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2015年3月13日 (金)

川越街道

2015年3月10日

本川越駅(西武新宿線)・・・札の辻・・・川越城大手門跡(川越市役所)・・・川越八幡宮…菅原神社・・けやき並木・・・(東上線・川越線)・・烏頭坂・熊野神社・・・御代橋(不老川)・・・砂新田春日神社・・・吉田神社・・・開明地蔵尊・・・東光寺・・・(ふじみ野市)・・鶴ヶ岡八幡神社・鶴ヶ岡厄除地蔵尊・・・亀久保神明神社・・・地蔵院・・・角の常夜灯・・・旧大井村役場・・大井宿・・高札場跡・新井本陣跡・・徳性寺・・大井戸跡(復元)・・砂川堀下水路・弁天の森・・古坂下・・大井坂・・下木戸跡あたり・・・(三芳町)・・・川越街道碑・・・広源寺・・・木宮稲荷神社・・・資料館入口交差点・・(新座市)・・・跡見学園女子大・・富士講碑(富士塚)・・・英インター(国道463号)・・英橋(柳瀬川)・・・大和田宿・・観音堂・・大和田坂・・鬼鹿毛の馬頭観音・・・新座駅(JR武蔵野線)

  【ル-ト地図】(新座駅(19.3km)まで)

 川越城大手門跡から中山道板橋宿の平尾の追分までの川越街道を2回で歩く。

 写真をクリックすると拡大します。

Img_2613川越城大手門跡 《地図

川越城大手門跡碑と太田道灌像が立つ川越市役所前。ここは、『川越・児玉往還』の起点でもある。

Img_1659_3説明板(川越街道)

新座市の鬼鹿毛の馬頭観音の所に設置の物。

川越八幡宮・菅原神社・熊野神社・烏頭坂などは『川越市の坂』に記載。

Img_1564川越景観百選」の富士見町のケヤキ並木

歩き始めたらみぞれが降り出した。なんだか寒々しい風情だ。

Img_1575すばるデイサービスセンター岸町 《地図

古江戸川越の古い民家を利用している。

御代橋(不老(としとらず・ふろう川)を渡る。

Img_1580春日神社

本殿の江戸期の彫刻が見事なようだが見落とした。

Img_1583吉田神社 《地図

右に「吉田治兵衛政次翁命之奥城」の木柱が立つ。『兵衛さまと神の申し子』という伝説がある。

Img_1584開明地蔵尊(右) 《地図

この付近に川越藩の刑場があり、ここに首がさらされ、その供養のための「首切り地蔵」とか。

Img_1591東光寺

ふじみ野市に入る。隣は富士見市で、東上線の「ふじみ野駅」は富士見市にあるからややこしい。

Img_1596鶴ヶ岡八幡神社

Img_1595説明板

Img_1592鶴ヶ岡厄除地蔵尊(芝開き地蔵尊) 《地図

Img_1593右が鶴ヶ岡八幡神社の説明板にある「芝開き地蔵尊」(元禄7年(1694))だろう。

Img_1598並木道を行く。

Img_1601亀久保神明神社 《地図

Img_1603説明板

Img_1605地蔵院

しだれ桜はふじみ野市の天然記念物。

Img_1608説明板

Img_1612角の常夜灯(享和2年(1802)) 

大山道の道標も兼ねている。

Img_1613説明板

Img_1620旧大井村役場庁舎 《地図

Img_1617説明板

Img_1622大井宿北木戸跡(大井上宿バス停の交差点)

高札場・新井本陣跡あたりで、今でも新井歯科医院、新井接骨院が街道沿いにある。

Img_1627徳性寺 《地図

大井宿の中心的存在の寺だったという。

Img_1628説明板

Img_1632大井戸跡(復元) 《地図

Img_1637説明板

Img_1636弁天の森・砂川堀 《地図

上野不忍池の弁財天を勧請したと伝えられる弁天堂は今はなく、「大井清水弁財天」は徳性寺に安置されているそうだ。

Img_1634説明板

古坂(ふるざか)の坂下から街道に戻ると大井坂で、大井稲荷神社の先が大井宿の下木戸跡で標柱が立つというが見逃したようだ。

バス停の大井坂上を過ぎ三芳町に入る。

Img_1638川越街道碑・藤久保の並木道

Img_1642広源寺 《地図

川越街道の成立や藤久保の開拓着手時期と同じ頃の寛永16年(1639)の創建という。本堂の前に仁王像が立っている。

Img_1643木宮稲荷神社

Img_1645並木道を行き、資料館入口交差点の先で新座市に入る。

跡見学園女子大の前の中野坂沿いの高台に「富士講碑」(富士塚)があり、中野バス停近くの小川沿いに倶利伽羅不動尊(宝暦10年(1760))が祀られている。『新座市の坂・所沢市の坂』に記載。

国道463号の英(はなぶさ)インターを抜け、英橋(柳瀬川)を渡り国道254号から分かれ、左に県道109号に入り大和田宿に進む。

Img_1652大和田宿

大和田坂沿いに上宿・中宿・下宿だが宿場の面影は薄い。左折して普光明寺前を通って行くのが鎌倉街道上の道の枝道という。『新座市の坂・所沢市の坂

Img_1654観音堂と地蔵(享保4年(1719)) 《地図

観音堂は荒れている感じだ。今でも宝永4年(1707)の木造聖観音菩薩立像を安置していつのだろうか?

