浦賀道②(戸塚道)
戸塚駅(JR横須賀線)・・・東海道・・・高札場跡(八坂神社前交差点)・浦賀道起点・・・高嶋橋(柏尾川)・・・盛徳寺・・・蔵田寺・・・出羽三山供養塔道標・・・林宗寺・・・下倉田交差点・・・道標・・・延命地蔵尊・・・南谷戸の大ワラジ・・・(横浜市栄区)・・・貝殻坂・・・歳来寺(閻魔堂)・・・三嶋神社・・・(JR根岸線)・・・新橋(いたち川)・鎌倉街道(中の道)合流地点・・・笠間の庚申塔・・・離山富士見地蔵・・・青木神社・・(鎌倉市)・・・水堰橋(小袋谷川)・・・十王堂橋(西瓜川)・・・巨福呂坂洞門・・・鶴岡八幡宮・・若宮大路・・延命寺橋(滑川)・・延命寺・・(横須賀線)・・・上行寺・・安養院・・・妙法寺・・・安国論寺・・・名越踏切(横須賀線)・・・銚子の井(鎌倉十井)・・・日蓮乞水・・・名越坂踏切・・・(逗子市)・・・名越切通し・・・まんだら堂跡・・・大空洞・・・(法性寺)・・・(横須賀線)・・・富士見橋(田越川)・・・田越神明社・・・桜山の切通し・・・(葉山町)・・旗立山(鐙摺山)・・葉山港・・須賀神社・・海宝寺・・日影茶屋・・・葉山マリーナ・・・諏訪神社・・・清浄寺・・・脇町の庚申塔・・・亀井戸橋(森戸川)・・・長徳寺・・・木の下交差点・・・岩崎坂・・・国道134号線・・・イエズス孝女修道院・・・葉山消防署の五差路・・・下道坂・・・平松地蔵尊・・・下道坂・夜泣き石・庚申塔・六地蔵・・・一色小交差点(県道27号横須賀葉山線)・一色前田前庚申塔・・・滝の坂・・・滝の坂不動尊(吾妻神社)・・・滝の坂トンネル・・・小金坂・・・新善光寺・・・黄金坂橋(下山川)・(黄金坂)・・・旧道(古東海道)・・・道中橋(栗坪川)・・・栗坪の庚申塔・六地蔵・・・猪俣橋(下山川)・・・上山橋・・・県道27号・鍛冶屋坂・・・木古庭大沢橋(下山橋)・・・大沢の庚申塔・神明社・木古庭不動尊・不動の滝・・・不動橋・・・県道27号・大楠山登山口交差点・・・高祖坂・高祖井戸・・・県道27号・木古庭陸橋交差点・・・宗源寺坂・「高祖坂」の庚申塔・・・境地蔵・・(横須賀市)・・・おかん塚の坂・・・伝馬場坂・・・金谷交差点・・・大明寺・・・舞台坂・・舞台橋(平作川)・・・法塔十字路・・(三崎街道)・・・(宇東川緑道)・・・妙真寺・・・天神坂・・愛染稲荷神社・・・大津公園・・・大津陣屋跡あたり・・・(京急久里浜線)・・・諏訪神社・・・信誠寺・・・信楽寺・・・大津おりょうさん公園・・京急大津第1踏切・・宿守稲荷社・・・浦賀道(保土ヶ谷道)合流地点
東海道戸塚宿から鎌倉経由の浦賀道の西回りルートで、横須賀市の大津陣屋跡の先で保土ヶ谷宿からの東回りルートに合流する。
【ル-ト地図】(部分的に歩いたのをつなげた。歩いた日は前後する)
浦賀道は左折する。交差点あたりに高札場があった。
地蔵堂隣の地蔵庚申塔(明暦2年(1656))は、横浜市最古という。
出羽三山供養塔道標(寛政10年(1798)) 《地図》
道標(天明8年(1788)) 《地図》
「めんかけ如来 かさこひ太子 道 右かまくら」・「親鸞聖人奮跡 面懸阿弥陀如来江ノ道」
「右かまくら」は後から刻まれたものか。親鸞聖人ゆかりの永勝寺への道標で、面懸(掛)阿弥陀如来は、寺が荒廃している時、門前を通ると転んだり、落馬したりしたので顔に面を掛けて難を救ったという一木造りの阿弥陀如来立像という。
聖徳太子立像(神奈川県の重要文化財)が「かさこひ太子」だろうか? 「かさこひ」とは?
