこれからの進む方向だ。

Img_6769嘉川駅

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