六郷田無道③
2015年2月3日
石川台駅(東急池上線)・・・永久橋(池上線)・・・宮前坂上・・・雪見坂上・・・(新雪見坂上)・・・花抜坂…庚申塔道標・洗足流れ跡・・長慶寺・平間道交差地点・・・(東海道新幹線)・・・八幡坂下・子安八幡神社・・・林昌寺・・・六郎坂・・・大尽坂下・・・題目塔道標・・・洗足流れ跡・・・第二京浜国道・・・池上梅園・・実相寺・・真性寺・・大坊本行寺・・車坂下・本町稲荷神社・・中道院・・霊山橋(呑川)・・鎌倉街道下の道合流地点・・分岐地点・道標・・六郷用水(北堀)跡・・・蓮花寺・熊野神社・・・(蓮沼駅)・・・御園神社・・・池上線踏切・・・東急多摩川線踏切・・・(環八通り)・・・六郷用水(南堀)跡・・・蒲田操車場・・・薬王寺・白山神社・・・安養寺(古川薬師)・・・諏訪神社・・・宝幢院・・・八幡踏切(東海道本線)・・・(京浜急行線ガード)・・・東海道合流地点(第一京浜国道)・・・六郷神社・・・旧東海道跡・・・北野天神社・・六郷の渡し跡・・・六郷土手駅(京浜急行線)
【ル-ト地図】(石川台駅(30.8km)から)
*坂は『東京23区の坂』の大田区で。
写真をクリックすると拡大します。
雪見坂 《地図》
今では富士山の雪は見えない。
新雪見坂 《地図》
右遠方に雪の富士山がはっきりと見える。勝手に新富士見坂と名づけた。
池上本門寺本堂の屋根と五重塔が望める。この方向へ進んで行く。
庚申塔(享保7年(1722))・洗足流れ跡 《地図》
右側の庚申塔は道標を兼ねていて、「右瀬田ヶ谷村道」・「左九品仏道」で、瀬田ヶ谷村道が歩いて来た道。
右の細い道が洗足流れの跡で、ここは暗渠になっていて呑川に合流する。
長慶寺の前で平間道と交差し、東海道新幹線をくぐって行く。
大尽坂下 《地図》
右の小祠内の題目塔(享保3年(1718))は道標になっていて、「池上めぐろ江道」・「せんそくほりの内江道」と刻むというが、確認できず。
この先で第二京浜国道を渡る。
「現在1分咲きです」の標示だった。梅は大田区の花で、白梅は150本、紅梅220本、シダレなど約30種類もの梅が咲き誇るそうだ。
大坊(本行寺) 《地図》
池上宗仲屋敷跡で日蓮上人入滅の地。
中道院 《地図》
ここの梅はけっこう咲いている。
鎌倉街道下の道(南回りルート)に合流し、すぐに左に分れて行く。《地図》
葛餅の相模屋の角に題目塔道標がある。『鎌倉街道下の道』に記載。
六郷用水北堀跡
徳持小学校 《地図》
このあたりは明治39年から43年までの池上競馬場跡で、その後、目黒競馬場に移った。
本尊は火除観音と称する十一面観音菩薩像。玉川八十八ヶ所霊場の70番、東海三十三観音霊場の10番。隣に熊野神社がある。
池上線踏切、東急多摩川線踏切を渡って、環八通りを横切る。
この先で蒲田操車場を横切っていた。
松本清張の『砂の器』の殺害死体発見現場。
玉川八十八ヶ所霊場の68番、東海三十三観音霊場の22番です。隣の白山神社の別当寺。
梅の花で暖かく感じる。
右に道標(延宝2年(1674))で、正面に薬師如来を表わす梵字と「古川 薬師如来江之道 六郷之内古川村 別当安養寺』、右側面に『是よりふる川屋くし江のみち』、左側面に『これよりふるかわやくしへ之ミち』で、東海道の六郷の渡しから多摩川道(筏道)に入る分岐点に立っていた道標で、ここに移設された。
ご利益があると聞けば、何でもする身勝手さは昔も今も変わらずだろう。2代目のイチョウも枯れてきているようだ。
在銘の手水石では大田区内最古という。
八幡踏切(東海道本線)を渡り、京浜急行線ガードをくぐる。
区内最古の狛犬というが、狛豚という感じだ。
紀年銘があればこれが区内最古の手水石だろう。
伝梶原景時寄進の太鼓橋
南に真っ直ぐの道が慶長6年(1601)に幕府が定めた当初の東海道の道筋。《地図》
この道筋が元和9年(1623)に西方に付け替えられた道筋。《地図》
受験生の姿はなかった。
六郷の渡し標柱
「日本橋へ四里半」と書かれているというが、消えかかっていて読めない。
流れは見えず、並んでゴルフ球をひっぱたく殺風景な河川敷が広がっている。渡し場は六郷橋の150mほど下流にあったという。
歌川広重の『川崎 六郷渡舟』・葛飾北斎の『六郷渡』
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