延命地蔵堂(正面) 《地図》
右に「かまくら道」の標柱が立ち、旧道跡が少し残っている。
南谷戸の大ワラジ 《地図》
ここは古くから道祖神が祀られ鎌倉道(浦賀道)を往来する旅人の小休所だった。
横浜市栄区に入り、長沼交差点を過ぎて貝殻坂の上りとなる。
横浜市中区にも貝殻坂がある。古甲州街道が多摩川を渡る「万願寺の渡し」の手前、日光御成道の大門宿近く、厚木市の中津川近くにもある。いずれも貝殻が出土したという。
切通しの崖が残っている。左の自動車前に「かいがら坂」の標柱が立っている。
歳来寺(閻魔堂) 《地図》
延宝3年(1675)に僧の最岸の創建という。開帳は4月8日と8月16日。
JR根岸線をくぐって行く。
新橋(いたち川)の手前で、斜め左から来る鎌倉街道(中の道)と合流する。《地図》
橋の手前左側に延命地蔵堂と「とつ加道」の道標が立つ。
ここから鶴岡八幡宮、若宮大路までは、『鎌倉街道(中の道)①』に記載。(逆方向に歩いている)
材木座海岸・稲村ガ崎方面(妙法寺の護良親王の墓の所から)
日蓮乞水(右)から名越の切通し(正面)
横須賀線沿いの旧道、名越坂踏切の手前
「鎌倉七切通し(七口)」の一つ
まんだら堂跡から大空洞(おおほうとう)を通って逗子市街へ下りる。
下は横須賀線
逗子から横須賀市との境の境地蔵までは、『逗子市の坂⑤・葉山町の坂』の道筋とほぼ重なって行く。横須賀市に入り、おかん塚の坂、伝馬場坂を下って行く。
おかん塚の坂 阿倍倉と池上4丁目の間を北西に上る。坂上は御国幼稚園。《地図》
浦賀と江戸の間を代官や武士たちが往来した浦賀道で、御代官坂といったのが詰まって、御官坂となりそれが訛って「おかんつか」と言われるようになったそうである。「古老の話」(『坂道風土記 三浦半島』) このいわれでは「塚」の説明がよく分からない。やはり何か塚のようなものがあったのでは?
伝馬場(てんまば)坂 平作7-1と7-6の間を西から南西に上る。《地図》
坂の途中に馬の継ぎ立て場だった屋号が「伝馬場」だった三堀家がある。ここで馬を乗り換えたり、かごの人足が交代した。(『坂道風土記 三浦半島』)
左側の石積みあたりが「伝馬場」の跡か? ペリー来航を江戸に伝える早馬の使者もここで馬を乗り継いだという。
金谷交差点から大明寺(日蓮像)前を通り、舞台坂を下って行く。
舞台坂(坂上方向) 衣笠栄町2-45あたりから北西に上る浦賀道。《地図》
小字名「舞台」からの坂名。舞台のいわれには諸説ある。その一つに、三浦氏の衣笠城時代に、領民を招いて舞楽を見せた所という説がある。(『坂道風土記 三浦半島』)
坂の途中の五輪塔。平作川には舞台橋が架かっている。
法塔(題目塔と石塔)・(法塔十字路)
左の石塔の台石には「東浦賀 西鎌倉 南三崎 北横須賀」で、浦賀道(鎌倉道)、三崎街道の道標になっているようだ。
天神坂を下る。《地図》
大津5丁目町内会館の裏に天神社があった。大正13年に諏訪神社に合祀された。「由来板」
坂の途中、北側の愛染稲荷神社「由来板」
青面金剛塔群 《地図》
根岸庚申講中が天明8年(1788)から建立し続けた庚申塔のようだ。
大津陣屋の石橋 《地図》
大津中学校内北側に移設保存されている。陣屋は大津高校から大津3丁目にかかる一帯にあった。
信誠寺(しんじょうじ)
山門右後ろが「逆さ銀杏」
大津陣屋に勤め、江戸湾沿岸を防備した川越藩士とその家族の墓
信楽寺(しんぎょうじ)
「おりょうさんまつり」
東海道の終点の京都の三条大橋の手前には、「坂本龍馬結婚式場跡」がある。『東海道(大津宿→三条大橋』
宿守稲荷社(京急大津駅の北側)
正徳3年(1713)の創建という。
保土ヶ谷からの浦賀道と合流し、浦賀(右)へと進んで行く。
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