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2015年5月19日 (火)

見沼代用水を歩く⑨(東縁② 七里駅→東浦和駅)

2015年3月25日

七里駅(東武野田線)・・・上ヶ谷橋(見沼代用水東縁)・・・(半縄橋)・・・(七里橋)・・・(高台橋)・・・埼玉記念病院・・大宮第二調節堰・・・七里総合公園・・・(膝子橋)・・・加田屋川・・・(樋ノ口橋)・・・見沼弁財天堂・・・(丼橋)・・・(締切橋)・・・見沼自然公園・・・(さぎやま記念公園)・・・(五斗蒔橋)・・・総持院橋・・総持院・・・見沼原型保存区間・・・国昌寺橋・・国昌寺・・・(新見沼大橋(国道463号バイパス))・・・(大崎橋)・・・(天神橋)・・大崎公園・・・(公園橋)・・・無量寺橋・・無量寺・・・(大白天橋)・・・(浅間橋)・・・東沼神社・・・(差間橋)・・・二ツ橋・・川口自然公園・・・(美沼橋)・・・(川蝉橋)・・・(JR武蔵野線ガード)・・・(八丁小橋)・・・(見沼新田橋)・・見沼通船堀東縁・・(芝川)・・八丁橋・・見沼通船堀西縁・・・油屋橋(西縁)・・・東浦和駅(JR武蔵野線)

  【ル-ト地図】(七里駅(8.4km)→東浦和駅(24.3km))

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2617大宮第二調節堰地図

高台橋の先のさいたま記念病院のそば。

Img_2627加田屋川が東縁の西側を流れている。《地図

この付近の見沼田圃を開発した江戸の加田屋助右ェ門に由来する川名という。

Img_2632見沼弁財天(丼橋の上流)

見沼七弁天の一つ。菖蒲町の星川との分岐地点にも祀られていた。『見沼代用水③

Img_2636説明板

Img_2646井沢弥惣兵衛像(見沼自然公園内) 《地図

見沼代用水を開削した江戸時代の治水家

Img_2678龍神伝説

Img_2649見沼自然公園の池

左岸沿いには「さぎ山記念公園」がある。『さいたま市の坂④

回り舞台 見沼たんぼ』の「4.さぎやま盛衰」

Img_2660総持院地図

Img_2665見沼原型保存区間①

Img_2669

Img_2679国昌寺山門

「開かずの門」と「釘づけの竜」の2つの伝説のある山門。

Img_2680説明板

Img_2681国昌寺

Img_2682説明板

Img_2684阿弥陀一尊種子板石塔婆

鎌倉時代の物らしい。

Img_2688新見沼大橋をくぐる。《地図

上は見沼大橋有料道路

大崎公園を過ぎて行く。

Img_2707無量寺  《地図

元和元年(1615)の開山というから、見沼代用水が開削される以前の、見沼の時代だ。

Img_2720東沼(とうしょう)神社地図

Img_2730川口自然公園

Img_2738JR武蔵野線をくぐる。《地図

Img_2747見沼通船堀(東縁)が右へ分岐する。《地図

Img_2751見沼通船堀(東縁)

享保16年(1731)に築造された閘門式運河。前方の橋の下が「仮締め切り」

見沼通船堀の実演

Img_2809説明板①

Img_2759説明板②

Img_2775

Img_2776

Img_2770第二の関(第一の関側から)

Img_2777第二の関から第一の関

Img_2772第一の関

Img_2781芝川との合流地点 《地図

Img_2784芝川対岸の右の橋の下から西縁からの通船堀が合流する。

このあたりが八丁河岸で賑わった所。芝川に架かる八丁橋あたりは八丁堤で赤山街道の道筋。

Img_2760大正時代の八丁河岸

Img_2790説明板(八丁堤)

Img_2786水神社

Img_2785説明板

Img_2795通船堀西縁が芝川に合流する地点

Img_2797案内図

Img_2808西縁合流地点

油屋橋(西縁)を渡って東浦和駅に向かった。

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