伊南房州通往還④
2015年2月10日
長者町駅(JR外房線)・・・県道152号・・・宇佐美灊水生誕地碑・・・長者地蔵堂・・・日在寺・・・江場土交差点(国道128号)・・・江場土橋(江場土川)・・・六所神社・・・本寿院・・・三門駅入口交差点(国道128号)・・北向地蔵堂・・・日在踏切(外房線)・・・大山堰・三階松の碑・・日在城跡碑・・・馬頭観音祠・・・寒念仏講結衆地蔵尊・・・三省学校跡碑・・・道録神社・・・円通寺入口標柱・・・宮元橋(新田川)・・・滝口神社・・・房総街道踏切(いすみ鉄道)・・・地蔵祠・・・新田橋(新田川)・・・正福寺・・・木戸泉酒造・・・大原寺・大原八幡神社・・・第一房総街道踏切(外房線)・・・追分道標・・・国道128号(外房黒潮ライン)・・・瀧泉寺・・・道標・「大舟谷・矢指戸入口」バス停・・旧道・・・新橋(塩田川)・・・(浪花駅)・・・国道128号・・旧道・・・大宮神社・・・国道128号・・・小池交差点・旧道・・・第二房総街道踏切・・・地蔵石祠・・・(御宿町)・・・(外房線跨線橋)・・・国道128号・・・月の沙漠記念像・・・御宿駅入口交差点・ロペス通り・清水橋(清水川)・・御宿駅(JR外房線)
伊南房州通往還のメインルートの国道128号は「房総横断道路」、「外房黒潮ライン」と呼ばれている。往還を歩いて4日目にして大宮神社でやっと「伊南」という文字に出会えてほっとした。御宿海岸の「月の沙漠」のらくだ像も異国情緒たっぷりで満足した。
【ル-ト地図】(長者町駅(30km)から御宿駅(49km)まで)
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宇佐美灊水(しんすい)生誕地
長者町生まれの江戸時代中期の儒学者。
長者地蔵堂 《地図》
子育地蔵の祠・左は回国供養塔(正徳元年(1711))・祠の右は地蔵庚申塔(享保7年(1722))でその前は小さな地蔵(天保5年(1834))。
祠内の地蔵は天明2年(1782)に名主の宇佐美金七が、紫胡原(長者町は紫胡(さいこ)という草が茂っていた秣場だった)で雨露にさらされていた石の地蔵を安置したことに始まるという。それが子育地蔵になったのだろう。
日在寺金毘羅堂 《地図》
神仏習合か
三門駅入口交差点で国道128号を横切る。
北向地蔵堂 《地図》
これは新しい地蔵で、トラックにぶつけられ首を折られたもとの北向地蔵は背後に安置されている。
日在(ひあり)踏切(外房線)を渡って行く。
大山堰 《地図》
「三階松の碑」には、手まり唄の歌詞、「二葉の松は色ようて ~ 三階松は上総山 ~」、と刻まれている。
「二葉の松はこの山の中腹にあった」と刻まれている。三階松もここにあったのか?
平安末期から戦国時代まで、使用されていた山城で、上総介広常の姪の居館跡、戦国期には土岐氏の家臣横山将監の居城とも伝えるようだ。
二体の馬頭観音がひっそりと立っている。
寒念仏講結衆地蔵尊(享保5年(1720))
明治初期に安藤識が創立。普通部・英語部があり明治33年まで続いた。
鳥居の奥に小堂がある。村や地域の境界の守り神、道祖神・塞の神で、道六神・道陸神などとも表記する。
滝口神社 《地図》
「大原十八社」の一つ。今は社殿はなく造営中だ。
右に「深堀氏碑」・「地引絵馬」と「木造神将立像」の説明板が立つ。
ここは深堀という地名で、佐賀藩の深堀鍋島家の始祖は鎌倉時代に承久の乱の恩功により上総国深堀(千葉県大原町)から地頭として下向した深堀(三浦)能忠。『長崎市の坂-11』
房総街道踏切(いすみ鉄道)を渡って大原の町中に入って行く。
はでな1輛の電車がコトコトと、新田橋を渡って行った。
3と8の日に市が立ち、大原宿・大原町と称された町並みだが、いまいちぱっとしない。今でも「港の朝市」は開かれている。
創業明治12年(1879)、銘酒「木戸泉」の醸造元。杉玉が吊り下がり、「三月八日 酒蔵開き」の看板が立っていた。
古そうな建物だ。ここにも「酒蔵開き」のポスターが貼ってある。
大原八幡神社 《地図》
「大原の朝市」が立ち、「大原はだか祭り」で有名。
境内に大原神社が同居している。
第一房総街道踏切(外房線)を渡って行く。
追分回国供養塔道標(天保9年(1838)) 《地図》
南面に、「此方かつうら ぼうしふなこ こみなと」・東面に、「こはまみち」・西面に、「一の宮 江戸 きよみづ」で、勝浦・房州那古村(館山市)・安房小湊・小浜村・清水寺か。
国道128号(外房黒潮ライン)に出る。
瀧泉寺 《地図》
平広常が自ら植えたと伝えるのイチョウがそびえている。
道標(左) 《地図》
中央あたりから折れて立て掛けてある。
「矢差戸 大船谷道」で、矢指戸(やさしど)・大舟谷(おおぶなや)。
すぐ先のバス停「大舟谷・矢指戸入口」を過ぎて国道から分かれ右に旧道に入る。
旧道(右)に進む。《地図》
浪花駅前を通り国道に出る。
大宮神社(小池神社) 《地図》
石段の途中に2基の石灯籠(享和4年(1804))。
伊南房州通往還を歩いて4日目にしてやっと「伊南」という文字を目にした。
国道128号に出て、小池交差点で右に旧道に入り、第二房総街道踏切を渡って行く。
外房線沿いを進む。《地図》
このあたりは人家もなく、人も車も通らない静かな所だ。
花とペットボトルが供えられているから、お参りに来る信心深い、世話をする人がいるのだろう。寂しくはないか。
御宿町に入る。
今は廃墟だろう。こんな寂しげな所で焼かれたくはないが、死んでしまえばどこで焼かれようが同じか。
外房線を跨線橋で越え、御宿の町並みに入り、御宿駅を過ぎ、御宿海岸の月の沙漠公園まで行く。
月の沙漠記念像 《地図》
ずっと「月の砂漠」と思っていた。♪『月の沙漠』♪(作詞:加藤まさを)
今日はここまでとし、御宿駅に戻った。
ロペス通り碑 《地図》
村人が総出で救助した、「サン・フランシスコ号漂着事故」にちなんだ碑。御宿海岸の東方が「ドン・ロドリコ上陸地」で、近くに「メキシコ記念塔」(日・西・墨 三国交通発祥記念碑)が立つ。《地図》
『ドン・ロドリコの幸運』
屋根に月の沙漠のらくだ。
サン・フランシスコ号漂着事故の際、若い海女たちは素肌で遭難者を温め、蘇生させたという。
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