田原街道①
2015年1月7日
豊橋駅(東海道新幹線)・・・東海道吉田宿・田原街道起点・・・吉田天満宮・吉田新銭座跡・・・(駅前大通り)・・・新川橋(牟呂用水)・・・諏訪神社・・・豊橋鉄道渥美線踏切・・・元柳生橋(柳生川)・・田原街道踏切(東海道本線)・・・常夜灯・小松原街道分岐地点・・(東海道新幹線)・・潮音寺・・・照国稲荷神社・・・高師口交差点・十三本塚・国道259号・・愛知大学・・・空池交差点・野依街道分岐地点・高師緑地・道標・・・梅田橋(梅田川)・・旧道・・・車神社・車神社古墳・・・大崎インター東交差点(国道23号豊橋バイパス)・国道259号・・・新池・・・境川・・・老津町交差点・老津村道路元標・・・観音堂・・・老津神社・宮脇1号墳・・・老津駅(豊橋鉄道渥美線)
寒風吹きすさぶ渥美半島を行く。東海道の吉田宿(愛知県豊橋市)から三河湾沿いを西に向かい田原城下(愛知県田原市)を通り、伊良湖(いらご)岬に至るのが田原街道で、芭蕉が愛弟子の杜国を訪ね「笈の小文」の旅で歩いた道でもある。
伊良湖岬から遠州灘沿いに東海道の白須賀宿(静岡県湖西市)に通じるのが伊勢街道(表浜街道)で、西行が伊勢の二見ケ浦から伊良湖岬に渡り、東大寺再建の勧進のため奥州へと旅立った道筋だ。
田原街道、伊勢街道とも伊勢、熊野に向かうのには東海道の熱田の宮宿から七里の渡しで桑名に入るよりも近道で、多く利用されたようだ。現在では伊良湖岬から志摩半島の鳥羽に伊勢湾フェリーが出ている。
田原街道を伊良湖岬まで行き、伊勢街道に入って少し進んだ所まで行く。渥美半島は温暖とばかり思っていて、日本有数の風の強い地域とは知らなんだ。とにかく北西からの冷たい風にあおられっ放しの4日間だった。
【ル-ト地図】
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東海道吉田宿のここを南に進む。貞享4年(1687)、芭蕉は越人を伴い、保美に杜国を訪ねるべく吉田宿に泊まった。「寒けれど二人旅ねぞたのもしき」の旅寝塚句碑が湊町公園にある。『東海道(吉田宿→藤川宿)』に記載。
『笈の小文』には、「寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき」とある。
吉田新銭座跡(吉田天満宮) 《地図》
絵銭の「吉田駒引(曳)銭」を見たいものだ。
豊橋鉄道東田本線が通る。市内線、市電とも呼ばれて親しまれている併用軌道の路面電車。
このあたりは暗渠になっていて、水路上に「大豊水上ビル」が建ち並んでいる。
田原街道踏切(東海道本線)を渡る。《地図》
常夜灯の辻(潮満公園) 《地図》
右が田原街道で、左は伊勢街道(表浜街道)の小松原町へ通じる小松原街道。
東海道新幹線をくぐる。
杜国の墓があるのは田原街道沿いの田原市福江の潮音寺で、後日訪れる。
「右於くかうり道 左小ま津原道」で、さっきの小松原街道との分岐にあったものだろう。 「於くかうり道」とはどこを指しているのだろうか?
十三本塚(高師口交差点の西側) 《地図》
「大乗妙典供養塔」(天保7年(1836))で、今川氏真に龍拈寺で処刑された徳川家康方の13人の人質の供養塔という。詳しくは『福岡小学校地域紹介』で。
道標を兼ねていて、「右大崎 左田原道」で、田原道は左の国道259号を南下する。右を進めば大崎街道(県道2号)に続く。
国道259号を南下する。
路面電車のように愛知大学と国道の間を走っている。
野依街道分岐地点 《地図》
正面の高師緑地の北端に道標(大正4年)、「前豊橋道」・「→田原ヲ経テ伊良湖ニ至ル」・「←野依ヲ経テ小松原ニ至ル」
確かに危ない。
高師駅前から豊鉄と離れて行く。
梅田橋から梅田川下流方向 《地図》
三河湾からの強風が凄まじく水が赤茶けている。でも水鳥はすいすい、ちゃぷちゃぷと浮いている。
梅田橋を渡って左に旧道に入る。
社殿の東側に横穴式石室の石材があるようだ。
老津村道路元標(右の電柱前) 《地図》
観音堂 《地図》
境内の石仏群の中の地蔵台座に、「左太平寺○○○ 右田原 願主念仏講」とあるというが、ずいぶんと探したがどれか分からず。もとは老津町交差点あたりにあったものだろう。太平寺は老津駅の南にある。
七五三→初詣→もう節分か。早いものだ年を取るのも。
右に崩れかけた横穴石室が開口している。
無人駅だがスイカは使える。
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