伊南房州通往還②
2015年2月6日
茂原駅(JR外房線)・・・国道128号・・・野巻戸交差点・・・落合橋(阿久川)・・・磯崎神社・・・玉前神社①・・・真福寺・・・七井戸交差点・大多喜街道分岐地点・道標・・・馬頭観音・・・鵜沼堰・・・東円寺・・・面足神社・・・八積駅入口交差点・・・八積村道路元標・・・浅間神社・・・御成街道分岐地点・庚申塔・・・金蔵寺・・・(一宮町)・・・地蔵祠・・・善光寺・・・南宮神社・・・一宮橋(一宮川・宮川の渡し跡)・・・玉前神社②(上総国一の宮)・・・観明寺・・・城山公園(一宮城址)・・崇文門・・一宮小学校・・・上総一ノ宮駅(JR外房線)
久しぶりに房総半島を歩く。
【ル-ト地図】(上総一ノ宮駅(13.5km)まで)
*『伊南房州通往還①』からの続きです。
写真をクリックすると拡大します。
野巻戸交差点 《地図》
このあたりは馬の秣場(まぐさば・共同の牧草地)の野間木戸だった。
阿久川(一宮川の支流)を落合橋で渡って行く。
疱瘡神と伝えられ、明治、大正の頃までは湿疹・麻疹(はしか)・眼病の神として信仰を集め多くの参詣者があったという。
玉前(たまさき)神社① 《地図》
旧大芝村の鎮守
文政11年(1828)には2軒の居酒屋があったそうだ。今は国道沿いのスーパーとコンビニくらいか。
大多喜街道に入った左側に馬頭観音の追分道標がある。
正面に、「西ハ茂原 馬頭観世音 □者江戸」、右側面に、「右 かつみ かりや」、左側面に、「左 一の宮 てう者丁」。(旧夷隅郡刈谷村、長者町)で、もとは分岐地点にあったものだろう。左の一の宮、長者町へと進む。
もとは南側の山林内の斃馬(へいば)捨て場にあったものという。
昔は面積約2万坪、周囲900間余の広さで、付近の数十町歩の田を潤したという。
「へら鮒以外の釣はご遠慮下さい」の看板が立っている。
今でも地元の信仰が篤いようだ。
八積村道路元標 《地図》
村はなくなったが、八積駅、八積小学校にその名が残る。
宮造りの匠、「猫鉄」の作の一間社流造りの社殿。「猫鉄」は調べても分からず。
御成街道分岐地点 《地図》
佐倉から大網、本納などを経て、ほぼ一直線に南下してくる道で、年貢米の輸送道、成田山参詣道としても利用されたという。
すぐ先の左側に庚申塔の祠がある。
丸彫りの青面金剛像は珍しい。踏まれて苦しそうな邪鬼の表情も面白い。
国道沿いの山門は閉ざされていたが、景気のいい寺名なので大きく迂回して寄ってみた。
一宮町に入る。
右の標柱は道標だろうか? 文字が刻まれているが読めなかった。
善光寺 《地図》
「銅造阿弥陀如来立像」(一宮町指定文化財)
南宮神社 《地図》
枯れてきているようだ。昔は境内に名木の「皮部の松」をはじめ、老松が鬱蒼と生い茂っていたそうだ。
北沢楽天の絵馬だろう。
玉前神社②(上総国一宮)
社殿は修理中だった。
「梅樹双雀鏡」(国指定重要文化財)
江戸日本橋、江戸本銀町、江戸神田豊嶋町などの商人が名を連ねている。神田豊島町は私の本籍の旧町名だ。
平広常顕彰碑
観明寺四脚門 《地図》
この寺には文化財が多い。
「十一面観音菩薩立像」(県指定文化財)
「地獄極楽欄間」(町指定文化財)
「金毘羅堂」( 〃 )
「釈迦涅槃図」( 〃 )
「不動明王坐像」( 〃 )
「外房七福神」の寿老人の寺でもある。
一の宮城址(城山公園)大手門 《地図》
江戸時代には一宮藩主、加納氏の陣屋跡。
外房の海が望める。
一宮小学校校庭から振武館の下を通る避難トンネルになっている。トンネルの名前をつけたらどうか。
祟文門の上が振武館。校庭で授業中のようでもあったが、端を通って校外へ出て上総一ノ宮駅に向かった。
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