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2015年1月21日 (水)

田原街道②

2015年1月8日

老津駅(豊橋鉄道渥美線)・・・国道259号・・老津公園・・・境橋(紙田川)・旧道・・・常夜灯・常心寺・・・天津畷・・・(知原川)・田原市・・・国道259号・今田橋(蜆川)・・豊島東交差点・旧道・・・(仁皇川)・・・大坪交差点・・・船倉橋東交差点・・・船倉橋(汐川)・・田原城下・・常夜灯・・東木戸跡あたり・・田原町道路元標・・時計台(殿町交差点)・・田原市民俗資料館・・報民倉跡・・成章館跡・・田原城跡・田原市博物館・・巴江神社・・中小路通り・・崋山神社・・池ノ原公園・渡辺崋山幽居跡・・武家屋敷土塀跡・・田原城惣門跡・田原市報民倉・・田原萱町交差点・・城宝寺・・慶雲寺・・龍泉寺・・西木戸跡あたり・龍門寺・・清谷橋(清谷川)・・・加治の坂・常夜灯・・・田原署・・・県道28号・・・大久保交差点・旧道・・・大久保駐在所北交差点・・・長興寺・・・篭池古墳・・・地蔵坂古戦場跡あたり・・・国道259号・・・野田バス停(豊鉄バス)→三河田原駅(豊橋鉄道渥美線)

  冷たい風が吹きさらしの天津畷(縄手)を通り、田原城下を散策してから伊良湖岬を目指し、宇津江坂の旧道入口近くまで進んだ。

  【ル-ト地図

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Img_9498老津公園 《地図

芭蕉句碑が4つある。

 

Img_9499貞享5年(1688)に杜国と吉野の花見に旅立つ時の句。『笈の小文

 

Img_9497句碑案内

 

境橋(紙田川)を渡り右に旧道に入り天津地区を進む。

Img_9509常心寺 《地図

田原街道沿いには立派な常夜灯が多い。

 

Img_9511海岸沿いに並ぶ風力発電の風車

渥美半島は日本有数の風の強い地域だそうだ。『田原市の風力発電

 

Img_9520天津畷を行く。《地図

芭蕉が「すくみ行や馬上に氷る影法師」と詠んだ、冷たい潮風の吹きさらしの直線の縄手道だ。今日も風が強く、手袋をしていても指先の感覚がなくなり、まさに「すくみ行や路上に氷る影法師」で、芭蕉の追体験ができた。
『笈の小文』では、「冬の日や馬上に氷る影法師」となる。

 

Img_9531きゃべつ畑が広がる。

冬きゃべつは渥美半島が生産の中心地だそうだ。この先も美味そうなキャベツ球が広がる道にいくつも出会う。

 

知原川を渡って田原市に入り、今田橋で蜆川(しじみがわ)を渡った豊島東交差点で左の旧道に入る。《地図
大坪交差点を左に進み、船倉橋東交差点を直進し汐川に突き当たり、右の船倉橋を渡る。

Img_9546船倉橋から汐川 《地図

 

Img_9547常夜灯(寛政11年(1799))

船倉橋西交差点の手前

 

Img_9548由来

「亀井戸木戸の内番所前・・・建てられたのは寛政11年・・・」とある。

 

Img_9549田原町道路元標(電柱の左下) 《地図

このあたりが東木戸跡(亀井戸木戸?)だろう。

 

ここを右折し、田原城下を散策する。

Img_9552時計台(殿町交差点) 《地図

 

Img_9571報民倉跡(左) 《地図

遺構は残っていない。右は田原市歴史民俗資料館だが今日は休館日。

 

Img_9570説明板

 

Img_9572成章館跡

田原藩の藩校で、現在は中部小学校。

 

Img_9553田原城跡(袖池・楼門)【ル-ト地図】の5

文明12年(1480)頃、戸田宗光が築城する。その後今川義元に攻略され落城したが、寛文4年(1664)からは三宅氏の居城として栄え明治維新を迎えた。
かつて海が城の周囲に入り込み入江を形成していたため、その状況が巴文に似ていることから、巴江(はこう)城とも呼ばれていた。三宅氏の江戸藩邸の坂が皇居の桜田濠沿いの「三宅坂」。

 

Img_9562説明板

 

Img_9559楼門

 

