鴨川・鴻沼川・逆川を歩く ③
2015年5月4日 (鴨川③・鴻沼川①)
北浦和駅(JR埼京線)バス→領家・・・学校橋・・・徒歩(かち)橋・・・大久保排水路合流地点・・・鴨川旧水路合流地点・・千貫樋・千貫樋水郷公園・・荒川土手・・・鴨川・・・(上浅間橋)・・・(浅間橋)・・・(諏訪前橋)・・・浦和斎場・・・鴨川排水機場・鴨川放水路・・・(中土手橋)・・・油面川合流地点・・・(鴨川橋)・・・鴻沼樋門(鴻沼川合流地点)・・・(さくら草橋)・・昭和水門・・・田島ケ原サクラソウ自生地・さくら草公園・・・さくらそう水門・・荒川合流地点・・・さくら草橋・・・鴻沼樋門・・・桜橋(鴻沼川)・秋ヶ瀬緑道・・・(新開橋)・・・(立花橋)・(国道17号新大宮バイパス)・・・平川戸橋・・鴻沼資料館・・・氷川社・田島氷川公園・・・(合野谷橋)・・・神明神社・神明神社古墳・・・東福寺・・・(こけし橋)・・中浦和駅(JR埼京線)
好天の連休で家族連れなどで賑わうさくらそう公園で一休みし、さくらそう水門の先の荒川合流地点まで行く。鴻沼樋門まで引き返し、鴻沼川を遡り始めた。
【ル-ト地図】(領家バス停(23.3km)→中浦和駅(36.7km))
写真をクリックすると拡大します。
稲荷社 《地図》
文中の五関地区にある千貫樋に向かう。
大久保排水路?合流地点 《地図》
鴨川旧水路合流地点 《地図》
右から「千貫樋」と刻む。荒川の増水時の逆流による水害に悩まされていた近隣の村々が、江戸時代の末に資金を出し合って設けた関門。「千貫」の値打ちがあるということか。明治37年にはこのレンガ造りになった。さらに昭和10年には鴨川を南に延長して鴻沼川の一支流に付け替えた。今は左が水路・右が通路、上は道路だ。
菖蒲園もあるが、まだちょっと時季が早い。と言ってもアヤメとショウブの違いも知らないが。
鴨川の旧水路はこの先で荒川に注いでいたのだろう。
鴨川に戻り、浅間橋・諏訪前橋を過ぎて行く。
浦和斎場の先で行止りで、鴨川から離れ右の荒川方向に迂回する。
鴨川排水機場 《地図》
ここから鴨川放水路が南に分流する。
さくらそう水門の手前で鴨川の本流に合流する。
中土手橋から下流方向 《地図》
ここから右岸の土手を進んだ。
鴨川橋から 《地図》
正面に昭和水門(鴨川)が見える。
鴻沼樋門 《地図》
北から鴻沼川が合流して来る。
昭和水門(さくら草橋から) 《地図》
昭和樋門(昭和9年完成)に代わり、鴨川の排水と、洪水時に荒川からの逆流を防止して、大きな治水効果をあげるため、昭和61年度から工事に着手し平成2年度に完成した。
正面遠方のさくらそう水門の先で、鴨川は荒川に合流する。
田島ケ原サクラソウ自生地からさくらそう水門 《地図》
さくら草公園を突っ切って行く。
さくらそう水門 《地図》
鴨川が荒川第一調節池を通り荒川本川に合流する際に、囲繞堤(いぎょうてい・荒川と荒川第一調節地を仕切る堤防)を横断するための水門として設置された。 この水門の機能は、(1)鴨川の水を荒川本川に合流させる。(2)洪水時には水門を閉じて囲繞堤の役割を果たす。(3)さくらそう水門と昭和水門を操作することにより、調節池完成後もサクラソウ自生地の冠水頻度を以前と同じ割合にする。『荒川上流河川事務所』のHPより。
左遠方が昭和水門、右が埼京線の線路。
荒川が右から左へ埼京線をくぐって流れて行く。ここが鴨川歩きの終点だ。
さくら草橋に戻って鴻沼樋門へ向かう。
右から鴻沼川が流れ込んでいる。
享保年間(1716~35)の新田開発の際に、溜池の鴻沼の水を抜くために作られた排水路。東西には見沼代用水から引いた高沼用水路が開削された。
鴻沼(高沼)排水路・霧(切)敷川とも呼ばれている。
ここを鴻沼川歩きの起点として遡る。
下の車道は連休のUターンで渋滞していると思いきや、ガラガラだった。
高沼(鴻沼)用水は、鴻沼川(排水路)の東西を流れている用水路。楽しみにしていたのに、12時で閉館だと、がっかり。
氷川社 《地図》
田島地区の鎮守
6世紀後半頃の直径33mの円墳
本堂前に洗濯物が干してあって近寄りがたい。右は庚申塔などの祠。
近くに似たような板石塔婆があるが、これではなかった。
こけし橋までとし高架の中浦和駅に上がった。
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