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2015年2月15日 (日)

伊南房州通往還③

2015年2月7日

上総一ノ宮駅(JR外房線)・・・実本寺・・・東福寺・・・玉蔵寺・・・東漸寺・・・洞庭湖・・・軍荼利山・東浪見寺・・・遍照寺・・(外房線)・・・正満寺・・・浪切地蔵・国道128号・・八坂神社・・熊野権現社・・・県道152号・・・浅間神社・・・綱田跨線橋(JR外房線)・・・(いすみ市)・・・馬頭観音・・・玉前神社・・・椎木地区・・椎木三叉路・・・福原橋(夷隅川・福原の渡し跡)・・・(外房線)・・・東中滝神社・・・法泉寺・・・岬ふれあい会館・・・玉崩橋(弓取川)・・・長者交差点・・天神社・・・長者町駅(JR外房線)

  今日は往還から離れ、東漸寺から洞庭湖を経て東浪見寺に出て往還に戻るコースを行った。

 【ル-ト地図】(上総一ノ宮駅(13.5km)から長者町駅(30km)まで)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_0757ここを右折して房総横断道路(国道128号)と分かれて東漸寺に向かう。 《地図

塀の後ろに道標のような石柱があるが読めず。

Img_0766東漸寺地図

皇女和宮の駕籠」(一宮町指定文化財)

外房七福神」の布袋尊

Img_0765説明板

Img_0773梨畑沿いを進む。

Img_0775洞庭湖(左)・高藤山(たかとうざん・直進)分岐点 《地図

高藤城は標高約80mの山城で、別名柳沢城とも呼ばれていた。平広常の居城とも伝えられ、一宮藩主・加納久徴が広常の功績を讃えて立てた「古蹟の碑」と呼ばれる石碑がある。『史蹟 高藤山と「古蹟の碑」』・『高藤山古蹟の碑と平廣常
昨日訪れた上総一宮の玉前神社にも「平広常顕彰碑」があった。

Img_0783洞庭湖(どうていこ)

享保11年(1726)、八田藩主加納久通が築いた灌漑用の人造湖だが水がない。涸れてしまったのか? ちょっと拍子抜けの気分だ。湖岸に「ため池整備工事」の看板が立っていたので、それで水を抜いたのかと思ったら、近くにいた地元の人の話では今の時期はいつもこんな状態で、桜の頃には水を貯めているという。

Img_0788説明板(古碑

碑には、大多喜・東金・勝浦・茂原・長者町・長南からの里程が刻まれている。

Img_0792尾根道を軍荼利山(ぐんだりさん・73m)・東浪見寺(とらみじ)へ向かう。《地図

ここは「関東ふれあいの道」のコースになっている。

Img_0800道標か?

右に入って見たが、下ってすぐに送電線の鉄柱で行止りになる。

伊勢化学工場の先で道標にしたがい左に進む。

Img_0809左側は軍荼利山植物群落(千葉県指定天然記念物)の自然林が広がる。

Img_0807右下は一の宮カントリー倶楽部だ。

海は見えなかった。

Img_0817東浪見寺前の池

Img_0842東浪見寺 《地図

長く急な石段を上る。

Img_0828石段沿いには巨木が生い茂っている。

前方は海だが見えにくい。

Img_0829仁王門

Img_0833本堂

Img_0834説明板

Img_0832説明板

木造軍荼利明王立像

Img_0847遍照寺 《地図

民衆派詩人「白鳥省吾旧居跡」の標柱が立つ。
東浪見に住んだ白鳥省吾

「外房七福神」の恵比寿天

Img_0849参道は外房線の線路で分断されて、「立入禁止」だが突っ切って行く。

Img_0855中国料理東浪見

どう見ても普通の民家だが、「本格上海料理」の店なのだ。

Img_0859浪切地蔵 《地図

ここで伊南房州通往還(房総横断道路・国道128号)に戻った。

Img_0862熊野大権現 《地図

通称「権現様」で、ここ権現前地区の名前の由来で、守護神でもある。

Img_0868シーサーが門番をする洋館

Img_0872右の国道152号に入る。《地図

200mほど進んだ地点に、清水寺飯縄寺への道標地蔵があるはずだが、道路工事中で撤去されたか、移設されたのか見当たらなかった。

Img_0881浅間神社 《地図

社殿はここからかなり上って行く。

Img_0887社殿前の神木

Img_0885外房九十九里の海(境内から)

綱田跨線橋でJR外房線を越えて行く。

Img_0895いすみ市に入る。

Img_0907玉前神社地図

Img_0909椎木(しいき)商店街だが・・・

Img_0914地方の商店街は、”いずこも同じ秋の夕暮”で、寂しい。

昔は2・7の日に六斎市が立ち、旅籠も2軒(天保14年(1843))あった宿場町だった。今も字名に「椎木宿」、バス停「下宿」にその名残りがある。

Img_0915昔風の商店

営業していないようだ。

Img_0916小安商店 《地図

ここは現役だ。

Img_0918旧家

椎木三叉路で左折して行く。

Img_0923福原橋から夷隅川 《地図

往時は「福原の渡し」で渡っていた。福原村(現岬町東中滝)は公認の馬継場だった。椎木村と荷継を巡る争論を繰り返していたという。
夷隅川はこの先の長者町駅の東方で太平洋に注いでいる。

外房線をくぐって行く。

Img_0928東中滝神社 《地図

中根六社祭り」の一社

Img_0930法泉寺

Img_0931半鐘(延享2年(1745))

Img_0946長者交差点 《地図

長者町は上宿・中宿・下宿から成り、4と9の日に市が立っていた。ここも近隣の村々と荷継を巡って争論を繰り返していたという。

Img_0949天神社

文政5年(1822)に伊勢八店忠兵衛によって奉納された「板絵馬伊勢八店の絵」がある。江戸の呉服問屋伊勢屋の店頭風景を描いたもので、作者は葛飾北斎の高弟、魚屋北渓という。見たいものだが公開していないようだ。

Img_0950長者町駅

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