Img_9568二の丸櫓

 

Img_9569田原市博物館(二の丸跡あたり)

企画展「渥美線」の開催中だった。渡辺崋山に関する展示物も多い。

 

Img_9566巴江神社

 

本丸跡で祭神は三宅氏の家祖とも伝える南朝の忠臣児島高徳

 

Img_9567由緒

 

Img_9574崋山神社

 

Img_9576由緒

 

Img_9580池ノ原公園へ向かう。

 

Img_9582田原福祉専門学校

やけに立派な建物だが、福祉の現場は厳しいぞ。

 

Img_9588渡辺崋山幽居跡(池ノ原公園内) 《地図

ここで天保12年(1841)10月11日に自決した。

 

Img_9594武家屋敷土塀跡

 

Img_9605田原城惣門跡・(現)報民倉 《地図

 

Img_9602説明板

 

Img_9599説明板

 

街道筋へ戻る。

Img_9622渡辺崋山の墓(城宝寺) 《地図

本堂奥の崋山霊牌堂の天井画

 

Img_9620城宝寺古墳

上の弁財天堂は東海七福神(渥美半島)の一つ。

 

Img_9614説明板

円墳という。

 

Img_9618横穴石室

奥に大日如来像が鎮座する。

 

Img_9613説明板

「前方後円墳と言う」

 

Img_9629龍泉寺 【ル-ト地図】の6

 

Img_9631芭蕉句碑(天明2年(1782)建立)

先ほどの天津畷での句。「すくみ行や馬上に氷る影法師」

 

Img_9632説明板

 

Img_9635西木戸跡あたり 《地図

 

Img_9636説明板

 

Img_9637龍門寺

永正15年(1518)の開創という。小牧長久手の戦で疲弊したが、関ケ原の戦いで丸岡城(福井県坂井市)攻略で功のあった戸田尊次が田原城に入封し、新たに城下町を拡張した際に現在地に移された。

 

Img_9640本堂

前が樹齢250年以上という「双龍の松」

 

Img_9641心越禅師の書の扁額

 

Img_9638説明板

 

Img_9645江戸屋? 《地図

旅館か料亭だったのだろうか? この建物沿いに進み清谷橋(清谷川)を渡る。

 

Img_9654加治の坂を上る。《地図

永禄8年(1565)徳川家康が今川方の田原城を攻略すべくこの坂沿いあたりに加治砦を築いたという。今でも「西砦」・「北取手」・「東取手」・「取手」という地名が残る。家康の本陣は東方の長仙寺に置かれた。

 

大久保交差点を直進し県道28号から分かれ、大久保駐在所北交差点で右折し、田原城を築いた戸田氏の菩提寺の長興寺に向かう。

Img_9666長興寺 《地図

静かで落ち着いた雰囲気の寺だ。木造聖観世音立像(通称「鉈彫観音」)は県指定文化財。

 

Img_9668説明板

 

Img_9671戸田氏歴代の墓

 

ここから篭池古墳への道がはっきりしない。長興寺前で農作業中のおじさんに聞いてなんとかたどりつく。

Img_9679篭池古墳 【ル-ト地図】の7

円墳だが私有地のようで立ち入れない。墳丘にはビニール温室がある。

 

Img_9675説明板

 

Img_9677横穴式石室の奥に組合式石棺

 

街道に戻る。

Img_9681地蔵坂(右)を上る。《地図

このあたりも田原城攻防の今川方と徳川方の古戦場跡という。坂沿いに「地蔵」という地名が残る。

 

Img_9682未舗装道となる。

 

Img_9683坂上あたり(写真はぼやけてしまった)

化粧地蔵と呼ばれた地蔵堂があったようだ。『愛知県歴史の道調査報告書 田原街道』によると、今は野田の法光院に移されているという。このあたりに石塔(八人塚?・足軽塚?)があるというが、探しても見当たらず。見逃したのかも。

 

ここから下りとなって吹上バス停近くで国道259号に出る。

Img_9687野田バス停 《地図

まだ2時頃で時間は早いが、この先の宇津江(うづえ)坂の旧道の道筋がはっきりせず、迷うことも考えてここまでとし、豊鉄バスで三河田原駅に戻った。

 

Img_0073三河田原駅

2013年10月からの新駅舎

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