大和田坂上近くの「鬼鹿毛の馬頭観音」を見て新座駅に向かった。

******************

3月11日

新座駅・・・(武蔵野線)・・・八雲神社・・・横町の六地蔵・・・稲荷社・・・たびやの坂・・・庚申塔・合道の坂合流地点・・・大橋(黒目川)・・牟礼道合流地点(膝折町1丁目交差点)・・川越街道膝折宿脇本陣跡・・本陣跡・・道標(子の神滝)・牟礼道分岐地点・・一乗院・・かせぎ坂・・膝折不動尊・・・和光市駅入口交差点・・・代官屋敷跡・・くらやみ坂・・・大坂・・大坂ふれあいの森・・白子宿・・白子坂下・中宿本陣跡(とみざわ薬局)・・白子村道路元標・・白子橋・「くつが鳴る」歌碑・(板橋区)・・新田坂・八坂神社・・・国道254号・成増坂・・小次兵衛久保坂・・小兵衛庚申塔・・帳元の坂・・・旧道・・・下練馬宿・・北町観音堂・・浅間神社・・・大山道道標・・・ガッカラ坂・子育地蔵尊・・・五本ケヤキ・・・(環七通り)・・・長命寺坂・・・下頭橋(石神井川)・下頭六蔵祠・・上板橋宿・・豊敬稲荷神社・海老山坂・・・大山福地蔵・・大山ハッピーロード商店街・・大山遊座商店街・・・(山手通り)・・・四ツ又馬頭観音・・・平尾追分・中山道合流地点(板橋郵便局前交差点)・・・(JR埼京線)・・・近藤勇墓・・板橋駅(JR埼京線) 

 *川越街道の坂』・『板橋区の坂・和光市の坂

Img_1676横町の六地蔵(享保17年(1732)・たびや坂の坂上近く)

左端は宝暦6年(1756)の庚申塔

Img_1672説明板

Img_1681たびやの坂を下る。

Img_1683坂下の合道の坂(右)との合流地点。《地図

大橋(黒目川)を渡って膝折宿へと進む。膝折町1丁目交差点で北から来る牟礼道と合流する。

Img_1689膝折宿脇本陣跡(高麗家住宅)

斜め前の郵便局の隣が本陣牛山家跡。

Img_1687説明板

Img_1692道標(明治42年・右の電柱の右脇)

「子の神たき」で、右へ右折して行く牟礼道沿いの 子の神氷川神社への道標。

一乗院前を過ぎ、かせぎ坂を上り、和光市駅入口交差点を過ぎて行く。

Img_1703代官屋敷跡(柳下家)

くらやみ坂を上り、大坂を下る。途中に「大坂ふれあいの森」がある。

Img_1718旧家(大坂の坂下近く)

ここも富澤家で旅籠川越屋跡?、それとも荒物問屋の旧佐和屋?

Img_1719白子宿本陣跡(とみざわ薬局) 《地図

Img_1723白子村道路元標(右) 《地図

白子橋を渡り板橋区に入り、新田坂を上り、国道254号に出て成増坂→小次兵衛久保坂・小兵衛庚申塔から帳元の坂を上り、下赤塚駅(東上線)の先で左に旧道に入り、下練馬宿へと進む。『板橋区の坂⑦

Img_1739北町観音堂

Img_1745北町聖観音座像

Img_1741説明板

Img_1740説明板(川越街道)

Img_1749浅間神社 《地図

左は富士塚

Img_1753大山道道標 《地図

Img_1752説明板

Img_1761昔風の米屋

Img_1771子育て地蔵

ガッカラ坂の途中だが今は傾斜はほとんどない。

Img_1767子育て地蔵

右が安永6年(1777)・左が貞享5年(1688)

Img_1766由来

Img_1772五本ケヤキ(国道254号)

飯島家の屋敷林が国道254号の用地となったが、同家の強い要望で、その一部が国道に「五本ケヤキ」として残された。

環七通りをくぐり、長命寺坂を下り、下頭橋(石神井川)を渡り、下頭六蔵祠から上板橋宿に入った。『板橋区の坂⑩』・『板橋区の坂⑤

Img_1793三春屋

大正時代に説教強盗が押し入ったという旧家。

Img_1796上板橋宿絵図①(豊敬稲荷神社境内に設置のもの)

西から上宿→中宿→下宿

Img_1797

Img_1794豊敬稲荷神社 《地図

海老山坂を下り、賑やかな大山ハッピーロード商店街と大山遊座商店街を抜け、山手通りを渡って行く。

Img_1814四ツ又の馬頭観音

ここに仮移設されている。4月4日に四ツ又交差点の遊歩道上に戻されるようだ。

Img_1817説明板

Img_1821四ツ又の由来

Img_1829旧中山道合流地点 《地図

Img_1833中山道板橋宿方向

Img_1837近藤勇の墓 《地図

千葉県流山市に近藤勇陣屋跡がある。『流山市の坂①

Img_1838説明板

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